つい

今年度の水曜日の授業は3時間目のみです。楽です。まぁその代わり月曜日の授業が詰まってるんですけどね。
てことで、朝職場に到着したら、速やかに復命書を書いたりメールをチェックしたり。なんと、昨日の晩のうちに書類をつくって送ってくださってるのね。その書類を支店長のところに持っていったり。その後、職朝がはじまる前に学年の人権担当のM田さんと打ちあわせ。今日の6時間目は「世界人権宣言」の授業です。
とにかく、始業前にいろいろやらないと、このあと詰まっていきます。そして朝の立番。なんかしかし、いろいろと理不尽さを感じますね。まぁこの社会は理不尽なんだけどね。
立番が終わったら、再び雑務をしたり、午後の機材の準備をしたり。
3時間目の授業には、今年常勤講師で来られた教員がお客さんで来られました。しかも長期欠席の子のために録画されてます。ヤバイです。まぁいいや。てことで、授業の「入り」は、午後へのプレッシャーの話と、昨日の番組の話ですね。これも録画されてるのか^^;。
授業そのものは、いつものように野放しです。考えてみたら、ほとんど説明してないから、録画の大半はムダってことです。やれやれ。
そして、スライドのチェック。2024年版はどうしよう。大切なのは「あかんのちゃうん」をアップデートすることです。やはり今年は「GAZA」か…。しかし、なぜこうも次々と「あかんのちゃうん」が出てくるんだ?この世界は。
てことで、スライドをつくって、体育館へ。ひとり生徒を待ちます。
やがて生徒が集まって、スライドスタート。さすがは4月の1年生です。聞いてくれますね。まぁ、2・3年生も聞いてくれますけどね。
たぶん、これまでの人権学習とは少し違うんじゃないかなぁ。とにかく展開が早い。別に個々のことをわかってほしいんじゃなくて、「人権の歴史は闘いの歴史」ってことを伝えたい。だから「あかんのちゃうん」のアップデートが必要ってことです。そしてなにより「あかんのちゃうん」を誰に向かって言うのかです。
てことで、いよいよその場面。

「あかんのちゃうん」を誰に向かっていうのか?本人に向かって、「あんたが努力せんのがあかんのちゃうん」なのか?それとも「権力」に向かっていうのか?

しもた、ついうっかり「権力」って言ってしまった(笑)。ホンネが出ましたね。
てことで、M田さんとか前の若い衆に「言うてしもた」と言うと「まぁせんせいは「反権力」ですからね」と、これまた正しい指摘をされてしまいました。
まぁええか。明日の授業のネタができました。
放課後は職員会議。定時が来たので帰りましょう。
家に帰ったら筋トレからのランです。

今日はあまり長く走りたくないので、久しぶりに家のまわりのブロックを使ったインターバルにしましょう。200か400か。まぁ400ですね。まずはジョグ。そしてスパート+ジョグを3本。さらにオプションで1.5kmくらいのジョグでした。
結果、4.4kmを29分26秒で、アベレージが6分39秒で、500mごとのスプリットは3分41秒→2分58秒→3分02秒→3分29秒→2分48秒→3分47秒→3分19秒→3分21秒でした。
メチャクチャ遅い。考えてみたら、4kmを20分ぐらいで走っていたのに、なんでこんなに遅いねん。

まぁでもシャワーは気持ちいいはず。ビールもうまいはず。それでよしとしましょう。

根っこに同じものを感じる

今日の午前は薬ゲトの日です。なので、朝は少しゆっくり。ゆっくりとはいえ、あれやこれやとメールチェックをしてるとあっという間に時間が過ぎて、おべんきょなんかはできませんね。
で、お医者さんへ。
今日のテーマは血液検査の結果の報告です。まず見るのが肝機能ってどうよ(笑)。一部高い値があるけど、概ね正常値なので、まぁそれはよし。問題は血中エストラジオールです。少し高すぎます。なので、エストラーナテープを週1枚に変更してみることになりました。
ちなみに、さっきのリンクの表を見せて
「基礎データが大切かと思ってつくってます」
と言ったら喜んでおられました。まぁ、レーザー脱毛とホルモン投与は治験段階ですからね。わたしたちの世代は実験台ということです。
お医者さんが終わったら、午後の会議場所に移動。途中組合の事務所に寄って荷物をピックアップしたら、そこに郵便屋さんが来られて、いきなり
「いつきさん!」
と声をかけられてびっくり。朴哲さんでした。
「アボジ、引退するって言ってたけど、たぶんしないと思います。作曲するって言ってたけど、おでんばっかりつくってます」
とのことでした(笑)。
で、午後の会議場所に移動。今日は某人権教育研究会の新旧合同の会議です。まぁここから新たな1年がはじまります。ちなみに新会長は去年まで本店にいた人です。とは言え、古ーい仲間ですけどね。ただ、前会長が
「もう少しやりたかった」
ってつぶやいておられたのがうれしかったなぁ。きっと楽しかったし刺激があったんだろうなぁ。
会議の方はつつがなく進行して、今年度のいろいろへ向かって動きはじめました。
そんなこんなでおうちへ。実は角打ちに行こうかと思ったけど、今日はやめときました。
ビールを飲んでテレビ見て。ふと、録画してあったこころの時代を見ようかと。とりあげられてるのは平良愛香さんです。
平良さんと言えば、わたしがセクシュアリティの知識を得はじめた1997年当時、すでにゲイであることをカミングアウトされて牧師になっておられた、セクマイの大先輩です。あの頃、「キリストの風」とか読んでました。
今回の番組で「あぁ」って思ったところはたくさんあったけど、なかでも高校時代だったかの平良さんが自分の教会の牧師にカミングアウトした時の話が一番「あぁ」って思いました。カミングアウトを受けた牧師さんの返しが
「神はあなたをそのようにつくられたんですね」
だったという。
よく日本はもともと性に対して寛容で、西洋文化が入ることで不寛容になったと言われます[1]ちなみに、赤川学さんは違うっていってるけど。で、その根底にはキリスト教があると言われるけど、そのキリスト教の牧師が
「神はあなたをそのようにつくられたんですね」
というって、いわば全肯定ですよ。そしてその全肯定のしかたが、この言葉ってところが「あぁ」なんですよね。
そしてこの言葉に「あぁ」ってなるわたしは、やはりキリスト者の末席にいるんだろうな。
まぁでも日曜日に教会行くのめんどくさいけど。
てことで、この後バラエティー番組を見る気にならないし(笑)、ハーブティーを飲んで寝ましょうか。

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1 ちなみに、赤川学さんは違うっていってるけど

生きることについて語りあう

今日の午前は新入生の登校日です。しかし新入生、たいへんやな。合格発表があったら、すぐに新入生の説明会があって、学力診断テストがあって、制服の採寸があって、今日なんですよね。でも仕方ないか。逆に言えば、制服とか、このスピードでつくるわけですよね。ついでにここで、服装頭髪のチェックもします(笑)。
ただ、合意事項は「まだうちの生徒じゃない」です。だから「指導はしない」ということ。つまり「指導されないようにしようね」という話をするということです。たぶん、新入生にはわからんだろうけど、大きな差です。
そんなこんなが終わると、生徒会担当の方が来られて「これ」と見せられたのが「レインボーウィーク」の企画書です。マジかよo(^^)o。まさか職場の実施要項で「ストーンウォールインの反乱」という言葉を見る日が来るとは思いませんでした。
遠くまで来たなぁ(笑)。
そんな感じで午前を過ごして、午後は人権担当者会議です。こないだ総括をしたと思ったら、もはやキックオフです。まぁでも、担任さんのうちのふたりと副支店長はこないだの総括にいたし、初参加は若い衆とM田さんなので、なんということもありません。30分で終わってしまいました。
てことで、「人権教育たより」がつくれるようになったので、つくって配布です。
「今年は早いね」
とか言われるのも、これが恒例だからですね。
そんなこんなで、事務仕事をしてたら、思いっきり疲れました。てことで、定時が来たので退勤。
今日はちょぼやき会です。今回もハイブリットです。今回のzoomのホストはわたしなので、早めに行ってセッティングしなきゃなりません。が、早めといっても限界があります。とにかく急いでセットしたはいいものの、誰も来ない(笑)。そうこうするうちにF尾さんが参加されたけど、ふたりだけです。
「どないしましょ?」
「ふたりでやる?」
と言ってたらM口さん登場。場所を間違えたとか。そのうちTじさん登場。なにやらワチャワチャしてます。スマホを落としたとか(笑)。君たち、なにやってるねん。まぁでも、スマホも落とした場所が判明して持ってきてもらえるとか。よかったよかった。やがてSゃ納さんも参加されて、ちょぼやき会のはじまりです。
今回のテーマは「昨年度を振り返り、今年度を展望する」です。
なにをしゃべろう…。まぁ、平日昼間を仕事にとられることがほんとうにキツイということですか。それでも、レインボーウィークの企画書を見せてもらったり、いろんなことがあるからなぁ。そうそう。「人権教育たより」でも「攻めの姿勢でいきます」と書いたし、ラストスパートかな。なので、そんな話。
でも、それぞれの語りが出てきて、いつしか話は「死」をめぐる話へと移行していきます。「死」かぁ。意外と身近な話ですね。話を聞いていて、考えが深まります。ふと「林住期」という言葉を思い出しました。なので、そんな話。
と、思い出しました。「利根川のほとり」です。

利根川のほとり

きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむるすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に來り石投げてあそびくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

この中の
「おめおめと生きながらへて」
というフレーズです。そして
「ある甲斐もなきわが身をばくばかりいとしと思ふうれしさ」
です。それでいいはずなんだよなぁ。
なぜ「なにかを成し遂げなければならない」と思うんだろう。まぁでも、「なぜ」と思いながらも、それでも「おめおめと生きる」、それでええんとちゃうかなぁ。
「死」をめぐる話は、いつしか「生」をめぐる話へと変わっていきました。
最後にTじさんが
「ここはどんな会なんですか?」
と、のけぞるような質問をしたら、F尾さんが即答されました。
「変わることをおそれない人々の会です」
ほんとにそうだ。それを「変態」って言うんだな。
そんな感じで、今回のちょぼやき会は終了。
あとは1時間ばっか「老上海」でおいしいごはんをいただいて解散。

これでいいのかな

今日の午前は、最後に今年度1年を振り返る会議があります。そこまでは特になにもないので、のんびりと雑務。しかし、寒いです。
で、会議。今年の人権教育を振り返ります。各学年各学期の人権学習については、おおむね「良」のようですね。毎年のことだけど、ホッとします。それもこれも、すばらしい話をして下さる講師のみなさんのおかげです。ただ、担任のみなさんにひとことだけお願いしました。
「人権学習の翌日、1分でいいからショートホームルームの時間にみなさんの感想言ってください。ぜひ「余韻」を残していただければと思います」
みなさんメモをとっておられました。
かつてだったら「担任は忙しい」のひとことでボツになっていたような話も、「そりゃそうだな」と思ってもらえるのがうれしいですね。
ということで、つつがなく会議も終了。
午後は、校区の小中学校との連絡会です。まぁ内容をいえば学校がわかりますが、外国人生徒が多数在籍している小中学校と、そこから生徒さんが来てくれている高校が集まる会議です。おそらく京都府内で唯一の「外国人に特化した会議」がこれなんじゃないかなぁ。
会議の方は、ひととおり報告を終えたら、いろいろ意見交流。これまではけっこうわたしが発言することが多かったけど、今回は、日本語指導が必要な生徒が在籍してる2校の教員がいろいろ発言。というか、なにもしない本店に対するグチを言いまくっておられました。会話権を手放さないので(笑)少しイラッとしたけど、「いや」と思いました。これまでわたししか発言しなかったのに、こうやって発言する人がでてきたということは、外国人教育のニーズを肌身で理解する人がようやく複数人出てきたということですよね。それは歓迎すべきことなんじゃないかと。ただ、クギを刺しておかなきゃならないことがあります。なのでひとこと。
「こんなことは今にはじまったことじゃないです。在日朝鮮人教育を30年以上やってきたけど、誰も見向きもしなかった。みんな部落問題はやらなきゃっていってたけど、在日のことは誰もやらなかった。教室で在日の子が本名を名のる場に居あわせた京都府の教員は、たぶん3人くらいしかいないんじゃないかな。それが今につながっている」
まぁそういういことです。と、某事務局長がわたしに
「誰が悪いんですかねぇ」
と言ってきたので、
「それは、わたしでしょう。30年間広げられなかった。それが、日本語指導を必要とする生徒が進級できないことにつながったと思っています」
と答えました。それはそういうものでしょう。
そんなこんなで、会議も終了。また来年度お会いしましょう。
帰り道、歯医者さんに寄って検診です。まぁ大丈夫かなということで、ひと安心。じゃぁ帰りますか。

なぜにわたしが・GID学会最終日

朝、めっちゃ眠いです。が、今日は9時からはじまるので急がなきゃなりません。とりま、8時にごはんを食べて、片づけはなぜか他の人に任せて、とりまシャワーを浴びて。そうこうするうちに、みなさんはスタート。わたしも遅れてスタート。

昨日一度走ってるので、コースはわかっています。なので、迷いはしません。が、あののぼりも覚えています。しかも寝不足と飲み過ぎです。完全に登り道はダウン。結果、4.9kmを33分33秒で、アベレージは6分45秒でした。スプリットは5分53秒→6分21秒→6分38秒→7分34秒→7分19秒でした。完全にやる気を失ってますね。

会場に着いたら、しばし外で寝てました。水分補給したいけど、リュックがどこにあるかわからないので、お金がない。まぁしゃーないか。
どこかのセッションに入る元気もないし、しばしうろうろ。とりあえず、針間さんの「特定の芸能人が性別違和感を抱く契機となった症候群」を聞きましょうか。症候群の名前は「ストプリ症候群」でした。それにしても、しんどそうな子らみたいです。その逃げ場が「トランス」であるとしたら、それくらいに性別って「根源的」なんだなと思ったり。
で、立石結夏さんによる講演「トランスジェンダーバッシングから見える法と社会」です。まずは経産省の裁判の事例から。いやぁひどいな。そして最高裁まで争わなきゃトイレも使えないって、どういうことなんだと思いますね。そしてその背後にあるのは「ルッキズム」であるという分析は、なるほどなと。で、ルッキズムのさらに背後にあるのは「女性を劣位におく」ということ。そして「トランス女性は女性の劣位性を濃縮した形で存在している」という指摘は、そりゃそうだよなと。にしても、それを突きつけられると、あらためてうーんってなりますね。そこから「特例法」の今後についての私見を述べられました。「特例法」は、あくまでも法的な性別の取り扱いを定めているだけなのに、そこに医療が介入している。言い方を変えると、医療に依存することで特例法を成立させてきた。でも、パラダイムは変わっている。なので、医療分野と法律分野を分け、さらに法律分野についても「性別の規定」と「性別による処遇」を分けるべきみたいな話で、かなりクリアな話でした。まぁでも、ここまで力強い話を聞くのは久しぶりです。ちょっと泣けました。
で、あいさつをしに行ったら、前の人がディスカッションをはじめたので、「ごめんなさい」と割って入ってお礼だけ言って、理事会へ。が、場所がわからない。大幅に遅刻して理事会の部屋の扉を開けると、完全に「間違って扉を開けた人」の扱いを受けて、そりゃそうだよなと。なにせ、上はジャージで下はジーンズですからね。それでも、議案書とおべんとをいただいて、理事会に参加。

おべんと、おいしい。
そして、総会です。名称については「GI(性別不合)学会」になったという「報告」がなされて、その後、わたしにマイクがまわってきました。なんでわたしやねんとは思うけど、まぁわたしがいいんでしょう。

今回、もっとも争点になったのは、病名を学会名にすることの是非でした。国際的な潮流を言いますと、例えば「ハリーベンジャミン国際性別違和協会」というように「性別違和」を用いていた組織が、「世界トランスジェンダー健康専門協会」というように「トランスジェンダー」を組織名に用いるようになり、さらにSOC8では「transgender and gender diverse」というように、さらに包括的な名前を用いるようになっています。
さらに「健康」という言葉にも意味があります。「健康」は、単に病気ではないという意味にとどまらない、より広範な概念、ちょうど「well being」といった意味になるかと思います。
病名を組織名に使うことはふたつの排除を招きます。
ひとつは当事者です。やはり、性別違和や性別移行は「病理」であるということになります。
もうひとつは「かかわる人」です。午前に立石さんが講演されたように、トランスジェンダーの健康のためには法律も必要です。あるいは、座長の山本さんが言われたように「医療モデルから社会モデルへ」という変化の中があります。したがって、さまざまな分野の人がかかわらなければなりません。にもかかわらず、病名を学会名にすることは、やはり医療を全面に押し出してしまうことになってしまいます。
このような意見がありました。
もうひとつ、名称の決定方法についても論議がありました。多数決という声もありましたが、わたしは拒否しました。なぜなら、多数決は常にマイノリティが負けるからです。したがって、多数決をせずに論議をし、結局「GI(性別不合)学会」という名称になりました。
ただし、今後、インクルーシブな方向に向かうという方向性については、理事の中で一致しています。したがって、今回の名称は、その途中経過であると考えていただければと思います。

こんなんでいいのかなぁ。石丸さんは「よかった」と言ってくださいました。佐々木さんは「優しいね」って言ってくださいました。
で、最後のセッションは三橋姐さんの講演「琉球弧における性別越境文化と、その普遍性」です。基本的には「双性原理」です。それを歴史的広がりと地理的広がりを加味しながら話をされました。何より「病理」ではなく「職能」として捉えられてきたことのポジティブさを主張され、そこから「脱病理」へと話をつないでいかれたのは「なるほどな」と。
最後、ごあいさつをしたいと思ったけど、まわりに人がいっぱいいるので断念。M木ちゃんの車に乗せてもらってKうさんと一緒に空港へ。ふたりで小さな宴会です。

飛行機の中ではうとうと。帰りのバスの中でもうとうと。疲れたけど楽しかった。楽しかったけど緊張した。緊張したけど、まぁよかったかなぁ。
そして今日が「GID学会」の最終日。

最終日

今日は担当しているふたクラスの試験返しの日です。ということは、とりもなおさず今年度の最終授業ということです。
まずはひとクラス目。いつものように度数分布の発表です。まぁみんなホッとしたかな。でも、年間トータルだし、なにより素点の合計と実際に評価に用いる数字は違います。なので、単純に「○点だから赤点じゃない」とは言えません。なんでこんなややこしくなったかというと、観点別評価になったからです。
てことで
「文科省が悪い」
とだけ言っておきました(笑)。
試験返しのあとは1年間の振り返り。みんなに振り返りを書いてもらったあと、わたしからのコメントです。
もうひとクラスは悲喜こもごも(笑)。まぁいいでしょう。結果はあとからついてくる。そしてこちらと振り返りとわたしからのコメントです。
今年もコメントは
「まずはありがとう。たのしかったです」
からスタートです。ただ、ほんとうにみんなに任せてよかったのかどうか、迷ったこともつけくわえなきゃね。それでもわたしにとって、数学の授業は団体戦であることは伝えましょう。そしてそれは、ほんとうは他教科もそうなんですよね。そうやってともに単位を勝ち取る集団のことを「クラス」と言うんだと思います。そしてそれは、もしかしたら自己開示へとつながるかもしれません。なかなかそうはならないけどね。
まぁそんなこんなで、今年度の授業は終了。子どもたちのコメントを見ると、個人のことを書いてる子もいるけど、やはり「クラス」や「友だち」について書いてる子もいます。よしよし。授業担当者の仕事は、そのコーディネートなんです。
点数が確定したところで、最終の成績処理です。とは言え、10点単位の変更があっても、ほとんど成績は変わりません。まぁ年間の成績とはそういうものです。
で、教科会議。ここで論議が起こったら、それはよほどのことです。まぁ少し混乱を持ち込んだけど、担当者の意思は尊重します。てことで、成績の提出をしたら、今年度の教科担当の仕事はおしまいです。
と、ブログを見ると、「92年度卒業生さん」とは別の92年度卒業生のWさんからコメントが!いきなり脳裏の中で顔がどアップになります。懐かしいなぁ。そうかぁ。いろいろあるみたいだけど、元気でやってくれてるんだ。そして、ここをたまにのぞいてくれてるんだ。うれしいなぁ。
かつては「振り返らない」ことが大切だと思ってました。だから、みんながわたしに連絡しないのは、それぞれがそれぞれの場所で充実してるからだと思ってきました。ただ、おそらくその時期ではなくなってきたのかな。自分の転機みたいなところを振り返ったとき、もちろんそれはたくさんあるだろうけど、もしかしたら「あのクラス」がその転機のうちのひとつであったなら、それを振り返ることは悪いことではない気もします。少なくとも、わたしにとって、あのクラスは教員としての原点です。
なんか、ほんとうにいろんな思いが押し寄せてきました。なので、コメント返し。
そして、久しぶりに走ろうかな(笑)。

今日はキャンパス内をいろいろ走りましょう。はじめは7kmにしようと思っていたけど、なんとなく目標を8kmに伸ばしてみました。8km走ると、案外キリが悪かったので、ついでということで9kmばっか走りました。
最終的に9.1kmを57分02秒でした。アベレージは6分16秒です。スプリットは6分29秒→6分29秒→6分12秒→6分12秒→6分20秒→6分13秒→6分09秒→6分25秒→5分58秒でした。最後の1kmがベストだったのはいいけど、その前の1kmがめげてるのがわかって、興味深いですね。

走り終えて職員室にもどって、少し雑談。でも、定時が来たから帰りますか。きっと今日のビールはおいしいはずです。

すでにインクルーシブな状態なのに…→新エントリ

今日の午前は第2のふるさとで会議です。ただ、雨です。めんどくさい。なにせ、会議の場所は山の上です。なんでこんなところに役場をつくるんだろ。
とりま、最寄り駅に着いたら、いつもの郵便局へ。
「まだ飲み会の投稿、してへんねん」
へい。よろしくお願いします。
で、会議です。
途中から脱線していくのはいつものことです。今日は気がつくと「インクルーシブ教育」の話になっていました。
主義主張がインクルーシブ教育であっても、実際に子どもに障害があると、分離教育の「よさ」がわかってくるとのことです。ただそれは、きっと分離教育が前提となっている今の教育制度だからなんじゃないかな。そういう意味では、インクルーシブ教育は教育のあり方のつくりかえです。そしてそれは、経済界がやりたいこととは真反対の方向です。だから、なかなかできない。そうそう。予算もあるか。なにせ教育に投資しないこの国ですからね。
ただ、話をしているうちに、今の高校ってすでにインクルーシブな状況になってるんじゃないかと。特に定員割れする学校は、基本全入なので、当然そうなります。が、それを前提としない学校体制が、特に京都の場合はありますね。そりゃ、生徒もだけど、教員も、お互いにキツイわ。
しかし、たぶんみなさん、わたしがこんな本書いてるってことは知らないだろうなぁ(笑)。てか、この場でそんな話をするのはマウントとることになるし、他の人の発言を封殺することになるから、言いません。
そんなこんなで2時間ほどの会議は終了。今日持ってきた資料については来年度まわしとのことです(笑)。
で、職場に帰って、まずは昨日セッティングしたスタジオの崩しです。おべんとはその後ですね。
午後のタスクは成績処理です。まぁ少しミスはあったけど、リカバリーは簡単です。しかし、毎年薄氷を踏む思いです。このヒヤヒヤ、なんとかしたいよなぁ。
会議から帰ってきたら、着信履歴がありました。ブツが届いたのね。
てことで、帰りにコンタクト屋さんに寄って、再オーダーしたコンタクトを受けとりました。こないだ新しくしたコンタクト、左右のバランスが悪くて、右目ばかり使うことになって、逆にしんどかったんですよね。なので、左右をあわせると同時に、度もあげました。とにかく遠くがクリアにならないと気持ち悪いんです。そのために手元は捨てることにしました。
てことで、さらに百均に寄って「reading glasses」(笑)を購入。日本語の名前が悪いよな。まぁただ、この日本語の名前が悪いというのもエイジズムかもね。
さてと。帰りましょう。今日は久しぶりに筋トレだ。
筋トレが終わったらビール→日本酒です。
あ、そうそう。新しいエントリをつくろうかな。「日本酒」エントリです。飲み終えたのがこれ。

「壽」かな。おいしかったです。そして今日、封を開けたのがこれ。

「天寶一」です。開封一番はシュワシュワしました。おいしい。
そういや、少し前にK口さんからご恵投いただいたのがこれ。

「東洋美人」です。これは、マジでうまい。K口さん、ありがと!

またまた暗礁→深まる謎

朝、立番をしてると、いろんな子がいますね。とにかく「遅刻した!」と必死で来る子もいれば、悠然と歩いてくる子もいます。
「急がんでええよぅにしぃや」
というのが正しい迎え方なんでしょうけど
「がんばったな」
って言ってしまうわたしはアカンのやろなぁ。
そんなこんなで、試験カントクです。いつものようにボーと考えます。うーん、Yさん、あそこでああ語ってるのは、「それがそこでなされた」というのではなく「それがそこでなされたと理解した」んですよね。とりま、一度はそれを書かなかったらダメです。そのうえで、同じような経験を他の人がした時に「そう語った」と書ける。しかも、「逆の逆は元通り」みたいなところもあるんだけ、それを書くか書かないか。幾重にも入れ子構造になっていて、なかなかに難しいですね。
てことで、暗礁に乗り上げました。また時間がかかるな。まぁしかたない。
午後、今年も「合格したよ」と持ってきてくれました。まぁ毎年のことです。そんなこんなで、壮大なムダの時間を過ごして、定時が来たから退勤。
夜、ふと録画してあった「映像24」を見てみました。
すごいな。と、思い出しました。石橋さん西日本新聞に取り上げられていましたね。そういや、わたしも同じシリーズで出てたな[1]全文はこちらから。記者と教員、仕事は違うけど、同じテイストなんだろうな。
うん、やはり黙らないでおこう。そんなことを考えさせてくれる番組でした。
しかし、西日本新聞、なぜにわたしを取り上げたのかは、未だ謎です。

footnotes

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競争率は低いな

今日は卒業式です。少し早めに行きたいので、車出勤です。とりま、始業1時間前に到着したので、今日が締め切りの書類の作成をしてみたり。いや、たぶん、今やらなかったら、あとにやる時間がなくなったりしそうです。
で、早めに式場へ。放送部員も来ています。が、みんなスマホをぴこぴこやってます。うーん。放送ブースでそれをするの、やめてほしいなぁ。
と、「あの曲」が突然流れました。うるさい。てか、何回も流しています。しつこい。おそらく「テスト」のつもりなんだろうけど、なぜにこれほど流すんだ?
というか、「あの曲」を無批判に流す神経が、わたしにはわかりません。まぁ、無批判に流す人からすると、なぜわたしが「絶対に流さない」のかわからないかもしれませんがね。それは元号もまたしかりです。わたしは「絶対に使わない」。でも、カジュアルに使う教員がいます。それどころか、人権教育担当ですらカジュアルに使います。おそらく元号の意味がわかっていないでしょうね。
仮に「元号を使わないというのは教条的だ」という批判をされたら、それに対する答えは「自分で考えているし、考えろ」としか言えません。そりゃそうです。納得しているし、それが血肉化しているから「絶対に使わない」という生き方を貫けるんです。
ということで、「うるさい」「うるさい」とひたすら言いながら、こちらの作業を続けます。しかし、わたしがいなくなったらどうなるだろう。おそらく放送部員にやらせるんだろうな。いや、もしかしたら卒業式の放送すらやらせなくなるのかもしれないですね。
なぜわたしが卒業式という、まぁある種失敗が許されない、かなり責任の重い仕事を放送部員のさせるのか。かつて支店長から
「頼むから教員がやってくれ」
と言われたことがあったけど、拒否しました。
理由ひとつです。責任がある仕事をした経験がないと、責任のある仕事はできないからです。だから放送部員に任せる。もちろん、横から口出しはします。が、卓を触るのは部員です。その場をつくるのがわたしの仕事です。そして、その場をつくるのがわたしである限り、「あの曲」は、放送部のラインからは流さない。それを30年以上貫いてきました。もちろん、言い方の問題はあります。
「わたしが管理しているラインから流したら、その時突然トラブルが起こるかもしれないよ」
って、優しく脅しています(笑)。ただ、たぶん支店長も副支店長も、わたしにやらせるのは忍びないと思っているんでしょうね。だから、今のようなやり方をしてくれている。ただ、繰り返し「あの曲」が流れるかどうかチェックしているのも、放送部の顧問です。どうしたものか…。
そんなことを思いながらも、式がはじまりました。
冒頭、「あの曲」が流れます。「ミスれ!」と思うのはもちろんですが、ちゃんと流れたらほっとしてしまうのは、放送屋の悲しいサガですね。ちなみに、わたしは「あの曲」の間は紅白幕の下から部員に指示を出します。「I’s my job」です。
その後、淡々と式は進んでいきます。まぁ気になる小さなミスはないわけではないけど、大きな影響もなく、無事に式は終了。
さっくりと機器を撤収。今年は3年生の部員はいないので、片づけが終わったら解散です。
その後、いったん職員室にもどりますが、なかなかセクションの人たちが帰ってきません。これは校門にいるのかなと思ったら、やはりいました。卒業式の日は、いろんな人が来られます。中に入れてもらえない人は、校門のあたりにたむろされるので、適当に遠くに行っていただかなくちゃなりません。近隣からの苦情が来た時、たむろされている方は責任をとらなくてもよくて、責任をとらされるのが学校という、理不尽な世の中ですからね。迷惑なら、迷惑をかけている人に直接言えばいいのに、「学校が原因をつくった」というロジックでくるから、その予防線を張らなきゃならないということです。
てことで、3時前まで校門のあたりにいたら、身体の芯まで冷えてしまいました。が、それでも卒業生たちの最後の姿を見ることができるのも、「ここにいる者」の特権です。そうそう去年担当した生徒がお母さんに
「この人がどひちゃん」
って紹介してくれました。なので、お母さんには
「去年1年間、一緒に遊んでました」
と答えておきました。
ようやく卒業生たちが帰ったので、すでにはじまっている「3年担任を祝う会」に向かいました。ほとんど終わりかけです。担任さんたち、うれしそうですね。やはり主役は担任だなと思います。まぁでも、もう担任をすることはないよな。
「祝う会」のあと、用事があったのでM田さんのところへ。ここでひとくさり「スタッフ論議」をしてみたり。まぁ「裏方は、ほんとうはかっこいい」って話です。
そんなこんなで、定時が来ました。そうだ、せっかくだから帰りにウトロに寄ろうかな。
ということで、スファンさんとしばしダラダラ話。と、ホワイトボードを見ると、飲み会らしきものがあります。行こうかな(笑)。
しかし、ウトロに行ってこんなことができるというのが、これまで自分がつくってきた人脈なのかな。大切にしたいし、それを誰かにつなぎたいな。きっと他府県なら「つないで!」って言う人は山のようにいるんだろうけど、不思議なほど京都府にはいませんね。まぁでも競争率が低いということにしておきましょうか(笑)。
さてと、帰りましょう。

原点回帰な半日

今日はヤクゲトの日です。なので、朝は少しゆっくり。昨日の夜、ウィスキーを1杯だけ飲んだからか、朝方に1度目が覚めて、寝起きは昨日に比べ少し靄ってるかな。
頃合いもよしと家を出てお医者さんへ。診察開始時間が早くなったので、そのぶん受診者の方がたくさん待合におられます。てか、待合の配置が変わりましたね。たしかにこの方がたくさん座れます。
やがてわたしの順番が来ました。
「最近どうですか?」
「走ってます。ほら。血圧はまぁポチポチです。あ、最近お酒を減らそうかと思ってます」
「とうとう!それはいい!やめなくていいです。減らすだけでいいです」
過分なおほめの言葉でした。
「問題は書籍化ですね。春休みにはなんとかしたいです」
「がんばってね」
ということで診察終了。今回は血液検査してくるのを忘れたし、骨密度も測ってないし、ヤクもかなり残ってるので、これで終了です。
そして
その後、第2のふるさとに移動です。まずは役場へ。なんでこんなところに移動したという感じです。今までは駅の近くにあったけど、今は急坂の上にあります。まぁ運動にはなりますがね。ここで書類をゲットして、お次は郵便局へ。日本キャンプ協会の会費を払い込んで、受付へ。ここには放送部の卒業生がいます。
「久しぶりー」
「そろそろ1回呑み会せーへん?わたしが言うのもなんやし、言うて」
「わかったー」
みたいな会話。それにしても、ここに来れば会えるってのが、なんともうれしいです。
その後、第2のふるさとをあちこち歩きました。うーん、お店がほんとになくなったな。てことで、隣保館へ。ちょうどお昼どきです。
「あの、出張まで少し時間があるので、どこかにいさせていただけませんか?」
「どうぞどうぞ!和室、使いますか?」

かつて高校生の学習会で毎週遊んでいたところです。懐かしすぎます。ほんとにここからはじまったよなぁ。そして、今ここにいるんだなぁ。
ここでおべんと食べたり、寝転がって「Doing Gender」を読んだり。おもしろい。使えます。てか、鶴田さんが「これ」って言ってたじゃん。
やがて頃合いもよしということで、隣保館をお暇。近くにある支部に顔を出すと、やっぱりFさ子さんがおられます。
F「久しぶりやん」
い「隣保館にはたまに来てるんですけどね」
F「こっちにも顔を出してや。あ、子どももいるし呼んでくるわ。恩師やで」
A「恩師かなぁ」
い「ちゃうちゃう。わたしは恩師やない。恩師はMさん。あ、Mさん、亡くならはってん」
F&A「え!」
みたいな会話。そして支部をあとにしました。
ときは流れていきますね。かつて
「細くでいいから、長くつきおうてや」
と言われた約束を、まだ守れてるのかもしれません。そしてこれをつないでいかなきゃならんかなぁ。
で、出張先へ。第2のふるさとの人権・同和教育研究会の総会です。総会は極めて簡単に終わります。その後、記念講演。講師の都合で開始が遅くなりました。ちなみにタイトルが
「わたしと同和教育」(笑)。
なんちゅうベタなタイトルやねんと。
「子どもや親の願いはどうやって聞く?」
と問われます。もちろん家庭訪問です。
「でもな、家庭訪問って、そんなに簡単じゃないんです」
ハードルをあげるなよと思います。
「家庭訪問先でお風呂に入れてもらった先輩がいたんです」
まぁ、ありがちですね。お酒はさんざん飲ませてもらいました。
きっと、コテコテの話をいっぱいしたかったんだろうけど、時間が短くなって薄くなってしまったのが残念です。でも、ほんとうに「伝える」ことは大切です。
てことで、終了。
帰りにコンタクトを受けとって、家に帰ってつけかえてみました。
うーん。変わったか?変わりがあまりない気がしますね。まぁ、しばらくつけてみましょう。そのためにもデータを保管しなきゃ。
さてと。今日もお酒は控えめで寝ましょうか。