実験宣言

テストを返しながら、夏休みまでの3時間のことを考えていました。
「なぁ、君たち」
「ん?」
「ちょっとためしてみたいことがあるんやけど、協力してくれるか?」
「かまへんけど、なにすんや?」
「いや、ちょっと実験してみたいねん」
「なんや、オレら、実験台か」
「そや」
ってことで、実験することにしました。
さてさて、どうなることやら…。

19の春はヤバい

さて、このまま帰ろうか、それとも…。迷い迷ったあげく、なぜか宝塚駅行きに乗ってしまいました。気がつくと、T中にいました。某ビルの6階まであがると、E井さんが迎えてくれました。で、奥にいくと、Kよぽんがいるわ、Nルソンさんがいるわ、Eみちゃんがいるわ。そりゃあたりまえです。職場ですからね。
「呑みにいこ!」
「ちょうどよかった。今日、みんなで梅田に行って、サンシンのライブに行くんです」
てことで、しばし仕事をジャマすることにしました。

にしても、E井さん、疲れてます。その疲れかたは、怒りとあきれと…。
とにかくふがいない現場へのやりようのない気持ちなのかな。
「なんでわたしのところに!現場はなにをしてる!」
と思いながらも、そこに子どもがいる限り動いていまうのが必然な人なんですよね。
E井さんの話を聞きながら、
「自分はこの話を聞くに値する人間なんだろうか。あるいは聞くとしても、どの立場で聞かなきゃならないんだろうか。少なくとも現場の人間としてつきつけられているんだよなぁ」
と、身のすくむ思いで聞いていたことは、やっぱりメモしておかなきゃならないことです。

で、そんな思いはあったものの、気がつくと梅田。
たどり着いたお店は、ちょっといい感じの沖縄居酒屋です。オリオン→泡盛と、順調に杯は進んでいきます。
そうこうするうちに、新田開山さんのライブ、スタート。

うまい!のはあたりまえか。プロやもん。てか、いい!30分ばっかのライブ1は、あっという間に終了。
そうこうするうちに、ここの関係者とか非関係者とかが続々と来られます。そのたびみんなで自己紹介。毎回お題が変わるのがきつい。でも、みんなこなしていくのはさすがです。
で、ライブ2がスタート。前よりマニアックな感じです。で、またまたあっという間に終了したのですが、ここでハプニング。アンコールに応えて出てこられた新田さんの
「リクエストはありますか?」
にKよぽんが反応!
「19の春!」
それかい!と思いながらも、つい聞き入ってしまいます。泡盛がすすんでしまいます。Kよぽんは、すでにグダグダです。梅田の夜は長いなぁ(笑)
でも帰ろ(笑)

で、K戸大学まで一緒に行って、Kちゃんは山を見上げてました。
で、ひょいと横を見ると、毎年わたしに声をかけてくださっているH木さん*1がおられます。いつもの柔らかな口調で
「あの、すぐにいいですか?」
「えぇ、でも、2時からですよね」
「いえ、1時半から」
「え!」
すでに1時半です。完全に時間を間違えてました。いやぁ、駅からタクシーで来てよかった^^;;
てことで、ちょい遅れでお座敷スタート。聞いてくださったのは日曜日であるにもかかわらずわざわざ来られた、約15人の学生さんです。
みなさん、基本的におとなしめなので、「爆笑」なんてことはありません。でも、聞いてくださる笑顔を見たら、それぞれに楽しんでくださっているかな。
終わってからも、いろいろ質問が出てきたり、帰りの廊下で立ち話をしたり。この間の高校生相手もしんどくもおもしろかったけど、今日のもまたおもしろかったですね。

*1:ちなみに学部長

突然のランチ◯ール

今日は午後から毎年お世話になっているK戸大学でお座敷です。朝は余裕があったので、なんとなくダラダラしていたら、なにやら電話が…。相手はKちゃんでした。
なんでも、所用があって日帰りでこっちに来てるとか。で、ランチのお誘いでした。どうせどこかで食べなきゃならないので、十三(笑)で待ち合わせ。
十三はいいです。安くておいしい。なんといっても、昼からやってるあやしさ感がたまりません(笑)。
でも、時間がありません。30分ほど呑んで、六甲へ向かいます。ちなみに、なぜかKちゃんも一緒です。なんでも
「六甲に登ろうかな」
とか。
「どうせちんけな山でしょ?」
って、んなわけないよ(笑)。

「議論をしよう」

夜は中間発表会のごくろうさん会です。先輩方もセンセ方も来られます。
わたしはまだこの世界に足を踏み込んで数ヵ月なんで、若輩者です。はじめのうちは小さくなっていたんですが、
「せっかくやし、酔う前に」
とか思って話はじめたのが悪かった(笑)。気がつくと、えらい勢いで話はじめていました。
でも、木曜日のセンセといっぱいしゃべれたのはよかったなぁ。
「センセはらけっきょく誰が好きなんですか」
ニーチェです」
「あぁ、海に飛び込んだ
「はい」
みたいな。
そのうち、どうしても話をしたいと思っていたセンセに、とうとうアタック。
すると、
「こっちこっち」
と呼ばれます。えー、そっちいくのー^^;;
「議論をしよう」
「君は人権教育をしたいんだね。平和教育との違いをどう考えてる?」
いきなりきました。
なんちゅうか、隙をあけて
「こっち打ってこい」
と言ってるボクサーに見えます。ひぇー^^;;
それでも、平和教育と人権教育のテイストの違いみたいなことを、自分なりの経験に基づいて、必死にしゃべりました。センセ方は、それにつきあってこられたす。
うーむ…。で、最後にひとこと
「また、議論しにおいで。結果はあとからついてくる」
そういう世界なんやな…。

会議

で、午後は某在日外国人教育関係の会議。
例によって例のテンションの会議なんですが、それでもきちんと進んでいきます。というよりも、みなさん、幅広い最新情報を手に入れて咀嚼しておられます。いつもながらすごいな…。
ただ、飲むものが変やから、話がくどくなるのが珠に傷なんやけどね(笑)。

番外編

今日は先輩方^^;;の中間発表会です。
みなさん、緊張しながらレポートを読みあげておられます。センセたちも真剣に聞いておられて、臓腑をえぐるような質問を浴びせかけられます。
そのやりとりを聞きながら、
「あ、自分はこの場に勉強しにきたんじゃないんだ。研究しにきたんだ」
と、あらためて?はじめて?気づかされました。
正直、できるかどうか自信がないけと、やるしかないんだろうな…。

とある研修会にて、わたしが古い人間であることに気づいた

今日は試験最終日だというのに、なぜか研修会がありました。いや、「なぜか」というのは、うちの職場では基本的には定期テスト中には緊急時以外には会議を入れない「約束事」があります。これ、研修を企画する側にとっては確かに厳しいんですが、採点する側にとってはありがたい。で、わたしたちの職種の特性として「状況によって立場が変わるはずなのに、常にその立場から文句を言う」というのがありました、まぁ状況依存的絶対主義(笑)とでもいう感じなわけです。
で、この「文句」を押さえるベターな方法は「より文句が出ないように約束事を決める」という、正しさとは無縁な約束事をつくるわけです。
てことで、定期テスト中には研修が入らないはずなのに、今日はあったと。
で、こういうときの対処法はみっつにわかれていて、「1、何も言わずにサボる」「2、文句を言って参加する」「3、ニコニコ参加をする」となります。で、わたしは2の立場をとります(笑)。
いや、たとえ「約束事」を破っていようと、研修を企画する側としては、「企画内容への文句は言わない」「研修に参加する」は、仁義だと思っているんです。
まぁ、それはおいといて。

今日の研修内容は「hyper-QU」なるものについてでした。
これ、生徒が20問ばっかの質問に答えることで、その時点でのその生徒のクラスでの位置がわかるらしいです。具体的には満足度が縦軸に、いじめられ度が横軸にあらわれてきます。で、子どもたちの場所を座標平面にプロットすると、クラス全体の傾向がわかるというものです。
で、クラス全体を第1象限(笑)に集めると「いいクラス」になる。そのために、全体にどういう指導をすればいいか、あるいは第2~4象限にプロットされた個々の子どもたちにどのような指導をすればいいか。後者については個人の折れ線グラフまであり、なにに不満があったりしんどさを感じているかがわかるというものです。

う~ん。
まぁ、おもしろいっちゃぁおもしろい。便利といえば便利。でもなぁ…。
これ、わたしらが担任の時、こんな心理テストを使わずにやってきたことです。どうやったらわかるかというと、生徒たちと、さまざまな隙間の時間にムダ話をしたり、ヒマがあったら教室にいりびたって子どもたちの動きをそれとなく観察したり。
まぁ、そんな時間をかけずに同じことが効率的にできるなら、それは確かに助かることではあるかもしれません。みんな忙しいし…。
でも、「人を知る」ために「人としゃべらない・人を観察しない」で、どうするねんというふうに思うわたしは、古い人間なんでしょうねぇ。

研修はさらに続きます。
子どもたちと話をするためには「oneness」「weness」「I-ness」だそうです。まぁ「傾聴・共感・自己開示」ってことでしょうか。そのために「傾聴」のロールプレイです。
わたし、ロールプレイは苦手です。というより、キライです。
無視されながら聞かれてどうだった?「フンフン」と聞かれてどうだった?
いやぁ、「フンフン」といって共感的な芝居をされたら、恥ずかしくてよそを向いちゃいますよ。
ちなみに、とあるニューフェイスの教員は
「これ、今年にはいって4回目ですよ」
と笑ってました。

検査によって知るのはいい。マニュアルで対処できるのもいい。でも、そこになにかが欠落している気がします。
というより、生徒たちと過ごすムダな時間のなかからしかできないことがあるような気がするわたしは、やはり時代遅れなのかなぁ…。

「問う」ことの勇気

月曜日の「おべんきょ」の内容が、先週からかわりました。いままでは、どちらかというと「問う」ということについての歴史的な位置づけというか、「問い」をめぐる思想史みたいなかんじだったんですが、先週からより実践的というか、今日的というか、そんな感じになった気がします。それにともなって、出てくる文献もずいぶんと変わって、今日にいたっては村上春樹が出てくるという。しかも、センセ、かなり村上春樹が好きっぽい。
というのはおいといて。
今日的な話になると、やはり歴史的に評価が定まっているわけじゃないですから、内容にスパッとしたキレがなくなります。終わってからも、なにがしかモンヤリしたものが残る。先週も、おべんきょ時間が終わってからの質問の中で内容が落ちてきた感じだったんですが、今日も同じ感じ。
終ってから、おべんきょなかまと
「なんかキレがないなぁ」
とか話していたのですが、反芻するに従って
「ん?んんん?」
みたいなことを考えはじめました。
なかでも、頭に残っているのが「「問う」ことの勇気」という言葉。
発端は、なんだったかのテレビ討論会で、平場から出された
「どうして人を殺してはいけないのですか?」
という質問に端を発した一連の出来事だったのですが…。
まぁ、それはおいておきます。
わたしは職業柄、「問い」を発することは仕事です。なので、授業の中でかなり計算しながら「問い」を出していきます。一方、子どもたちはなかなか質問してくれない。この違いってなんだろう。
おそらくは、わたしの場合は「答が用意された問い」であるのに対して、子どもたちのそれは「問いの中に問いが含まれている」からかなと。
いや、
「答えはどうなるの?」
という質問はあれですが、「わからないことを問う」ということは、かなり困難なんじゃないかなぁと思うのです。なぜなら「わからないことがわからないと問えない」という、まぁありきたりな話なんですけどね。
でも、子どもたちは、時として勇気を持って問うてくれます。
では、翻って、わたしが勇気を持って「問う」ことはあるのか。
たぶんあります。
例えば、その「問い」そのものが、なんらかのforceを内在している時。
その「問い」を発することが、もしかしたら人と人との間に亀裂をつくるかもしれない。もちろん、人と人との間に和解をもたらすかもしれない。いずれにしても、それだけの力をもつ「問い」は存在するように思います。というより、もしかしたら「問い」は、元来それだけの力を持つものなのかもしれません。
であるとするならば、少なくともわたしはその「問い」を発さなければならないと思った時、おそらくは躊躇するタイプの人間です。であるがゆえに、勇気が必要になる。そして、勇気を振り絞ってもなお、その結果を引き受けきれないと思ったら、「問う」ことを中断することもあるのではないかというふうにも思うのです。
それが正しいことであるかどうかは、とりあえずおいておきます。
いずれにしろ「問う」という言葉と「勇気」という言葉が、あんがい近いところでつながっているのかもしれないと、おべんきょのあとで反芻しながら、ふと考えたということです。

足つった(笑)

今日は、午後から奈良の高校で人権学習のお座敷です。高校生のみなさんに聞いてもらうのって、いつ以来やろう…。この時以来かなぁ。
正直、生徒さんたちはこわいです。興味があるかないかはっきりしています。興味がなければ、たとえ聞いているふりをしていても、反応はイマイチです。興味があれば、友だちとしゃべっていても目はこっちを向いてくれているからわかります。
で、この勝負、わたしの身ひとつでやらなきゃなりません。
しかも、1時間程度でしゃべらなくちゃならなくて、そうすると無駄な枝葉を刈り取って、エッセンスを残す作業をしなくちゃなりません。わたしの話は、元来枝葉がほとんどで、それをなくしたら「なにが残るねん(笑)」状態なんですが、それでもちょっとは残るわけでして。ただ、それがなにかを選定するのがけっこうむずかしい。
てことで、今回はわたしにしては珍しく、プレゼン資料をプリントアウトして、なにをしゃべるかとか、スライドの切り替えとか、入念にチェックすることにしました。まぁ、話はじめたらどうせ全部飛んでしまうのですが^^;、それでも無駄にはならないはずです。

会場は体育館。プロジェクタにパソコンを接続したあたりで、吐き気がしはじめました。ものすごいプレッシャーです。逃げ出したくなりました。でも、ここまで来て逃げるわけにもいきません(笑)。てか、この学校にも当事者がいるはずで、それを感じた教員がわたしに声をかけてくれたんです。
時間が近づくと、続々と生徒さんたちが体育館のあたりに来られます。それを見ていると、ますますプレッシャーがかかります。足に力が入りません。

そんな状態から話はじめたのですが、いままで出会ってきた在日の子やムラの子の話をしはじめたら、次第に生徒さんたちがこっちを向いてくれはじめていることに気がつきました。
わたしに声をかけてくれたのは、昔から一緒に在日外国人教育にとりくんできたなかまなんですが、
「ここの学校に来ている子はいろんなものを抱えている」
って言っていました。たぶんそうなんでしょうね。見た目はヤンチャですが、わたしが担任してきた子どもたちの思いと、どこかでなにかが引っかっているのかな。
話しているうちに、だんだん安心してきました。
最後のオチも、あらかじめ準備をしておいたこともあってか、すとんと落ちて、最後のあいさつをしようと思った瞬間、足の指がつりました(笑)
「ごめん、足つった」
と、壇上のヘリに座ったら、子どもたちはみんな笑ってくれました。その笑い声のなんとも優しいこと。
なんとも言えないほんわかした気持ちで終わることができました。
たぶん、かつて担任した子どもたちや、今日着ていた「誇T」*1や、いろんなバックアップがあったんやろなぁと、ふと思いました。

それにしても、すごい汗をかきました。
家に帰ると誰もいません。扇風機の風を楽しみながら呑むヱビス、メッチャうまい!

*1:伊丹のムラの青年部のオフィシャルTシャツ