全外教大会1日目

朝、やたら外がうるさい。。時計を見ると、5時半です。もはや起きているのか?はたまた寝ていないのか?いずれにしろ、「歯を磨く」という名目で部屋から出ているみたいです。にしても、静かにしろよ。頼むから、そのスリッパの音で目が覚めるねん。
「お前ら、みんなを起こしにまわってるんか!」
と怒ってしまいました。でも、
「すみません」
と素直に謝る子どもたちは、ほんとうにいい子らです。
やがて、午前のプログラム開始。2時間の班別討論です。話が盛りあがるところ、深まるところ、うまくいかないところ。それぞれの班が、それでも一生懸命語りあっている姿は、やっぱりこの交流会の宝物ですね。
で、昼前から全体会。
「ここの担当、名前が書いてないけど、誰がするの?」
「あ、じゃぁお願いします」
しまった、先に動いた方が負けだったのね。で、司会の生徒といろいろ打ち合わせしたり、他の教員に根回ししたりしながら、それでもなんとかやりきって。
という感じで、どんどん交流会は最後へ向けて進んでいきます。
三重の担当者の方にとっては、長い長い1年間だったんだろうけど、それもあとほんの少し。そんなものなんですよね。交流会がはじまってしまえば、2日間はあっという間に去っていきます。
で、最後は大会参加の大人達へ向けてのアピール。こいつもなんとかこなして、今年の交流会も終了です。各地へ去っていく生徒達と
「気をつけて〜」「またね〜」
と手を振りあって、おしまい。

全外教大会0日目・全国在日外国人生徒交流会

到着したら、ちょうどプログラムがすべて終了したところです。生徒も引率も、とりあえず自分の部屋に帰ってきてくつろぐところ。てなことで、全国の引率の方々と
「久しぶり〜」
とごあいさつ。で、近況報告です。
「この間ゴニョゴニョしました」
「まぁ!おめでと!」
「めでたいのかなぁ(笑)」
やっぱり、生徒を軸にしたつながりって、ほんとうにいいですね。互いが互いに対して優しい気がします。
やがて、今回の交流会のわたしの数少ない出番。生徒実行委員会会議です。6月以来の再会ですが、また子どもたちが暖かい。そんな子どもたちと、小1時間のミーティング。明日の論議へ向けての微調整をはかります。
その後はエンドレスナイトのはじまりです(;_;)。
子どもたちは寝ない。でも、寝かさないと明日の論議が…。自主的に2時間ごとの当番をつくって夜回りをする教員もいます。もっとも別室では引率ミーティング&イーティングもやっていますけどね。
さすがにわたしは体調がキツイので、2時頃に布団に入らせてもらいました。でも、きっとまだ子どもたちとの攻防は続いているだろうなぁ…。

前途多難か

で、車に乗せてもらいます。向かうは三重県鈴鹿市(笑)。主催者の方と
「いやぁ、ごくろうさま」
「いえいえ、そちらこそお疲れさま」
と話しながら、わたしはビールをプシュ。天国です。
そんな感じで快調に走っていたのですが、西宮名塩で突然渋滞。まぁここはそれでも計算済みです。と、中国吹田で「故障車渋滞」の表示。ありゃぁ…。間にあうかなぁ。でも、イライラしてもしかたがありません。淡々と進むのみです。
それでも、とりあえず鈴鹿に到着。
会場に着くと、「いつもの人たち」がいます。

ちょっとネタを変えて

今日は午後から人権関係のお座敷です。高校の教員が200人ぐらい集まるそうな。会場にちょっと早めに着いたので、ついでなので準備の手伝い。まぁこういうのをやっているのは性にあうんですよ。と、そこに会長さんが来られて一言。
「具体的に子どもたちをどう支援したらいいのかという話をしてほしい」
ん〜、困った。そういうの、ストーリーに組み込むのが難しいんですよね。ただ、徳島ではすでに5回くらい話をしているし、たぶん「新ネタ」を要望されている人もいるだろうしなぁ。
で、午後からお座敷開始。
ずらりと並んでいるお客さん。まぁ、いつもとちょっとネタを変えて、部落や在日の生徒達とのかかわりをていねいにしゃべりましょう。でも、これ、笑いがとりにくいしなぁ…。
案の定、はじめのうちはけっこう固い感じです。ところどころで笑顔を見せるも、笑いが出るところまでは行きません。ま、そういう系統の話じゃないからしかたがないか。そのうち笑わせるぞと心に決めながら、話を進めていきます。
そのうち、ネタに到着したところで、ようやく笑いが出てきました。あ〜、よかった…。
で、「具体的なサポート」については、サクラの人に質疑応答で振ってもらいます。
「サクラ、ありがとうございます」
と一言お礼を述べてから、ビデオを交えて20分ばかりしゃべくり倒しました。
おわってから、会長さんに
「あんな感じで」
と話をしたら
「よかったですよ」
とひとこと。まぁ「悪かった」とは言えないのでその分は割り引いて考えなくちゃね。でも、まぁよかったよかった。

あなどってはいけない街

てことで、京都駅前からバスに乗ります。揺られ揺られて3時間。着いたのは徳島です。駅前に友だちが待っていてくれました。車に乗せてもらってホテルにチェックイン。続いて、本日の呑み会の会場へ。
連れて行ってもらったのは、おしんという店。
お品書きを見て、
「けっこうええ値するなぁ」
と思ったのですが、出てきた肉を見て驚きました。まずは、塩タン。これが分厚い。いや、薄いのをさっと炙って食べるのもいいんですが、分厚いのをレアで食べるのもまた、すごくいい!ロースもとろけそうです。さらにシマチョウがおいしい!やはり「白い肉」がおいしいかどうかが、その店の評価軸ですよね。で、出てきた「イリカス」!
関西の「油かす」とはまた違います。「油かす」は、基本的には大腸とか小腸を炒ってつくるのですが、「イリカス」はいろんな部位が混ざっています。お店の人が
「ここ、赤センやで」
と教えてくれたのを食べると、これがうまい!
さらに、
「これ食べ」
と持ってきてくれたのが膵臓です。いやぁ、見た目とぜんぜん違い、淡泊な味。
でも、さすがにこのあたりで胃袋は限界です。
ちなみに、話の方も、さすがに徳島の濃いぃ高校教員(+小学校の教頭さん(笑))の集まりだけ会って、こちらのほうも胃袋限界です。
とにかく、徳島を堪能したという感じでした。

でも、イリカスのぞうすい、食べたかったなぁ…。

朝はクネクネ

とりあえず、先日引導を渡した母親のパソコンにwindows7インスコしようと思って、パソコンに火を入れました。と、DVDをパスしていきなりwinXPが立ちあがりました。
「ありゃぁ、BIOSの設定忘れてたか」
と思った次の瞬間、
「立ちあがった?」
てことで、母親のパソコン、復活です。わけわからん。まぁ立ちあがったならそれはそれでいいとしましょう。とりあえず、データ用のハードディスクを買ってきて、そいつにデータを待避して、次にダメになったらwin7を入れるってことで。

完全に学生のコタツ状態になったわたしのふとんのまわりを、さすがに整理しようかと。チョコチョコ整理していたら、なんか汗が出てきました。
「どうしよう…」
結局、冷蔵庫に行って缶チューハイを一本。プシュ!ングングング。おいしい…。
上の子どもに見られちゃいました。
「あー、まだ10時半なのに呑んでる」
す、すまん…。

薬局に行って、ボクサータイプの生理用ショーツを買います。安くてよさそうなのがありました。それを買い物籠に入れるとパートナーが一言。
「あ、それ買うの?わたしも一緒の持ってるし…」
「ええやん、サイズがLやし」
あとで名前、書いとこ。

3連戦

で、ちょうどお昼時。司会の方とか、前に打ち合わせに来られた方とかUITトリオとかと一緒に歩きはじめます。まぁ上本町なので、「ハイハイタウン」があるんですが、昼時なのでどこともいっぱいです。というより、この時間にすいている店があったら、それは逆に厳しいでしょう。
で、歩きはじめたのですが、最終的には日本橋まで行ってしまいました。なんとか黒門市場にあるお好み焼き屋さんを発見。ようやくここでビールにありつきました。いやぁ、長かった。

ここで東大阪の人たちと別れて、わたしはUITトリオとでんでんタウンへ。目的は、先日引導を渡した母親のパソコン用にwindows7と、レスキュー用のSATA→USBのコンバータを買うこと。もうひとつの目的は、クラブ用にビデオカメラを買うことです。約1時間うろつきまわって、すべてそろいました。なので、通天閣へ。Uさん曰く
「秋田人、これが通天閣や!」
なんのことかよくわかりません(笑)。
で、そのままジャンジャン横町へ。串カツどて焼きビールで2次会です。
と、今回の主催の人と連絡がとれたので、京橋へ。

「このあたりにまぐろの店がありましたよね」
「あ、「とよ」ね」
ということで、とよへ。たどりつくと、そこは屋外立ち呑みスペースでした。主宰者のCさんは慣れた口調で
「コース」
と頼みます。すると、なんかもう、山盛りのウニといくらとマグロが出てきます。なんじゃこりゃ。
でもさすがに立ち呑みは今日はつらい。7時を目途に退散しましょう。
帰りの京阪、まだすいています。でも、わたしたちはフラフラ(笑)。
あー、よく呑んだ。

なにわ研

「なにわ研」というのは、東大阪市人権教育研究会の夏季研のことです。ちなみに名前の由来は「アウィーナ大阪」でやるからだとか。ちなみに、この「アウィーナ大阪」の名前の由来は「naniwa」をひっくり返して「awinan」としたとか。まぁ、そのまま「アウィナン」とやっちゃうと、なんとなく最後がかわいすぎますよね(笑)。
お座敷の開始時間は、午前9時半。えらい早いです。会場に到着したら、「寝た子を起こして仲良くごはん<を食べる人が登場*1
「久しぶり〜」
とあいさつ。
でも、あっという間に9時半直前です。あわてて会場へ向かいます。と、あまり人はいません。まぁこんなもんでしょう。ここでUITトリオと久々にご対面。相変わらずな人たちですが…。
司会の人たちと打ち合わせをしていると、なんだかどんどん人がやってきます。なんでも、はじめに出していた希望と変更してこっちに来られたとか。みなさん物好きやなぁ。
てことで、話しはじめます。なかなか大阪の人たちを「つかむ」のは難しいのですが、それでもところどころでわいて下さるので、だんだん調子に乗ってきます。
てことで、無事与えられた時間ギリギリで終了。ところが、質疑応答がまたいっぱい出てきます。これはうれしいですね。あの
「質問がある方はおられますか?」
「シーン」
というのは、ほんとうに嫌いなんですよね。
おわってからもいろんな人たちと個人的に話。こういう時間が、実はとっても大切なんだと思います。ご自分が感じられたことだけじゃなくて、どこで引っかかったのかがわかります。そこからその人の人となりがわかります。そんな「出会い」から、また新たなつながりが出てきたらいいなぁ。

*1:ちなみに、わたしは最初「寝た子を起こして仲良く朝ご飯」だと思っていた^^;;

新しい視点から部落問題を考える

今日は人権教育研究会の夏季研。午前は記念講演。講師は関西大学の石元清英さんです。
わずか1時間半の講演の中で、部落の現状・歴史、さらには「部落とはどこか」「部落民とは誰か」について語り、さらに人権教育への提言までいってしまうあたり、すごいです。
先日の板東さんの話もそうだったんだけど、いままで自明としてきた「部落」「部落民」は、実は自明のものではないんですよね。すごく簡単に言えば、
「まわりから部落とみなされたところが部落」
なんですよ。これって、完全な自己言及です。でも、そうとしか言えない。さらに、
「まわりから部落民とみなされた人が部落民
これもまた、完全な自己言及です。でも、これもまた、そうとしか言えない。石元さんは「血筋の間違い」をきわめてロジカルにあらわされます。2000年調査(だと思う)のデータである、「純ブラ85%」「半ブラ15%」として、いくつかの仮定をおきながらではありますが、5代前までさかのぼると、16通りのパターンができます。この16パターンの確率を計算されるわけです。すると、「純ブラ」の確率なんて、1%未満になったりします。つまり、血筋の問題ではないと。結局まわりからの視線の中にあるわけです。
ここに部落問題の「語りにくさ」が出てくる。
そういう意味で、石元さんは
「部落問題は応用問題」
と言われます。これ、どこかで聞いたなぁ。あぁ、藤田敬一さんだ。
「にもかかわらず、従来の人権学習では部落問題から入っていった」
まぁそりゃそうです。そこで
「例えばミソジニーみたいなものを扱って、人間関係の問題を考え、そこからの応用問題としてやった方がいいのでは」
という提起がなされました。ここで「いじめ」とか言わないところがいいですね。ミソジニーは、「女性vs男性」という対立構造でとらえるだけじゃなくて、女性自身の中にも存在しますから、単純な「差別・被差別」の構図になりにくい。
とにかく、この夏、わずか1週間経たない間に、ふたつの立場から「部落とはなに?」「部落民とはなに?」ということを聞けたのは、大きな収穫でした。

ちなみに帰られる石元さんを送りながら、
「どうしても人権学習では◯◯「を」教えると考えがちなんだけど、◯◯「で」を教えるというふうに発想を転換すると、けっこうどの問題をやっても、人間関係とか社会の話に持っていけますよ」
みたいな生意気を言ってしまったりしていました。

で、遠方より友来る

時間も時間なので、4時過ぎに失礼して、新幹線に乗車。と、メール。
「今、どこですか?」
「東京発→京都駅前の居酒屋着です*1
駅の改札でWたさんとT田さんと合流。そのまま駅からちょっと離れた居酒屋へ。あとは、トランス業界のいろんな話を交流。
あまりにも楽しくて、終電過ぎちゃいました。T田さん、帰れたのかなぁ…。

*1:さっさと家に帰れよ→自分