インクルーシブ教育

今日は人権関係の研修会。午後は講演です。で、実はわたしは「聞かされ役」にはなりません。というのは、わたしが「聞きたいな」と思う人を推薦してて、たいていみんな通してくださるからです。うれしいな。
で、今日の講師さんは常磐会大学の掘智晴さん。たぶん、ドストライクの人ではないかと。ただ、講演聞いたことないから、わかりませんけどね。
折しも警報が出てる中、講演開始です。
当初は2時間の予定でしたが、急遽1時間半にしてもらったのがまずかったのか、
「これで終わります」
と宣言されたのが、話しはじめられて40分後です。やばい!
ところが、ここからがうちらの研究会のすごいところです。質疑応答の集中砲火です。
そりゃ、
「高校でもインクルーシブ教育をするべきだ」
しか言ってくださっていないわけで、わたしらとしては
「んなもん、現状では無理ですやろ!」
となりますよ。
でも、ここからがおもしろかった。答えがいちいち不器用で、だから本音が伝わってきます。
たぶん、インクルーシブ教育を実現するって、単なる制度改革ではすまなくて、高校の中に根源的にある「適格者主義」を根底から覆していかなくちゃならない気がしました。
で、高校の適格者主義の要請はどこから来るかというと、もちろん教員自身の中にあることは前提ですが*1、それだけではなく「出口=進路」からの要請があります。簡単に言えば、進路先の大学も企業も、基本的には適格者主義です。だから、適格者を育てることが使命にならざるを得ないし、それができない高校は「ダメ」の烙印が押される。教員はその烙印を避けるために必死で適格者主義を守ろうとするし、適格者に育てられる可能性の高い「ほとんど適格者」をほしがる。
インクルーシブ教育を実現するということは、そういう社会のあり方を根底から覆してしまうものなのかもしれません。
そもそも、「適格者」とは誰なのか?「適格する」とはどういうことなのか?根源を問う可能性を持つよなぁなどと感じました。
結局、講演終了から50分質疑応答があって(笑)、講師の方の
「そろそろやめましょうか」
で終了。そりゃぁ質疑応答は疲れますよ。
でも、帰りに何人かに
「どうでした?」
って聞いたら
「最初はどうなるかと思ったけど(笑)、最終的にはおもしろかった」
って返事が返ってきたから、成功だったんでしょうね。

*1:教員のほとんどが適格者主義の中で成功をおさめた適格者である

突然つながる

今日のおべんきょは、デューイ。今は、ギリシャ哲学へのデューイの考え方について本を読み進んでいます。
ギリシャ哲学においては、世界はすべて秩序だって完全であることをめざしていた、と。ふむふむ。まぁ、調和ですね。
「でも」
と、ふと思い質問。
「もしも、秩序にあてはまらない存在が出てきたら、どうしたんですか?」
で、答え。
「排除しました。ひとつの方法は「殺す」でしたが、もうひとつの方法は「聖なるもの」としての排除でした」
はー!なるほど!聖と賤ですな。てか、賤民の成立を彷彿とさせます。いや、「秩序だった世界」って、江戸時代の身分制「分をわきまえる」とすごく似てないか?
そう考えた時、ギリシャ哲学の世界観が、かなりピンときたりしました。
まぁ、邪道かもしれませんがね。

タスク管理

でも、トド狩りの最中にジャマが入ることがあります。イレギュラーな仕事なら、それはしかたありません。でも、わたしが自分のペースでやっている時に、、他の人がその人のペースでわたしにタスクを入れてくると、これはきつい。
ちなみに、わたしは他の人にタスクを入れることはほとんどないし*1、仮に入れる時は
「ごめん、ちょっといい?」
と、とりあえずひとこと言います。
それがないと、わたしはきついなぁ…。

*1:簡単に言えば、ひとりで仕事をしてるってこと

今日も淡々とトド狩り

わたしはスケジュール管理に職場の年間行事計画の縮小コピーをしたものを使っています。そこにいろんな色のボールペンで書き込んでいくわけです。いろいろやってみたけど、これが一番確実。ただ、たまにこれを忘れることがあるので、備忘のためにジョルテを使ってます。
これはこれでいいんですが、トド管理がしにくい。やはりポストイットがベターな感じがします。で、いろいろ考えて、スマホに「付箋メモ」なる、一番簡単なポストイットのアプリを入れてみました。これいいですねぇ。画面にメモをはりつけるだけ。で、できたタスクはキーボードつかって消せばいい。
で、この「消す」という作業がまたいいです。「トドを狩った!」という実感がわきます(笑)。
てことで、夕方には時間がかかる3つのトドが残りました。って、これ土曜日から残ってるやん(笑)!

今日って日は…

朝起きると…。ん?家じゃない…。そうか、東九条ですか^^;;
おかしいな。今週は東九条泊まりじゃないはずだったのに…。
それでも、9時頃にはすべて撤収。とにかく身体が疲れています。家に帰りましょう。

家に帰って、しばしゴロゴロ。そうこうするうちに、おべんきょ先から借りている本に目がとまりました。で、いきなり読書開始。読んだのは『排除する社会、排除に抗する学校』という本です。
なんというか…。おもしろい。自分のとらえ方がすごく浅かったというか、一面的だったというか、そんなことがよくわかりました。と同時に、なんとなく自分のとらえ方に対する違和感があったのが、見事に納得したという面もありました。
でも、じゃぁ「どうすればいいのか」というところについては、一定程度の「答え」はあるにしろ、まだまだ雲をつかむような感覚があります。いずれにしろ、著者の西田芳正さんは今度の金曜日に研修できていただけるので、そこでもう少し話をしてみることにしましょうか。
にしても、あまりにもおもしろくてぐいぐい引き込まれたので、結局読み切ってしまいましたよ。

晩ご飯の時に、上の子どもが
「今日は父の日やし、買ってきた」
と言って出してくれたのがお酒。
なんかうれしい…。

なんでこんなことに…

なんか、京都でミックスの交流会があるとかで、卒業生数人はそっちへ流れました。で、今日中に帰らなきゃならないK野さん(笑)を囲んで新大阪でしばし反省会。
2時間ほど呑んで、京都組と合流するため、なぜかSゅんすけと一緒に京都へ。途中でメールが入ったKよぽんも合流して、さらに京都の交流会の人とも合流して、気がつくと15人くらいの大所帯になりました。
こうなると、もうわけがわかりません。気がつくと、12時を軽くまわっています。
「帰れない」
とか言っている人が続出です。しゃーないな。東九条に収容するしかありません。
今週は泊まらないはずだったのになぁ(;_;)。

これでいいのか?これでいいんだろうな

今日は久々のトランスジェンダー生徒交流会です。
交流会と言えば、まずは買い出しからはじまるわけで。今日のメニューはどうしようかなぁ…。そういえば、きのうK淵さんと話してたな。でメール*1
「なににしようって言ってたっけ?」
即座に返事
「アドボと生春巻きとナムル。豆もやしをゆがいた残りでスープをつくれば完璧!」
ふぅむ。なるほど。やっぱりそこか。なんともバリエーションがないものだ。まぁええか。
てことで、助っ人のOぎぴーと買い出し。なにがしんどいって、野菜が重い!えっちらおっちら荷物を運んでいると、Mぎちゃん登場。助かった。
今日の交流会は、全員新しい参加者です。卒業生の子らに助けてもらいながら、ご飯づくり中の会話をまわしてもらいます。はじめは固かった子らも少しずつ輪に入ってくれるようになりました。
で、食後は恒例の自己紹介。
今日は参加者が少ないので、全員で輪をつくりましょう。で、珍しくトップバッターを引き受けてしまいました。ちょいガッツリ系の話をしてとなりへ。ひと通りまわしたところで、さらに2巡目。さらにガッツリ系の話をしてハードルをあげます。
と、初参加の子が離脱。
きつかったみたいです。んー、あれでよかったのかなぁ…。でも、きっとよかったんだ。だって、
「なんもしんどいことはない」
というフリをしていても、それは「フリ」。他の人のしんどい話を聞いた時、自分のしんどさと向き合うから離脱したくなる。初参加の子が逃げたのは、自分のしんどさと向き合ったから。たぶんね。
でも、その子らの離脱で、わたしの中の緊張の糸が緩んじゃいました。ふぅ…。

*1:K淵さんは今日は仕事で不参加

イレギュラー

夕方、なんか身体が出がらしのお茶みたいになっていたので、K淵さんにふとメール。
「6時、京都駅?」
返事は
「8時、○法松?」
8時はちょっと遅いので
「7時?」
「○」
てことで、○法松もやめにして、久々に家の近くの居酒屋で呑み。グダグダと2時間ほどあしたのメニューの話なんかをしながら呑んで終了。
それにしてもアットホームな店やなぁ。後半1時間は、ずっと店のお母さんと話てたよ。
さて、家に帰って晩ご飯を食べましょう。

粛々と…

怒涛の2日が終わった翌日は、あっけないほどなにもない日です。
でも、月曜までにやらなきゃならない本職中の本職の仕事とか、頼まれ仕事とか、いろいろほったらかしにしていたことがけっこうあります。とにかく「トドリスト」をつくって、ひとつずつ消していきます。あー、気持ちいい!
そうそう、授業はあくまでも静かに。
ちまたでは「元気な授業」がもてはやされがちですが、しっとりと落ち着いた学びの空間が大切だと思います。ただ、紙一重なんだよなぁ。ひとつ間違うと、しっとりと落ち着いた眠りの空間になってしまいます。そこには、たぶんスリルとかワクワク感みたいなものが必要なんじゃないかなと思っています。
で、今日の授業は…。
一部「眠りの空間」になっとったな^^;。
まぁ、そんな感じで粛々とタスクをこなせば、あら不思議、トドはとりあえず全部終わっていました。

みんながマジメなのか、わたしがエエカゲンなのか

今日のおべんきょはディスカッションです。お題は「驚いて絶句するような問を出された時、どう対応するか」みたいな。
若い人たちの意見を聞いていると、みんな一生懸命「答えよう」としておられます。んー、マジメやなぁ。
わたしの感覚とはずいぶんズレがあります。
驚いたなら
「驚いた」
と言えばいい。なぜそう考えたのか知りたければ
「教えて」
と言えばいい。
どうせ答なんてないし、あるいは幾通りもあるし。大切なのは、そこへいたるプロセスかなぁ。
引用されている文章には「答えられない問には答えなくていい」とありました。これ、ある若い人はそのまま
「答えなくていいんですねぇ」
と言っておられましたが、たぶんこれ、「問い返せばいい」なんじゃないかなぁ。わからんけど。
基本、わたしは子どもたちの問に対する答は「煙に巻く」が身上なんです。
なんしか、みなさんのマジメさを目のあたりにして、あらためて自分のエエカゲンさを知った次第です。でも、こんなのがひとりくらいいてもいいでしょう。