15の夏

いや、単にきのうが「19の春」だったので、こんなタイトル。
今日は下の子の15の誕生日です。てことで、おべんきょが終了したら急いで帰って、◯ンマルクで晩ごはん。
うちのみなさん、出てきたパンをつい頼んでしまうみたいです。なんだかんだと話をしながら、いっぱい食べてしまって、みんな家に帰ってから苦しんでました。
てことで、ケーキはあしたまでお預け。それでもプレゼントをもらって大喜びなのは、幸せなやつやなぁと。
ちなみにプレゼントはソニックのアメコミです(笑)。なんでも翻訳しているそうな…。

研究者の本の読み方

月曜日のおべんきょの楽しさは、本を読み進めながら「知る」ことにもありますが、それにも増して、センセがたまに生き生きと話す余談?にもあります。
「なに?どこがわからないの?」
「いや、ここが」
「あなたはそこをどう読むの?」
「できるだけ主観を排して読むようにはしているんですが、ここは…」
「主観は排さなくていいの!国語の授業だったら、もしかしたら主観を排した正解があるかもしれない。でも、研究は違う。著者が正しいなんて誰も思ってない。主観を持ちながら、違和感を抱くことに意味があるの。そこにオリジナリティが出てくるの!」
センセの言葉を聞きながら、楽しさと驚きと恐れが同時に押し寄せてきます。
なぜなら、逆に言うなら、主観を持って読み進めないと、研究にならないということでもあるからです。主観なしに、単にその本の意図を探ることは正解を探すことでしかなく、そこにはオリジナリティはあらわれないとしたら、「思索の時間や深さ」が不十分なわたしにとって、それはかなり厳しいことだと思います。それを補うのは、もしかしたら「経験」なのかもしれません。が、その経験も、今日的な「経験」となっているのか、単なる「体験の寄せ集め」でしかないのか。
もっと内側を掘り下げていかないと…。

実験宣言

テストを返しながら、夏休みまでの3時間のことを考えていました。
「なぁ、君たち」
「ん?」
「ちょっとためしてみたいことがあるんやけど、協力してくれるか?」
「かまへんけど、なにすんや?」
「いや、ちょっと実験してみたいねん」
「なんや、オレら、実験台か」
「そや」
ってことで、実験することにしました。
さてさて、どうなることやら…。