ノリの深さ?

ちょいとのんびりの朝。なんか久しぶりな気がします。いや、東九条にいない朝はたいていのんびりしてるんですけどね^^;;。
で、予定の電車より一本早いのに乗ってスタート。
「余裕やなぁ」
と思いながら到着時間をチェック…。ん?予定より一本遅いやん(;_;)。時刻表を見間違えていました^^;;。
てことで、待ち合わせ時間ちょうどに六甲に到着。ま、遅れなかったからよしとしましょうか…。
で、H木さんの車に乗せてもらってK戸大学へ。
これで何年目になるでしょうか。H木さんには毎年呼んでもらってます。いつも
「おなじ話でええんかなぁ」
と思うんですけど、学生さんは毎年変わるからいいみたいです。と、入ってきた人を見て
「へ?」
I崎さんがお友だち二人を引き連れて来られました。いや、I崎さん、何回も聞いてはりますやん(;_;)。参ったな。
いやいや。たぶん「おなじ話」じゃない。「ネタが同じ」なだけです。話の中身が大切なんじゃなくて、話を通して「小さな大切」を見つけ見つめるきっかけになればいいんです。
そんなことを考えながら、お座敷スタート。
はじめからメッチャウケる人もいるんですけど、すんごく固い顔をしてる人もいます。さて、どうしたものか。まぁできることは話し続けることだけです。幸い二時間もらってるので、気持ちに余裕があります。
いろんな話をしているうちに、みなさんの顔が少しずつ緩んでいくのがわかります。よかった…。
てことで、最後はなごやかな感じで終了(^^)。
終わってからも質問に来られる方がいたりして、なんとなく深いところで聞いてもらえた気がしました。

で、週末

なんか今週は、基本的に軽い落ち込み状態にある気がします。なんでだろう…。まぁ、思いあたる要因はないわけではないのですが、それらを足しあわせても、たぶん「落ち込み」にはならない気がします。まぁ、単なる季節の変わり目ってことかもしれません^^;;。

で、こんな日のほうが、仕事はヌルヌルと進むのかもしれません。
仕事をバリバリやると、時として思い込みでミスをしたり、突然徒労感に襲われたり、なんかむらがある気がします。に対して、ヌルヌルとやっていると、力が入っていないわりに仕事が進んでいたりします。
今日も
「ダルいなぁ。でもやるかぁ」
と思ったあんな仕事やこんな仕事が、気がついたら終わったりしていました。
ふーん、不思議やなぁ…。
てことで、家に帰って「エーデルワイス」を呑んで宵々山です。

それでものつこつと

今週は月曜日におべんきょはあったものの、他はなし。なので、急いで職場を出る必要がありません。
とは言え、別に遅くまで職場にいるわけじゃなくて、ほんの少し長めにいるだけなんですけどね。
でも、たったそれだけのことですが、
「あ!もう出なくちゃ!」
てのと
「こんくらいにしといたるわ!」
てのでは、ずいぶんと気持ちに違いがあります。
てことで、今日ものつこつと仕事を進めて、なんとか今週が終われそうな気がしてきました。

仕事が進まない

昨日仕事ができなかったから、今日はサクサク仕事を進めましょう。
やらなきゃならんのは…。
夏休み中の各種書類の作成とか、ノートやプリントのチェックとか、はたまた夏休み中の宿題の作成とか、赤点の子らの宿題もつくらなきゃ。あぁ「たより」もあった…。文化祭のことも気になるし…。けっこうありますねぇ。
で、はじめたけど、あんがい難航です。
てか、ずっと気になっていることもあるしね。そんなこんなで、気持ちが乱れたり萎えたり。
まぁ、なにもしてなくて、自分で勝手に乱れたり萎えたりしてもしかたないんですけどね。でも、気持ちだけでも隣にいたいな。

最後はのんびり

朝、家の外が騒がしい。「キーキー」とか「ガーガー」とか言ってます。もしかしたら、サルか鹿がどこかにひっかかってるのかなと思っていたら、いきなり
「ひひーん!」
とかいなないています。いったいなにが起こったんだ?
と、向かいの幼稚園が移動動物園かなにかをやっているみたいで。園庭をあひるが歩いてました^^;;

で、今日は午前午後と出張です。
まずは午前の出張場所へ。
ここ、第2のふるさとにある「教養センター」的なところなんですけど、これが山の上にあるんですよね。
駅から20分ほど歩かなきゃならないのですが、さすがに10時の陽射しはすでに強い。もう、脱水症状スレスレです。で、自動販売機がない。しゃーないです。ガマンガマン(T_T)。
ちなみに、会場はガンガンに冷房が効いていて、ま、それはそれで気持ちいいのですが、さすがにだるくなってきます。
ま、それでも有意義な議論ができました。

午後の出張場所への移動までは友だちの車に便乗です。
電車通勤にしてから「誰かに乗せてもらう」機会がぐんと増えました。人の情けに甘えることを覚えるって、たぶんいいことな気がしますね^^;;。
で、午後の会議ではレポート発表。さすがに半日ででっちあげただけあって、イマイチでした。
にしても、午前のダメージが抜けきりません。
今度の日曜日は、ガチで準備が必要ですね。

夜は下の子どものお誕生日パーティー。
なんか、プレゼントのアメコミを見て
「いやっほぅ!」
とか言って、どこかに飛んで行きました。わけわからん^^;;。

まぁ、平和な一日だったってことですね。

「提示」と「表象」

今日のテーマは荻生徂徠の教育学です。
出発点は「しつけ」をめぐる話。
しつけ…。まぁ最近では「ぶちはたきがしつけか体罰か」みたいな矮小化された形で語られますが、たしかに「しつけ」って不思議です。だって、「間違い」を糾すだけで、その前に「正しさ」を言葉では伝えない。いや、伝えてるかもしれないですが、実像とはかけ離れている。で、違うときに「違う!」という。で、なにもなければ基本そのまま。
でも、「違う」と言われることの集積の中で子どもたちは学んでいく。それを「習熟」っていうみたいです。「習熟」って、「習熟度授業」みたいに使われて、学力基準によるクラスわけみたいに使われますけど、たぶん本来の「習熟」の意味は「身につける」=「身体化する」みたいなことだったんじゃないかと。

そう考えた時、「あ、でも計算って習熟するべきものなんじゃないかな」って思いました。
子どもたちは「計算」でてんやわんやになるんですけど、あんなもんは作業でしかない。本当に必要なのは「解へといたる道の入り口に立つこと」だと、わたしは思ってます。
よく子どもたちは「長〜い解答」を見ると「難しそう」って言うんですけど、難しいかどうかは、その長〜い解答の最初の一行なんですよね。

てのはおいといて…。
で、徂徠は
「過剰に語ることはない。すべては文字に書いてある」
ってやっちゃいます。これ、闇斎の講釈への批判です。闇斎は、講釈を通して、事細かに指示をする。そこに解釈の自由はないわけです。に対して、徂徠は講釈をしない。すなわち解釈の自由がある。
このあたりのことを、センセは「提示(presentation)」と「表象・代表的提示(representation)」という形で示してくださいました。
事細かに支持を出し、反復によって模倣するのが「提示」。に対して、「例」→「バリエーション」みたいなのが「表象」です。当然、闇斎は前者で、徂徠は後者です。
でも、ここで徂徠はズルい手(笑)を使います。つまり、シカケを使ってその自由を制限する。そのシカケは「書物の権威」を持ち出すところにあります。
さらに徂徠はこうした「学び方」は武士にしか要求しなかった。で、「愚民^^;;*1」は日常生活を通して習熟を重ねればいい。逆に言うなら、日常生活を通して習熟を重ね、よりよい生活へと導けるような政治を「よい政治」とした。

ここでまた、「あ!」って思いました。
これって、クラス経営か(笑)?
「愚民」を「生徒」に置き換え*2、「政治」を「学級経営」に置き換えると
「生徒は日常生活を通して習熟を重ね、そのことでよりよい生活へと導けるのがよい学級経営」
うーん。かなりビミョーです^^;;。

でも、教育って、たぶん「提示」と「表象」の間を行ったり来たりするんじゃないかなぁ。
「模倣」を繰り返し習熟することで、それそのものが「表象」として「例示」するものへと突然変異を起こす。その時、次のステージへと進化し、またそこで「模倣」を繰り返し習熟する。
なんか、「提示」「表象」の解釈とは違うのかもしれないけど、そんな気がします。
で、「表象」には自由さがつきまとうんですけど、それを制限するシカケがある。やはりそれは「権威」なんでしょうね。その権威は、例えばかつては「学校」であったり「教「師」」であったりした。いまはそんなもんの権威は地に落ちてるというか、地に落とされてるというか、ま、そんな状況ですが、やはりそれでも「教科書」というメディアであったり、「教「員」」であったりするわけです。
シカケっていうのは、それがまるわかりになるとシカケではなくなります。
おそらくは「うまい教員」っていうのは、うまく「シカケる」人なのかな。

*1:って著者が書いてた

*2:別に「生徒」=「愚民」と言っているわけではないです

失敗

今日は故あって1年生のクラスの代講に行きました。
で、はじめにちょいと自己紹介をしたりしてたんですけど…。この学年、うちの下の子どもと同じ学年でして…。
い「○○中学の人はわたしのこと知ってるよね?」
A「うん、知ってる。あの人な、同級生のお父さんやねん」
B「え?お母さんと違うの?」
A「いや、お母さんは別にいてよぅ知ってるねん」
B「☆※△?」
しもた、いらんこと言うてしもた(笑)。

イタリアのビールははじめて

しゃべり終わると汗だくです。のどもカラカラ。
てことで、近くのイタリア料理のお店で軽く呑み。
ピザとかパテとかピクルスとかをつまみながら、イタリアのビールを呑んでみたりしました。
ドイツとかベルギーとかチェコとかオーストリアとかとはまた違う感じですね。銘柄にもよるのでしょうが、基本的にはさっぱりしてるかな。とりあえず、お店にあった4種類のビールを呑み比べ。さらにワインを頼んでしまいました。
で、飲みながらの会話は、トランス裏話みたいな。
さて、ワインも呑んだし、そろそろ限界が近づいてきました。
家に帰って、〆のビールを呑んで寝ることにしましょう。

しかし、お風呂のあと体重計に乗ったら2kg落ちてました。夏だなぁ(笑)。

奈良女性史研究会

てなことを奈良に向かいながらダラダラと考えていました。
今日は「奈良女性史研究会」主催の学習会です。
約束の時間よりちょいと早めに奈良に到着。向かうのは「和み館」。こないだなくした傘を買いたくて。で、汗だくになって到着したら…。なんと、残っているのはサンプルだけ。
「この傘売れてるのに、製造元がもうつくらないって言ってるんです」
そ、それはたいへんだ!でも、とにかくこれを買いに来たんです。
「じゃ、サンプルでいいのでください。安くしてね(^^)」
二割引きで売ってもらえて気分よしo(^^)o
で、約束の場所へ行こうとメールを見たら、集合時間を30分間違えていることが判明。いやぁ、走りました。やはり汗だくです。

で、お昼ごはんを食べて、お座敷開始。
「何人来るかわからへん」
とのことでしたが、小さな会議室はほぼいっぱいです。わたしに声をかけてくださったM村さん*1を筆頭に、みなさんとても柔らかく話を聞いてくださっているのがわかります。はじめは固い表情だった人も、少しずつ少しずつ顔がゆるんできます。緩んだ顔って、ほんとうに優しげなんですよね。そんな優しげな顔は
「もっとしゃべっていいよ。聞いてあげるよ」
って、すごく肯定的なメッセージが届いてくる顔でもあります。
なんか、和やかな雰囲気の中で、楽しい二時間が過ぎました。
きっとみなさん、自分の中の「小さな大切」を見つけ見つめてくださったんじゃないかな。

*1:かつて「アホや〜」と笑い飛ばしてくれた人http://blog.ituki-d.net/20100818#p1

中二病にまつわる一考察

自分のまわりにいる中二病の人…。
Hすいけさん、Kちゃん、Tーマス、Uじ。
なんか、わたしのまわり、中二病が多い(T_T)。類は友を呼ぶのかなぁ…。
と、ダメダメ先輩からひとことコメント
「中ニ病は、ある意味、ピュアでとんがってて、傷つきやすくて、だから、時々同じ人間同士集まりたくなるんです」
あー、だから(笑)。
でも、そんな集まり、たいへんですよね。迷惑ですよね(笑)。でも、「ほっとけない臭」がすごいからなんとかなってるんでしょう^^;;。

ところで気づいたことは、みんなどこかで「M」にかかわりがあります。
そもそも中二病ってなんだろ。
たぶん、誰もが一度は中二病にかかるんでしょうね。でもやがて「現実を知り」「あきらめる」ことで中二病菌が離れていくのかな。そして、中二病菌が離れていくタイミングによって、その後の人生が方向づけられるのかもしれません。
とても早期にあきらめた人は、まぁそれなりに現実に適合した人生を歩んでしまうのかな。で、遅くまであきらめなかった人は、現実に適合できない人生を歩まざるを得ないのかな。で、いまだあきらめてない人が中二病患者(笑)。
で、なんとなくではありますが、女性の現役中二病患者は少ない気がします。もしかしたら、人生のどこかで「あきらめる」ことを強いられてしまうからなのかな。それは、例えば高校卒業時点かもしれないし、大学卒業時点かもしれません。あるいは「結婚」なんていうのもそうかもしれません。いずれにしろ、人生の節目に「あきらめ」の要素は転がっているように思います。
でも、すべての女性があきらめてしまい、中二病菌が離れていくわけではない。きっと女性の中にも保菌者はいます。たぶん、フェミニズムって、そんな「保菌者」にとって、大きな救いとなるのかな。「保菌者でいていいよ」って思わせてくれるし、もしかしたら、それは「生きること」そのものとつながるのかもしれないな。だって、現役中二病患者が「中二病をやめろ」とか言われたら生きていけないもん。
そんなことをフラフラと考えました。