沖縄てんこ盛り

さて、ここからは「趣味の沖縄」のはじまりです。
まずは「アメラジアンスクールインオキナワ」です。

小さなスペースに、おもちゃ箱のようにいろんなものがぎっしりと詰まっている感じです。なんか「もの」だけじゃなくて「思い」も詰まっているんでしょうねぇ。そんな空気が伝わってきます。
で、感じたのは、なるほど。暴走機関車にとっては、ここは「アウェイ」だなということ。そんなことを野入さんに話すと
「海外帰国生徒が「なつかしい」って言いますね」
とのこと。これまたなるほど…。

昼ご飯の後は、野入ゼミに乱入。今日は学生さんがふたり発表です。ひとりはジェンダー関係の話。もうひとりは離島出身者の話。おもしろい!荒削りだし、思考の深さも足りないんだけど、「そこを見るか!」という感じです。僭越ながら、いろいろツッコミを入れたりもしながら
「温泉掘り当てた感じが…。あ、温泉ないのか。油田を掘り当てた感じですよ」
とわけのわからないコメントをしちゃいました。
それにしても、あんなんでよかったのかなぁ…。

その後、学生さんの車に乗せてもらって、伊波普猶のお墓参りです。
今回野入さんから
「どこに行きたい?」
と聞かれて、う〜んと答えに詰まって、最初に出てきたのが
「伊波普猶のお墓」
でした。もちろん野入さんからは
「お墓^^;;」
というメールが返ってきたのは言うまでもありません。
でも、わたしにとっては「沖縄学のまなざし」という映像と出会ったことで、ようやく沖縄人権学習の教材ができたわけで、やはりお礼を言いたかったんですよね。
ちなみに、道中に学生さんに
「伊波普猶って、学校で習いますか?」
と聞くと、
「小学校の時に」
との答えでした。やっぱり教えてるんだ。教える内容が地域によって違うのは、おそらくは本来の姿なんだと思うんですよね。それを全国一斉のテストで学力を測ると、そりゃ地域差が出ます。もしも沖縄で教えていることをベースに全国一斉テストをやったら、たぶん他地域はボロボロですよね。
「桜は一番寒い時に咲くものだよね〜」
「テレビで梅雨の話をしている時、こっちは台風で大変だもんね」
なんて話をしています。そりゃそうだわな。経験から積み上げられたものとテストに出題されるものの2重構造は、もしかしたら過重な負担をかけているんじゃないかなぁ。
てなことを考えながらお墓参り。

有名な言葉

彼ほど沖縄を識った人はいない
彼ほど沖縄を愛した人はいない
彼ほど沖縄を憂えた人はいない

さて、次に行くのは嘉数高台です。
ここはもともとは拝所(うがんじゆ)だったとか。

「なーんにも飾ってないし書いてないのは、みんなここが「うがんじゅ」だっていうことを知っているから。そして、この山そのものがうがんじゅだからなのよ」
って野入さんが説明してくださいました。
ところが、地上戦においては高台をとると優位に立てるために、ここをアメリカ軍と日本軍が取りあって、山の形が変わるほどの激戦地になったとか。
階段を上っていくと…
「あ!」

オスプレイです。
山の上には各地の戦没者の慰霊碑があります。すべて兵隊さんの慰霊碑です。地元の人の慰霊碑をあとで見に行ったのですが、なくなっていました。なんでも赤いペンキをかけられたり削り取られたりしていたとか。
少し山を下りると「大獅子」がいました。

もう一回上に上がって、今度は展望台から普天間基地を見ます。

ひっきりなしに飛行機が飛んでます。同じジェット機がしょっちゅう飛んでいるところを見ると、タッチアンドゴーの練習をしているんでしょうか。ちなみに、下界からはエイサーの練習の音や子どもたちの遊ぶ声もしています。遠くの方で聞こえる放送に耳を澄ますと、
「来週不発弾の処理をします。○○交差点は全面通行止めです」
って言ってます。ここはまだ戦後なんだなぁ。そして今は戦前でもあるなぁ。てことは、ここは戦中なのかなぁ…。そんなことをふと思いました。
その後、近くのガマに移動。そうかぁ、こういう自然の洞窟にみなさん避難していたのかぁ。

その後、沖縄の野菜を使った朝鮮料理のお店へ。
ここで朝鮮大学校出身の弁護士さんと合流。めっちゃ変な人です。
「ひとつの枠でものを考えようとすると、必ずそこからはみ出るものがありますよね」
「うんうん」
「てことは、すべてを包括する概念は…」
「変態ってことですか」
「そうですよね」
「そのうち、変態のサマースクールとかできて」
「変態の先輩がグループの論議を聞きながら「うんうん」ってやって」
「「自己開示だ!」とか言って」
「僕も学校に帰ったら変態を自己開示します!って宣言したりして」
「変態の先輩が「よーし!」とか言ったりして」
ツボにはまって、おなかがよじれました。

で、帰りに寄ったのが沖縄国際大学です。もちろんヘリの墜落現場を見るためです。

まぁここでもお金があちこち動くわけで…。

てことで、部屋に帰ったらバタンキューでした。

固有の時間の流れがあるのかな

今回沖縄に来たのは、今日の午前に琉球大学で話をするためでした。
宿泊しているのは「研究者交流棟」というところで、教室までは徒歩圏内です。にもかかわらず、ドッと汗が出ます。やはり日向は暑い。で、教室に入るとクーラーがガッツリ効いています。この寒暖の差はなかなか堪えそうです。てことは…。寒暖の差を埋めるべく、自分が暑くならないと仕方ないかと、ちょっと勘違いの方向に行くわけで^^;;
さてそろそろ…。と思ったところに、蔦森かおるさんだ!一番後ろの席でニコニコとこっちを見てくださいます。う〜ん、緊張…。でも、この緊張は心地よい。なんだろ…。見守ってもらっているって感じでしょうか。
てことで、お座敷開始。
う〜ん、すべる(;_;)。なんしかすべる。たぶん、しゃべりのスピードが速すぎるんでしょうね。「間」の長さが違うみたいです。でも、わたしのスピードを遅くすると、今度はわたしがしゃべれなくなってしまいます。こいつはこまった…。
と、みなさんの顔を見ると、けっこうニコニコと笑顔で聞いてくださっていたり、真剣な顔でこっちを見てくださっていたり。あー、一昨日と一緒だわ。
わたしの時間の流れとみなさんの時間の流れは違うけど、その違いは「笑い声」の分だけ。きっと中身は伝わっているなと思ったので、「笑い声」を求めるのはやめることにしました。
終わってから何人かの学生さんと話ができました。一番おもしろかったのは、
「はい」
といってレジュメを見せてくれた人。話を聞きながら感じたことを自由奔放にメモしてあります。返そうと思ったら、どうやら違うみたいです。
「もらえるんですか?」
「はい、どうぞ」
なるほど。わたしへのリプライだったんですね。うれしい(^^)。
他にも自分のことを少しだけではあっても打ち明けてくれた人もいたりして。ここで話をしてよかったなと、ほんとうに思いました。
そして蔦森さん。わたしにとっては大先輩だし、あこがれでもある人です。
「久しぶりだねー」
って。たぶん…。10年ぶり。そして、2回しかお会いしていない。にもかかわらず覚えててくださったんだなぁ。お互いにバイクの写真を見せあったりして、考えようによっては「どうよ」なんですが、そこはそれ、好きなものはしかたありません。最後はハグハグ。o(^^)o
今日は蔦森さんのお誕生日。大切な時間を割いて来てくださって、ほんとうにうれしかった。

はーるばる来たぜおきなっわ〜♪

昨日の呑みすぎで、少々しんどいです。外へ出るのがおっくうです。でも、行かなくちゃ…。
てことで、電車に乗って南の方へ。途中乗り場の検索をすると…。「関空第2ターミナルビル?」そんなのあるんだ…。はー、ピーチ専用なんだ…。
とりあえず第2ターミナルビルのコンビニで昼ご飯を買って、燃料補給です。
で、飛行機に乗り込む…。いやぁ、地べたを歩いてタラップへ向かう、このオープン感覚はいいですね!クセになりそうです。
てことで、しばらくウトウトしたら、沖縄です。
さて着陸…。は?F15?んなもんおるんや!そう言えば千歳にも戦闘機がいますね。
空港からモノレールへ移動。爆音が聞こえてきました。音でか!てか、音の移動スピード、ハンパないです。遠慮ってものを知らない感じです。ま、「戦場の延長線上にある」ってことなんでしょうね。
で、モノレールに乗車。途中、天一の看板を発見してひとりにやついたりして。
お次はバスです。バス停で座り込んで待っていると、おばあがやってきて
「どこから来た?」
「京都です」
「あー、京都か。うちの子どもがR大学行って、いまは横浜で仕事をしてる。本土の大学にいったものは、みーんなあっちで結婚して住みよる」
「あー、それはあっちの田舎でも同じですよ」
「そうか。あっちは仕事あるんかねぇ」
みたいな会話。なんか、いきなりすごい会話をしてしまいました。
で、バスに乗り込んでひょいと上を見ると…。

あー、飲食禁止ですね。しかし、ハンバーガーか…。

で、到着したのは琉球大学。ちょっと迷った後、無事、野入研究室に到着。
とりあえずあいさつをかわして、「おばあ」の話なんかをして…。
「えー!いつきさん、それ、めっちゃ典型的な語りですよ。でも、インタビューしてもなかなか話をしてくれないし、すごい!」
みたいな反応でした。ラッキーだったんだ(^^)

で、呑みに出かけます(笑)。
連れて行ってもらったのは栄町市場。もう、ワクワクします。
「しばらく散歩しましょう。行きたいところへ行ってね」
てことで、あちらこちらをグルグル。もう、この路地感覚のあやしさがたまりません。
で、「うりずん」というお店へ。
まずはオリオンビールで乾杯。続いて古酒に挑戦です。うん、おいしい!古酒もおいしいけど、料理もおいしい。料理もおいしいけど、話がまたおいしい。

こっちの精神科医はね、ユタとの闘いなんですよ。
ユタも最近人材が不足していて、通りを歩いていて引きこもりの人を見つけたりしたら
「薬なんて飲むな」
ってやるんだって。で、精神科医
「やっと治ってきたのに」
「薬なんていらない」
「いや、本人サラリーマンになりたいって」
「ユタになればいい」
「お金どうするんですか」
「薬なんか呑むからお金がいるんだ。薬飲まなければお金はいらん」
「…、なるほど」

みたいな話とか

ユタもたまに聞こえすぎる時があってね、そんな時は精神科に行くんだけど、治っちゃうと聞こえなくなるから、薬の量を調整して、蛇口をちょっと閉めるぐらいにするみたいよ。

とか…。思わず、「沖縄のマリオさん」もそんな闘いやってんのかなぁとか創造しちゃいました。

で、お店を出て野入さんとバイバイ。小腹が空いたので、近くの沖縄そばの店に行って半そばを食べて、表に出ます。
ちょっとぐるりを歩くと…。
いきなりT田新地感あふれる街になっています。
なんか、もう…。
ディープな夜は更けていきました。

ランチビール→ヤクゲト→宴会

主催者の方がおべんとを用意してくださったのですが、それは子どもたちへのおみやげに(笑)。
で、U生さんと京都駅近くでランチビール。この半年少しおべんきょしたことや、ふだん考えていることなんかをとりとめもなく話ながら、ビールをごくり。おいし!カウンターを見ると、デスソースがあります。これをかけない手はない(笑)。辛っ!辛くても楽しいのがランチビールです。
てことで、一時間ほどビールを飲んでクールダウン。

いったん家に帰って子どもたちにおべんとを見せると
「わー(^^)」「いいのーo(^^)o」
と歓声をあげました。安上がりなヤツらです(^^)。

で、ふたたび街へ。今度はヤクゲトです。一時間半ほど並んだり待ったりして、ようやくゲット。ここ、センセがいいから、すごくはやってるんてすよね。

さらにそのまま「葉月」に移動して職場の宴会。体育系クラブの話で盛り上がりました。なるほどなぁ。勉強になるけど、やはり世界が違う^^;;。
さらに近くで宴会している職場の他のセクションの人たちと合流してカラオケでひと騒ぎ。ここでも体育系の人たちのサービス精神のおかげで大盛り上がりです。
ん?いかんいかん。終電だ!

リーダー研修講座か…

今日は午前に滋賀県でお座敷です。
で、なぜかこの間打ち合わせでご一緒したU生さんと合流。なんでもわたしの漫談を一度聞いてみたいとか^^;;。
「んなもん聞いても…」とは思ったけど、まぁええかな^^;;。
ところで、平日の午前にどんな人が集まるんだろうと思っていたら、各地の人権関係の担当者の方がずらり。しかも、一コマ2時間半で、午前・午後とあります。ガチです^^;;。たしかにこれは「リーダー研修講座」ですわ。
さて、みなさんの反応は…。
とまどっている人が数人かな。でも、興味持ってくださっている人はガッツリ食いついてくださっています。こちらがまぶしくなるほどしっかりとこちらを見てくださっている方。あるいは、前の人の影になった時、体を動かしてこちらを見てくださる人、難しい顔をしていて
「ウケてへんのかなぁ」
と思ったら、いきなりニンマリする人。
後ろの方ではU生さんもニコニコ聞いてくださっています。
もちろん「爆笑」はとってもうれしいけど、笑顔って大切ですね。もしかしたら、爆笑って内側から噴き出すものなのかも。それはそれでいいんですけど、笑い声の影に隠れてしまうものがあるかもしれない。じゃなくて、ニコニコゆっくり笑顔って、内側から湧いてくるものなのかもしれません。
そんなことを感じさせてくれる2時間半でした。

教育は娯楽的メディアに本当に敗北したのか?

半年間の楽しいおべんきょも、今日で最終です。
今日のテーマは大きくは3つ。ひとつは「子育て」をめぐる話。もうひとつは「学校と社会の教育力の関係」をめぐる話。そして最後は「マスメディアと学校」をめぐる話。それに「プロローグ」と「エピローグ」がついてるって感じです。
プロローグの部分は近世の教育と近代の教育のあり方の比較です。近代の教育は日本の近代化のための国家の設計による国民教育制度であるということ。そこでは、子どもたちが「何を学びたいか」がメインとなるのではなく、教える側が「なにを教えなくてはならないか」がメインになる。つまり、「教える側の論理」で教育が運営される。それに対して、近世の教育は、どこの誰からいつ何を学ぶかということはもちろん、学ぶ/学ばないまでもが選択の中にある。すなわち、「学ぶ側の論理」であった。
そういう時代背景をふまえて、まずは「子育てを誰が担うのか」という話が出てきます。で、「親が担わなければならない」のは近代以降のことであって近世では「生みの親」以外に「名づけ親」など、さまざまな「親」が存在し、さらに「子守」のように大人以外も子育てに参加していた。つまり、地域が総がかりで子育てをしていた。そのことにメリットがあるのではないかという問題提起です。で、近代においても地域の教育力みたいなものをもっと使わないといけないのではないか。学校はそのための「ハブ」的要素になる必要があるのではないかという問題提起がされています。
一方、近代の学校はあまりにも多くのものごとを抱えさせられている。なので、地域からの学校支援体制が必要なのではないかという問題提起が二点目の論点です。
で、最後の論点が商業的マスメディアの蔓延により、いまや学校は転換点を迎えているのではないかということです。端的に言うならば、学校というメディアは商業的メディアの前で敗北を喫していると。そこから、近代の学校はそのありようを大きく変える必要に迫られているという問題提起です。
で、「エピローグ」の部分は、学校における教育のみを教育とするのではなく、生涯学習へという感じですか。

まぁ、こうやって書くと、すでにいくども論じられた「いまさら感」ただよう話になるのですが、近世の教育との比較の中で論じられているので、なかなかおもしろいです。

が…^^;;。
やはり、どことなくむず痒いものがあります。
例えば、子育てのことひとつとっても、近世と近代の社会のありようの違いみたいなことをかなりすっ飛ばしているかなと。
たしかに近世では地域全体で子育てをしていたかもしれませんが、その前提として、居住地の移動の自由の問題があるのではないかと思います。A地域で生まれて、B地域に引っ越して、C地域の学校に通って…。なんてことが当たり前の世の中で、子育てを地域ぐるみで行うのはとてもむずかしい。
同じようなことは学校支援体制についても言えることです。だれが支援体制を呼びかけコーディネートするのか。いどうか緩やかな地域であれば、まだ比較的実現可能性は高いかもしれませんが、出入りがひんぱんな所では、たとえつくったとしても継承できるのか。学校の教員が継承?いや、それは支援ではなく仕事増=負担になります。また、教員も転勤をするので、継承は困難。
つまり、近世においては、生活が地域に縛られている不自由さと引き換えに、そうしたものがつくれた。近代は、地域と人間を切り離すことで自由を獲得し、それと引き換えに地域となつながりを失った。そんなものの考え方ができるのかもしれません。

ところで、もうひとつ。商業的マスメディアに学校は果たして敗北しているのか。
たしかに情報コントロールを学校が担えるかというと、すでにそれは不可能になっています。また、商業的マスメディアと学校というメディアの不親和性も言わずもがなです。
しかし、それをもって敗北と言えるのか。
おべんきょ仲間から
「近世の人は、勉強したからといって百姓が武士になれたわけではない。にもかかわらず、なぜ勉強したんだろうと、半年思い続けてきました」
という発言がありました。
まさにそれ!です。
「○○のために」ではない学びをする子どもたちはいまもいます。そこがこのペーパーの著者の観点からは欠落しているように思われてしかたがありません。
わからないならわからないなりに、それでもニコニコと数学の授業を受け、ときに解けた時にうれしそうに、誇らしげに○つける子どもの姿は、商業的マスメディアへの敗北とは対象的なところにあるような気がしてならないのです。

そんなことを感じながら、半年間のおべんきょが終了しました。

あー!なーつやすみ(^^)!

今日は最終おべんきょです。なので、終わってからセンセにも来てもらって打ち上げをしようと。
てことで、おべんきょの時間の前に買い出しです。
買い出しから帰る道すがら、おべんきょ仲間が
「いつきさん!このブルース、たまらんっす!」
とか言って、ビールの入った段ボールの上にスマホをおいて、ブルース聞きながら歩いていたんですけど…。
あー、おべんきょしてるんだなぁo(^^)o。たまらない気持ちになりました。
ちなみにおべんきょ仲間は
「2013年のおべんきょ風景ではないですね」
とか言ってましたけど(笑)。

また来ん夏と人が言う

ま、タイトルにさほどの意味はありません(笑)。
今日は赤点の子の補充授業。わずか40分の演習の時間だけど、すぐに
「休憩」
とか言うんですよね。ま、わかるんです。わかるんですけど、そこを越えたところになにかがある気がします。でも、その手前で
「休憩」
なんですよね。
どうすればいいのかなぁ…。

なんてことを考えながら自分の部屋に帰ると
「電気量がピークなんで、節電お願いします」
との電話。しゃーないから蛍光灯を消して、クーラーの温度をあげて…。暗っ!暑っ!
ま、しゃーないです^^;;。

久しぶりの日帰り合宿

わたしの転換点はいくつかありますが、ぜったいにはずせない日があります。それは、この日です。
たぶんこの日がなかったら、いまのわたしはいなかっただろうな。てことは、その後のわたしがいなかったことになるし、てことは、この日以降の出会いもあったかなかったか。例えあったとしても、まったく違うものかもしれない。それほどにまで大きな転換点でした。
でも、みんな忙しい。なかなか集まれません。
うーんうーんと、みんな考えていたんでしょうね。先日、Kま本さんから招集メールが入って、久々に四人でA久○さんの家に集まることになりました。もちろん今日も一品持ち寄りです。
わたしはそうめん+野菜各種の塩麹漬け。
たべものは、もちろんおいしい。でも、それ以上に話がおいしい。
そしてなにより、自分がリラックスしていることがわかります。そう言えば、このリラックスは、はじめの頃はなかったなぁ。みんな受けとめてくれているのに、わたしはそれを信じ切れなかったのかな。とすると、このリラックスは、自分が自分を受けとめられるようになったってことかな。
でもそれは他の三人の受けとめなしにはありえないことです。
みんなでケラケラ笑いながら、でもとても深刻な話もしながら、自分の問題意識を話しながら、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。
「またねー(^^)!」
「またねー(^^)!」

幾度繰り返すんだろう

朝、出掛けに家族四人で再度チェック。
「この人は?」
「あー、ほれ、このことについて書いてないやろ。てことは、態度を濁してごまかしてるねん」
「ふーん」
みたいな会話をして、自転車に乗って投票所に向かいます。
ほんとに直前まで悩みに悩んで、やっとの思いで入れました。
でも、ほんとにまったくワクワクしないというか、もっと言うなら絶望感しか起こらないんだよなぁ…。

あ、もちろん「統計」にはズレが生じそうで、それはおもしろいんですけどね。