みつけた!

今日は2日目。フィールドワークです。コースは2コースあって、ひとつは狭山現調コース。もうひとつは丸木美術館→武州鼻緒騒動コースです。わたしは狭山現調はいったことがあるので、ここは丸木美術館→武州鼻緒騒動コースかなと。
途中のバス車内は熊本のお友だちの隣に座って、DVがなぜ起こるのかみたいなジェンダー関連の話です。
で、丸木美術館に到着。丸木位里・俊さんといえば、わたしはこないだの返還跡地巡りで行った佐喜真美術館の「沖縄戦の図」しか知りません。ほんとにわたしは、この手のゲージツを通した平和・人権関係には疎いんですよね。
で、「原爆の図」を見はじめたのですが、なんかもう、だんだんしんどくなってきました。てか、あれだけ「死」と隣合わせの人間を延々と描き続けるその精神力はどこから来たのかと。その強烈な精神力にやられてしまったみたいです。
なので、部屋を出て、奥の方へ。そこには丸木スマさんの絵が展示されていました。なんか、ほっこりとする絵で、「平和な時代を生きてはったんやろなぁ」と思っていたら、いきなり「ぴか」とか書いてあって「これかぁ」と打ちのめされてみたり。
で、さらに奥に行くと、「水俣原発三里塚」とか「南京大虐殺」とかの図が並んでいます。その中でも大作の「アウシュビッツの図」。いつものように、ボヤッと離れたところから見て、続いて端っこを見に行きました。列車から降ろされて延々と歩かれている人の列。その横には日常を送ってた人々の姿かな。その横には絞首された人々の姿でしょうか。そこでふと「あるかな」と、あるものを探しはじめました。と、あった!
 
胸にピンクトライアングルがついている人が!
そっか、丸木夫妻はわかっておられたんですよね。だって、もしもわかっていなかったら、ピンクトライアングルは気にならない。そしたら描くときに無視される。だから、描かれているということは「いないことにはしない」という意志のあらわれだということです。
思わずうれしくなって、そこにいる人に「ほらほら」と言ってしまいました。で、美術館の受付におられた方に「すごいものを見つけちゃいました!」と報告すると、わたしの手を引っぱって「どれ!」と絵の前までランニング。「これです!」と言うと「知らなかった」と。もちろん他にもたくさんおられるのでご存知の方もおられるでしょうけどね。
さらにバスの中で、山口のお友だちに写真を送ったら「丸木さん、見つけたいつきさんもすげー!」というメールが返ってきました。まぁ、変態が変態を呼んでくれたというだけのことです。
てことで、丸木美術館をあとにして、武州鼻緒騒動の関連地である岩殿観音へ。
武州鼻緒騒動は、鼻緒の売り買いのささいな口論の中に込められた差別が、やがて大きな騒動へと発展していったできごとで、詳しくはこんなサイトとかこんなサイトとか、さらにはこんな本なんかがあるので、そちらですね。
で、岩殿観音の台座を見せてもらったり。なるほどなぁ。
で、駅へと向かうバスの中で、ふたたび熊本のお友だちとジェンダートークです。
「あの台座に書いてあった200人は全員男なんだよね」
「ですよねー」
みたいな。

で、川越駅に到着して解散。
熊本のお友だちおふたりと一緒に焼き鳥屋さんです。おいしい焼き鳥とビール→日本酒の昼ごはんを食べながら、この2日間の振り返りです。話題はやはり昨日の講演。「そこじゃない」って話です。そこからそれぞれの実践を出しあい、共通点を探ります。で、結論は「伝えなきゃならないのは生徒の姿」でした。当たり前ですけどね。
で、2時過ぎにスタート。品川駅でおふたりと別れて、わたしは新幹線。さてと、スナックのぞみでも開店しようかな(^^)。
家に帰って、誰かにメールを送るの忘れてると思って、そうだ!蓮池さんだ!と気がついて、メール。すると
「いつきさん有難うございます!bentやなあ!」
とのお返事。よかったよかった(^^)。

昔と今をつなぐ・田川フィールドワーク

ホテルの朝ごはんのバイキングって、激しく迷います。パン中心でいくのかごはん中心でいくのか。ただこれ、両方のメニューが拮抗しているときは当然迷うのですが、拮抗していないときは迷いようがないはずです。が、やはりパンとコーヒーを朝ごはんとしたいわたしとしては、迷うのです。ちなみに、今朝のメニューはキャベセンとウィンナーとヨーグルトがパン用で、卵焼きと焼き魚と納豆と漬け物と味噌汁がごはん用でした。で、選択をミスってしまい、キャベセンとウィンナーと納豆と味噌汁とごはんとヨーグルトとコーヒーいう、わけのわからない選択をしてしまいました。

で、M井さんに迎えに来ていただいて、向かったのは「田川市炭鉱・歴史博物館」…の駐車場。中に入るとお金がとられるし、「炭鉱とは何か」の説明はあるけど「炭鉱労働者」については「表の歴史」しかないんだとか。なので、単なる集合場所でした(笑)。で、車に分乗して、フィールドワークの開始です。ちなみに、案内して下さるのは人権情報センターの光武さん。メッチャマニアックな方らしいです。

  • 田川翔魂之碑近辺

最初に向かったのは「田川翔魂之碑近辺」です。「近辺」というのは、この「碑」の下にあるお墓の中に、朝鮮人炭鉱労働者のお墓が無数にあって、そこを見に行ったからです。
なんでも、朝鮮人が亡くなった場合、焼いて骨壺に入れるところまでは会社はやるけど、「あとは自分で」となっていたそうです。で、その骨壺を夜中にお寺に持っていって放置する場合もあれば、夜中にお墓の適当な場所を掘って埋めて、その上に標識として石を埋める場合もあったそうな。で、この「碑」に下一帯に、そのようなあるとのことです。
まずは入り口。

これが日本人炭鉱労働者のお墓です。

ボタでできた墓石には、番号がふってあります。

そして、これが朝鮮人炭鉱労働者のお墓です。

なんでも、上に埋めてある石は珪石らしく、えらい堅いんだそうな。中には埋めてあった骨壺が表面に出ていることもあります。

で、「田川翔魂之碑」は、そんな朝鮮人炭鉱労働者の無念の死を祈念したものだそうです。

近くに市民プールがあって、キャアキャア楽しんでいる声が聞こえてきます。それとは対照的な風景がありました。

続いて向かったのは「三井寺」です。これ、関西の人間は「みいでら」と読みますが、こちらは炭鉱の所有者である「三井」がつくったので「みついでら」と読みます。
まぁ、お寺そのものは水子供養とか馬頭なんちゃらとかいろいろあって、それはそれでおもしろい。

でも、光武さん、そのあたりの説明はメッチャ簡単です。そして「いつきさんが好きそうなのはこっちでしょう」と案内してださったのは、三井寺の奥にある「捕虜収容所跡」でした。

なんか、興奮がマックスになるのが悲しい性です。ここ、裏がガケになっていて、とても逃げにくい地形だとか。

表に出ようと思って、そこにあった木のポールを見ると、こんなものが!

閂か何かのあとですね。なるほどなぁ。

  • ボタ湯

続いて向かったのは「ボタ湯跡」です。ちなみに、ここからは場所はさっぱりわかりません。なにせ、車でグルグルまわって、わけがわからなくなってますから。
ボタ山にはボタと混じって石炭も入っています。そんなのが自然発火して熱を持ちます。そこを通った水はお湯になります。それを使った温泉?が「ボタ湯」です。
立派な建物です。

ここ、現在は倉庫として使っておられます。中に入れてもらいました。女湯の脱衣室。いっぱい宣伝ポスターがはってあります。

鏡台跡かな。下には椅子が転がっています。

こちらは男湯。湯船の跡がはっきりわかります。

炭鉱労働で汚れた身体をきれいにし、疲れた身体を癒していたんだろうなぁ。
ちなみに、当然のことながら、裏にあるのはボタ山です。

が、現在は火力発電所の火力調整にボタを使うので、ほとんどボタ山は残っていないとか。

ここで、お昼ごはん。向かったのは「幸楽園」。ここで冷麺を食べました。うまい!

  • さりげなくある坑道入り口

お昼ごはんを食べたあと、ふたたび博物館の駐車場に集合。まずは添田のめんべい工場に行って「おみやげ」をゲットしました。ここからは、川崎に移動。完全に廃墟探訪がはじまります。
まずは、道から見える坑道の入り口です。

普通に家の裏にあるのでビックリします。たぶん、家の倉庫として使っておられるみたいです。てことは、裏山は石炭をガンガン掘ってるところだから…。こわいな。

  • 線路跡

続いて行ったのは「線路跡」です。

石炭を掘って、それをトロッコに乗せて外へ運び出す線路が、今も残っています。なぜかここ、入れます(笑)。

延々と線路が続いて、やがて行き止まり。

奥から見ると、遠くに外が見えます。

なんか「地下水道」を思い出します。
ちなみに、ここに光武さんの案内で入ったのは、わたしが2人目だとか(笑)。

  • 第一坑扇風機跡

続いて行ったのは「第一坑扇風機跡」です。これは、坑道に空気を送り込むための巨大な扇風機を格納していた小屋です。

近くには、なぜか山の方を向いたスピーカーが設置されていました。

共愛寮」は、朝鮮人炭鉱労働者が収容された「寮」です。入り口の代わりにメタセコイアが植えられたとか。

ちなみに、ここ、たぶん道から100mぐらいしか奥まっていないのですが、薮こきしないと行けなくて、たぶん1時間半ぐらいかかるとか。てことは、わたしのお座敷1回分ですね(笑)。

  • 排気口跡

お次は「排気口」の跡です。遠くにトランペット型のコンクリートが上を向いて設置されています。

  • なんかの台座跡

完全に苔むしていてわかりにくいですが、巨大な台座です。

  • ポイント切換小屋跡兼国語講習所跡

今は何が何だかわからなくなっている建物です。

もともとここは石炭を運び出す線路のポイント小屋だったそうです。その後、一時「国語(クゴ)講習所」として使われていたそうな。看板があります。よく見ると、「南朝鮮」とあります。

  • 排気口跡2

炭鉱は、三井みたいな大企業も持っていましたが、個人経営の炭鉱もあったとか。なかにはムラの人が持っている炭鉱もあって、そういう人は、当然かなりのお金持ちなわけです。「でも、ムラの人なんだよね」とは光武さんの弁。まさに部落差別ですね。
そんな、おそらくは小さな炭鉱の排気口の跡です。

これ、なんと個人の方が保存をされているとか。すごいなぁ。
神棚があります。

この穴は坑道の上にあけられています。

排気するときは、坑道の入り口を閉鎖して、上向きに扇風機を設置したとか。

  • 炭住

そして、再び伊田に移動して、「炭住(炭鉱住宅)」です。これがもっとも古いものだとか。


ちなみに、ここは「跡」ではありません。なぜなら現在も住んでおられるからです。ちょうどここを去ろうとした時に、郵便屋さんがバイクで入っていかれました。
そこから少し移動すると、炭住群があります。ここ、区長さんとの取り決めで写真撮影が許可されているとか。ちなみに、道の下側は長屋で、道の上は戸建てです。



近くには「炭売(炭鉱売店)」があります。

ここ、現在も現役の角打ちです。中にはビアサーバーもありました。スーパードライですけどね^^;;

ということで、田川のフィールドワークは終了です。
あとは、小倉の駅まで送ってもらって新幹線で京都へ。
長い長い1週間が終わります。

今日もフィールドワーク

朝、Hぼんが迎えに来てくれて、今日の行動開始です。
まずはマメタとクリコにお別れのごあいさつ。来年も来たいな。
で、読谷村に向かいます。

  • American village

読谷村に向かうためには国道58線(「ごっぱち」と読む)を走ります。この道、いざとなれば滑走路にも使えるし、ベトナム戦争の時には軍需物資を満載にしたトラックが走っていたとのことで、広くまっすぐで、しかもおそらくは分厚いアスファルトが敷いてあるはずです。まぁ、国道1号線も同じようなものですか。
読谷村に行くためには、途中、北谷を通ります。ここにAmerican villageなるところがあります。

うーん、まぁアメ村ってことですね(笑)。にしても、これもまたもやもやします。
ちなみにこのあたり、米軍払い下げの住宅が立ち並んでいます。「これ、ニコイチちゃうん」みたいな住宅もあって、たぶん、どのクラスかでずいぶんと住宅も違うんだろうな。途中にあったお店が「グロセリー」とか書いてあって、「雑貨屋さん」ではないわけです。

いろいろおもしろい。

  • 米軍上陸の地

続いて、比謝川の河口に移動。ここに泊城公園があります。その中に、米軍上陸の地碑があります。

ちなみに、ここに入るための入り口がわからない。かなりウロウロしました。
この地碑から見える比謝川の河口。

72年前の4月、ここから沖縄地上戦がはじまったんですね。
まずは、北谷の北飛行場が陥落。そして、嘉数高台が陥落。そして、シュガーローフが陥落して、首里城陥落。ただ、シュガーローフ以前はあまり重きを置いていなかったのか、ここでは無血上陸だったとか。北飛行場もあっさり引き渡したけど、あまりにもあっさりすぎたので、大本営は「奪還せよ」との指令を出したとか。で、ちょこっと奪還作戦をしたものの日本軍の被害のみだったとか。てか、そんな奪還作戦、人の命が奪われるだけやんか。ほんとに「ベンチがアホやから野球できへん!」なんですが、ことは野球じゃなくて、命がかかっているわけです。
そんなことを考えながら、次の場所へ。

比謝川の河口からしばらく行くと「torii station」があります。

そこからしばらく行くと、「読谷村役場」があります。ここもまた米軍返還地です。もとは飛行場だったとか。それを返還されるにあたって、どうするかということで、平和の街をつくるためにここを使うと言うことで、まずは役場をつくったと。まわりにも「平和」の冠がつく施設が一杯あります。役場の屋根は赤瓦。決意を感じます。

役場のまわりは広い原っぱです。
「ここの土は素手で触ったらダメですよ」
と野入さん。なんでも、枯れ葉剤みたいな薬物のドラム缶が一杯埋まっていて、それが染み出ているんだとか。だから、住宅地に転用ができないとのことです。
役場に入ると、「第30回平和創造展」の展示がありました。

すごいな。と思ってみていたのですが、横を見ると、なにやら資料を発見。「持ち帰らないで下さい」と書いてあります。でも、ほしい。
と、野入さん「もらいに行きましょう」。マジっすか!
で、役場の人に交渉。もらってしまいました。

野入さん、さすがは社会学者です。にしても、これ、メッチャ貴重な資料ですよ。ワクワク。

  • 恨の碑

ここで、いつものMりさんと合流。向かうは「恨の碑」です。「恨」は「ハン」です。
「へー、沖縄にも恨(ハン)という感情があるんですか?」
「違う違う。ここは朝鮮人の碑」
ほんとに何も知らないわたしです。「恨の碑」は小高い丘の上にありました。入り口には亀甲墓。その奥にあります。

これは、沖縄に連れてこられた朝鮮人の慰霊碑です。作者を見ると「金城実」とあります。とても有名な彫刻家ですが…。
い「金城さんって、単なる酒飲みらしいですね」
M「こないだくだ巻いてるの見ました」
などという身もふたもない会話をしていたのですが、それはそれとして、この間の「沖縄戦の図」にしろ、この「恨の碑」にしろ、朝鮮人を巻き込んでの地上戦であり原爆であったということが、よくわかります。

ここで、お昼ごはん。向かったのは、「海民食堂」です。おいしいお魚と天ぷらを満腹になるまで食べて、さらにわたしはビールも呑んで、そんな状態で向かったのが「チビチリガマ」です。

さっきまでの「おいしい!」とかいう気持ちが一気に沈みます。もちろん沈まなかったらおかしいです。ガマの入り口には遺族会から「入らないでくれ」という看板が。そりゃそうです。
ガマの隣にある「平和の像」はかつて壊されて、現在のものは再建されたものだとか。なにがあろうとも、壊す神経がさっぱりわからないのですが、そんなことがあったんだ。怒りがわいてきます。そして、この像も金城さん作。きっとすごい人なんだろうな。いろんな意味で。
振り向くと蔦の生い茂る風景があります。

ここで自決した人たちの無念と怒りと、そしておそらくは「恨」としか言いようのないであろう感情が、なんとなくそのあたりに漂っています。言葉を失ったまま、次の場所へ。

読谷村毒ガス事故があったりして、そういったことから周囲から排除の対象になったとか。そんな中、読谷村を平和の村として復興させるひとつの手段が「やちむん」でした。なんでも、全沖縄から意見に賛同する優秀な陶芸家を4人集めてはじまったのが「やちむんの里」です。
ということで、到着すると、登り窯があります。

向こうにある建物を見ると、中で「ニライ」がろくろをまわしてそうな感じです。

と思ったら、ほんとうにそうだったみたいです。
とりあえず、北窯売店に行って、家用に茶碗を4つ買いました。もしかしたら松田きょうだいのどちらかの制作かもしれないのですが、そういうことを問わないのが、ここのモットーだとか。
その後、がらりと違う「ギャラリー囍屋」へ。ここでしばし目の保養。

ということで、今回の沖縄フィールドワークはすべて終了。58のバス停で野入さんとおわかれです。また、来年よろしくお願いします!

フィールドワークはまだ続く −森川公園−

で、ゼミも終わったところで、いったん野入さんのおうちへ。その後、犬の散歩がてら向かったのは「森川公園です。
ここは、沖縄の羽衣伝説があるところで、もしかしたら宜野湾では最高の拝所(ウガンジュ)かもしれません。



ちなみに、宜野湾市長の佐喜眞さんや佐喜眞美術館の佐喜眞さんは、この羽衣伝説の子孫だとか。
山頂に上がると、きれいな夕日です。

でも、振り向けば基地。

ウガンジュは、単に「そこ」というわけではなく、山全体がウガンジュです。その半分を基地にして入れなくしてしまうという…。
なんか、ものすごく複雑な気持ちで森川公園をあとにしました。

返還跡地めぐり

今年もやってきました。琉大でのお座敷です。琉大のお座敷そのものも楽しみですが、ゼミの乱入もかなり楽しいです。そして、それよりもっと楽しみなのは、野入さん厳選のフィールドワークです。ちなみに、野入さんにわたしから行きたい場所を言ったのは初年度だけです。
野「いつきさん、どこか行きたいところある?」
い「伊波普猶のお墓」
野「伊波普猶…」
ちょうどこの年は沖縄人権学習の教材をつくった年で、それができるヒントをくれたのが伊波普猶だったからです。
その年は
アメラジアンスクール→伊波普猶のお墓→嘉数高台→ガマ
といったところをまわりました。
その翌年
コザ十字路→ヒストリート→中の町自治会館
といったところをまわりました。
その次の年はこんなことがあったから、沖縄には来られず。
で、昨年は不屈館に行きました。
さて、今年はどんなところだろう。野入さんからは
「今回のテーマは「基地返還跡地 返ってきたぜ沖縄が!?」です」
との連絡が入ってきました。さらに今回は「株式会社がちゆん」の人たちと「nuge」の人たちとともに「おもてなし班」を結成してくださっているとのこと。なんか、ものすごいんですが^^;
ということで、15分おくれの「はるか」で関西空港に着いて、ギリギリの時間で搭乗手続きをすませて、なんとかジェットスターに飛び乗って、那覇空港到着。「がちゆん」と合流して向かったのは「那覇メインプレイス」です。ここ、新都心にあるショッピングセンターです。ここで野入さんと合流。

  • シュガーローフ

向かったのは「シュガーローフ」です。
野入さん曰く「この丘は骨でできている」です。

どうやら、このシュガーローフと首里城を結ぶ線を日本軍は死守すべきラインと設定したらしく、ここでものすごい戦闘が行われたとか。そして、ここが落ちるのが5月。翌月首里城が落ちて、牛島中将は自害。形式的には沖縄は陥落しますが、そのあと司令官を失ったにもかかわらず降伏を許されなかったために、えげつないことになったとか。
そんなシュガーローフは戦後接収され、その後返還されるわけです。その返還跡地が、見事なジェントリフィケーションで新都心に生まれ変わるのですが、なんかもうえげつない。戦争のあとなんか跡形もなくなっていて、たしかに経済効果抜群そうな有名ブランド店とか高層マンションが建っていて、どないやねんと。


経済効果抜群はいいけど、そのお金は誰の懐に入るねんと。しかも、ウチナーは有名ブランド店では買い物できないとか。正確には、県外に行く航空券を持ってないと買い物ができない。まぁ、免税店なのでというのがその理由ですが、誰を相手にしてるかがにおってくる話です。
さらに、ここからゆいレールをはさんだ向こう側では、今も遺骨発掘作業をしているとか。

その落差にクラクラします。
なぜこういうことが起こるかというと、返還前より返還後のほうが経済的にプラスでないと返還するメリットがないというロジックらしいです。でも、その経済が地元の人を潤しているのか、あるいは地元であっても誰を潤しているのかということを考えると、壮大な疑問符がつく話かなと思いました。
そして、頭上にはオスプレイ

  • 佐喜真美術館

お次は「佐喜真美術館」です。
ここも実は返還跡地なんですね。
佐喜真美術館は「沖縄戦の図」で有名ですが、その成り立ちは、丸木位里・俊が「沖縄戦の図」を書くにあたって常設展示する美術館が必要で、美術収集家の佐喜真さんに「つくれ」と。そこで、佐喜真さんは米軍に「あかんやろなぁ」と思いながらも「返してくれ」と。すると、米軍は「我々は平和をもっとも重んじる」と言って、美術館に必要な土地とアプローチの道の分「のみ」返してくれたと。なので、フェンスに囲まれた美術館になったと。
で、「沖縄戦の図」の前へ。ここまでは下を見て近寄って、椅子のところで「バッ」と目を上げるのがおすすめの見方だとか。いや、絵のわからないわたしにも迫力が伝わってきます。ひとしきり見たあと、絵に近づいて細部を見ます。すると、いろんなものが書き込まれていることがわかります。右の下には石碑があって「在住朝鮮人」の文字があります。右の上には風車。沖縄のおばあ・おじいは97歳になると「ガジマヤー」を持たせてもらって子どもに帰るんだとか。「沖縄戦がなければ、みんな子どもになれたのにね」という野入さんの言葉を聞いた瞬間なみだが出てきました。
そして屋上へ。ここには6段と23段の階段が空へ向かって伸びています。6月23日には、そこにある小さな窓から日が差し込んでくるんだとか。

ひょいと下を見ると、フェンスの中に亀甲墓があります。うわぁ…。

  • 比嘉集落跡地の碑

続いて向かったのは「ライカム・イオン」。

イカムはRyCom、かつて琉球米軍司令部(Ryukyu Command headquarters)のあったところです。ここに、最近、沖縄最大のイオンモールができました。このイオンモールの土地、その前は何だったかというと、「泡瀬ゴルフ場」という、米軍専用のゴルフ場でした。では、その前はというと北中城村比嘉という集落でした。ここ、けっこう肥沃な土地だったようで、作物のできもよく、比較的裕福な村で、赤瓦の家が並んでいたとか。
そんな自分たちの集落が米軍専用のゴルフ場になり、いくら返還を要求してもかなえられず、返還されるとなったらイオンモールになったという。たしかに、イオンモールだと経済効果はあるでしょうね。でも、そのお金はどこに流れるのか。もちろん、イオンモールの土地の一部は比嘉集落の人々からの借地になっているので、土地所有者には借地料は入ります。でも、それは「経済効果」と言えるのか?さらに、イオンなんてできたら、周囲のお店はどうなるのか?まさに、お金の一極集中化だし、それは地元の人々のためとは言えないんじゃないかと思うのです。
で、碑は駐車場の端に、誰も歩かない道の方を向いて建てられています。比嘉集落の人々の無念さと、それでもある誇りがにじみ出てくる碑です。

  • プラザハウス

近くにイオンモールみたいな巨大な施設ができたら、当然のことながらまわりの商店街は大打撃を受けます。いまや、コザのお店はシャッター街になってしまっているとか。でも、そんなイオンモールに、静かな反撃をくわえているのが、沖縄、いや日本で最初のショッピングモールである「プラザハウス」です。ここ、イオンから出て、交差点を曲がったところにあります。

ここはもともとは台湾資本がつくったショッピングセンターで、当時は米軍専用、それもライカムがあっただけに、米軍の将校クラスの人が買い物に来てたとか。その後、沖縄の人の所有になって、現在は誰でも買い物ができます。
とにかく、お店のつくりが違います。イオンが店内を自動ドアで密閉して空調設備をガンガン効かせているのに対して、プラザハウスは両側にはドアがなく、風が通る設計になっています。3階なんてもう、涼しい風がヒュンヒュン通って気持ちいい。しかも、真ん中のホールにはテーブルとイスがあって、買い物しなくてもそこでゆっくりできます。

センターに入ってるお店がすごい。イオンが「全国どこでも同じものが買える」=「どこでも同じ」なら、プラザハウスは真逆で「ここでしか買えないもの」をおいています。もちろん値段はそこそこはります。が、それを超えてなお価値のあるものを置く。それは、入っている服屋さんや洋書屋さん、さらに飲食店にまで徹底しています。
さらに3階には「RYCOM ANTHROPOLOGY」なる一角があります。ここは、50年代の沖縄をモチーフにしたさまざまな写真が展示されており、プラザハウスの歴史というか、沖縄の商業史というか、そんなものを感じさせます。

ここの写真を見ていると、米軍統治下の時代と、あたかも日本に復帰したかのように見えながらも日米両者に統治されているかのような現在と、どっちがええねんと思わされます。そりゃ、米軍統治下はひどかったのはわかりますが、いまもひどい。まさに「主権を奪われた沖縄」は、今も昔も変わらない。そんなことを感じさせるスペースです。
ちなみに、ここのアートや企画を任されているのは琉大の卒業生だとか。すごいなぁ…。

  • BALI NOON BALI MOON

晩ごはんはBALI NOON BALI MOONでバリ料理です。実は、このお店も「静かな反撃」のうちのひとつだとか。イオンモールにあるお店がファストフードだとしたら、このお店はここでしか食べられない本格的なバリ料理です。

BALI NOON BALI MOONは、上質なスパイスとハーブを使用し輸出基準をクリアしたブンブの開発、冷凍輸入を成功させたこと、そのブンブを使用して調理する18年来の交流がある信頼できる調理人の招聘によって2016年2月3日に開店することができました。

とあるように、食材だけではなく、調理できる人がいてはじめて成り立つバリ料理ということです。
ここで、メッチャおいしいバリ料理と、その料理にぴったりのワインを飲んでごきげんです^^;;



でも、あしたが本番です。2014年の二の舞だけは避けなければ!

ふくろうの会@名桜大学迎撃作戦

昨日から名桜大学の自主的サークル「ふくろうの会」のメンバーが阪大に呼ばれて大阪に来ています。で、中日の今日はノープログラムということで、なぜかわたしが出張って「迎撃作戦」を敢行することになりました。
ということで、まずは鶴橋フィールドワークです。
午前10時半に鶴橋集合。「安寧場所」にいると、見覚えのある顔が…。ぴょんちゃんじゃないですか!なんか、電話をしながらキャーキャー言って、でもとりあえずバイバイ。いやぁ、鶴橋で友だちにバッタリ会うのもおもしろいなぁ。
で、フィールドワークです。案内してくださるのは郭辰雄さんです。なんか、こんなに親しくなるとは思いませんでしたねぇ。それにしても、チヌんさんの案内はすごいです。はじめはガッツリと鶴橋駅近辺の形成史をされるのですが、国際市場でみんながキョロキョロしはじめると、いきなり修学旅行の案内モードになります。ところが、老人介護施設に興味が向いたとみるや、なぜ朝鮮人向けの老人介護施設が必要かということをわかりやすく説明をされます。そしてコリアンタウンでは文化に重きをおいた説明をしながらみんなの興味をひいて、最後には平野川の上でコリアンタウンの形成史を話されました。結局、1時間半の説明を聞くと、きちんと押さえるべきところを押さえておられる。臨機応変というか変幻自在というか、ほんとにすごい案内でした。
そのあと、名桜大学のみなさんのために2時間のフリータイム。わたしはKよぽん・Eのいさん・チヌンさんと焼肉ランチ→迎撃作戦夜の部の買い出しです。
続いて行ったのは、ココルーム。まさかとは思うけど「上田さん、おられますか?」と言うとおられた!しかも、ココルームの説明もしてもらえた!なんというラッキー!人の優しさに触れるとうれしくなります。
そんなこんなで、西成警察の前のボコボコの扉を見たりして、5時前にアメ村到着です(笑)。
やはり、来たいものは来たいんでしょうね。とは言え、思わず「沖縄ならいっぱいあるやん」といらんことを口走るわたしではありますが。

で、新大阪へ。
すでにKよぽんとSゅんすけが買い出しや準備をして待ってくれています。てことで、迎撃作戦本番の開始です。
今回のわたしのタスクはサムギョプサル。ひたすら肉を焼き続けながら、途中から団体紹介的な自己紹介の司会です。長々とした自己紹介はたぶん必要ないんですけど「あの人、どんな人だろ」ってことを感じる瞬間は必要なんだと思います。そのために、その人が瞬間であってもいいから「図から地へと立ち上がる時間」をつくらなきゃならないのかなと思います。まぁ、だからそんな時間ですね。
でも、ワインを飲んで、あまり食べなかったから、まわるまわる。
てことで、いつもの通り、片づけの頃には酔っ払いです。Nほさんと仲よく横になって、しばしゆんたく。
その後、なぜか近くで二次会。気がつくと閉店までいたりして。アカンやん(笑)。

迷った時は行けべきなのか?

今日は午前も午後も出張です。
午前は学力問題について語りあう会議です。この会議、なんだかんだで、けっこう楽しいんですよね。いろんなデータを見つめながら、学力が低める要因はなにか、あるいは学力を高めるとりくみはなにかについて、ぐるぐると考えながら、いろんな意見を出しあいます。別に専門の研究者じゃないし、あってるか間違ってるかはいいんです。とにかく出しあう。そんな中に「あ…」って思うことがあれば、それを自分の授業にフィードバックすればいいし、そこで得た実感を話せばいい。で、そういうふうになるためには「safety」であることが大事なんですよね。それを長い時間かけてつくってこられたんです。
まぁ、そんなところで、午前いっぱい、真剣な会議。
午後はとある大きなムラのフィールドワークです。と言っても、歩くことはほとんどなくて、基本は現地で説明を受ける感じです。
前半の話は…。んな、「人権とは?」みたいな大きな問なんて立てなくても、日頃やっておられることを話せばいいのに…^^;;。今晩の話は…。さすが元小学校教員です。話がうまいわ。
ふたつの会場を移動したのですが、移動途中、家の中から窓越しに「研修か?」と声をかけられたられたりして、さすが慣れてはるなと(笑)。

さて、午後の出張もおわったところでどうするか。このまままっすぐ帰るのか、久しぶりの立ち呑みに行くのか。メッチャ悩んでたら、元同僚が「悩んだ時は行くべきです」とキッパリ言い切ったので、行くことにしました。
かつて京都府南部の町に住んでいた時はほんとにお世話になった店です。カウンターに立ったら、みんなお店の仲間ということを教えてもらった店です。
楽しいお酒はおいしいお酒でもあります。単なるパック酒がおいしい。そして、食べ物がメッチャ安くてメッチャおいしい。日本酒一合で帰るつもりが、「一杯も二杯もいっしょや」「二杯も三杯もいっしょや」ということで、気がつくと三杯呑んでました。とは言え、まだ6時前。
さてと、帰ってビールを呑みましょう(笑)。

めまぐるしい

朝起きると、誰かが毛布をかけてくれていたみたいです。優しいなぁ。というか、学生さん、看護学科の人だからなぁ。凍えられたら困るか^^;;。
で、シャワーを浴びて、今回のメインとなる「ミニbar」です。
「語れない想いのbar」は看護学科の学生さんが主体になってつくられてますが、実は「語れない想い」を持っているのはスポーツ健康学科にもおられるわけで、今回は「スポーツにおける語れなさ」みたいな話題でゆんたくしようと。ちなみに、スポ健の教員の方もおられて、なかなかです。
はじめはみなさんの話を聞いて、いろいろ作戦をねります。やがて、教員の方も話しはじめられて、またまた作戦をねります。この教員の方も、なかなかおもしろいです。なんと、スポーツ哲学が専門で、スポーツについて語らせると、メッチャおもしろいです。多分この方、今回は「保守派」に特化して話されようとしているのかな。「いいことが悪いことかはおいておいて、マジョリティが意思決定をしていくのが現状」なんていう話をされます。となると、何らかの形で返していかなきゃなりません。作戦をねっているうちに、キーワードが浮かんできました。「ルール変更」です。つまり、マジョリティのみが楽になれるルールをどうやって変更するかって話です。その時のキーは「最大多数の最大幸福」ではなく、「幸福の総和」で考えるってことかななんてことを話してました。
いやぁでも、ほんとうに刺激的でおもしろかった。スポーツをめぐって、こんなに話ができるとは思いませんでした。やはり、専門家が入ると違うなぁ。
で、昼ごはんは近くのそば屋で肉そば。

うまいわ…。なんでも、ソーキそばの本家らしいです。
その後、今回の仕掛け人のH上さんに「腱引き」に連れて行ってもらって、メチャクチャな状態の身体の修理をしてもらいました。施術後は、気持ちがいいというよりも、クラクラでした。
で、辺野古へ(笑)。
浜につくと、誰かいます。「なにやってんのかなー」と思ってたら、気がつくとこんなことになってました^^;;。

わけわかりません(笑)。
その後「どうしよう」ということで、金武へ。

camp hunsenのゲートからまっすぐ伸びたところは飲み屋街です。あたりを歩いておられるのは米軍関係者が圧倒的多数です。あとは、道端に座り込んでおられるおばあと、タバコ吸ってる中学生っぽい子らふたり(笑)。なんとも言えません。
もやもや感をもったまま、名護に帰って、居酒屋へ。ひょいと外を見ると「心」の字が。

この、山の文字は名護の新成人式が自分たちで字を決めて点灯するものらしいです。お金がかかるから、中止という声もあるけど、今年の新成人は「ぜったいやる!」と決めてたらしいです。それは、米兵に殺された大学生が本来なら一緒に新成人になったはずだったという思いがあったからだと聞きました。
やがて、三々五々、「語れない想い」のメンバーが集まってきて、みんなでやっぱりゆんたくです。ここで、またまたいろいろぶっ込んでしまいました。でも、みんなの刺激になってくれたかな。
最後はH上さんのおうちに移動して、ワインを飲んでしゃべっているうちに、どうしようもない眠気がやってきて、爆睡です。

言葉があふれる→クズたちの宴

今日の午前はフィールドワークです。3コースあるなかで、わたしが選んだのは「芝原」です。だって、三番叟は見なくちゃね。
ところが、これがすごかった。
芝原生活文化研究所の辻本さんの話は、ものすごくおもしろくて、ものすごく興味深くて、ものすごく勉強になりました。
それにしても三番叟というか、エビスさん、おもしろい。でも、そのおもしろさって、たぶんエビスさんを操る技術に裏打ちされているんでしょうね。前にも聞いたことがあるけど、「歩くように操る」んですよね。それがすごい。ほんとにエビスさんが歩いてるんですよね。
その後、フィールドワーク。ほんの少ししか歩けなかったけど、京都とはまったく違う農村の風景は、かなり新鮮でした。
そんなこんなで、あっという間にフィールドワークが終了。さてとあとは…。

駅に着いたところでK野さんと合流(笑)。近くのお店に行って飲みはじめたんだけど、なんとなくK原さんとも飲みたくなってメールしたら、なんと年休とって飲みに来はりました。クズや。てか、クズの3人そろい踏みです。
あとは、グダグダと4時くらいまで呑んで、ラーメン食べて、バスに乗るのみです。
京都駅まで行った時に、なぜかKよぽんがたまたま京都にいることが判明。では飲みましょうということで、A部さんも交えて3人で呑み。
マジでアカンやつや。

教え子と教え子の教え子

今日は、わたしが現任校に赴任した最初の年に1年生で入学してきた子が現在務めている大学でお座敷です。ちなみに、その人のコースに3年前に教えた子がいたりして、どうやらその子のために&ご自分のためにわたしに声をかけてくださったらしいです。
光栄でございます(^^)。
てことで、朝はしばしのんびりして、昼前にスタートです。
大学に着いたら、とりあえず学食へ。うーむ、女子大やなぁ(笑)。「トマトラーメン」にしようかとかなり悩んだけど、「塩ダレ」という文字に誘われて「カフェごはん」に決定。これが失敗のもとでした。量が多い(笑)。てか、なぜに唐揚げがトッピング?

で、会場へ。
今日はセカンドパターンなので、プロジェクタを使います。どうも1ヶ月くらい前からうまくつながらないことが多いのですが、今日もつながりません。どうしたんだろ。修理に出すのはイヤだなぁ(;_;)。それでも、HDMIで接続したらきれいに映りました。よかった…。
さぁ、2時間の話を1時間半に圧縮です。ところどころネタは飛ばしたけど、それでもシャワーのように言葉があふれます。しかも、たぶん聞いたことのない言葉です。そこにもってきて、ところどころにネタが転がっていて、「笑え」と(笑)。まぁ、聞いてる学生さんはたいへんですわな。
それでも大学の時間は1時間半厳守なので、そこのところはちょうどの時間に終わりました。
あんなんでよかったんだろうか…。

その後、最近の教え子さんとしばし時間をつぶしながら話。
そして、なぜか3人で「おさんぽ」です。今日はふだんとは逆コースなので、むずかしい。
「えっとね。いま、それぞれの場所をつなぐ一筆書きみたいなのを考えていて、さらにそれの絵描き歌も考えてるんです」
もちろん「絵描き歌」は説明のことです。たぶんそういう感じで「おさんぽ」を考えているんでしょうね。
今回はこないだのホンマモンのフィールドワークで聞いた話があるので、それもおりまぜながらのコースになります。必然的に長くなる(笑)。
歩きはじめたのが4時。暗くなってくるわ、雨がパラついてくるわで、少し疲れてきたので、最後の1時間はカットしちゃいました。
最近の教え子さんは、4年前に「部落がわからへん」って言ってくれた子です。あの時は30分くらいでサックリと話をしたのですが、その背景には今回のおさんぽとか、その前のお座敷なんかがあるんです。
「実はね、そんなのがワンサカあるんだよ。わかった?」
って言ったら
「わかった(笑)」
って言ってくれました。それだけならフツーなわけですが、さらに
「先生、好きなんやね。趣味の世界みたい」
って言われたので
「そのとーり」
と笑いました。

で、3人で「チヂミの王様」へ。
やっぱりここのチヂミはおいしいわ。うまいぅいと3人でチヂミをパクつくと、肉を食べる胃袋の隙間なんてなくなります。でも、ワインの入る場所はあるのでワインボトルを頼んだんですが、他のふたりはあまりお酒は飲まないみたいです。
「余ったら持って帰るわ」
って言ってたのですが、なんか、8分目まで飲んじゃったので、ついでだわと全部飲みきってしまったのは、今日2回目の失敗のもとです。なんか、えらい勢いでしゃべって、さらにフラフラになって帰ったのですが、最近の教え子さん、帰れたんだろか。
ほんまにゴメン。って、ここ読んでないだろうけど(笑)。