語ってフィールドワークして

今日は出張のない出張日です。なので、事務作業日にしましょう。朝は立番からスタート。余裕がある日は、気持ちにも余裕がありますね。
職員室に帰ったら、たまってる校正をしたり、はたまた書類を記入したり。そうそう、放送機材の値段も問い合わせなきゃ。
そんな感じで、ダラダラサクサクと仕事をこなして、ひと息ついたらお客さまが来られました。H江さん@某国際センターです。

なんでも、外国人教育に限らず、京都府における人権教育全般について聞きたいんだとか。本来はHまちゃんあたりに聞いたほうがいいんだろうけど、たぶん高校のことは知らんやろうからなぁ。他を見渡して、知ってそうな人は思いつかないなぁ。
そもそも、京都の人権教育というか、同和教育は某党派の方々がとっておられました。それが30年くらい前に、「わたしたち」がとった。ちなみに、某党派の方々はわたし(たち)のことを「偏ってる」って言ってはりましたが、わたし(たち)は「偏ってて何が悪いねん!」と開き直りながら、「お前らのほうが偏ってるやん」と思っていたという。だって、わたし(ら)、セクトと違って、ノンセクトラディカルやもん(笑)。
ただ、だからといって、同和教育の内容がゴロリと変わるわけじゃなくて、ゆっくりとしか変わっていかないんですよね。さらに「確信犯」は振り切れてるけど、時代の流れの中でゆっくりと変わった人は、根源的なところでは変わりきらなかったところがいっぱいあるわけです。そんな変わりきらなかったことのひとつが「アイデンティティ保障」の重要性の認識だと思っています。結局、「学力•進路保障」で終わってしまった。いや、「学力•進路保障」のためにはアイデンティティ保障が必要なんだけど、とても狭義の「学力•進路保障」で終わってしまった。だから、未だに「個人」に着目する「医療モデル」で人権教育を考えてる。簡単に言えば「個人に力をつける」なんですよね。
さらにその「個人」は生徒だけじゃなくて、教員もなんですよね。つまり、「個人の工夫」で乗り切ってきた。あるいは「与えられた制度」の中で乗り切ってきた。そうなると、その「個人の工夫」や「与えられた制度」ではどうしょうもなくなったときに、途方に暮れてしまう。小中であれば、問題を先送りするし、高校は手を離してしまう。そうやって、日本語指導を必要とする子らが放置されてしまう状況がある。
ただ、「個人に力をつける」が徹底していれば、外国人の子どもたちにも同じ論理でかかわれるはずなんだけど、それをしないのは、おそらく、京都府の学校は、その対象を部落の子らに特化してたってことでしょうね。それもまた「与えられた制度」の限界なんでしょうねまぁ。京都府の高校教員で在日コリアンにガッツリかかわっていたのは、たぶんFじ田さんとわたしくらいじゃないかなぁ。ふたりとも部落の子にもガッツリかかわってきた人間です。そして「与えられた制度」を使いながら、そこからさらにはみ出たところでやっていた。
そういう、「与えられた制度」からはみ出たり、「個人の力」を狭義の「学力」と捉えなかった人は、京都府にはものすごく少ないんですよね。それはおそらく「障害児教育」の捉え方とも一致してます。だから、京都府の教員の多くは「分離教育」を受け入れている。
そういう中で、でも、外国人の子どもたちは常にすでにここにいる。どうやってこの子らの「学力•進路保障」をしていくのか。待ったなしの状態です。そのために、教員ではないH江さんが動いておられる。
なんと言っていいのか…。
でも、わたしなりに「与えられた制度」に依拠しないところで、できることをやるしかないです。おそらくそこで一致しているのかな。

そんなこんなで、1時間の予定が2時間になったので定時になってしまいました。せっかく今日は車出勤なので、一緒に帰ることにしました。ちなみに、帰り道ギョースーで買い出しをしなくちゃならないのですが、結局3軒まわってしまったという。ただ、ギョースーのお客さんって店によってまったく違うので、それを楽しんでいただこうかなと。それもまたフィールドワークです。
そんなこんなでお家に帰って、走ろうかと思ったけど、メールのやりとりしてたら遅くなってしまったので、筋トレだけにしましょうか。
あとはシャワーからのビールだな。