変わり目にはなるんだろうけど…

夕方、一発ケンカをかまして(笑)、急いでD大学へ。
今日は尾角光美さんが「「いのち」×「わたし」 〜今、どう生きるか〜」というテーマで話をされます。
で、急いで行ったのですが、すでに尾角さんの話は終わったあと。もう一人のスピーカー、山口さん@NHKディレクターが話をしておられました。
聞いたかぎりの話の内容を、ものすごくかいつまんでまとめてしまうと、こんな感じ?

阪神淡路大震災による友だちの死をきっかけに、NHKのディレクターをめざした。友だちのお母さんの取材をしたかったけど、なかなかできなかった。やっとできた。その番組を通じて、「生きている事の意味」を伝えることができた。
ともすれば「生きている事の意味」を忘れがちになるので、自分は毎年1月17日は神戸ですごすことにしている。

まぁ、かなり違うような気もするけど^^;;
まぁ大学生相手だからそれでいいんだろうけど、「ちょっと浅くないか?」という気がしたのはわたしがひねくれているからだろうか…。
「「生きることの意味」を他者の死を通して(あらためて)考える」。たしかにきれいなんだけど、「死ななきゃあかんか?」という気がしてしまう。
林賢一くんの自死事件をルポした「ぼくもう我慢できないよ ある『いじめられっ子』の自殺」の著者・金賛汀がそういう話を講演でしていたという話を聞いたことがあります。
そういえば、テレビドラマでも「人の死」がよく使われますよね。わたしはあまり好きではないんですよね。どちらかというと、「死」を経由しない「変わり目」を模索したいなぁ…。

あ、尾角さんの「質疑応答」はよかった。「自分の存在を否定された」経験が変わり目のうちのひとつだったみたい。
やっぱり、葛藤とか模索とか自己否定とか、そういう自分との深い対話が変わり目になるんだと思うんですよね。

対岸の肖像

たまたま会場の1階では「対岸の肖像〜BURAKUとのかけ橋」をやっていました。もしかしたら、ここがカメラやっている人のサイトかな?

いきなりT田さんの笑顔がドーン。中に入ると、K口くんとばあちゃんのツーショットがドーン。
にしても、いい雰囲気の写真がいっぱいです。おそらくは、それぞれの人の「日常」と「非日常」を切り取っているのですが、でも笑顔があふれています。
やっぱり、闘いには涙より笑顔が似合います。
ちなみに、わたしが一番好きな写真はRさんとネコのツーショットなんですよ(笑)。

女3人(笑)で謀議

なんか、久しぶりにA久◯さんと、K◯本さんの3人で集まりました。
考えてみると、この日以来です。1ヶ月も間隔があいたことはかつてなかったのですが、それが異常なのか…。
3人で向かった場所は、ここがやっているカフェです。
あらかじめ熊M◯さんがメールで場所を聞いておいてくれていたのでそこへ向かったのですが…。ぜんぜんわからんorz。しかたないので「ここちゃうか?」というところの前から電話。すると「玄関あけて入って下さい」との返事。入ってみると、たしかにカフェでした。
と、いきなりスタッフの人から「ぜったい会ったことあるぅ〜」と声をかけてもらいました。まぁ、京都は狭いから、どこかで会っているかも…。
まずは定番、ビールと定食をお願いします。定食、メチャうまい!しかもヘルシー。しかも安い!ビール…、うまいのはあたりまえか(笑)
で、3人でカフェの成り立ちやら現在やら、質問しまくりです。スタッフの方は快く答えて下さいます。
そうこうするうちに、お客さんがドンドン入ってこられます。こんなところ、どうやってみんな知るんだろうと質問したら、一言でした。
「口コミです」
なるほど…。
「第1レイヤー*1、第2レイヤー*2、第3レイヤー*3とあって、第1レイヤーの人が来なくなっても第2レイヤーや第3レイヤーの人が来られるんです」
とのこと。まぁ玖伊屋と一緒か(笑)。
テーブルはひとつしかないので、基本的に相席になります。スタッフの人が後から来られたお客さんを「はい」「はい」と適切な位置*4に配置していかれます。すると、自動的に会話がはじまって、互いに新しい世界を発見できます。なるほどなぁ…。
やがてスタッフの人はスタッフの人で、ご自分のお友だちと話をされたり、用事をしたりされるんですけど、それはそれでまったく気になりません。

開店が8時なので、後から来られたお客さんはそれなりに遅い時間に入ってこられています。
阿◯Sさんは
「こんな時間に女性一人で入れる店なんだぁ」
と感心しておられます。まぁ、それも京都だと思いますけどね(笑)。

あ、謀議するのを忘れてた…。

*1:もともとからの知人

*2:知人の友だち

*3:メディアで知った人

*4:例えば、◯K澤さんとわたしの間とか(笑)

お泊まり3週目

で、今日は午後から「全国在日外国人生徒交流会」の生徒実行委員の事前合宿です。もちろん会場は「東九条市民文庫・マダンセンター*1」。
コンテストが終わって、会場に向かいます。
で、わたしがやることは、晩ご飯のメニューづくりと買い出し、そして晩ご飯関係の雑事です。まぁ、子どもたちの相手は基本的には開催県*2がやることになっているし、どちらかというと裏方が得意だからこれでいいんだと思っています。
子どもたちを見ていると、延々と遊び、延々とごはんをつくり、延々とごはんを食べ、延々とダベっています。でも、この延々とした、一見何もないみたいな時間がとても大切です。10時頃からの子どもたちの話し込みは、突然とも言えるほど真剣なものになります。結局12時半頃まで、しゃべって、とりあえず一日目の「話し込み」の時間は終了。寝たのは2時ですよ。

*1:これが正式名称らしいです

*2:今年は広島

全国在日外国人生徒交流会卒業生の会・朝

寝てはいたものの、延々と話をする連中の声で、半分寝てて半分起きてる状態が一晩続きます。やがて6時。朝から仕事のKよぽんとOおべさんが帰る時間。「今日はありがとう。またね!」とあいさつをしたあたりでそろそろ起きようかと。
起きたから何があるわけでもありません。なんか、きのうの晩からの話の続きに参加するだけです。まぁ、みんな延々とアホな話をしています。
やがて、小腹がすいたので、パスタをゆがいて粉末のクリームスープをかけて簡単な朝ご飯をつくります。
あとは、延々とお片づけ。
と、気がつくとみんなで円形になって、なにやら話しあいをしています。聞いてみると「この会、これからどうする?」みたいな話をしています。さすがは3年間話しあいで鍛えられた連中です。いつのまにやら自分たちでこういうことができるようになっているんですね。望むべくは片づけもしてほしいけどね(笑)。
で、決まったのが「今後もこの会をやろう」「できれば年4回やろう」「連絡体制をつくろう」だったみたいです。
って、年4回かorz?身体がもたんぞ(笑)。
最後はある参加者のツーシーター*1の荷台に全員が乗って記念写真。
あぁ、終わった終わった。にしても、疲れたけど楽しかった!

*1:早い話が軽トラ

そのまま「全国在日外国人生徒交流会卒業生の会」へ移行

と、そこへ「ちわーす」とやってきたのが、かつて全国在日外国人生徒交流会で実行委員長をした大阪の子。

ここ数年で全国在日外国人生徒交流会にはたくさんの生徒たちが集まるようになっています。また、その中でも中心メンバーとして実行委員をした生徒たちは、その役割を通じて、ほんとうに大きく成長をしています。
ところが、そんな生徒たちも、卒業をしてしまったら受け皿がありません。
例えば、かつてのように在日韓国人だけの集まりだったら、卒業後「青年会*1」とか「韓学同*2」とか「韓青」とか「留学同*3」いろんな青年・学生組織があるので、そこが受け皿になっていました。
ところが、新渡日の子どもたちにはそんな受け皿はありません。まぁ、コミュニティはないわけじゃないけど。さらに、ダブルの子どもたちになると、MxiRoot Japanみたいなのはあるけど、リアルな場という意味ではいささか厳しいものがあるんじゃないかと思います。となると、そういう子どもたちは「交流会」を卒業していくと、友だちどおしのつながりはある程度は続くかもしれないけど、「在日外国人交流会に集うなかま」という意味でのつながりは徐々に稀薄になっていくんじゃないかと。
奈良なんかでは、現在「青年の会」というのを立ち上げて活発に活動をしているけど、それ以外の地域では、なかなか受け皿がないのが現状です。
そこで、せっかく集まった仲間が、卒業後も集まれる「場」をつくりたいと、ここ数年間考えていました。3月にその準備会的な合宿をやったのですが、この時は準備不足で不完全燃焼で終わってしまいました。で、今回、本腰を入れてやってみようと、2ヶ月ほど前から準備をしていました。
で、今日〜明日にその会をやることにしたわけです。

昼ご飯のうどんがたっぷり残っていたので、「まぁ食べろや」とか言いながら、再び話が盛りあがりはじめます。と、そこへ奈良から来た3人組が、さらに京都の卒業生が…。卒業生達が徐々に集まりはじめます。
いつの間にか、正面のホワイトボードには「へんなあつまりの大宴会」とか書いてあります。まぁその通りです。
高校生だといろいろとややこしいことがありますが、卒業生だといらない気苦労は必要ありません。今回の約束事は次の5つだけ。

  1. プログラムはない
  2. 出入り自由
  3. 飲酒・喫煙は未成年者は控えるように
  4. 近所に迷惑をかけない
  5. 友だち同士2〜3人で固まって話をするのはやめよう

極めて簡単です。
「だれが来そう?」「あいつは来るとか言っていたで」そんな会話を繰り返しながら、夜には総勢20人ぐらいの宴会がはじまりました。途中、いちおう自己紹介は入れてみたものの、もう、なにがなんだかわかりません。ちょっとは話しあいをするのかと思ったのですが、そんな気配はなし。みんな延々と話をしています。
と、Y子ちゃんが差し入れ&労働をしに来てくれます。感謝!
そんなこんなで、楽しい夜は更けていくのですが、わたしはほとんどダウン状態。3人がかりでマッサージをしてくれているうちに*4、おねむ状態になっていきました。

にしても、メガネを忘れたのは痛いなぁ…。

*1:民団系

*2:なんで一発で変換できるねん(笑)

*3:これも一発変換(笑)

*4:しあわせ〜

交流会月間のはじまり

「月間」と言っても、今日は月末ですが…。
まぁ、これからしばらくの土日、「京都・在日外国人生徒交流会〜全国在日外国人生徒交流会卒業生の会」「カフェ玖伊屋」「全国在日外国人生徒交流会」「トランスジェンダー生徒交流会」と交流会が延々と続きます。
今日は第1弾、「京都・在日外国人生徒交流会」です。
集合時間は11時。にもかかわらず、会場責任者のわたしが着いたのが11時10分。すでにKよぽんが到着しています。「待たせた〜」とか思っていたのですが、東九条の重鎮・朴実さんが会場を開けて下さっていたみたいです。やれやれ…。
昨日の夜に「メニューはなににしよう」「足踏みうどんはどうですか?*1」「それいただき」というメールをやりとりしていたので、とりあえずうどん玉だけつくることに。
そうこうするうちに、参加者や引率・スタッフがぽつりぽつりと来はじめます。といっても、京都の交流会はこぢんまりとしたものです。総勢6人で、うどんを食べながらダラダラと話をします。と、そこへ京都でリビングライブラリーをしようと企てておられる学生さん達が来られました。おかげさまで、それぞれの参加者が自己紹介をしたり、リビングライブラリのことをきっかけにいろいろと話ができたり、いい刺激が入りました。
それにしても、中学生の参加者、去年と今年とで全然違います。「語る言葉」を確実に獲得しはじめています。将来が楽しみです。小学生の参加者も、去年は恥ずかしがって名前も言わなかったのに、ずいぶんとしっかりしてきたし。「成長」が肌身に感じてわかりますね。
ダラダラとしゃべっているうちに、きがついたら4時。こんなまったりとした交流会もまたいいなぁ…。

*1:発案者はT江さん@国流らしい

それってわたしのこと?

今日の放課後は、教職員研修で「ケータイ・ネットと子どもたちの人権」という講演を聞きました。講師は「kurochan」さん。
まぁ、子どもたちがおかれているおおまかな現状については、去年も話を聞いたし、そこそこわかってはいるつもりです。ただ、ふと気がついたことは、「わたしにもあてはまる?」みたいこと(笑)。

そう言えば、職場ではリアルの会話よりもケータイやパソコンを経由したメールでのやりとり(会話)の方が多いかもしれない。
そう言えば、わたしもブログをやっている。
そう言えば、ブログを毎日(分)更新しないと、なにか不安だ(笑)。
そう言えば、わたしもネットに自分の「居場所」を見つけた*1
そう言えば、コメントがつくとうれしい(笑)。

う〜ん…。
まぁ、お風呂の中にケータイを持って入らないからまだマシか(笑)。

*1:今は違うけどね

お散歩@崇仁〜東九条

おとついの夜、こちゅかる子さんから「東京からお客さんが来るので、柳原銀行近辺の見所について教えてほしい」というメールが入りました。で、来られる日はわたしはたまたまヒマだったので、「んじゃ行きます」と安請け合いをしてしまいました。さらに、昨日の夜、ここの人から「東九条を案内してほしい」というメールが入りました。「じゃぁ、まとめていきましょう」ということで、今日の午前中は、崇仁から東九条のお散歩。
まずは、柳原銀行記念資料館に集合。ここで、学芸員の方のお話を聞きます。
フラフラと聞いていたのですが、ヒョイと目に入った崇仁歴史マップを見て「?」…。
右下に注目です。「なんで光公園のあたりに40番地があるの?」「なんでここが「オールロマンス闘争の舞台」なの?」。
ふみゅぅ〜。
まぁ今頃気づくわたしもわたしですが…。

で、説明を聞き終わったところで、お散歩開始。天気もいいし*1、気温も高いし、これは昼のビールがおいしくなりそうです。
崇仁の町中を一通りまわって光公園へ。ここで、しばらく雑談です。まぁ元ネタはこれですけど…。

で、ふたたびお散歩の開始。今度は東九条を歩きます。途中、おいしいホルモンを売っている店なんかを案内しながら、1時間半ほどのお散歩終了。

にしても、お散歩の最中の話は、けっこうハードでした。今回のお散歩は、もともと「LADD リーガルアドボカシー 〜障害をもつ人の権利〜」というところの方が企画されたものらしく、その意図のうちのひとつが「水平運動〜部落解放運動の「お金」の出所が知りたい」ということでした。だからこそ、柳原銀行がお散歩の出発点だったんですね。さらに、お散歩の後に行かれるのは水平社博物館。
なんにつけ、運動をするにはお金が必要です。例えば水平社を立ち上げる時に、どのようにしてお金を調達したのか。あるいは、「法」以前はどうしていたのか。すべてを自己資金でまかなっていたのか。
これは、極めて切実な問題です。特に、障碍者の場合、自己資金は極めて少ないことがほとんどです。その状態からどうやって運動を立てていくのかという時に、部落解放運動から学ぶことがあると考えられたようです。
にしても、そんなん、答えられますかいな、わたしの力量で(笑)。まぁ、明石民蔵が自己資金を持っていたとか、阪本清一郎が自己資金を持っていたぐらいの話しかわかりませんわ。てことで、あまり参考にならなかったかと思いますよ。やれやれ…。やっぱり自分の力をオーバーすることはしないことやなぁ(笑)。

*1:日焼けするorz