昼に軽く燃料補給をして(笑)、いよいよ午後の分科会開始。会場に入り、あたりを見回すと、あちこちに友だちがいます。「いつもの場所」に座ると、「今年もはじまったなぁ」という思いがわいてきます。
はじめのうちはエンジンがかかっていないのですが、だんだんと教研モードに入ります。モードにはいると、無性に発言をしたくなるのが悪いクセです(笑)。でも、今年も両性の部会はみなさん元気。しゃべるのはわたしひとりではありません。みなさんが、それぞれ自分の思いや実践を話します。かつては「ぜんぜんつながってへんやん」と思っていたのですが、最近は「つながってるなぁ」という気がするようになりました。あえて言うなら、つながっていないのはわたしだけ(笑)。
おもしろかったのが山梨のレポートかな。ツッコミどころ満載なんだけど、でも、とりくみがおもしろい。「謎の粉」の入った5つの瓶に、いろんな国の言葉で中身を示したラベルを貼って、「読めない」ことがどういうことかというところから、各国の識字率の問題へと導入していくという。みなさん、いろいろツッコんでつっこんでいたけど、それだけの価値のあるレポートだったんですよね。
てな感じで、6時になって、無事1日目が終了。
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日教組教研1日目・全体会は同窓会?
起床は6時。いつもといっしょじゃん_| ̄|◯。
全体会場に京都の仲間と一緒に移動。いやぁ、今年はPが多いのなんのって。さすがにヒロシマです。前ではKクマルがアジってます。これもいつもの風景ですわ。
会場に入ってしばらく歩いていると、うしろから「いつきさ〜ん」との声。振り返ると、鳥取のNし川さん。「久しぶり〜」と再会を祝うのですが、夏に会ったよね。そんな感じで、神奈川・大分・石川・北海道etc,etc…、全国各地の「仲間」と出会えるのがこの教研のいいところです。
「今年もここに帰ってきたなぁ」
との思いがわきあがってきます。さて、これからはじまる3日間、肝臓をだましだましがんばるか*1!
開会記念行事では、被害者としてのヒロシマと加害者としてのヒロシマをおりまぜた内容が展開されました。なかでも、どこかの高校の放送部作成の番組が放映されたのですが、これがいい!うちの放送部員に見せたくなるような内容でした。
で、全体会開始。まずはあいさつの連続なのですが、やっぱ「あいさつ」はイマイチやなぁ。中でも「ケンカ売ってんのかい!」というM部K学D臣のあいさつには、会場から大ブーイング。あ、ケンカ売ってんのか(笑)。
で、記念講演は、中島啓江さん。ん〜、涙が出るんだけど、ちょいくさい。感動するんだけど、ちょいくさい。あと、ところどころに「え?ん?」と思うところが出てきます。ツッコミどころ満載というところでしょうか。ふぅむ…。
*1:ヘパは3本用意してありますねん(笑)
現在の部落問題を考える
今日は「冬季現地研修会」ということで、リバティおおさかへ。
ちょこっとガイダンスを受けた後、まずは特別展示。日本の差別について通史的に展示してあるのですが、なかなか興味深かったです。なかでも、娼妓の帳面を見たら、かなりえぐいですね。ほんとうにほとんど「元金」が減らないように調整をしている。ちょっとめまいがしました。
その後、総合展示。こちらのほうは「いつものとおり」と書きたいところですが、少しずつ少しずつ展示してある内容が増えているみたいで、「がんばってはるなぁ」という感じ。なかでも「T’s festival2000」のチラシがあったのは感涙ものでした。ひたすら「なつかしい!」ですね。
今にして思えば、順子姐さんとの出会いはこの時だった気がします。いずみちゃんとも出会い直したし。過去を懐かしむわけではないですが、「やっぱりこのあたりが自分の原点にあるなぁ」という気がしました。
てなことをしているうちに、あっという間に1時間がたちます。ここの展示物、多すぎ。でもおもしろい。
午後からは朝治さんの講演。タイトルが「現在の部落問題を考える」。
「感想を10字以内で述べよ」という問題が出たら、答は「すごくおもしろかった」です。
まずは、研究者にありがちな「部落問題を考える時に、キーになるのは◯◯」という語り方を避けられます。どちらかというと、「あれも大事だし、これも大事だし、この観点も抜くわけにいかないし…」という感じ。もちろん、それぞれについての深い洞察は持っておられるわけですが、どれかを抽出して語ることを避けられる感じかな。
だから、ダラダラとしたまわりくどい要点の絞られない語り口にならざるを得ないわけです。ただ、それだけだったら「わけわからん」となりそうなんですが、そこに朝治さん独特のキャラクターがあって、なんとも言えない持ち味を醸し出されているんですね*1。
おそらく、根本にある感覚が、「部落の人間にとって、部落であることはとても大切な要素のうちのひとつであるけれども、でも要素のうちのひとつでしかない」ということなんですね。そこからスタートして、部落問題といかに向きあうのかということを考え、そのことを通して、他の差別問題と自分自身がどう向きあうのかというあたりまでを、おそらく考えておられるのかな。いや、朝治さん自身はそこまでは語っておられないんですが、話を聞きながら、わたしはそう感じさせられました。
なんか、ちょっとふんわりした感じでリバティをあとにしました。
*1:単なる酒好きという話もありますが…
とにかくびっくり
午後は女性部の学習会
昼食(笑)後、急いでウィングス京都へ。
ここで、組合の女性部の学習会があります。今回のテーマは「こころと身体を大切にする教育 〜性の健康教育〜」。講師は、徳永桂子さんです。実は、この方には11月23日にお世話になっていたですけどね。
で、お話は極めて明快!豊富な知識と、生徒たちとの豊富な出会いに裏打ちされた実戦的な話でした。中でも、「安全」をキーワードにしながら話をされた前半*1は、「なるほど、そういう切れ込み方を…」という感じです。「性」というものを、まさに「生きる」ということ結びつけてこられているご自分の生き方・考え方がビンビン伝わってきました。
あっという間の2時間半が終わって、近くのホテルでお茶会。まぁ、わたし以外にもう一人「お茶はいやだ」という人がいたので、2人はビールですけどね。
ここでまたまた1時間半ほどおしゃべりをして、学習会も終了。
その後呑みに行こうと思っていたけど、さすがにしんどくなって帰ることにしました。
長い長い、でも豊かな2日間だったなぁ…。
*1:というより、全体か…
午前は某会議の後半
某会議に出席
今日〜明日、某人権教育研究協議会の会議に参加です。
それにしても、我ながら「いろんなところに顔を出しているなぁ」とあきれるばかりなのですが…。でも、わたしのスタンスとしては、しかたないんだと思います。基本的には「自分からは切らない*1」という感じなんですよね。
ただ、この協議会はそれ以上の重みを持っているんです。
某在日外国人教育研究協議会*2がわたしの「現場」であるとするならば、この協議会は、わたしの「ふるさと」なんだと思います。
わたしが、はじめて「いつき」として「じんけんギョーカイ」に顔出しをしたのは、1999年に大阪で開催された全国セミナーでした。驚くべきことに、この協議会の人たちは、その日を境に、わたしを「いつき」として受け入れてくれました。いや、もしかしたら逆だったかもしれません。わたしが「いつき」になったからこそ受け入れてくれたのかもしれない。
いまでも忘れられないのは、ある人のポツリと漏らした言葉でした。
「やっぱりそうやったん。いつきさんが、なぜあんなに男だったのか、ようやくわかった」
その時は「なんで「やっぱり」やねん!」と思いながら、そして「別に無理して男してたわけじゃないよ」とも思いながら、その言葉を聞いていました。でも、その人にとっては、わたしが「いつき」になることで、わたしの「姿」を見ることができるようになったんでしょうね。
この協議会の人たちは、わたしを「連続した変化」の中で受けとめながら、「変化の中の転換点」もまたプラスに受けとめてくれているんです。
でも、もしかしたら、そこには長い「つきあいの歴史」があるんでしょうね。
わたしがこの協議会の交流集会にはじめて参加したのは、第1回が開催された1990年です。そこから20年間。その間には、「昔の名前」で部落の子や在日のこのことをレポートしたこともあります。一緒の部屋で雑魚寝をしながら熱い議論を闘わせたこともあります。そういう積み重ねがあったからこそ、今のわたしをまるっぽ受け入れてくれているんでしょうね。
でも、そういう「ふるさと」だから、縛りが少ないんですよね。「万難を排して来い!」という強制感がないんです。だから、つい甘えてしまう。で、「ゴメン、今回パス」みたいになっちゃうんですね。
と、長々書いてきたけど、会議の長さは相変わらずやなぁ…。まぁ、今回は夕食の後の会議がなかったからええけど(笑)。
あ、そのせいかどうか知りませんが、ダラダラ部屋で呑んでしゃべっているうちに寝てしまい、結局宿泊の予定がなかったのに泊まることになってしまいました*3。あ〜あ…。
ほんとうに脱稿!
長い長い間考えた「読書感想文」ようやく脱稿です。
最後に悩んだのが「タイトル」でした。
かつては、タイトルを考えてから文章を書きはじめていたのですが、最近はそれができなくなってしまったんですよね。特に今回は、「しばり」からはじめて、そこからテーマを探り出し、興味を持った点を絞り込んで文章化していったということで、いままでとはまったく違うアプローチだったんです。それだけに、タイトルは完全に後回しでした。
で、最終的に決めたタイトルが
「運命論を越えるとりくみ −選択する主体となるために−」
です。
もちろん、元ネタは西成高校のとりくみです。西成高校が「学校としてのとりくみ」であるならば、今回の読書感想文の内容は「地域・運動・施策としてのとりくみ」という感じなんですね。でも、その根本は「生まれに生き方を決められる」というのをどう乗り越えていくのかということだと思っています。
てことで、内容は、また某所にアップされると思いますので、そこへのリンクをはりますね。
にしても、H野さん、ここ読んでたのかぁ…(笑)。
ある検証
おわったぁ!
この間、さんざん苦しんできた「読書感想文」ですが、突然小ネタの神様が降りてきて、突然書き終えました。
にしても、「なんだかなぁ」という感じがぬぐい切れません。
まぁ、今晩一晩寝かしたら、ちょっとは熟成するかな…。