いろいろ思う

朝、なぜか4時半に目が覚めました。そこからぐるくる考えがまわりはじめて寝られません。うーん、自分の未来がわからんなぁ。1年後なにをしてるかもわからないし、ましてや5年後とか10年後とか生きてられるんだろうか。
まぁ、これ、半分は自業自得ですが、半分はそういう社会だからです。
それでもいつもどおり出勤。朝イチ代講です。しかし、隣同士のクラスなのにぜんぜん違うなぁ。おもしろいなぁ。
代講から帰ってきたらF川さんからラインが入ってました。そうか、そのとおりやなと思い、一昨日亡くなられたK畑さんに弔電を打つことにしました。ちなみに、今は電報じゃなくてwebで打てるんですね。
文面をさんざん考えて、フォントサイズを15pまで落として、ようやく完成しました。もしかしたら、送っても読めないかも。
K畑さんとはじめて会ったのは、1993年の全同教大阪大会でした。同じ分科会でレポーターとしての参加でした。わたしは社研の活動を通して本名を名のったSのことをレポートしました。K畑さんはキジャという在日の生徒のことをレポートされました。
わたしの持ち味は軽薄さです。重みがない。一方、K畑さんのレポートは重い。対象的でした。で、はじめてのレポートだったので、K畑さんのレポートに飲まれて、わたしも重いレポートをしてしまいました。すると、当然のことながら鋭い質問がやってくる。それに答えきれませんでした。トドメを刺したのはキジャのアボジでした。
「お前は一生Sとつきあえるのか?」
今のわたしなら
「自分で立てばいい」
と言いますが、当時のわたしは
「はい」
と答えてしまいました。まぁ負けですね。そこからこてんぱんにやられました。
その経験がバネになって、今のわたしがあります。とは言え、アボジ連れてくるのは反則やろうとは思いますがね。それも今だから言えることです。
その後、なぜかK畑さんとは親しくつきあうことになりました。なんか、わたしがK畑さんを覚えてるのは当たり前だけど、向こうもわたしのことを覚えてくださってて、わたしは
「都同教クライ」
とかディスってるのに、なぜか声をかけてくださる関係になりました。年に1回か2回、全同教や日教組教研で会うだけだけど、会えばいろいろ話をしてました。
そういやこの時はふたりで代わる代わる発言して、えらいことになりましたねぇ。この時は飲み屋でばったり会ってビビったなぁ。
いろんなことを思い出します。
実践に対しては厳しい口調で語られるけど、目はいつもものすごく優しい眼差しでした。

おもろい人が、またひとりいなくなったなぁ。
おもろいひとに、なろう
まずは授業からか。さてと、午後は自分の授業だ。ダラダラやるか。

当事者の主体性をうばわない活動とは?

今日は朝からパタパタです。やはり1日出張をした翌朝はせわしないです。そんな中、支店長に頼みごとと報告された事項。頼みごとはすんなり通って、報告事項については激怒です。本店に対してどうすべきか考えるなど。まぁ、仕掛けて報復されたらそれまでのことです。その引き換えに本店が失うものもある。
で、授業を3発。
片方のクラスは数学が苦手な進学系なので、授業の時は問題が解けるんですよね。でも、テストの時に点がとれない。たぶん、根本的に授業時の問題の解き方が違うんだと思います。概念の把握をせずに字面で解いている。できれば1年かけて概念の把握ってのを身につけてほしいな。
もうひとつのクラスは、まぁフツーのクラスです。もっとも、うちのフツーですけどね(笑)。ただ、今日の内容はハードです。ハードだから、さっくり終わりましょう。ほんとはプリントやりたかったけど、流れが悪かったんですよね。まぁ明日プリントやって、来週には復習に入れるでしょう。
午後は6時間目の放送なんかのセット。目下の課題はスクリーンをしまう場所です。これまでは人海戦術でなんとかしてきたけど、人海戦術は人が多いからできることです。少人数ではきつい。まぁでも、久しぶりに生徒と一緒に汗をかくのも悪くないです。新採の頃の気分を思い出します。
放課後、1時間労働者の権利を行使して帰宅。今日は「ダイバーシティカフェ30/当事者の主体性をうばわない活動とは?」なるイベントがあります。登壇者は、なほさんりりぃちゃんわたし(笑)です。
まずはzoomで打ち合わせ。と思ったら、うまくつぬがらない。つながっても音声デバイスを認識しません。うーん。PCを再起動だな。つながりました。が、しばらくすると、なほさんが退出してしまいました。なんでもネットが落ちたんだとか。前途多難です。
それでも、6時になったので、イベント開始。まずは自己紹介。わたしは「学校教育労働者です」からスタート。が、りりぃちゃんの「一応トランスジェンダー当事者です」を聞いて、それを言うのを忘れてたなと(笑)。やはり忘れるんですよ。
その後、トランスジェンダー生徒交流会の話へと至る話。
わたしのグループワークの源流はどこにあるんだろうと思ったけど、やはりキャンプリーダーですね。それも「やまびこキャンプ」でやった2回のカウンセラー経験です。1回はわたし中心のグループ。もう1回はバラバラのキャンプ。結論的にはどちらも違った。
そして、それをもとにしたクラスづくり。1対1✕49を目指したけど、それも違った。結局、わたしはコーディネーターであり、ハブである。それが結論でした。そのためにクラスを観察する。あたかも
「教室は劇場!教壇は舞台!主役はわたし!」
ってやってるように見せながら、実際は違うんですよね。そうやって、数学を媒体としたクラスづくりを、今もやっている。
交流会もやっぱりそうですね。ニーズを持ってるのは子どもたちだから、そのニーズを出せる場であること。その一点のために、壮大なムダをやる。そんなのが好きなんですね。
でも、どうやらニーズの捉え方が違うらしいなと。グループとしてのニーズみたいな話が出てきて、「あ、交流会にはそれはないわ」となりました。なんなんだろ…。
あとはおべんきょの話か。搾取をめぐって、なにが搾取かと。「調査対象者が搾取と思えば搾取」なんですけど、では、どういう時に搾取と感じるのか。りりぃちゃんがうまく言いました。「データをとっただけ」。それですね。
あと、おもしろかったのは「当事者だからわかることがある」という言葉をめぐる話かな。わたしは基本的には「んなことはない」って思ってます。が、イベントが終わって、「いや、あるか」と思いました。
たぶん、リサーチクェスチョンです。自分の感じる居心地の悪さから思いつくリサーチクェスチョン。でも、そこからは当事者であることはジャマになる。なぜなら、ついついバイアスをかけてしまうから。そのバイアスは自分の主張を立証するためにデータを使うというところに結びつきかねないから。だから、当事者であるからこそ気づいたリサーチクェスチョンを立てたら、すみやかに当事者性を捨て去る。そんなのが大切かなぁ。みたいなことを、イベントが終わってから話してたのですが、それを聞いたなほさんが
「なんでさっき、最後にその話をしなかったん」
って言われて、ごめんなさい。

その後、ビールを飲みながらいろいろ考えてたけど、今後のことについて少しずつ落ち着いた気持ちになってきました。まぁ、新たなチャレンジもするし、そんなのが影響してるのかも。

今年も→久々にお酒を楽しむ

今日は1月17日です。やはり語らなければならないでしょう。その思いはかつて防災教育についての講演を聞いた時に、より強く感じました。なので、毎年毎年繰り返し語ります。
もちろん、内容は15年前と同じ話です。それでいいんです。でも去年から少し変わったのはサルベージしたところから見つけたこのpdfを配るようになったことかな。
ひとつのクラスは真剣に読んでくれました。もうひとつのクラスでは「こんな長い学級通信出してたん!」ってびっくりしてました。この号だけなんだけどね(笑)。
午後はY新聞の記者さんが来られて取材です。内容は野洲市の制服のことです。なんでも、当初「男子がスカートを選択できる」ことにびっくりされたらしいです。
てことで、わたしが伝えたのは
1.選択肢を広げただけのことなのに、なぜそんなに反応するのか
2.それは反対する人の中にある女装への固定観念があるからで、それを「選択したい子」にぶつけるのはおかしい
3.女装への固定観念は家父長制の問題
ここまでは一般論で、その上でトランスのこととして
4.誰もが「この子、女/男です」と他人から勝手に性別を決められる。多くの人は、その見立てと一致してるけど、たまに「ちゃうで」という人がいて、それがトランスジェンダー。だから、「ちゃうで」の方で扱うべき。例えばトランス女性がスカートを履くのは「男子がスカート」ではなく「女子がスカート」と捉えるべき
5.ちなみに、トランスジェンダーは見てわからない
てことで、サンプルとして、報道特集の見逃し配信を見てもらいました。記者さん、口をあんぐり開けてました。なので、さらに追い打ちをかけるために
6.スカートはいて冷たい目で見られるかもしれないというリスクを一番強く感じてるのは当事者
という話もしておきました。つい鶴田論文を口走りそうになったけど、そこはガマン(笑)。
そんなこんなで取材終了。
さてと、定時が来たから帰りましょう。
と、パートナーから「やさぐれて京都駅にいる」との連絡が。なので
い「合流しようか?」
パ「お酒おごってくれるなら」
い「ええよ(笑)」
ということで合流。向かったのはHUB。久しぶりです。カードを見たら2年ぶりでした。簡単なつまみとお酒でしばし話。なんか、久しぶりにお酒を楽しいだって感じです。楽しすぎて、「天国への階段」を頼んでしまったり。

そんな感じのまったりとした夜を過ごしました。

減塩食

土曜日の朝は猫の額。

今日も寒いです。ストーブ、ほとんど役に立ちません。朝ごはんを食べたら、猫の額の上にある屋根に積もった雪下ろしです。といっても、柱を寝かせて屋根の傾斜を急にするだけのことです。ドカンと落ちて気持ちいい。
今日の午前はipadにeSIMを導入しなきゃなりません。でもまぁ、あちこちのサイトを見ながらやればすぐにできそうです。PCを見ながらセットして、最後、ipadに表示されたQRコードをipadに読ませるの、どうするか悩んだけど、スマホで撮影して、それを読ませばいいことに気づいて、一件落着。あとはipadのトリセツをつくって母親のところに持っていきました。
が、帰りにひとつやり忘れていたことを思いだしたので、昼ごはんの後に再び母親のところに行ったのですが…。いらないらしい。てか、使えないらしい。えーと、ipadが使えなかったら、世界中の情報機器が使えないってことになるはずですね。まぁまた時間ができたら使い方を教えに行きますか。
午後はzoomのおべんきょ会。講師は石川准さん。前半は遅れたので聞けなかったけど、質疑応答から参加です。
おもしろいのはタイトルです。「アイデンティティを立ちあげない」。講演の中ではあまり触れられなかったので、当然質疑応答で出てきました。
これ、いわゆる「アイデンティティ・ポリティクス」を否定しているように思われるけど、おそらく違いますね。石川さんは「自分が見えないことを、ふだんは忘れている」と言われます。「別に、ふだんは困っていない」とも言われます。そして、たまに思い出す。「将棋で負けると悔しい。盤面が見えないので、30秒で打てといわれると、合理的配慮で1分にしてくれと言いたくなる」。
ある属性においてマイノリティとされる人は、常にその属性のことを考え続け、その属性で自分をアイデンティファイしていると、マジョリティは思いがちです。それは、うちの学校に来てくれた講師の人に対する生徒の感想を見ればわかります。でも、実際にはそうじゃない。その属性は、時に思い出すもの。で、それを思い出すのはどういう時かというと、その属性が「問題とされた」時なんですよね。
例えば、トランスの場合で言うなら、選挙や病院、あるいはパスポートの取得時みたいな時ってことになりますか。でも、ふだんはそんなことを意識しているわけじゃない。ただ、なぜ意識しなくていいかというのは、ここの状況によって異なります。同じ属性を持っていると周囲から見なされていても、ある人は意識しながら生きざるを得ないし、ある人は意識する必要がなかったりする。それは、その人とまわりの社会の関係性の中で差が生じる。ただ、その違いの原因を「その人」に求めるのは違う。きっと、「その人とまわりの社会の関係性」に原因がある。
となると、アイデンティティを意識せざるを得ないのは、「社会との関係において」ということになる。だからこそ、「アイデンティティを立ちあげさせる社会」に対して、「立ちあげない」「引き受けない」という対抗軸を設定する。
石川さんはこんなことは言っておられませんでしたが、なんとなくそういうふうに考えました。というか、聞いた瞬間は「めっちゃわかるわー」と思いました。
おべんきょ会のあとは、ワークマンに行ってみたり。ダウンがほしいんですよね。でも、限定商品なので、売り切れ。3軒はしごしてやっと手に入れたけど、手に入れたお店は昨日職場からの帰りに寄って買わなかったお店なので、なにをやっていたんだと。
で、家に帰って晩ごはん。今日はひとりで食べるので、減塩食です。スキレットにダシを少し張って、そぎ切りにした鶏肉と、「洗わなくていい野菜」を放り込んで、しゃぶしゃぶにします。それを溶き卵につけて食べる。これがおいしい。もしかしたら、ダシのもとの中に塩が入ってるかもしれないけど、それだけでじゅうぶんです。
おなかいっぱいになったので、もう少し呑んで寝ましょうか。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今年1年の抱負だけ書いておきますか。
まずはハクロンの書籍化ですね。
もうひとつは「解放教育の継承」かな。こちらはデカイけど。
まぁそんな1年にしたいけど、4月以降生き延びるだけで精一杯かも…。

怠惰な1日

目が覚めると10時半くらい。なるほど(笑)。でも、まだ寝足りません。12時までふとんの中で粘ることにしました。
今日はほんとになにも予定がない1日です。だから、なにもしたくない。もちろん昨日の影響はありますが、それだけじゃなく、なにもしたくない。こういう日はきっと必要です。
「それにしても」って思います。
なんでトランスヘイトってあるのかなぁ。多くの人は「トランスジェンダーと会ったことがない」と思ってると思います。それは、さまざまな統計を見たらわかります。でも、トランスジェンダーはフツーに生活している。生活している限り、当然のことながらさまざまな人と会っています。例えば、わたしだって京都のまちなかを歩きもするし、電車にも乗る。バスにも乗る。業務スーパーに買い物にもいく。たくさんの人と「会って」ます。わたしが会ってるってことは、相手も「会って」いる。だから、「会ったことがない」のはおかしい。にもかかわらず「会ったことがない」のは、見てわからないからですよね。わたしでわからないのであれば、他のトランスジェンダーなんて、まずわかりません。そんな「わからない」人へ向けたヘイトってなんだろう。きっと「わかる」と措定して、その現実とはかけ離れた架空のトランスジェンダーへ向けてヘイトをしているのかな。
ちなみに、トランスジェンダーは可視化されます。これ、矛盾してるみたいだけど、可視化されます。とりわけ学校において。なぜなら、この社会が、学校が、トランスジェンダーを包摂する仕組みになってないからです。例えば埋没して学校生活を送ろうとしても「みんなに説明しなければ」ってなって、カミングアウトを強いられたりアウティングされたりする。だから可視化されます。そして「可視化される」こと、つまりカミングアウトやアウティングが前提となる存在だからこそ、カミングアウトやアウティングを強いられない、例えばまちなかや電車の中では不可視化される。だから「会ったことがない」となる。
とても簡単なことなんですけどね。
トランスヘイトって、斬りつけてるつもりなんだけど、見事に虚空を切っている。だから刃はあたらない。ただ、その「切る」という行為がトランスジェンダーを切るんですよね。
まぁなにを書いてるかわからなくなってきたし、ええか。怠惰な1日ですからね。

部落問題と向き合う私たち

今日は1週間ぶりに出勤です。同じセクションの人たちには「ごぶさたしています」とごあいさつ。まぁ、セクションのうちの半分近くの人も、昨日が久しぶりの出勤のはずです。
とはいえ、今日は出張日。なので、午前は成績処理とかメールのやりとりとか。そうそう、教科書のスキャンもしなきゃなりません。明日から授業ですよ。しかし、なんでこの時期に授業があるかなぁ。
かつては試験はもっと遅くて、しかも成績処理の余裕をつくるために試験休みがありました。ところが「授業時数の確保のため試験休みはなし」ってなって、それに対して「成績処理の時間を確保せよ」と言ったら、試験期間が前にずれたという、本末転倒な話があったんですよね。まぁそれでも、うちの職場は成績処理の期間は40分授業になるので、おそらくはまだバランスがとれてるほうだとは思います。が、この時期にやった授業内容が3学期まで残るかというと、それははなはだ疑問です。なんか、現実と乖離してるんだよなぁ。
で、午後は出張。ところがここでトラブル発生。1時半スタートなのに2時スタートと、なぜか勘違いしてました。アカン、間にあわん。
午後の出張は、地域の人権教育担当者の会議です。が、同じ日に第2のふるさとで「人権の集い」があることが判明。ならば、わたしたちの研修ということで参加させてもらうことにしました。
今日の講師は石井千晶さん&眞澄さん。この映画に出ておられる人です。一度、滋賀の人権教育の大会でお会いしたんですが、話を聞いたことがなかったので聞きたいなと。
会場に着くと、まだあいさつの最中です。間にあった。
てことで、講演スタート。どんな感じかな…。
まずの印象は、メッチャ緊張しぃなんですね。なんか、ガチガチです。まぁでも、なんとなくわからないでもないです。だって、平日の昼間に来られる人って、仕事リタイアしてる人か、行政の人か、はたまたわたしたちのように仕事で来ることができる人です。リアクションも少ないから、まぁ、しゃべりにくいですわな。なので、うなづいてみたり、ゴソゴソしてみたり。もうひとつの印象は、なんか初々しい。いや、すでに15年講演をされてるのに、なんか「はじめて人前でしゃべります」感が満載です。でも、これがいい味を出してます。もちろん、話せることはいっぱいあって、それらのうちのどれを話すかってことなんだと思います。そのネタあわせをしておられない(笑)。たぶんわざとだと思います。それがなんかいい。
で、話を聞いてて考えたことは、「大人の非当事者って、相談相手がいないんだな」ってことでした。当事者って、運動体とかピアな人とかアライの人とか、いろいろな人とつながりがある。でも、非当事者ってそういう人を不要として生きてきたので[1]「生きてくることができたので」とも言えるけど、あまり言いたくない、いざとなるといない。しかも、年齢があがればあがるほど、いなくなる。これは、わたしとしては、大きな気づきでした。いまさらでしょうが。まぁでも、そこにわたしたち教員の役割があるのかもしれませんがね。
そんな気づきも与えられたけど、なによりいいのが、眞澄さんが主役なのがいい。よく「誰もが当事者」とか「非当事者こそが当事者」って言われます。が、実際には講演する人は、やはりほとんどが当事者です。わたしが知る範囲では「非当事者」で語ってる人は、研究者を除けばほんの数人おられるかって感じでしょうか。ただ、わたしは個人的にはそういう人の話を聞きたい。なぜなら、そこにこそ「変化」があるからです。で、眞澄さんの話は、まさにそこをドンピシャついておられる。
てことで、終わってから演台の方に行くと、千晶さんから「久しぶり」と声をかけてもらってしまって恐縮です。で、ここまで書いてきたことを話したら、千晶さんは
「やっぱりそうでしょ」
と。はい、そうです。また一緒に飲もうという話をして、わたしは会議。
まぁいつものようにつつがなく会議も終わって、帰りましょう。
今日は服を買わなきゃなりません。店員さんに相談できるところがいいんだけど、それでもそんなに高くなくていいの、ないかなぁ。

footnotes

footnotes
1 「生きてくることができたので」とも言えるけど、あまり言いたくない

少し動くこととか

なんで今日が休みじゃないねんと思いながら出勤。まぁでもほんとうに試験直前なので、完全にプリント学習です。ようやく質問に来るようになってきたし、まぁそんなもんかな。そうそう、片方の「ヤバイクラス」では、プリントを配りながら「◯番はmustな!」とか言ってたんだけど、ダメだなぁ。
で、子どもたちがプリントをやってる間、わたしは官給品のipadでゲンコを書いてみたり。どうも使い勝手がよろしくない。でも、PCを持っていくよりは楽かな。
授業が終わったら、ふと思い立って、これの調査協力者のみなさんにメールです。内容は、お礼と「名前」のこと。なんか、書籍化するにあたってイニシャルはなんだかなと思っていて、やはり名前がいいなと。どんな名前がいいかみなさんに問い合わせです。結果、ほとんどの人がふだん呼んでいる名前でかまわないと(笑)。でもまぁ、そういうものなのかもしれないです。わたしも実名を選択しますからね。
まぁでも、こうやって動きはじめたので、ほんとうに動きましょう。
で、事務室に行くと『シモーヌ』が届いていました。高井ゆと里さんが書かれた文章の中に、このブログが引用されているので送っていただけました。twitterで見て、マジで読みたいと思っていたのでうれしいです。さらに引用されていると知ったので、もっとうれしいです。
読んでみると、「執拗な現在の記録」とありました。たしかに…。
実は、わたしはトランスの人の日記を読むのが苦手です。それは、いろんな心の揺らぎとかに共振してしまうからです。わたしは…。ただひたすら、その日あったことを書く。その日考えたことを書く。その日思ったことを書く。それをmuchan時代からだと19年。タグ打ってた時代からだと20年。ずっと書いてきました。すでにわたしのブログには、他のみなさんのような「トランスについて」の文章はほとんどないと思います。それだけの「深み」はない。ただ、日常があるだけです。
高井さんにお礼のメールを送ると返事が返ってきました。
「十年以上もブログを続けて、生きた記録を残してくださっていること自体が、後進のトランスたちにとって希望の糸になる」
という一文がありました。もしもそうなら、うれしいな。
この場を借りて「勝手に引用してすみません。でも、ありがとうございます」。

「もう遅いんや…」

今日は出張のダブルヘッダーです。
午前は第2のふるさとの会議。実は2回延長してからの、今年度最初の会議です。自分の意識が少しずつズレていってるのかな。あるいは、他の人とわたしの間で入ってくる情報がズレてるのかな。まぁでもそれに少し修正を加えながら、会議についていきました。

午後の会議は人権教育担当者の集まりです。議題の中にこの間の集会の報告があったんですけど、なんでも京都府内のとある小学校で6年間通しでLGBTの学習をしようとしてるところがあるんだとか。話を聞いていたら、1年生の内容がレポートされてたらしく、「あなたの色は何色」みたいな話があったらしいです。まぁ、ジェンダーバイアスを問う内容なんだけど、そこからつながるのはLGBTではTなんですよね。てことは、またまたTがネタになるのかよ。さらに高学年では性にかかわる内容になっていくそうな。まぁ、詳しくは知らんけど。なので、思わず質問。
「それ、トランスジェンダーにかかわる話になっていきますよね。LGBについてはなにか言ってましたか?」
どうやらよくわからないらしいです。なので、発言。
「トランスジェンダーって顕在化しやすいし、対応もわかりやすい気がしますよね。だからそっちばっかりなんです。でも、はるかに人数が多いLGBのことはなんにもしない」
そんなこんなで、別の議題になって、話は進んでいきます。で、とある学校の結婚差別についての報告。スライドの中に「結婚の条件」というのがあって、「婚姻できる年齢である」とか「重婚でない」とか、いろいろ日本における結婚の成立条件が書いてあります。おそらくは「これらを満たしているにもかかわらず、結婚に反対される」みたいな話へとつなげていく意図があるんでしょうね。でも、そこに「異性である」と書いてない。なので発言。
「書いてないということは、それは当然のこととしてるってことですよね。つまり同性愛者の存在をないことにしてるってことです。さっきLGBの話は?って聞いたのは、そういうことなんです」
わかってくれたかなぁ。まず問うべきは自分なんですよね。もちろんそれはわたし自身でもあります。そしてもうひとつ、前提としてる制度もまた問わなきゃならない。
「結婚制度そのものも差別的ですよね。それを問わなきゃならない」
制度を問わずにそれをアプリオリなものとみなすことによって、人権は心の問題になってしまう。
それにしても、どうすりゃいいんだろう。もしもわたしが今日の会議を欠席して、あのスライドがスルーされていたら、そういう問題がなかったことになってしまう。それは人権担当者の会議としては、あまりにもアカン状況です。
ただそれは、個々の人権教育担当者が悪いって話じゃないです。だって、みなさん、学校の中の役割分担であてられているわけで、そのための専門のトレーニングを積んでるわけじゃない。もちろん、わたしだって専門のトレーニングを府教委がしてくれたわけじゃないけど、日々そんなことばっかり考え、学び、そして人間関係もそんな人ばっかりだから、自然と身についただけのことです。
とにかくほんとにヤバイぞ。でも、おそらくもう遅いでしょうね。府教委はそのための策を打ってこなかった。一縷の望みは、あの場にいた人たち、それも若手の人たちが、何かをつかんでくれることかな。

これが最後かもと思う

今日は某人権教育研究会の大会です。ほんとはF川さんの講演があったはずなんですけど、このご時世なのでなし。残念です。ただ、F川さんの思いを伝えたいと思ったので、「かば」のTシャツを着て参加することにしました。赤いから目立つな(笑)。
てことで、午後の分科会だけです。講演と分科会とどっちが大切かというと、どっちも大切ですね。そりゃ記念講演はおもしろいし勉強になります。でも、レポートは「生モノ」です。
とりま、会場に到着して、まずはおべんと。

向こうに見えるは天橋立です。京都府南部とまったく風景が違います。風景が違うということは文化も違うだろうし、人のものの考え方も違うんでしょうね。まぁなにより海があるからなぁ。
そんなこんなで分科会スタート。今回はトランスの子どもについての実践があるらしいので、その分科会に参加しました。
まずは中学校の人権学習のとりくみです。いい感想文が出てきてます。きっと分厚いとりくみをしてはるんでしょうね。なので、そのとりくみを引き出す質問をしなくちゃ。と、優しい気持ちで参加してるのに、いつもわたしに「ツッコめ」と言う人が、自分でツッコミいれてはりました。かわいそうに(笑)。で、そのレポートが終わったら出ていかはりました。なんやねん。
お次は小学校1年生対象のとりくみのレポート。もう、完全に別世界です。別世界なんだけど、「おおきなかぶ」でおじいさんが育てたかぶに対して「価値がある」としているので、そればかりはなんだかなと。とおもったら、別の人も同じことを考えておられました。まぁあたりまえか。
最後はお待ちかねのレポートです。まぁ、わたしのテイストではないです。でも、一生懸命とりくんでおられます。ただ、一生懸命とりくんでおられるからこそ、「ん?」と思うところが出てくる。なので、そんなあたりを少しだけ質問。
そして総括討論。まぁ好き放題話をしたのですが、ある人が「差別に負けない子どもと、当事者ががんばらなくていいというのは、矛盾するのでは?」みたいなことを言われたので、ここは補足しなくてはと。
「差別に負けない子どもっていうのは、差別に出会ったときにへこたれない子どもってことです。もっともへこたれたときは死んでしまう。そうはなってほしくないってことです」
という補足を具体令を交えて話しました。
まぁ、みんな若いからなぁ。てか、わたしが最高齢か?そして、これが最後かもしれないと思うと、いろいろ感慨深かったりしますね。
そんな感じで大会も終了。少しさびしいな。