リビングライブラリ後にネタ拾い

今年もリビングライブラリの日がやってきました。ここ数日の準備は、基本的にはすべてこのためにありました。そして、午前は最後の追い込みです。
出勤したら、まずは資料の印刷。そして書庫になる応接室にグッズを運びます。そして少しだけ立番。あとは細かなチェックをして一段落。
会議をしたり、授業したり。まぁ授業と言ってもプリント学習ですけどね。と、ラインが…。なんと、JR京都線が「お客様と接触」でダイヤが大混乱なんだとか。しかし、ほんとうに人身事故が多いな。そんなことをしてたら、あっという間に午前が終わりました。おべんとを食べて、「その時」を待ちます。と、みなさん、予定通りの電車に乗れたとのこと。よかった。
ということで、お迎えです。なんか、いつもの感じが帰ってきました。
あとは、淡々と最後の準備をすすめて、さぁスタートです。今回は誰の話を聞こうかな。やはり初参加のKきぴーさんか。はじめは聞き逃したけど、おもしろい。ただ、魅力がまだまだ出せてないかなぁ。かきぴーさんの魅力は、アイデンティティはひとことでは語れないということなんですよね。もしかしたら、だからこそ30分という短い時間ではキツイのかな。でも、できればそのエッセンスを伝えたい。となると、質問が大切になりますが、その質問が難しい。
てことで、第1セッションはおしまい。続く第2セッションはT田さんにしましょう。去年のお願いごとは反映されてるかな。
なるほど、今年は利用者さんの姿を話されました。そうそう、そういう話が必要なんですよね。障害を障害というひとつのくくりで捉えるんじゃなく、個人単位でとらえること。ある人のことがわかったとしても、他の人のことがわかるわけじゃない。だから、出会うこと。そんなことの大切さが伝わってきました。
ということで、今年のリビングライブラリも終了。仕分けのあと、みなさんはファミマへと旅立っていかれました。

わたしも定時が来たので退勤。いつものお店に行くと、すでにみなさんおられます。ちなみにYき姐は不参加の予定だったけど、T田さんに送ってもらうという暴挙に出ました。
「どひちゃんやし、しかたない」
と、誰もが言うセリフが出てきました。
まずは乾杯。今回はKきぴーさんがおられるので、自己紹介ですが、これが長い。そうそう、これが自己紹介なんだよな。うれしくなります。
と、新採さんが来てくださいました。うれしいな。
そんなこんなで、8時に帰ると言ってたけど、9時になりました。まぁでも早い方ですね。
てことで、帰りましょうか。
帰り道は電動車イスユーザーのKさちゃんと一緒です。ちょうど電車が来たので急がねば。去年はエレベーターに乗るために延々と歩かれましたが、今年は修理も済んでるので楽勝です。わたしは階段を使ってホームに行きました。と、扉の前で佇んでおられます。車掌さんに
「板を出してもらえますか」
と言うと、
「駅から連絡がないと出せないんです」
とのお言葉。は?目の前に人がいて出せないってどういう仕組みやねん。そんなのを待ってたら乗れませんよ。なので、りぽたんとふたりでよいしょ。
電車が動きはじめたので、車掌さんに
「京都駅に板を出してもらうように連絡してもらえますか」
と言うと、これまた
「駅から駅に連絡をするので」
と拒否られました。は?わけわかりません。まぁKさちゃんは
「こんなもん」
と笑ってます。なんでも、駅で申告しなかったら「自己責任」になるんだとか。ひでぇ。
と、車掌さんがやってこられて
「京都駅に連絡しました。あちらのドアに板をセットします」
とのこと。やればできるじゃん。と、わたしの方を向いて
「京都駅で乗り換えられますか?」
しらんがな。
「本人に聞いてください」
Kさちゃん
「いつもやねん」
と笑っておられます。
ようやく京都駅に着いて、そこから地下鉄の乗り換えの経路の長いこと。マジでなんなんだと思いながらも、Kさちゃんの
「ネタができたやん」
に納得です。
明日の授業はこれからやな。そのためには、寝ましょう。ビールは飲むけどね。

会議でモヤる

今日は午前も午後も会議で出張です。なので、朝は少しゆっくり。しかし、いつも乗ってる路線、少し時間を遅らせたら、観光客でいっぱいです。いつまでこんなことが続くのかなぁ。インバウンドって、日常生活のジャまでしかないんだけどな。
で、午前の会議は校区の保小中との交流会です。それぞれの学校のとりくみを紹介するんだけど、今回は高校で開催なので、まずは授業見学です。ここ、10年前は「荒れてる」と言われた学校です。今も「マジメ」とは言わないけど、授業は成立しています。ひたすらそれは、「現場の教授学」があるからですね。まぁでもそれがわかるのは、わたしもそういう経験をしてるからかな。
その後交流です。なんか、中学校でアイマスク体験をしてるらしく、そこに引っかかってしまいました。わたし(たち)は、どれくらい視覚障害のことを知ってるんだろう。果たしてアイマスクは視覚障害の体験なんだろうか。アイマスク体験はアイマスク体験でしかなくて、視覚障害体験ではないはずです。でも、それを視覚障害体験と勘違いしてるんじゃないだろうか。そして「たいへんさ」を「わかった」気になるとすれば、それは人権学習でもなんでもない気がします。
まぁ、そんな話をして、午前は終了。
午後は第2のふるさとにできた新しい支援学校が会場です。会場までの山道を歩くと、メッチャきつい登りです。ここを毎日通ってるのかと思うと、なんでこんなところにつくるかなと思います。まぁでも、気持ちいい山道ではありますが(笑)。
で、到着。支援学校は、必ずインターホンで事務室に来た目的を言って、出入り口のカギを遠隔で開けてもらわないと入れません。なんでだろう。
会議室まで案内してくださった教員が
「ブログ読んでます」
とおっしゃって、なんでやねんと(笑)。
まずは校内の見学です。きれいです。が、なんか違和感があります。途中、教室を飛び出してあいさつしてくれた子を教室にもどそうとしておられる教員がおられました。その子、隣の教室の生徒に
「がんばれよ!」
とエールを送ってましたが、抱きかかえられるようにして教室にもどされていきました。お客さんが来たらあいさつしたくなるんだろうなぁ。
あとは「掃除検定」の練習風景を見せてもらいました。うまいなぁ。でも、だんだん暗い気持ちになってきました。
そして会議。思わず
「なぜ支援学校はカギをかけてるんですか?」
と質問してしまいました。なんでも「飛び出し」があるんだとか。そんなん、普通科の高校生だって、別の目的かもしれんけど、飛び出しますよ。1kmほど追っかけたことあるもん(笑)。
さっきの生徒さんも、なぜ教室から飛び出したんだろう。なぜ子どもは学校から飛び出すんだろう。教室や校舎くらい飛び出してもいいのに。いたいところで勉強すりゃいいのに。次の会議でこういう暴言を吐いてみようかな。
実践交流ではLGBTsのビデオの視聴。日高さんが監修してるからか、まぁまぁな映像ではありました。が、例えば学校の対応としてあげられてるのが「ジェンダーレス制服」です。ぜったいみんな「男でもスカートを履ける」としか思わんだろうな。そして、同性愛の生徒に関する話はなし。もちろん「どんな対応ができるか考えてみよう」とひとことあって、それはさすが日高さんの監修のたまものだとは思うけど、たぶん「ない」んやろな。そりゃないわ。そして、なぜないのかってことを考えなきゃならんはずなんですよね。ビデオを見るなら、そういう見方をしなきゃならんのだけど、そこに到達しない。そして「わかりやすさ」を求めてしまう。なんだかなぁ…。なので
「LGBTを通して、どのような形でこの社会がなりたってるのか伝えなきゃならんです」
と話したけど、通じなかったやろな。あるいは「また社会の構造か」で終わるかな。
まぁええか。帰りましょう。今日は走りたい。
まずは筋トレです。そしてラン。

今日は日曜日に買ったonのcloud 3Xを使ってみました。コースは比較のために日曜日と同じインターバルコースです。走った感触は、踵が薄い感じですね。なので、すぐに母指球に荷重が移る感じがします。必然的に足の前の方で走る感じになるので、スピードがあがります。確かに走りやすいけど、楽なわけじゃなくて、その分筋力が必要なんじゃないかな。結果、スプリットは5分46秒→5分21秒→5分30秒→5分48秒→6分00秒でした。トータル5.4kmを31分02秒で、アベレージは5分41秒です。タイムが上がりましたね。

さてと。シャワーを浴びてビールだな。

選別装置としての高校

またまた新しい週がはじまってしまいました。まぁそれでも、昨日の夜は10時に寝たから、少しは楽かな。とはいえ、「趣味」であるとはいえ、やっぱり自分のための時間がほしいですね。ここしばらくの土日、そしてこれからしばらくの土日を見ると、自分のための時間がまったくありません。ほんとうにヤバいです。
それでもとにかく出勤。実は、仕事そのものは別にしんどいわけじゃないです。ただ、仕事も自分のための時間ではないから、やはりつらいです。
特に、山もオチも意味もなく1日が過ぎて、夜の仕事です。
今日は「高校における格差」ですが、まずはわたしからひとこと。
今、夜の仕事で伝えたいと思っていることは、子どもを通して、その背後にある社会を意識するってことです。教員って、ついつい「その子」を見てしまう。あることができたのは、その子が努力したから。できなかったのは、その子の努力が足りなかったから。そして、努力の如何にかかわらずできなかったとしたら、「障害」を疑う。常に着目しているのは「その子」です。でも、その子は1人で生きているわけではない。家族という社会や、その家族を取り巻く社会の中で生きている。だから、その影響を強く受けている。そういうことを踏まえて物事を考えてほしいんですよね。そしてもうひとつ。実は、わたしの学校経験を通して、わたしがいわゆる「高SES層」に属する家に生まれたことは伝えています。でも、そういう人だって、「庶民的な学校の教員」はできるし、人権教育もできる。教員の仕事は生まれに依拠しないってことです。
そんな話の後、発表してもらいました。今日の発表もうまいですね。やはり、発表って、最初にする人がいちばん大変だと思います。そういう意味では、みんなどんどんうまくなっていくだろうなぁ。
しかし、高校における格差は露骨です。SESと偏差値が見事な相関関係にあります。げんなりするけど、それが現実です。現実を直視するところからしか、次には進めない。
そんなことを考えながら、みんなでホワイトボードに書き書き。
おもしろいなと思ったのは、出身高校における進路ですね。「浪人が1/3」とかいう学校があります。わたしの勤務校では考えられません。だって、浪人してでも志望校に行きたいというのは、それなりの学力があったりお金があったり、さらには親がそれを戦略として選択することができるわけですからね。
そしてもうひとつおもしろかったのが、中学校と高校の「雰囲気」の違いです。例えば「高校は合唱コンクールをがんばる雰囲気だった」とか、「高校は冷たい感じだった」とか。あるいは「中学校は情に熱い感じだった」とか。行事をがんばるというのは、学校文化に親和的ってことなんですよね。そういう話をすると、「みんな学校が大好きだった」っていう答えが返ってきて、学生さんたちは納得されてました。さらに「情に熱い」についても「学校文化としてのタテマエ」に対して、対抗概念としての「ホンネ」が低SES層と親和性が高いんじゃないか」みたいな話を投げ込んでみました。
最後に、
「仮に今、小学校の同窓会があったとして、みなさんはどういう会話ができる?」
という話をすると、「あ…」みたいな表情をしている学生さんがおられて、まぁそういう選別装置として高校は機能してるんですよね。
てことで、最後は元気になって終了。と、デスクを見ると、プロジェクターのスイッチが入ったままみたいです。んー、鍵を取りに行くのはめんどくさいな。門衛さんにお願いしようかな。
ということで、学生さんと一緒に門衛さんのところに行って
「プロジェクターのスイッチが入ってるみたいなんです」
と話すと、はじめ「ん?」という感じだったので
「子牛控え室まで行くのがめんどくさくて」
というと、「あぁ」という感じで対応してもらえました。
えーと、もしかしたら学生さんと間違えれられた?

違憲判決が出た

今日は午前に2発授業です。と、代講依頼が…。ごめん、午後はあかんねん。授業はプリント学習にしようかと思ったけど、今日はやめときましょう。
空き時間にあちこちメール。いつものことですが、10月終わりから11月にかけては、かなり火がつきます。とりわけ今年はきつい。リビングライブラリをもう一週うしろにすればよかった。来年はそうしよう。と思うたびに、まだ自分は「いるつもり」なんだなと思います。
午後はzoomで研究会。脳みそがついていってません。が、なんとかかんとか発言ができたかな。研究会の終盤、突然ポップアップが出てきて、「性別変更の手術要件めぐり 特例法の規定は憲法違反 最高裁」の文字が…。
びっくりしました。なので、すぐにzoomのチャットに転送。するとみんな、バッと顔が輝いて「おお!」という声が。
ちなみに、みなさんシス女性です[1]たぶん
この違憲判決はほんとうに大きな一歩だと思います。しかも全員一致だしね。ご尽力いただいた方々には頭が下がります。まぁでも、わたしも微力ながらこんなことこんなことこんなことはやりましたけどね。

わたし個人は、オペはしたい人がすればいいと思ってます。そのために、ほんとうにオペがしたいのかどうかを、自分自身ととことん対話をしてほしい。対話をするためには、オペに付随する余計なものはないほうがいい。純粋に自分の身体を眼差すこと。
そう考えたとき、特例法の要件は、あまりにもジャマです。だから、反対してる。
もちろん「わたしのため」ではないです。後輩たちのためです。わたしは戸籍制度を叩き潰すまでは性別変更しないと決めてます。だから、たぶんずっとこのままでしょう。知らんけど。
ちなみに、違憲となったのは第4項で、第5項は差し戻しなんだとか。
つまり、トランス男性はOKで、トランス女性は×ということですね。そういうアンバランスを高等裁判所はどう判断するのか。
ちなみに、昨今、みんなが大好きなお風呂問題ですが…。
実はトランス男性の方がハードルは高い。だって、男女問わずに性器を隠す人はいます。トランス女性もそのひとりになればいい。でも、トランス男性で、特に胸が大きい人はたいへんです。男性で胸を隠す人はほとんどいない中で隠さなきゃならない。隠さなければ見られる。見られたら混乱が巻き起こる可能性がある。あるいはトランス男性が性暴力にあう可能性が出てくる。
ここで問題なのは、こういう話がまったく出てこないところですね。つまり、トランス男性のことは、みんな興味の外だってことです。ここにあるのは、トランスジェンダーの問題ではなく、ジェンダーの問題です。

しかし、いつも思うことは、トランスヘイターが「手術してない人がお風呂に入るかもしれない」といい、それに対抗する人が「そんなことはない」ということのむなしさです。
本来は手術をしてようがしてまいが、性暴力を意図せず、その場が混乱しない形であれば、自認する方に入ればいいと思ってます。だって、「一瞥」による性別は手術とは無関係です。逆に手術の有無にかかわらず、外見が自認する方になってたら、出生時に割り当てられた方に入ると、メッチャ混乱します。それは、わたしは経験済みです。
なのに、「反論」するために、自らの行動の可能性を狭めてしまう。それがむなしい。

しかし、「coming out story」の「あの」シーンを誰も何も言わないのがおもしろいな。まぁ、ひとまわり前の映画だからか…。

footnotes

footnotes
1 たぶん

許容できるか否か

朝、身体が動きません。なので、少し寝坊。と言っても二度寝したらアウトなので、おふとんで横になる時間を少し増やす程度です。ほんの少しのゴロゴロが、ほんとうに大切です。
で、いつもの電車に乗って、いつもの時間に到着。朝は立番から。先週に続いて新採の方が隣に来られました。しもた、ネタを準備してなかった(笑)。
月曜の朝は少し余裕があるのが助かります。あまりキリキリせずにいろんな準備ができます。ただ、今日は短縮授業なので、そのぶんだけがせわしない。そうそう、福岡さんから送られてきた文章を読まなきゃ。
午前の授業も午後の授業も軽くこなして、放課後は明日の準備。とは言え、ほぼできているので、最低限の荷物運びだけです。そのあたりは放送部員がやってくれます。
で、いつもの通り、1時間労働者の権利を行使して、夜の仕事に向かいます。
今日のテーマは公立学校にある格差の話です。
まずは発表を聞きましょう。単に発表するだけじゃなくて、みんなから話を引き出して、それぞれの経験が異なることを浮き彫りにしてくれます。うまいなぁ。発表してくれた学生さんも話しておられたけど、個々人の経験は「それ」しかないんですよね。その「それ」を出しあう中で「それら」になる。ただ、実は足りないんですよね。なぜなら、学生さんたちの「それら」は、大学進学を果たした人たちの「それら」なんですよね。
例えば、「一族の中で高校進学したのはひとりだけ」みたいな子もいます。そういう家庭の子だと、大学進学とか、遠い世界のことになる。もちろん、それまでの学校時代にそういう話を交わせる関係があれば、そういう存在も知ることになりますが、多くの場合、学校には「フツーの姿」で来ますから、わからない。
でも、学校の教員は幸いにしてそういう子の存在を知ることができます。その時、どう考え、どう動くかですね。まぁそのためにこのシリーズをやってるのですが…。
発表のあとは、みんなでホワイトボードに書き書き。これが興味深いです。ほんとうにそれぞれがバラバラの生活背景を持っておられます。そんな中から「ここ」に来ておられるんですね。なかでも興味深いのは、「自分が経験した格差は許容範囲か否か」という項目へのみなさんのコメントでした。実は「しかたない」というコメントが散見されたんですよね。
これ、なぜだろう。
なので、あらためて「前近代の身分制によるヒエラルキー」→「業績主義の社会におけるヒエラルキー」→「格差社会におけるヒエラルキー」の図を書きました。そしてひとことコメント。
「現在の日本社会は一見業績主義に見えるけど、実は格差社会なんです。だから、ある階層に生まれると、それがその子の一生を決めてしまいかねない。そういうことをこの本は扱っています。なぜなら、そういう社会を教育という方法でなんとかしたいと思っているからです。だからそこ、そこにある格差を許容できるかどうか、もう少しセンシティブになる必要があるんじゃないかな」
おそらく学生さんたちも格差社会の中に生きておられる。それぞれがそれぞれの変えられない生まれによってもたらされた「しんどさ」を努力で克服して、今ここにおられます。だからこそ、生まれは変えられないし、それを変えるのは努力なので「しかたない」と考えられるんじゃないかな。でも、教員になるとしたら、あるいは教職課程を履修する学生さんとして、それでいいんだろうか。
もちろん、教員であるわたしの立場は「すべての格差は許容しない」です。生まれでゴールの幅が左右される社会は許せません。しかし、それを押しつけてもしかたない。まだ4回目です。あと11回あります。さまざまな投げかけを、このテキストはしてくれている。「ある格差を許容できるかできないか」「ある生まれだからしかたないのか、しかたなくないのか」ということを、さまざまなケースを題材として、ゆっくりと考えていけばいいかな。

語ってフィールドワークして

今日は出張のない出張日です。なので、事務作業日にしましょう。朝は立番からスタート。余裕がある日は、気持ちにも余裕がありますね。
職員室に帰ったら、たまってる校正をしたり、はたまた書類を記入したり。そうそう、放送機材の値段も問い合わせなきゃ。
そんな感じで、ダラダラサクサクと仕事をこなして、ひと息ついたらお客さまが来られました。H江さん@某国際センターです。

なんでも、外国人教育に限らず、京都府における人権教育全般について聞きたいんだとか。本来はHまちゃんあたりに聞いたほうがいいんだろうけど、たぶん高校のことは知らんやろうからなぁ。他を見渡して、知ってそうな人は思いつかないなぁ。
そもそも、京都の人権教育というか、同和教育は某党派の方々がとっておられました。それが30年くらい前に、「わたしたち」がとった。ちなみに、某党派の方々はわたし(たち)のことを「偏ってる」って言ってはりましたが、わたし(たち)は「偏ってて何が悪いねん!」と開き直りながら、「お前らのほうが偏ってるやん」と思っていたという。だって、わたし(ら)、セクトと違って、ノンセクトラディカルやもん(笑)。
ただ、だからといって、同和教育の内容がゴロリと変わるわけじゃなくて、ゆっくりとしか変わっていかないんですよね。さらに「確信犯」は振り切れてるけど、時代の流れの中でゆっくりと変わった人は、根源的なところでは変わりきらなかったところがいっぱいあるわけです。そんな変わりきらなかったことのひとつが「アイデンティティ保障」の重要性の認識だと思っています。結局、「学力•進路保障」で終わってしまった。いや、「学力•進路保障」のためにはアイデンティティ保障が必要なんだけど、とても狭義の「学力•進路保障」で終わってしまった。だから、未だに「個人」に着目する「医療モデル」で人権教育を考えてる。簡単に言えば「個人に力をつける」なんですよね。
さらにその「個人」は生徒だけじゃなくて、教員もなんですよね。つまり、「個人の工夫」で乗り切ってきた。あるいは「与えられた制度」の中で乗り切ってきた。そうなると、その「個人の工夫」や「与えられた制度」ではどうしょうもなくなったときに、途方に暮れてしまう。小中であれば、問題を先送りするし、高校は手を離してしまう。そうやって、日本語指導を必要とする子らが放置されてしまう状況がある。
ただ、「個人に力をつける」が徹底していれば、外国人の子どもたちにも同じ論理でかかわれるはずなんだけど、それをしないのは、おそらく、京都府の学校は、その対象を部落の子らに特化してたってことでしょうね。それもまた「与えられた制度」の限界なんでしょうねまぁ。京都府の高校教員で在日コリアンにガッツリかかわっていたのは、たぶんFじ田さんとわたしくらいじゃないかなぁ。ふたりとも部落の子にもガッツリかかわってきた人間です。そして「与えられた制度」を使いながら、そこからさらにはみ出たところでやっていた。
そういう、「与えられた制度」からはみ出たり、「個人の力」を狭義の「学力」と捉えなかった人は、京都府にはものすごく少ないんですよね。それはおそらく「障害児教育」の捉え方とも一致してます。だから、京都府の教員の多くは「分離教育」を受け入れている。
そういう中で、でも、外国人の子どもたちは常にすでにここにいる。どうやってこの子らの「学力•進路保障」をしていくのか。待ったなしの状態です。そのために、教員ではないH江さんが動いておられる。
なんと言っていいのか…。
でも、わたしなりに「与えられた制度」に依拠しないところで、できることをやるしかないです。おそらくそこで一致しているのかな。

そんなこんなで、1時間の予定が2時間になったので定時になってしまいました。せっかく今日は車出勤なので、一緒に帰ることにしました。ちなみに、帰り道ギョースーで買い出しをしなくちゃならないのですが、結局3軒まわってしまったという。ただ、ギョースーのお客さんって店によってまったく違うので、それを楽しんでいただこうかなと。それもまたフィールドワークです。
そんなこんなでお家に帰って、走ろうかと思ったけど、メールのやりとりしてたら遅くなってしまったので、筋トレだけにしましょうか。
あとはシャワーからのビールだな。

変形ダブルヘッダー

昨日の夜は早めに寝ることにしたので、今朝は体調はマシです。もっともそうじゃなきゃもちません。
てことで、出勤して朝ごはんを食べて、動きはじめましょうか。放送室に行って機材を準備して、体育館に持っていって音響セットをつくりましょう。プロジェクターも準備して、小一時間ほどで準備完了です。
その後、いろいろおさらいです。
授業は2発。片方はプリントの説明、もうひとつは試験範囲を終わらせるために猛スピードで進みます。なんとかかんとか授業を終えたところで、スクリーン吊りをしてくれる部員に
「昼メシ食べるしな。今食べへんかったら、一生食べられへんねん」
笑顔で答えてくれました。
で、午後の授業開始です。去年に引き続き、今年も2年生で「部落差別で学ぶ」人権学習です。てか、就職差別との闘いを2年生3学期でやる関係で、去年から2年生2学期にやることにしたのでした。
今年使うスライドは、基本的には去年加筆したものです。ただ、去年は65分で、今年は100分です。ビデオが35分なので、ちょうどのはずです。
まずは前口上。そして動画です。あちこちですすり泣きの音がします。やはりこの動画のパンチ力はすごいです。もっとも化学調味料の味がしないわけではないのですがね(笑)。
ここでいったん休憩。
担当クラスのこと話してると、
「せんせい、あれ、前に見たことあるわ」
と言う子がいて、やられたなと思ったり。
そして6時間目です。話しはじめたけど、時計の針が動くのが早い。ヤバイです。終わらへんやん。いやいや、子どもたちの時間を保障するためには最長でもチャイムで終わらなきゃなりません。焦ります。焦るとスライドを忘れます。それが出てきたかと。
そんなのを繰り返してたら、後半がメッチャ短くなって、超早口になります。さらにオチが少し長くなったのを忘れてて、スライドが出た瞬間に「そうやった!」と。
てことで、完全に焦りの話でした。落ち込みました。
まぁでも、長く同僚な人が少しほめてくれたので、ちょっとだけ復活かな。
定時が来たので退勤。かなり疲れているので、おにぎりと黒ラベルを仕入れて、少し燃料補給です。しかし、おにぎり、高っ。
そして今夜はちょぼやき会です。今回の担当はわたし(笑)。そういや6月も同じパターンでした。かけるネタはこないだのシンポのスライドです。あの時は15分と言われて20分話したけど、それをちゃんと説明したらどうなるかなと。で、ちゃんと説明したら1時間20分かかりました(笑)。これでひとネタいけるやん(笑)。
まぁでも、わたしの教員人生も語ってるから、それくらいはかかりますよね。後半の人権学習をめぐる話も、やってきたこと•考えてきたこと•やろうとしてることなので、まぁまぁ長い。
そんなこんなで、8時過ぎに終了。打ち上げはストーンズです。ここで、「カミングアウト」と「アウティング」についてのディスカッション。具体的には「差別されない権利」は「カミングアウトの自由」を奪うのではないかという話でした。まぁ「カミングアウトする人」は、ここのコンフリクトについて真剣に考えるけど、「アウティングする人」はそんなこと考えないだろうという話なんですけどね。そして、「カミングアウトする権利」もまた「差別されない権利」であるという話かな。まぁこのあたりはかつて話した気がします。
そんなこんなで、食べてしゃべって笑って、最後は藤尾さんとハグして終了。
落ちていた気持ちが、少し浮きました。

危険なんだよなぁ

朝、当然のことながら身体が動きません(笑)。1時間労働者の権利を行使しようかと思ったけど、なんとなく出勤。今日は午後から出張だけど、午前は何もないので、用事をしながら体調がもどるのを待ちましょうか。
てことで、少しゲンコを考えてみたり。一昨日は、昨日と今日でやっつけようと思ってたけど、たぶんムリだな。でも、あれやこれや考えて、少しずつ完成形に向かってきたかな。最後のところは、もう、とあるゲンコをそのまま使いましょう。あれはあれで完成してるねん。
で、午後の会議。まぁ、会議そのものは安定してますが、お互いの人権学習の交流で「危険なニオイ」がしたので、つい絡んでしまいました。
なんでも、ジェンダーのことについての学習で、これまでやってたのとはテイストを変えて、NHKの「ジェンダーサイエンス(1)「男X女 性差の真実」」を使ったんだとか。番組そのものは、結論的には
男女を隔てるジェンダー意識やLGBTは自分と違うという考えは、思い込みであることが分かります。
としているから、それはそれでいいんですが、アプローチがツッコミどころ満載過ぎるかなと。
例えば、サリーナス村の話が出てきますが、調べてみると5α-還元酵素欠損症らしいです。てことは、「性が変わる」というよりも、「性が発現する」という感じじゃないかな。サイトの中には、本人たちの「本来の自分でいられて、うれしいです」という言葉が紹介されてますが、それは「女の子として育てられた」からであって、極めてジェンダーの問題ですよね。
さらに脳の性差が出てきます。これもあぶない。まずは、「差」をどのように解釈するかは社会的な行為です。まぁ、この間のじんけんスコラで、新しくぶっこんだトマス•ラカーが読み筋ですが。さらに、「性差があったとして、それがどうだ」という話です。まぁ結論的には「性差がなくなってきている」という話らしいですが、とにかく「科学」を持ち出すところに危険なニオイがプンプンします。
科学で証明されるものは、反対の立場もまた科学で証明されてしまう可能性がある。だから、科学を持ち出さないし、持ち出すときは、そういう持ち出し方をしなきゃならないと思っています。
たぶん、視聴覚教材の使い方が違うのかな。「視聴覚教材に教えてもらう」のではなく、「視聴覚教材で教える」というか、視聴覚教材を批判的に用いるというか、そういう感じでいきたいなと思ってるんですよね。もちろん「視聴覚教材に教えてもらう」ことはないわけではないけど、その時は視聴覚教材がなくても教えられるところまで自分が調べ考えた上でのことになるかな。言い換えると、その視聴覚教材がなくてもできるけど、あったほうがより深まるという感じかな。
まぁでも、いつも興味深い視聴覚教材を見つけてくる人なので、これからも楽しみですね。
しかし眠いな。帰り道、少しウトロに寄って打ち合わせをするなど。
帰って走ろうと思ったけど、そういうコンディションでもないし、今日はおふろで勘弁してあげましょう。

公立学校の仕組み

今週は通学路指導週間ですが、今日は職員室待機です。なので、8時に出勤して9時まで雑用ができます。逆に言えば、昨日まではできなかったってことです。せっかくできた時間なので、「たより」をつくってみたり。
午前は授業にまみれます。しかも、2時間目の前半は支店長と副支店長が授業を見に来るんだとか。来てもしゃーないぞと思いながら、指数関数をしてましたが、しもた、ここ「底」の話をしなくちゃならんところやんと。
しかたないので「そこ」と読んでくれそうな生徒を指名して読んでもらったら、案の定「そこ」と読んでくれたのでありがとう。そこからひとネタやりました。うしろで支店長と副支店長が苦笑してました。まぁ、ペケしかついてない教員なので、なんくるないさです。
午前の授業を終えて、「たより」を配りに職員室へ。すると、数学科のセクションリーダーがこちらにやってきて「すみません」と。6時間目が代講なんだとか。いや、それを昼に言うか。
「もっと早くに言ってくれなきゃ困る」
とだけ怒っておきました。
通学路指導とか立番をやってると、職員朝礼に出られません。しかも、わたしのセクションは「生徒のテリトリー」の中にあるので、「教員テリトリー」にはなかなかいきません。必然的に、今日一日なにがあるかとか、さっぱりわからなくなります。逆に言うと、それを前提に通学路指導とか立番をしてるってことです。
まぁでも、ふだんはそれでもまわるんだけど、「なにか」があったときは情報が入ってこないから「突然」になります。あらかじめ見通しを立てたいタイプのわたしとしては、それが苦痛です。もちろん、そこからリカバリーはしていくんだけど、気持ちのリカバリーはそれなりに時間がかかります。てか、そもそも「これをやろう」と思ってたことがあとまわしになって、あとが詰んできます。
まぁでも、休んだときはお互いさまなので、もちろん、行くのは行きます。

先週と今週、コロナとかインフルエンザとかで休んでる教員がメッチャ多いです。ひとり休むと誰かが代講に行かなきゃなりません。それは当たり前と思われるかもしれませんが、本来はおかしなことだと思ってます。なぜなら、ひとりあたりの決められた仕事量があり、授業時数も週あたりの時間数が決まっているからです。代講に行くとその間他の仕事ができなくなって、その分仕事の密度を高めるか、仕事の時間を伸ばすかしないとダメって話になります。ただ、問題なのは、教員の仕事の第一義的なものは授業なので、それが最優先になるってことです。つまり、他に仕事があっても、代講が入ると、それの優先順位を最上位に持ってこなきゃならないということです。
まぁわたしの場合は授業軽減があって、それが「クッション」の時間になるので、まぁなんとかなりますが、他の人の時間割を見てたら「これは…」ってなります。
ついでに言うと、だから休みにくい。つまり、代講なり自習監督を他の人に頼むと、その人に負担が行きます。そうならないために時間割変更をするのですが、選択科目や習熟度•少人数講座なんかだと、同時に展開されてる授業が複数あるので、ほぼムリになります。
で、こういう構図なのは、そもそも公立学校は全員そろってることが前提にあるからです。遊びがゼロの歯車ってことです。ただ、授業が最優先ってことを誰もが知ってるから「当たり前のこと」として、そこを補い合う。すると、遊びがゼロの歯車もまわってしまう。だから、問題化されない。問題化されなかったら、それは不問になる。そうやってずっときました。教育に予算を割かなくても、現場がなんとかする。現場がなんとかするから予算を割かない。まぁでも、そんなんだから、歯車の歯が欠けて、休んだりやめたりする教員が出てくるんですけどね。
ちなみに、うちの職場には教育サポーターみたいな人がいます。この人、うちの学校に長く勤めてた退職教員です。この人が「自習監督なら行くよ」と言ってくださっていて、本当に助かります。
ただ、この人のように「善意」でやるのではなく、制度的にこの人のような存在をつくらなきゃ、マジでまわらなくなるぞ。
と思うのですが、まぁ学校にすべてを押しつける割に学校の優先順位が低い日本社会では、アカンやろな。

まぁでも、代講は行ったら行ったで新鮮でおもしろかったりするし、たぶん生徒も気分転換になっていいのかも。でも、そんなこと言ってるからアカンのか。
放課後は明日準備予定の明後日ある勤務時間外労働の放送セットを組むなど。部員に
「これはこうするしな。覚えときや」
と話をして、本日の仕事終了。
ふぅ…。

高校教員の仕事

今日も1日仕事だなぁと思いながらの出勤です。まぁでも少し涼しくなったから、歩いていても楽といえば楽です。しかし、こんな生活をいつまで続けるんだろうとは思いますね。
今朝は立番ではなく「待機」なので、セクションの小部屋でPCをパチパチ。やってきた生徒の対応です。ほんとうに細かい「おイタ」をした子が、めっちゃ神妙な顔でやってくるのが、なんとなくおもしろいです。
い「担任さんからなに言われたん?」
生「「キミがやった行為はアメリカだったら許されるけど、日本では許されない。もしもその行為をしたければアメリカに行きたまえ」って言われました」
い「マジか…。そんなことを言ったのかよ…」
あとは代講に行ったり授業に行ったり。
放課後は軽音のリハのつきあいです。基本的には軽音が持ってるSTAGEPAS 600GTを使うので、放送部の出番はないのですが、文化祭と同様、モニターアウトからうちのパワーアンプに音を食わせてZLX15を鳴らすという話になるので、わたしが出なくちゃならんという。このあたり、部員がわかってくれたら助かるんだけどなぁ。さらに、司会がワイヤレスを使うので、放送部のワイヤレスマイクをSTAGEPASにつながなきゃなりません。放送部が外部の機材を借りることはないので、このあたりがわからんやろなぁ。つくづく情けない。
まぁでもすべてのセットを終えて、軽音が演奏をはじめると、なかなかいい感じです。夕方5時を過ぎると、少し暗くなってきます。聞いている軽音部員は、ペンライトの代わりにスマホのライトをつけて振っています。そんな風景を見ながら
「これを見ているのも仕事なんだなぁ。高校教員って、こんなのが仕事になるんだなぁ」
と、ふと思いました。
なんか、子どもたちの青春につきあう感じですね。ちょっと泣けてきました。
そんな仕事をこれまでやってきて、あと少しだけやる。