差別する人の研究――部落差別の変容を考える

今日は某人権教育研究会の総会です。なので、朝はほんの少しだけゆっくりです。会場近くに郵便局があるので、RZの税金を振り込みましょう。ちなみに、4月30日が納期限で、延滞料を取られるかと思ったけど、大丈夫でした。が、入管法が改悪されたら、これで永住資格が取り消しになるのか?自分たちは裏金&脱税の可能性があるのに、よくこんなことを考えるよな。
それはそれとして、開店前にならんだおかげでさっさと払えて、集合時間に間にあいました。
みなさん、働いておられます。こういうとき、支店長とか副支店長とか、はたまた本店とか、関係なく働いているのがいいですね。そういう研究会だってことです。もっとも、参加者の中にはひどい人がいますがね。
やがて、総会前の本店による悉皆研修です。短時間だけど、気合いが入ってますね。これがあるから某所を使わせてもらえるし、なにより出席率が高くなります。今回話しをする本店の人は、かつて一緒に南部でやってた人なので、まぁいわば現職あがりです。なので、経験に基づいた話もされるからわかりやすい。
そんなこんなで研修も終わって、総会です。まぁこちらは滞りなく。ただ、新役員・事務局・運営委員の紹介で前に立ったとき、ひとりだけふざけたカッコ[1]ジーンズにピンクのパーカーしててアレやなと思ったけど、まぁでも誰も何も言わないからええかと。
総会が終わったら、速やかに阿久澤の迎えです。合流して「久しぶりー」からはじまります。道々話をして、到着したところで「えらいさん」に引き渡して、おべんと食べて。
で、いよいよ記念講演です。
まずは差別に関する法律をあれこれ紹介されます。さらに各法律に書かれている「差別の定義」の紹介です。まぁ、簡単に言うと、「ある属性の人の権利が奪われてる状態」ってことです。つまり「差別」は「人」に向かう。そして、その内容は「権利」を知らないとわからない。
こういう普遍的な話のあと、いよいよ「部落」の「個別性」です。そこで着目されるのは「土地」への忌避意識です。本来「人」に向かうはずの忌避意識が、なぜ「土地」が忌避の対象となるのか。それは「人」を直接特定できないために「土地」と紐づけて「人」を特定しようとする。だから「地名」が問題になる。
漠然とわかっているつもりだったけど、あくまでも漠然だってことが、よくわかります。そうやってロジックがわかることで、今戦われている裁判の意味が明確化しますね。
実は10ヶ月前にコンプレックスとルサンチマンが爆発したのは、このあたりに、さらに「仕事」を結びつけて「部落差別は特殊」って言われたことに対してでした。わたしは「特殊」とは思わないけど、今回の話を聞いて、なるほど、このことが言いたかったんだと納得しました。まぁそれが部落差別の「特異性」あるいは「特徴」ってことですね。
てことで、講演の後、阿久澤さんのところに言って
「あの時、怒らせてごめんなさい」
と言うと
「なんのことだっけ?」
というお約束の会話のあと、「特殊性にこだわっただけ」って話をしてみたり。いや、だって、同性愛とか、世界のどこに行っても、(だいたい)もれなく差別の対象になるという、あまりにも普遍性がありすぎるという意味で、メッチャ特殊な差別です。そしたら
「うん、特殊は違うね」
って話になって、まぁそれはそれ。
てことで、場所を「ニューエビスノ」に移して、事務局・会長・本店・その他が入り乱れた飲み会です。楽しいな。こんな飲み会ができる日が来たんだな。
あまりにも楽しいので、つい、阿久澤さんとTじさんと3人で二次会へ。
お母さん、ウィスキーのボトル、キャップが錆びたから捨てたとのことで、そこらにあったボトルからドボドボと注いでくださって、ウィスキーロック濃ぃ目を山のように飲んでしまいました。
まぁええか。明日は授業は少ないから、なんとかなるでしょう。
が、阿久澤さんは朝が早いとか。ひっぱってしまってごめんなさいm(_ _)m。

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1 ジーンズにピンクのパーカー

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