タイムスケジュールが…

今日は新入生オリエンテーション2日目です。なので、すでに放送機器は体育館にあります。今日はセットするだけです。
でも、朝の出勤途中にK野さんとやりとり。
発端はGIGAスクール構想への評価です。K野さんは
「狭義の意味での記憶は不要になる。将来的には通訳なしで異なる言語のものが会話できる社会になる」
とされます。もちろん「個々の権利保障をどうするか」という観点は忘れておられませんが。で、わたしはといぅと、まぁたしかにAIは可能性を拓くものではあるんだろうけど、どうにも釈然としないものがあります。なので、こんな反論。

わたしが「学力ってどうなるんだろ」に、今返せる答えは「仕組みをわかって使う人と、仕組みがわからず使われる人にわかれる」です。そして後者は搾取の対象になる。
かつて、Lotus123(笑)を使って成績処理しはじめてしばらくしたころ、小さな計算ミスに気づいたんですよね。で、原因を考えたら、セルに表示されてる数値はセル幅にあわせて四捨五入されてるけど、内部では四捨五入せずに計算してることに気づいたんです。それ以降、小数以下何位で四捨五入するのか切り捨てするのか切り上げするのかを計算式に入れるようになったんです。
まぁこのあたりは有名な話だから、今は誰でもやってるだろうけど、25年くらい前の話で、まだみんなが表計算ソフトを使いはじめた頃だったから、たぶん気づいてる人はあまりいなかった気がします。

同じような話がAIにも言えるでしょうね。

感覚としては「「解放」令」以前と以後かな。「解放」令以前は経済格差があっても、身分によって隠蔽されてたし、それで生きられた。でも、以後は「経済」で序列化された。そして、豊かだった部落も、やがて貧困化していった。
つまり、PCやネットを使えなくても生きられた社会から、それを使わないと生きられない社会へと移行する。そのことで、今の格差社会は「情報」という価値で固定化される。
で、GIGAはその格差を推進し、固定化するツールだと思ってます。
でも、その手前のところで「可能性」をチラつかせてる。そんな気がしてならないです。
AIによって翻訳される言葉がほんとうに相手に意図が伝わるものかどうか、それそのものを疑わなきゃならんです。そこに誰かの意図が介在してないかってことを疑わなきゃならんです。

まぁ最近、こんなことをずっと考えてるんです。それが「今後の学力とはなにか」という問いの中身なんです。

いまだ「学力ってなんだ」という問いにとらわれています。
てことで、出勤したら、そのまま体育館へ。そのまま放送セットです。が、放送だけでは収まらないのが放送担当です。スクリーンを降ろしたりプロジェクタを設置したり、ひと通りのことをしなきゃなりません。そんなことをやるためには、あんなことやこんなこともしなくちゃなりません。気がつくとパイプ椅子を山のように動かしてました。筋トレしててよかった(笑)。
始業までの30分でかなり仕事をやった感があります。
でも、あとのことを考えると、午後の部活紹介のための放送セットを少しは搬入しておいたほうがよさげです。天気が気になるけど、とりまスピーカーだけでも運んでおきましょう。
一方、授業もはじまりました。まぁ1時間目なので、いつものガイダンスでいいでしょう。
2時間の授業を終えたら昼休み。ここからは馬に蹴飛ばされたように放送セットです。当然おべんとを食べる時間はありません。それはわたしだけじゃなくて部員もです。それでもなんとか部活紹介スタート5分前にはながらになったので
「交代で食べておいで」
と指示を出します。もちろん、含むわたしです。
しかし、部活紹介を見ながら、なんだかおもしろいなぁと思いますね。こんなふうに高校生が一生懸命自分の部活の魅力をアピールしてるところに居合わせる仕事って、たぶんあまりないです。そしてわたしがやってる仕事は、その、たぶんあまりない仕事なんですね。ほんとにどこまで/いつまで若い連中とつきあうんだろう。
部活紹介が終わったら撤収です。が、同時並行で部活体験がはじまります。他の部活は自分のペースでできるでしょうけど、放送部はそうはいきません。もうワヤです。3人の部員を放送室待機の生徒と荷物を運ぶ生徒と荷物を2階の放送室まで担ぎ上げる生徒の3つに役割分担して、粛々とすすめましょう。
ホッとひと息ついて廊下を歩いてると
「山岳部ってどこでやってますか?」
という新入生がいたので
「わたし、山岳部の顧問もやってるけど、放送部に入らない?」
とオルグして、まんまと放送室に連れ込んでしまいました。部員に
「ジェンガでもやって遊んどき」
というと、なにやらやってました(笑)。
てことで、定時が来たので退勤。と、新入生と部員がなかよく下校してるので、よしよし。
「せんせい、一緒に帰ろ」
と言われたので
「今から飲み会やねん」
と断って、駅まで急いで、そのままI木へ。
今日は約1年ぶりの3人呑みです。白井さんは病み上がりとのことなので、節度をもって飲むことになりました。
今回はそれぞれのルーツの話を掘り下げてみました。方法は簡単で
「なぜそう思うようになったのか」
を延々と質問し続けるという。するとその答えは自然と自分史をさかのぼりながらの叙述的自己表現になります。するとおもしろい。思いもよらないところに行ったり、はたまた「あぁ、やはりそこ」というところに行ったり。それにしても、わたしはほんとうに「人の人生」を聞くのが好きなんだろうな。
そんな感じで楽しい夜を過ごして、またまた飲む約束をして、1日が終わりました。

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