御着のフィールドワーク(その2)・柏葉さんの話

工場見学がすんだら、柏葉さんの工場跡へ移動。ここで「皮革研究家」の柏葉さんから皮革の歴史と御着の話を聞きます。

  • 日本の皮の歴史

皮鞣しの発祥の歴史については、ここにもあるように、3つの説があるそうな。
で、柏葉さんは「朝鮮伝来説」をとっておられるとのこと。

革を鞣すためには、鞣すための薬品が必要。古くはヌカを使っていたとか。で、ヌカができるためには臼が必要。臼の伝来は610年で、そこから革を鞣すのに適した土地を探していく。
まず、革を鞣す場所として、「古志の国」=今の新潟県に行く。ところがダメ。そこで、島根県出雲市近辺に行く。ちなみに、ここにも「古志」という地名がある。ところが、ダメ。皮革を乾燥させるためには、雨が少なく温暖な場所でないと行けない。で、やってきたのが松ヶ瀬、現在の高木になる。
水につけて塩でもどして脂を加えて乾燥させてを繰り返して鞣すのが、もともとの鞣し方。これが白鞣し。別名姫靼とも言うが「古志靼」とも言う。

みたいなことを言っておられました。よく覚えてないけど(笑)。

  • 御着の歴史

で、御着に皮革工場ができたのは、すごく最近とのこと。もともと御着あたりは人が住んでいない場所だったようです。で、隣町がすごく貧困で、明治期になんとか産業を振興させたいとの思いで、高木から皮革職人を招いて白鞣しを教わったとか。ところが、本当のことを教えてくれるはずがない。で、三重の松坂からタンニン鞣しを教わったとのこと。
タンニン鞣しは固いので、靴底に利用できます。折しも日本が積極的に戦争に参加していた(笑)時代だったので、軍隊での利用が多かったとか。その後、タンニン鞣しはたいへんなので、クロム鞣しに移行し、それにふさわしい用途で利益を上げる。さらに、クロム鞣しにパラフィンを入れて防水加工をしたものでりえきをあげるなど、浮き沈みはあるものの、クロム鞣しとタンニン鞣しを使いわけながら皮革の街として発展してきたとのことです。
ただ、かつては「◯◯地域はタンニン鞣し」「◯◯地域はクロム鞣し」という感じで、地域ごとに鞣しの種類が違い、それはそれなりに共存をしていたのが、最近は「もうかる鞣し」にいずれの地域も殺到するという感じで、結局かなりしんどい状況にあるとのことです。
また、老舗の街じゃなくて新しくできた街のため、皮革の街としては立地条件には恵まれていないみたいです。なによりも、水がたいへんなようで、苦労されたみたいです。

  • 皮(革)の工芸品

なんでも正倉院の中にある革の袋を見てみたら、「どうもおかしい」と。「「マチ」がない」と。で、いろいろみなさん論議しておられたけど、柏葉さん曰く「キンタマの革でつくった袋やで」とのこと。なるほど。マチはいらんわなぁ(笑)。
正倉院の中には他にも革でつくった箱なんかがあるそうです。これを復元してみたとか。ものすごく丈夫みたいです。小学校なんかに持っていって子どもたちに見せる時、2階から落としてみるそうな。たしかに塗りははげるけど、まったく壊れない。
さらに、革でヘルメットをつくってみたら、これまた強い。
なんでも最近凝っておられるのがヌカの鞣しだそうです。風合いがすごくいいんですね。これでお面をつくると、たしかに黄金色に輝いています。
まぁ、マニアックな皮革研究家です。
そうそう、最後に「これ、なにでできているかわかりますか?」と出されたステッキ。牛の「長いもの」でできているらしいです(笑)。

御着のフィールドワーク(その1)・皮革工場見学

今日は兵庫県姫路市の御着という場所にある皮革工場のフィールドワークです。ちなみに主催は全国キリスト教学校人権教育研究協議会の関西地区です。
このH市の皮革工場の話は前々から聞いていて、すごく行きたかったので、今回はなんとしてでも参加しようと思っていました。
集合は1時。せっかくなんで、昼前に現地に行って、近くをブラブラしながらお好み焼き屋さんでも探そうと思っていたのですが、乗っていた新快速で急病人が出たため予定が大幅に後ろにずれ込んでしまいました。まぁ病人なんでしかたがないか…。てことで、お好み焼き屋さんを捜すのはあきらめて*1、ラーメン+餃子&飲み物ですますことにしました。
で、地元の総合センターに到着。着くと既に皮革資料室で説明がはじまっています。どないなってんねん。
どうやら案内していただく柏葉さん、すごくサービス精神が豊か*2みたい。なので、じっとしてられなくて、早めに来られた方相手に説明をされていたのかな。だったらちょっと早めに来るんでした。
で、定刻になってフィールドワークスタート。今回は、3つの工場をまわります。

  • 鞣し工場

1500万円ぐらいする大きなドラムが全部で7台あります。ドラムは縦回転。まぁ最近はやりの洗濯機と同じですね。この中に、薬品*3と原皮を入れて1昼夜ばかりゆっくりまわしていると毛が抜けてくるとか。これを横で乾燥させて第1段階終了です。
ここでいうならば、「1、ソーキング」「2、フレッシング」「3、脱毛・石灰漬け」あたりなんでしょうか。
ちなみに、原皮はオーストラリアやアメリカから輸入してくるとか。季節は現地の夏がいいらしいです。脂分が少ない・毛が少ない→ダニが少ないというのが重要な要素のようです。

  • シェービング工場

ここでは革*4を一定の厚さに削ります。なんでも、ウン千万するイタリア製の機械を導入しておられるとか。よく見ていると、途中まで入れて抜いておられます。全体をいれてしまわないのはなんでかなぁと思っていたのですが、ふと気がつきました。しわができる場所の直前でひいておられます。てことは、おそらく入れる方向を変えることで、しわのできる方向が変わって、すべての面を削ることができるんでしょうね。
ちなみに、削ったカスをグツグツ煮ると「煮革」→「膠」ができるとか。

  • タンニング工場

H市の有名どころでは、高木というところがありまして、こちらのほうでは、現在日本でただ一人森本さんという方が、「白鞣し」をされています。で、今回行った御着では、「クロム鞣し」と「タンニン鞣し」が主流ということです。もっとも、柏葉さんのしゃべり口では「タンニン鞣しの方がものがいい」という感じでしたねぇ。
今回見学させていただいた工場では、地面に穴が掘ってあって、水が張ってあります。そこに、イギリスから輸入しているタンニンのドンゴロスが吊ってあります。どうやらこうやってタンニンのしみ出した薬品をつくっているみたい。そこに革をつけていくようです。
ちなみに、3つの工場の中で、ここが一番臭いのきついところでした。
で、タンニングの終わった革は道をはさんだ向かいにある場所で乾燥させます。その後、必要に応じて染色をして、最後にガラス玉で磨いてつや出しをして製品になるとのことです。

いずれの工場も、すごく古い木造の建物で、しかも壁がスリットになっています。これにも意味があるそうな。
タンニンで鞣した革は鉄に反応すると黒くなってしまいます。なので、鉄骨の建物だとまともな製品にならないとか。言われてみると、木造の工場の中を見回してみると、うまく木を組んであり、「釘で支えている」という感じがあまりしません。なるほどなぁ…。
さらに、壁がスリットになっているのは、風通しをよくして革がうまく乾燥するためだとか。なるほどなぁ…。

*1:もっとも、近くにはなかったorあっても営業は夜

*2:しゃべり好きとも言う

*3:消石灰

*4:柏葉さん曰く「皮は毛がついている状態で、革は毛がない状態」とのこと

雪と氷の世界2日目・シーズン最終日

今日も午前中は研修。再び集中力を高めてレッスンに参加。
午後は「最後」ということで、もうひとりのスタッフに最後のレッスンをまかせることにしたみたい。まぁ、流れと課題はわかっているので、やりやすいといえばやりやすいけど、やりにくいといえばメチャやりにくいですわなぁ。まぁ、わたしはアシスタントだからいいですけどね(笑)。
で、なんだかんだと午後のレッスンが終わって、いよいよフリー。
今シーズン最後ですから、もう一回てっぺんまで行くことにしましょう。てっぺんは、この季節とは思えないものすごくいい雪です。西日を背中から受けるので、自分がまきあげげた雪が影になって斜面にうつります。それが、ほんとうにサラサラと舞っています。こんなにいい雪なのに、今日でシーズンが終わりなんてもったいないなぁ。
とか思っているうちに、ほんとうに時間が来ました。名残惜しいけど、しかたがありません。
さぁ、帰りますか…。

雪と氷の世界1日目・心地よい緊張感

午前2時半起床。寝ているパートナーを姿を確認すると、よく寝ています。昨日とは全然違う。てことは、まぁ快方に向かっているということみたいなんで、今日は行くことにしましょう。
予定通りのルートで高速に入り、途中しばし仮眠をし、目的地付近で高速を降りたら「割引1000円」という表示。ガセじゃなかったんだ(笑)。
さぁ、今日と明日はシーズン最後のスクールです。といっても、生徒さんがいるわけじゃないです。というか、逆に校長の班に混ぜてもらって指導法の研修です。校長の班に入って滑るなんて、いったい何年ぶりだろう…。
で、レッスンがはじまったわけですが。いやぁすごい!生徒さんたちは常連さんなので、基本的にはうまい人たちなんですが、そういう人を一日緩斜面でレッスンをして、しかも飽きさせない。
まずは、習得させたい技術がなんであるかということが明確です。今回のテーマは、どうやらエッジを使えるようにすることと、バランスの悪さの矯正です。
エッジを使えるようにするためには、足首をしめることとひざの左右への動きが大切になります。ひざを動かすためには当然股関節を動かさなきゃならないんですが、こいつがなかなかむずかしい。というのは、股関節を動かす時、ついつい前後方向に動かしてしまうんです。ところが、前後方向に動かすと、それが後傾につながってしまう。股関節をいかに上下方向に動かすかというのが、ひとつのテーマになります。で、ヒザを交互に返す。
これをやると、今度は上体が動いてしまう。ところが、ヘタな上体の動きはバランスを崩すもとになります。なので、上体のバランスを保つための練習が入ってくる。
上体のバランスにはふたつの意味があります。ひとつはもちろん滑走中のバランスを保つという文字通りの内容と、もうひとつは左右の均等化という意味もあります。片方ができていても、もう片方ができていなかったら、左右のターンが均等にできません。これが滑りに大きな影響を与えます。こういうことを細かくチェックをしていき、矯正していきます。
校長のレッスンは、このあたりのバリエーションがすごく豊富。いろんなことをやるんですけど、そしてそれが一見なんの脈絡があるのかわからないんですけど、きちんと意図が一本、明確に通っているんですね。だから、緩斜面でも飽きない。
ひとつひとつの練習項目と、それらの流れと、どんな斜面でそれを行うのか。このあたりを必死で覚えました。
と同時に、わたしも滑らなくちゃなりません。もちろん滑りを生徒さんにも校長にも見られています。校長の意図を正確にデモンストレーションするのがわたしの役目ですから、これがまた緊張する。でも、こういう緊張感を持ってスキーをすることが、またすごく有意義だし楽しいんですよね。
精神的にも肉体的にも、心地よい疲れを感じながら、一日が過ぎていきました。

京都市「同和」奨学金返還請求に反対する住民集会

いろいろ複雑な思いはあるにしろ、「後出しじゃんけんはあかんやろう」という思いで、やっぱり参加してきました。
「返還請求」についての詳細はおいておきますが、そのもととなった大阪高裁の判決は、行政に対して出されたものであって、奨学金を受けた個人に対するものではないんですよね。にもかかわらず、「やっぱり返してくれ」というのは、「なんだかなぁ」というふうに思ってしまいます。だって、いきなり「いらないよ」といわれていたウン百万の借金が来るわけで、生活設計そのものを組み直さなくちゃなりません。
ただ、単純にそれだけの問題じゃないよなぁと思ってしまうのは、「歳入」の問題なんですね。
奨学金については、新たな貸し付け(給付)はしていないので、歳出はないわけで、そういう意味では過去の問題です。でも、京都市は今、めちゃくちゃな赤字団体なわけで、その歳入の道を、過去にさかのぼって補填をしようとしているのかなぁと思ったりするわけです。京都市の気持ちとしては、それはそれでわからないわけじゃない。
そんなことを総合的に考えて、でもやっぱり、今回のやり方は「後出しじゃんけん」というのがわたしの感覚なんです。てことで、やっぱり「あかんやろう」というふうに考えたというのが結論ですか。
にしても、なんかなぁ…。

場の持つ力

午後からは京都・在日外国人生徒交流会。
普段は日曜日の午後にやるんですけど、今回は合宿形式でやってみようと。さらに、卒業生にも呼びかけてみようと。さらに、京都に限定せずに呼びかけてみようと。等々、ちょっと趣を変えてみることにしました。
さすがに長丁場ですから、集まりもダラダラ。それぞれがそれぞれの用事を済ませてからやってきます。でも、それはそれでいいんです。「◯時集合!」で集まってパシッと交流会をするのも、それはそれで集中していいんですが、緩く集まるのもいいのかもしれない。
ダラダラと買い物を済ませ、ダラダラと段取りをし、ダラダラとつくりはじめ、結局最初の集合から5時間後に晩ご飯。このころには兵庫からもずいぶんと遊びに来てくれていました。
しばらくみんなでごはんを食べたあと、自己紹介。基本的には「全国」に参加したことがある人たちなので、ほんとうにしっかりと話をされます。
そんななか、やっぱり「あぁ」と思ったのが子連れで参加してくれていた京都の第1期メンバーの自己紹介です。
結婚をきっかけに日本国籍をとらざるを得なかったその人に、子どもがある時聞いたそうな。「お母さんはなにじん?」。突然のその問いに、一度は話を流してしまったそうな。子どもには伝えなくちゃならないと思っていたけど、それなりの「シチュエーション」で伝えたいと思っていた。だから、逆に「準備」ができていなかったみたいです。ところが、それからしばらくして、再び子どもから同じ問いが出てきた。その時覚悟を決めて、自分のことを小学生の子どもに向かって話をしたとのことです。
その話を聞いて、ふとその第1期メンバーの変化に気づきました。在日の若いオモニになっている*1。おそらく楽になったんやろなぁ。おそらく隠さなくてもよくなったんやろなぁ。
そう思った時に、この交流会を16年続けてきてよかったと思いました。
交流会があろうとなかろうと、その第1期メンバーが在日であることに変わりはない。でも、もしかしたら「隠さない生き方」があることを知ったのは、その子が交流会に参加したこともひとつの契機になっている可能性がある。「隠さずに生きる方法がある」ことを知って隠して生きることと、「隠すしかない」と思って隠して生きることの間には、表面は同じかもしれないけど、大きな差があると思います。
さぁ、そのメンバーの子どもは現在小学生。最低限この子が高校を卒業するまでは、やっぱり続けなくちゃならないよなぁ。メンバーに力を与え、メンバーから力を与えられ。

*1:ってどんなんやねんと聞かれても、よくわからないのですが(笑)

ここにも銀座があったのか

ムラのある場所って、それぞれの街特有の配置があるように思います。
徳島の場合も、考えようによっては「銀座」とでもいうような感じで、すごく特徴的な形で配置されているように思います。もちろん、ムラの成り立ちや生業がそこに大きく影響しているんでしょうけどね。
今日の午前中は、ムラの人やムラの学習会にかかわった人が、ご自分のムラをていねいに案内をしてくださいました。
わたしが知っているのは、基本的には都市部のムラです。農村部にあったとしても、農業を生業とする経済的に比較的豊かなムラはあまり知りません。
今日案内して下さったムラは、ひとつはそれなりに豊かな感じでした。ただ、それよりもなによりも、そのムラの教育にかける思いに、ちょっと胸に来るものがありました。子どもたちが学べる環境を、自分の能力を発揮できる環境を、ムラの人々がほんとうに真剣に考えつくってこられたことが、ムラの中をまわっていると伝わってきます。そして、それを支える教員たちの心もまた伝わってきます。
徳島の同和教育の分厚さを感じたひとときでした。

特別支援教育の講演

午後からは、教育委員会特別支援教育の担当者の講演です。キャッチフレーズは「知識より意識・意識より行動」らしいです。これ、使えますねぇ。
まずは、発達障害の子どもたちの特徴について、けっこう詳しく説明をされた後、「特別支援教育とは」と題して、昨今のハード的な側面についての話。その後、「明日からできること」ということで、≦のようなことが提起されました。

  • 「困った生徒」ではなく「困っている生徒」、あるいは「能力が生かせないでいる生徒」としてとらえなおしてみましょう(ただし、すべてを発達障害の枠にあてはめないこと。レッテル貼りをしないこと)。
  • 「できない」のではなく、「学び方が違う」ととらえて、授業や生徒へのかかわりかたを見直してみましょう(同じ方法でうまくいかないなら、別の方法を。生徒の情報処理のしかたにあわせて工夫する)。
  • 一人で悩まず、チームでとりくみましょう。

その後、具体的な手だてについて「例えば〜」みたいな話がありました。いちいちなるほどなぁと思わされます。で、結論的には

障害があってもなくても、一人一人が大事にされ、自分の得意分野がいかされる教育を

というオチでした。
まぁ、どこともいっしょやなぁというのが、率直な感想です。
ただ、その後の質疑応答がすごかったです。このあたり、マジでとりくむと、ほんとうにたいへんです。いや、進学校はたいへんといっても、まぁアレですが(笑)、底辺校はほんとうに多種多様な子が入ってきます。まさに、40人一人一人を大事にするっていうのは、お題目としてはまさにその通りなんだけど、おそらく一人の担任で抱え込むのは無理なんですね*1。で、
「増員は考えているのか?」
みたいな質問が出てくるのですが
「さぁなんとも…」
という答え(笑)。
それでも、確かに勉強にはなりました。

*1:うちの学校なんて、マシな方でして^^;;

日教組教研3日目・また来年!

今日は総括討論の日。
考えてみると、全同教大会でも論議の時間は1日半。全外教大会だと1日しかありません。それに比べて、日教組教研って2日半あるんですよね。えらい長いですが、それだけに濃いぃ内容になる可能性を秘めています。で、両性の分科会は、濃いぃんです。「家族」「働くこと」「性」「意識・慣習」といった、まさに「生きること」にかかわるさまざまな論議がかわされます。
総括討論の日は月曜日なので、ふだんはなかなか参加できないんですが、今年はたまたま休みがとれたので参加できました。
参加してよかったと思いました。
1時までの4時間。参加者の皆さん、ふだん思っていること、今回の教研で感じたことを、まだまだ納得いかないけど、それでも時間の許す限りしゃべり続けたんじゃないかなぁ。

分科会が終わったら、互いに「ありがとうございました」と笑顔であいさつを交わすのも、この分科会のいいところです。レポーターも傍聴者も司会者も助言者も、そして会場責任者も、みんなでこの分科会をつくっているということがよくわかります。
ある方から「昨日の呑み会、楽しかったです。ひさしぶりに大学生になった気持ちでした」と言われました。そうなんですよね。そういう時間が必要なんだ*1
「また来年!」
「また夏の両性研で!」
とあいさつを交わしながら、会場の出口へ。

*1:もっとも、わたしはしょっちゅう大学生みたいなことやっていますが(笑)

日教組教研2日目・今日が天王山

朝起きると、不調かと思いきや、まだマシです。はやり寝る前に思いついて呑んだヘパリーゼが効いているみたいです。
で、会場へ。
飲んだくれ仲間(笑)も三々五々集まってきます。
今日のレポートで「おぉ、これは!」と思ったのは、やっぱり従軍慰安婦問題について真っ正面からとりくんだ大阪のレポートかなぁ。ナヌムの家に行って交流したりしている、すごいレポートです。まぁ学校が特殊というのはあるかもしれないけど。
あと、デートDVについての岡山のレポートも、とても参考になりました。前々から「やらなくちゃなぁ・やりたいなぁ」と思っていたので、中学・高校という差はあるにしろ、「そんなふうにやるのかぁ」と思いました。ちなみにこのレポートを発表した人とトイレで話をしていたら(笑)、
「岡山の性教育の資料集の中で、いつきさんのサイトから転載させていただきました。事後ですがかまいませんか?」
とか言われてしまいました。もちろん答は
「どうぞどうぞ」
なんですが、本になってるからもう遅いやん(笑)。
育児休業をとった男性がいろいろと変化する話もおもしろいですね。あえて「父親」という言葉にこだわって「父親研究会」を立ち上げた人もいました。ただ、このあたり、母親経験者にしてみると「ん?」というところも多々あるようでして、論議の中でバトルが起きそうな予感がしました。
てなことをやりながら、わたしも言いたい放題話をしているうちに、今日の分科会も終了。