続いて東九条へ。UIコンビからUITトリオになって、とりあえずインタビューとか。
基本的にはインタビューはしない方向みたいなんですけど、やっぱり落ち着いてまとめた話を聞きたいとか。そりゃそうでしょう。さらに言うと、今しかだめな話もあるわけで(謎)
にしても、クーラーの音がうるさいからとクーラーを切ったもので、暑いのなんの…。
インタビューの後の打ち上げのビール&チューハイのおいしかったこと。もっとも、打ち上げ会場も扇風機しかないけどね。
暑いさなかに、会話も暑い。
U「バブルのあとに生まれたヤツって、夢がちっちゃいんだよな」
I「え、そんなことないですよ」
U「あるって。お前ら、世界征服の夢とか見てないだろう」
D「あ、あるある。世界同時革命とか、今でも考えてる」
U「な、お前ら、そんなこと考えてないだろう」
I「た、確かに」
でも、考えてみると、大学の頃って、こんなんだったよなぁ…。
月: 2010年7月
サポート(その1)
この3連休、サポート第1回目です。
今回は、2年ほど前に中国から来た子どものサポート。と言っても、なにをするわけでもなく、友だちにつきあってサポートの付き添いをしただけのことなんですけどね。
にしても、たいへんですわ。いや、たいへんなのは本人です。
学力はあるんです。わかればぜんぜんOK。ところが、日本語がわからないから、問題文の意味がわからない。だから答えられない。
ほんまに「学力」ってなんやねんと、つくづく思いました。なんとか高校に受かって欲しいなぁ…。
朝のお座敷
今日は滋賀県のY市のPTA対象のお座敷です。
PTAって話しやすいんですよね。もちろん、「動員」という側面もないわけじゃないんですけど、でも、仕事じゃないだけに、みなさんかなり積極的に聞いて下さいます。
さて、今日はどうかな。
なんていう必要もないくらい、みなさんノリのいい感じで聞いて下さいました。
最初は
「1時間20分で」
とか言われていたのですが、
「絶対無理です。伸びてもいいですか?」
「あ、どうぞ、伸ばして下さってけっこうですよ」
と、かなりええ加減なスタートだったのですが、ほんとうに伸ばしても、みなさん楽しそうに聞いていただいていたので、結局そういうことなんですね(笑)。
戦友との呑み
なんの闘いかはよくわからないのですが、でも、今にして思えば「闘い」だったなぁと。まぁまだ完全にはすんではいないのですが、現在は「戦後処理」って感じで、まぁ呑気なものです。
3人それぞれにそれぞれの「お祝い」があるので、みんなで乾杯。
てか、はじめから酔っぱらっている人もいて、ちょっと行動が危ないところもあったけど、まぁそれも含めて戦友か(笑)。
で、呑み
わたしも合宿に参加しているので、当然呑みです。
まずは食事をしながら、やがて一息ついて部屋呑みです。久しぶりにホテルの部屋呑みを堪能しました。と思っていたら、気がついたらわたしの部屋もたまり場になっていたりして(笑)。まぁ楽しめましたよ。
でも、明日も仕事だよ。
で、呑み
わたしも合宿に参加しているので、当然呑みです。
まずは食事をしながら、やがて一息ついて部屋呑みです。久しぶりにホテルの部屋呑みを堪能しました。と思っていたら、気がついたらわたしの部屋もたまり場になっていたりして(笑)。まぁ楽しめましたよ。
でも、明日も仕事だよ。
合宿ですよ
夕方から泊まりがけのお座敷。
実は、みなさん一度わたしの話を聞いて下さっている人で。てことは、同じ話はさすがにできません。やはり本気で新ネタをつくらなくちゃならない時期になってきました。
てことで、新ネタに挑戦。
やっぱり難しいです。なにが難しいかというと、ようやく歴史としてフィックスできてきたかなという感じでしかなくて、まだまだ不安定なところがあります。ただ、逆に言うと、フィックスできてきたわけで、これから幾度かプロトタイプの話を積み重ねていくうちに、なんとかなるかなぁという感じがしてきてもいるのです。ただ、笑いをとるのがむずかしい。
やっぱり修行です。
えらい雨やなぁ…
なんか、鴨川の水位が異常なほど上昇しています。川にある段差のところで、なんか水が逆巻いています。川面を水しぶきなのか水蒸気なのか、そんなものが漂っています。
それでも橋の下には人が住んでいます。
あまりにも大きな水の力の前で、人の姿はあまりにも小さい。
雨が降るたびウトロのことが気になります。きっと床上までいってるだろうな…。
ここしばらく、ずっとそのことが頭の片隅にひっかかっています。
部落問題の伝え方
午後から人権教育関係の会議。
会議の中で、新入生からとったアンケート結果の分析があったんですが、やっぱり昨今の状況が顕著にあらわれていますね。一番大きな変化が、中学時代に在日問題・部落問題の学習をしているパーセンテージが、いまや25%程度になっているということです。
で、
「なぜなのか?」
という論議がちょろっとあったのですが、その中で
「伝えにくくなっている」
という話が出てきました。
たしかに、部落の歴史はかつてのような単純なものではなくなっています。また、部落を取り巻く状況も、「貧困」とか「低位」という一言で表せなくなってきています。もっと言うと、
「部落民とは誰か」「部落とは何か」
ということが、ひとことでは言えなくなってきています。
でも、一方では、これこそが「部落差別」なんじゃないかという気がしています。
つまり、部落差別は「差別事象」にあらわされるものではなく、社会の構造そのものの中にあるんじゃないかということです。
でもこれ、確かに伝えにくい。でも、逆に、だからこそ伝えなくちゃならない。
う〜ん。