もっかい在日朝鮮人教育を

今日は朝から山口へ。組合の女性部長会議です。会議そのものは明日で、今日は研修会です。内容はは完全に在日朝鮮人のことです。楽しみです。
てことで、下関に到着。と、T部さんが!まぁ、あまりにも当たり前といえば当たり前なんですけど、でも会うんですよね。
と、いきなり「釜山門」の文字が。

そりゃそうですね。下関は釜関フェリーの乗り場があります。まぁそんな気持ちで集合場所へ行って、フィールドワーク開始。案内してくださるのは厳さん@2世と金さん@3世です。
まずは波止場跡。そうか、釜関フェリーじゃなくて、もともとは関釜連絡船だったんだ。強制連行・強制徴用の場所なんだ。

現在の港のところにもともと山陽本線が通ってたとのこと。なので線路がまだ残ってたり。

さらに特高警察とか水上警察とかがかつてあった場所とか。

で、タクシーで移動した先は関門トンネルの殉職碑。

ヤード内にあるので行けませんが、供えられた花がきれいなので、職員さんがお参りしてるのかな。ちなみに、これ、朝鮮人だけじゃなくて…。というより、朝鮮人も含めた殉職者の碑です。が、問題は、刻まれてる朝鮮人の数はあまりにも少ない。たぶん「一般の死者」はノーカウントなんでしょうね。
と、電車が来た!

続いて、友好の植樹跡。

なんで植樹が「跡」やねんと。
そんなもやもやを抱えながら、朝鮮初級中級学校へ。と、向こうにおられるのは、なんと山本崇記さんではないですか!てことで、ご一緒しながらあたりを散策(笑)。ちなみに、山本さんからお聞きしたところ、金さんってこの金さんのお姉さんだとか。
この公園、かつては焼き場だったそうな。

そして、この道路の先には刑務所があったとか。

下関は、もちろん拉致された朝鮮人が日本に到着した土地のうちのひとつです。が、逆に解放のあと朝鮮へ向けて帰るための出発点でもありました。が、敗戦当時、米軍が港に機雷を沈めて出港できなくした。そのために、朝鮮に帰ろうとしたたくさんの人々はやむを得ずに下関にとどまった。そこでとどまったのが「神田」の山だったとか。もともとは何もない山、町名もない山だったとか。
そうして朝鮮人の集住地ができました。

なんか、かつてのウトロを思い出します。いや、現在の紙屋川か…。
向こうの方には十字架が見えます。きっと大韓教会やな。

で、朝鮮学校の中で講演。
もちろん中身は「いつか聞いた気がする話」です。でも、それをあらためて聞いた時、自分が何もやってないことを、あらためて突きつけられます。たしかにやらなきゃならない課題は山のようにあります。その中で、在日朝鮮人はつい薄くなる。でも、それではアカンなぁと、あらためて思いました。なので、そんな思いとこないだあったできごとを返しました。

フィールドワークのあとは、ホテルにチェックインして、しばし休憩ののち、懇親会です。向かうは「焼肉 ソウル」です。

タン塩。うまいわ。これはあきません。ビールがすすむ。ワインもすすむ。
なんか、ほんとに久しぶりに「焼肉」を食べた気がします。
そのあとは部屋飲み。会場は、やはりわたしの部屋(笑)。そんなこんなで12時くらいまでダベって、さぁ寝ましょう。

すごい資料→アウトリーチのスピリッツ

今日は第2のふるさとの人々と一緒に「現地研修」です。なので、勤務先の駅で降りずにその先へ。降りると知りあいがウェットティッシュを配っておられました。そうか、人権週間か。こないだの香山リカさんの中止問題についてちょこっと話をして、でも迎えに来ていただいたので、そのまま集合場所へ。そしてマイクロバスに乗って、向かうは舳松人権資料館です。
到着したら、とりま舳松の歴史についてのレクチャーです。が、当然舳松オンリーになるわけもなく、部落史の講演になったりします。と、一緒に行ってた先輩と顔があって、思わず苦笑い。でも、舳松の解放運動史になると、とたんに顔つきが変わるのは当たり前。それを聞きに来たんですよね。
で、ひとわたり舳松の歴史について学んだら、次はフィールドワークです。
フィールドワークって、なにがおもしろいのかというと、歴史と今が結びつくこととか、そこに住んでた/る人の生活と触れあえることとか、さらにはそこにない歴史を想像することとか、そんなあたりかなぁ。ちなみにそれは「土地」とつながるので、例えばトランスというかセクマイ系でいうと、東京にはある。考えてみると、三橋さんに案内してもらった吉原から回向院とか新宿界隈とか、メッチャ豪勢なフィールドワークだったよなぁ。ほんとにおもしろかった。大阪は…。堂山はおもしろいけど、歴史的にはどうなんだろ。京都は…。ないか…。いや、セクシュアリティ系はありますけどね。
で、実際にもともとの「塩穴」と呼ばれていた頃の土地面積の狭さとか、坂田三吉の生家の狭さとか、いろいろおもしろかったです。
そのあとは大原さんの「啓発」にかかわる話。
大原さんとは一度?お会いしていて「お久しぶりです」なんですが、それはそれとして、とてもいい話を聞かせていただきました。やはり啓発がらみで語るのは当事者じゃなくて非当事者だなと。非当事者がどう変わりどう学び、いまどう生きているのかってのが大切なんですよね。なぜなら、他の非当事者にとって、そこにこそ自己変革の可能性を見出すからです。逆に言うなら、当事者の語りは自分の体験じゃだめってことです。そんなのは「理解と共感」でとどまってしまう可能性がとても大きい。仮に当事者が話すなら、非当事者並のことを話さなきゃならんってことです。
ま、そんなことを考えながら、舳松フィールドワークは終了。

バスに乗せてもらって帰ればいいものを、ちょいとおべんきょ場所で降ろしてもらって、おべんきょ会場に乱入。その後、Hがしさんに同行して「日本エイズ学会」に乱入。さらにDISTAへ。ここでSWASH主催のワークショップ&講演会「当事者活動の難しさ」の打ち合わせをしておられて、そこに乱入です。講師のティ二さんとSWASHのみなさんの話を聞いてたのですが、メッチャ勉強になりました。
テーマはアウトリーチについてのものでしたが、とてもおもしろかったです。もちろん、ここでのアウトリーチはセックスワーカー対象なんだけど、その手法とかスピリッツは、学校の中のマイノリティ生徒へのアウトリーチと似てるなって思いました。
わたしにとってのフィールドは教室なんですね。たいていの教員はセンター(職員室・保健室・図書室など)にいるけど、そこから撃って出る(アウトリーチ)んですよね。その時にどういうふうにアプローチするのかとか、心がけるべきことはどうかとか、どんな情報を伝えるのかとか、どうやってセンター(例えば交流会)につなぐのかとか、ヒントがいっぱいありました。
でも、そんなに長居はできなかったので、そのことをティ二さんに伝えたら、喜んでくれてました。
あと、帰りがけに4月1日のフェミニスト・フロートでコーラーしてたセックスワーカーの人が
「あの時「いつきさんがいる」って思ってすごくうれしかったけど、「女は最高」ってコールをどう聞いていたのかが気になって、終わってからみんなで話してた」
って言ってくれました。なので
「「おかまも最高」って言ってましたよ(笑)」
って言ったら、ホッとしたような笑顔で
「わたしも言ってました」
って言ってくれました。
てことで、記念写真になぜかわたしも入ってしまったり^^;

どうやらお茶大の件でフェミニストvsトランス女性が再燃したみたいだけど、少なくとも「ここ」ではそれはないなとあらためて思いました。
やはりそれは、「coming out story」でA久○さんとかRささんとかSっさんとかが言ってくれた「葛藤の共有」とつながるのかなって思いました。

てことで、ものすごく充実した1日でしたが、さすがに疲れた(笑)

「東九条『40番地』に生きた在日コリアンオモニたちの歴史といま」

今日は午後から出張です。が、午後からということは、午前は出勤ということです。まぁ、カントク1発、それも担当している講座なので楽勝です。が、そのご突発的な仕事が入って、スタートが30分遅れました。きついな。しかも、午後の出張はフィールドワークなのに、雨降ってきたし。やはり昨日がアカンかったんやな。
てことで、東九条に到着。とりまマダンセンターに行って、おべんとを温めました。だって、お米がベータ化してるから、食べにくいです。で、東松本団地へ。
とりま、準備です。準備しながらお昼ごはんです。機器をセットしてごはんを食べて、また機器のセットってやって、ようやく間に合いました。ふぅ。
で、今日の講師は村木美都子さん。実は、メッチャ前から知ってますが、あまり話をしたことがなかったんですよね。なにせ、村木さんは東九条の活動家で、わたしはいわばビジターですからね。ただ、6年前にお会いして再認識してもらってからは、ウトロなんかで会った時とかに、なんとなくチョコチョコ話をするようになりました。そんなつながりから去年の12月にフィールドワークをお願いしたんですが、わたしはもうひとつのコースのお世話をしなくちゃならなかったので聞くことができませんでした。でも、参加した人から聞いたところによると、ものすごくよかったとか。なので、ぜったいに話を聞きたいと思ってました。
まずはお話です。村木さんのライフストーリーからはじまります。そして東九条との出会いへ。このあたり、個人的にはなつかしいです。
わたしがはじめて東九条に足を踏み入れたのはいつ頃だろう。意識的に入ったのは1990年代になりますか。でも、やはり本格的にマダン文庫センターに出入りしはじめたのは1993年あたりかなと思います。この時が東九条マダンがはじまった年で、たぶんプンムル隊に参加してたはずです。でも、ウトロにも出入りしはじめたのが1992年かな。この頃、ガッツリと入っていった頃なんだなぁ。生徒交流会をはじめてからは、よく交流会が終わったら
「40番地行く?」
とか言って、散歩させてもらったなぁ。
村木さんの話を聞きながら「あー、だよなー」という感じで当時のことを思い出していました。
そんなあたりから、「堤防の町」や東九条の形成史へと話は移っていきます。このあたりは勉強になりますね。自分の聞きかじりの知識の検証にもなるし、新たな知識も得られるし。
そんなあたりから、さらに話は1世2世のオモニのことへとうつっていきます。ここからが村木さんのほんとうのフィールドです。個人的な出会いを個人のものとせずに歴史的な背景を加えながら話されます。基本はエピソードの連続ですが、だからこそリアリティがあります。そして、歴史的な背景はあるんだけど、やはりそこでの話は個人的な話なんですね。なんというか…。社会学ですね(笑)。いや、各個教会史みたいなものか。なんしか「個別」と「普遍性」の間を行きつ戻りつする話がおもしろい。
あと、なんと言っても、美化しない。よく「ほめられないこと」を「たくましさ」ってごまかすことがあるんだけど、ほめられないことはほめられないこととしておいておきながら、でもたくましさをたくましさとして語られます。そんなあたりがいいですね。でもそれができるのは、たぶん村木さんとオモニたちとの膨大なやりとりと、それに裏打ちされた信頼関係があるからなんでしょうね。
そして、1世と2世の対比がおもしろい。たしかに、1世は本国での「当たり前の自分」をどこかで経験してから渡日してきてるけど、2世は自己否定の中を生きてきた。なるほどなぁ。それって、在日だけじゃないですよね。新渡日の子らにも、あるいはダブルの子らにも共通することですよね。
その後、フィールドワーク。わたしはずっと村木さんと雑談しながら歩いたので、みなさんに悪いなと。まぁでも打ち合わせしてるフリです。それにしても、村木さん、地元に根ざしておられるのがよくわかります。例えば南部教会に行ったらモクサニムが説明して下さいます。エルファに行ったら理事長が説明して下さいます。そして、交流センターに行ったら「使うよ」のひとことでOK。その時に「あぁ、自分はしょせん風の人だな」と痛感しました。言い換えるなら、表面をなでてるだけです。地元に根ざして活動するって、こういうことなんだな。
と、質疑応答の録画中に電話がかかってきました。録画中なので出るわけにいきません。しかたないのでそのままやりすごして、あとで電話番号を検索。エルファ?なんで?なんかしたっけ?そういや、こないだお世話になったけど、あの時になにかしたっけ?いろいろ頭の中をかけめぐります。この時のビビリを思い出します。
てことで、帰り道にエルファに寄りました。すると出迎えてくれたのは鄭明愛さん。
「電話したの、わたしです。わざわざ来てくれはったんですかー」
お、向こうにおられるのは(笑)
「あ、さとうさんだぁ」
そういや、さとうさんの職場はここでした。職場では完全に気配を消しておられます。
てことで、電話の御用はエルファの研修依頼でした(笑)。なんか、1月には希望の家保育園からも頼まれてるし、わけわかりません。
帰り道でも知り合いにあったりして、まぁわたしも地域に根ざしてるわけじゃないけど、それなりに地域の人に顔は知られてるらしいですね^^;。

これまた恒例のフィールドワーク

朝、トイレに行きたくなって階段を降りようとしたら「まめた」が気づいたらしくメッチャ歓迎されて、きっと野入さん起きただろうなぁ…。
てことで、6時起床。まだ日が出てません。これぞ沖縄クオリティです。その代わり夕方が長い。なので今日も20分ばっか走って筋トレの朝です。
で、荷物を宅急便に出して、そのまま大学へ。今日は1年生の発表があります。ひとり4分の発表が10人。そこに質疑応答が入るから、なかなかなもんです。
でも、おもしろいですね。まだ興味が固まっていない1年生は、「〇〇地域について ー〇〇を中心にー」ってやるんだとか。おもしろいのは興味が固まってる学生のじゃなくてこっちです。もちろん、興味が固まってる学生さんのはおもしろいんです。興味が固まってるからこそ、いろいろ知ってるし、さらに調べてるし。でも、興味が固まってない人のは「興味がないこと」をしなくちゃなりません。その無理矢理感がいいです。
たいていの学生さんは自分の出身地について調べられます。単にそれだけならおもしろくなりません。そこに「〇〇を中心に」がつくからおもしろくなります。このサブタイトルを考えるためには、地域を掘り下げないといけない。そこで、かつて自分が疑問に思ったこと、そして放置していたことと出会うんです。そうやって「立てた問い」を掘り下げていく過程は、「興味が固まってる」人と何も変わりません。というか、かつて放置していたことと再び出会ったからこそおもしろい。
そして、質疑応答が、またおもしろい。実はここには野入さんの「仕掛け」があるんですね。でも、その「仕掛け」のおかげで、学生さんが「わからないまま適当に話したこと」とか「思いもよらなかった問い」なんかに出会わせてもらいます。そこへのレスポンスが発表の質を上げていきます。
そうしたやりとりの場にリアルタイムでいられた90分は、本当におもしろかったです。

で、ここからが毎年恒例のフィールドワークです。
思えばはじめて行ったのが「伊波普猷のお墓」でした。そこから「嘉数高台」とか「アメラジアンスクール」とか「ヒストリート」とか「不屈館」とか「シュガーリーフ」とか「クラブハウス」とか、ありとあらゆるところに連れて行ってもらいました。それがわたしの沖縄への眼差しにどれほどの変化をもたらし、ヤマトへの眼差しにどれほどの変化をもたらしたことか。
今年のテーマはひとつは「嘉手納」です。
てことで、さっそく道の駅へ。まずはイモを持ってこられた「野國總管」さんとご対面。

「もしもこの人がイモを持ってこなかったら沖縄はどうなってたんだろうねぇ」と野入さん。ほんとですね。
そしていよいよ道の駅へ。まずは3階の資料館。とても栄えていたかつての嘉手納の姿がそこにあります。基本的にわたしは沖縄のことを何も知りません。だからこそ、新しい知識がどんどん入ってきます。とはいえ、「かでな道の駅」には前にも来てます。ただ、今回はここがメインなので、それはそれで「心構え」が違ったりします。資料室の真ん中には、かつての嘉手納と今の嘉手納を重ねた地図があります。

そしてまわりには戦前の嘉手納の生活の写真があります。そこには嘉手納の人々の淡々とした日常があります。例えばそのひとコマが農林学校の学生たちです。みんなで比謝川にピクニックに行ったのかな、そんな写真の次に、残された門柱の写真が映されました。あのピクニックのメンバーの何人が生き残れたんだろう。戦争前の人々がどんなふうに日常を過ごしてたのかなということを、あらためて感じました。
「あした戦争がはじまる」なんて誰も思ってない。思っているのは「はじめよう」と決断した人だけです。でも、「思ってなかった人」も否応なく巻き込まれていく。それも、命まで。だからこそ、そういうシステムを変えようとしたはずなのに、でもそういうシステムを「国民」が選択していく。そんなことが「道の駅かでな」から伝わってきます。
そしてもうひとつ、そんな展示室から一歩出ると世界が変わります。展望室からは基地が見えます。戦闘機の離発着を待つ人がてんこ盛りです。そこにどんな思いが介在してるのかはわかりません。が、「いる」んです。そしてそこにわたしも「いる」。わたしはなぜいるんだろうと考えさせられることに、そこに「いる」ことの意味を考えさせられます。
やがて「道の駅かでな」をあとにして、「燃える井戸」に行きました。炎天下を歩いていると、轟音が鳴り響いて、横から聞こえているなと後ろを振り返ると飛び立つF15らしき後ろ姿が見えます。ちょうど12時のエーデルワイスのオルゴールも戦闘機の轟音で消されます。そして着いた井戸は、単なる井戸です。

でも、かつてこの井戸は、基地内で流出したジェット燃料が混ざった水が出てきてました。水を柄杓ですくってそこらにまいてマッチを放り込んだら燃えたんだとか。貴重な井戸水がそういう汚染をされるんですから、本当に生活に直接害を及ぼしているわけです。
ここからいわゆる「ロータリー」に向かいます。この「ロータリー」は米軍に接収された時大量の軍用車両がスムーズに走れるようにつくられました。

ちなみに、現在はこんな感じ。

でも、目的地はロータリー近くの嘉手納中学校です。ここに農林高校の門柱が立ってます。

資料室の写真ではわからなかった痕跡が間近で見るとわかります。それはこれ。

機銃掃射の玉のあとです。よくぞこの門が立ってたという思いと、やはりどれだけの人が殺されたんだろうという思いが、あらためてやってきます。
とはいえ、お腹は減る。なので、近場の定食屋さんへ。cannonicalな「煮込み定食」があったので、お願いしたら、メッチャおいしい。

これでワンコインですか…。ちなみに野入さんは中身そば。

食後、「ロータリー」に向かいます。なんか、象徴的な風景です。

「沖縄防衛局」「入国管理局」その上に「日の丸」。
で、バスに乗って浦添に向かいます。途中、軍用機が低空飛行をしています。

たぶん、嘉手納基地に着陸するのかな。それにしても、なぜ電柱ときれいにかぶるかなぁ。
で、向かったのは平敷兼七さんのフォトギャラリーがあります。


一歩入ると、息を呑む空気感です。でも、決してイヤな空気感ではありません。なんなんでしょうね。当たり前の日常を当たり前に写してる。単にそれだけなんだけど、それをよくしたよなと。だって、厳しいであろう現実の中にある当たり前の日常の表情を「撮る」なんて、ハンパないです。でも、この日常を撮ることを通して、「沖縄」を表現しなきゃならんと思われたんでしょうね。ほんとにジワジワくるものを感じながら、さんぽです。
平敷さんが愛した町並みを歩くと、ヒゲをたくわえた平敷さんがひょいと顔を出しそうです。こんな町並みがなぜ残ってるのかというと、そこにも「基地」があります。ここ、「58」が通っているので、交通量が多く渋滞箇所でもあります。しかも海岸の方は基地に押さえられているので、駐車場をつくるとかいうことができない。なので、米軍接収後の姿がそのまま残っているということなんですね。
それにしてもきれいな坂道です。

なんかサンフランシスコみたいです。
「東京美容室」

「すばやー」

「そば屋」をそのまま屋号にしているという。
そしてウガンジュ。

ラクラしそうに楽しい町並みを歩きながら、空港でのごはんをゲット。
ギャラリーに帰ると平敷さんの娘さんが帰ってきておられて、ひとしきり話。
さてと、でもそろそろ空港に向かわなきゃ。てことで、フォトギャラリーをおいとま。ここで野入さんともお別れです。3日間お世話になりました。来年もお世話になれたらうれしいな。
空港に着いてチェックイン。と、は?25分遅れ?てことは、到着も25分遅れ?
関西空港に着いたら、45分遅れに拡大。jetstarは奈良線かい!てことは、ラピートの最終まであと5分。jetstarの降り口から南海の改札まで走りました。ここで走れるのは、ふだんのランニングのおかげですね。さらに、新今宮から動物園までラン。てことで、なんとか今日の宿泊所にはたどりつけました。
まいった…。

ゆんたく→オーシッタイ

朝起きたけど、走れる時間じゃないので断念。そのまま朝ごはんを食べながらゆんたくです。テーマを決めて話するのも大切ですが、テーマを決めずに心のおもむくままにのんびり話をすることも大切ですね。てことで、昼前までのんびりしました。
が、ここからが問題です。なにせ車がない。沖縄は車がないとどうしようもありません。いや、歩けばいいのですが、なにせ暑いです。今年に関しては、たしかに「沖縄は関西の避暑地」状態ですが、それでも太陽のパワーはハンパないです。なので、レンタカーを探したり、知りあいに「貸して」と無茶ぶりしてみたり。そんなこんなでKんちゃんが来てくれました。すみませんすみません。

てことで、フィールドワーク開始です。
まずは腹ごしらえ。宮里そばをめざしましたが定休日。なので、玉家へ。おぉ!うまいわ!ダシがすごいです。
てことで、お腹もいっぱいになったので、とりまファーマーズマートでおみやげをゲットして、そのまま宅急便で送ってしまいました。
お次はオリオンビールの工場見学でしたが、予約してなかったので待ち時間が長い。なので断念です。
ということで、「オーシッタイ」に行くことになりました。
ここ、1982年に電話と電気が通じたというところです。めっちゃ秘境です。とにかくgoogle先生の言うとおりに走って行くと、カンバンがありました。

ここからが山道です。せまい!と、通れません(笑)。

がけ崩れでした。なので引き返して、他の道にチャレンジです。と、見逃しそうな道がありました。そこを走って行くと、再びカンバンが!

さらに細い道を延々とドライブです。まぁ、Kんちゃんはこんなの慣れてるみたいだし、実はわたしも慣れてます。なので、ワイワイ言いながら走っていると、目的地に着きました。

なんか、大草原の小さな家みたいなたたずまいです。
ここ、昔はカフェをしておられたらしいのですが、現在は閉店しておられます。その代わりと言ってはなんですが、蜂蜜を売っておられます。

中に入れてもらって、お茶を飲ませてもらったり、蜂蜜の試食をさせてもらったりしながら、いろいろ話を聞かせてもらいました。
なんでも、いまは12軒もおられるとか。さらに小さい子どももおられるとか。「へー」とは思いますが、ここに移住されるかたもけっこうおられて、近年では3.11をきっかけに来られた方もおられるとか。たしかにこんなところに住むのもいいなぁと、なんとなく思ったりもしますね。
ということで、パートナーのために蜂蜜をゲットして、オーシッタイを脱出。そのままバスに乗って、向かうは普天間です。ちなみに、あえての路線バスの77番。延々とバスに乗ったけど、キャンプ・シュワブの前を通ったりキャンプ・ハンセンの前を通ったり、さらにはコザ暴動の場所やクラブハウスの前を通るので、けっこう楽しかったかな。さらに普天間でバスを乗り換えて、真栄原到着。
ここで晩ごはんです。どこに入るかさんざん悩んで、入ったのは「みの家」です。お店情報無いですけど。ここがなかなかのいいお店です。地元の人が愛してる感じで、地元のちょいワルおじいの話す言葉がウチナーグチでさっぱりわからなかったりして、楽しい時間を過ごしました。
で、今日の最終目的地の野入さん家へ。
1年ぶりの再会を喜び、しばし積もる話をしているうにに、あっという間に0時です。いかんいかん、明日が本番ですがな。

4度目の訪問

今日はとある人権教育研究会のフィールドワークです。今回は久しぶりに「皮なめしの街」に来ました。
1度目は2009年3月で2度目は2010年2月、3度目は2011年6月でした。前3回は立て続けでしたが、今回は7年あいてます。ずいぶんと変わっただろうな。
ちなみに今回は、なぜかうちの上の子が参加です。なんか、昨日の夜に「御着に行く」って言ったら「行きたい!」と。
で、御着駅に到着。すでに柏葉さんが来ておられて、いきなりペンケースのおみやげをもらってしまいました。で、上の子を紹介したり。すると、柏葉さん
「お母さん、あ、お父さんか」
とボケられて、周囲の教員大爆笑です(笑)。
それにしても、お元気そうでうれしいです。
で、フィールドワークスタート。ところが驚いたのは、今は工場ひとつしか見学させてくれないとか。なんか、いろいろあったらしいです。かつてはクロム鞣しとタンニン鞣し、それからシェービング工場も行かせてもらえたのになぁ。そう言えば、シェービング工場から革を干してるのも見えました。あの風景はもう見られないのかなぁ。
クロム鞣しの工場に入ると、相変わらずの臭いです。やはりこの臭いは現地に来ないとわからないです。その後、タンニン鞣しの工場の横へ。なんでもうちの子どもが
「タンニン鞣しの臭いをかぎたい」
と強い要望を出したとか。どんだけマニアックやねん。そしてそれに応えてくださる柏葉さんはすごいな。
その後、皮革資料館からの柏葉さんの工房です。
柏葉さんの話、フリーダムです。でも、それがおもしろい。なんでもマンチェスターに行かれたらしく、その旅行談がマニアックにおもしろいです。が、あまりにも御着の話からはずれっぱなしなんで、思わず
「すんません、そろそろ革の話を…」
などと言ってしまったり。そんなこんなで、約2時間の講演会が終了です。聞いてたみんな、どうだったかなぁ。
帰りに上の子どもが
「もう一回タンニン鞣しの臭いがかぎたい」
とか言うので、工場へ。しばらく歩くと
「きた、きたきたきた、うわきた」
という感じなんですけど、どうやらそれを表現したいらしい。なるほどな…。

木を植えるように

今日は毎年恒例のフィールドワークの日です。去年は、とある大きなムラに行ったのですが、今年は打って変わって小さなムラです。ここ、山肌にへばりつくようにあるムラです。どんな歴史があるんだろう。いったいなにがあったんだろう。ほんとうに興味深いムラです。
ということで、まずは支部長さんの話。
なるほど。冒頭「木を植えるように家を植えているムラ」という比喩。まさにその通りです。道を見ると、めくりあがるようにそびえ立つ道です。こんなところに人が住んでいるということそのものが驚きです。でも、きっと意味があってそこに住んでおられるはずなんですよね。
ここのムラの歴史を聞いていると、かつては火葬場があったとか。お墓の話とか、やたら出てきます。支部長さん、直接はおっしゃいませんが、もしかしたら隠亡系なのかな。わかりませんがね。
それにしても、同和対策事業ができて、なにを改良したいかといった時に、火葬場・お墓、そして上水道、住居。生業と生活です。当然ですよね。そして、子育て。つまり、保育園です。でも、もうひとつあるのはお寺です。ムラの人たちが何を大切にしながら、どんな生活をしてこられたのかがすごく伝わってきます。これがフィールドワークの楽しさですね。
そして外まわり。建物の中で聞くだけではわからないことが、外をまわるとわかります。坂道のたいへんさも、水くみのたいへんさも、すべてが想像できます。もちろん「わからない」けどね。それは、わたしだけじゃなくて、そこにいる人すべてが感じられたんじゃないかな。だからこそのフィールドワークです。そしてなにより大切なのは、例えばわたしの勤務校にも「ここ」から通う子がいるという事実を知ることなですよね。
なんだか、ほんとうに奥深さを感じたフィールドワークでした。

セクシャルマイノリティ生徒交流会

現在、セクシュアルマイノリティの集まりの中で子どもたちをターゲットにしたものは、全国にどれくらいあるんだろう。青森の「トランスジェンダー生徒交流会」、東北の「サークル・カメレオン」、東京の「にじーず」、関西の「トランスジェンダー生徒交流会」、福岡の「FRENS」あたりが、まぁ老舗というか、ここ数年のグループですか。
でも、今年度新しく新潟でも交流会が立ちあがりました。それが「セクシャルマイノリティ生徒交流会」です。きっかけは、お友だちの高校教員A井さんが、トランスの生徒をトランスジェンダー生徒交流会に連れて行きたいと思ったんだけど、新潟からはあまりにも遠いので、どうするかと思っていたら、A井さんの仲間が「新潟でも交流会をつくったらいい」と言って、そこから立ちあがりました。ほんとに、極めて正しいですね。どこかの交流会が全国から子どもたちを集めるのではなく、各地にそれぞれの場所にカスタマイズした交流会があることがいいと、わたしは思っているので、「交流会をやった」と聞いて、すごくうれしかったのです。
で、今日は第4回の交流会。なぜかわたしも呼んでいただけました。
てことで、サンダーバード北陸新幹線と乗り継いで、上越妙高に移動。ちなみに、金沢駅のトイレでトレーニングウェアに着替えたり。で、上越妙高駅から会場までの4kmは恒例のジョギングです。25分かぁ。かつてより1kmあたり1分遅いです。でも、しかたないです。これでいいんです。25分走り続けられたことがうれしいです。

で、17時から交流会スタート。それにしても、うちの交流会とは違い、名義だけとは言え、すんごい後援団体の数です。A井さんのパワーを感じます。
今回は残念ながら現役高校生はひとりとのことですが、卒業して間なしの若い人が来ておられます。みなさん、「悩み」のまっただ中です。そんな人たちが、自分の思いを口に出してくれます。たぶん、すごいパワーを使うんだろうな。でもそうやってパワーを使って言葉にすることを通して、自分を見つけることができるんでしょうね。
それにしても、集まってきてる子ら、すごくしっかりしています。この交流会をやるきっかけになった子も来ておられましたが、前に一度会った時とはずいぶんと違っていて、自分を見つめてきたんだなとあらためて思いました。
そして、この交流会を支える大人達の多いこと!それも、教員が多い。京都で交流会をやったとして、これだけの教員が一緒にやってくれるだろうか。無理でしょうね。うらやましいです。
でもまぁ、あまり「すごいな」とばかり思っていてもしかたないので、ふだん交流会で「ツッコミ」を入れてるのと同じように、「自分を女/男と思う根拠はなに?」みたいな、ほとんど回答不能な問いを出してみたりしました。まぁ、ものわかりのいい教員のフリをしてもしかたありません。わたしが呼ばれたのは、子どもたちの脳みそをシャッフルするためだろうから、その役まわりを果たすのが仕事というものです。
てことで、1時間半の交流会は2時間になってしまって終了です。

そのあとは懇親会。A井さんが選んで下さったお店は「DINING BAR SUN LIGHT」です。ちなみに選択の基準はヱビスビールがあることです(笑)。てことで、ビール→ワインをガブガブ飲みながらも、もちろんわたしは「若者」と遊びです。でも、あまりわたしが独占するのもアレなので、、解放同盟の県連の人や、工業高校の教員なのに日本性科学会の会員という人や、議員さんなんかとも話。
議「LGBTの人たちが生きやすいようにするためには、どんな法整備が必要ですか?」
い「LGBTではない人たちと同じ処遇を得られることです。単にそれだけ、とても簡単です」
という、身もふたもない話をしたりして^^;;
そんなこんなで、懇親会も終了です。その後、A井さんの案内でフィールドワークをしながらA井さんのお家へ。A井さんはレズビアンカップルで生活しておられて、なんかとてもいい雰囲気の生活をしておられます。でももちろん、困難は山のようにあるんでしょうね。なんか、こういう家族に諸権利が与えられないことの理不尽さを、あらためて感じました。
とは言え、そういうややこしい話をするわけではなくて、ワインを飲みながら、なんだか話をしていました。が、そのうち、こたつにふとんを敷かれたので、そこに横になると、あっという間に爆睡です。そりゃ、走ってしゃべって呑んだら寝るわな。

メースBの発射台跡

今日は昼から名桜大学でゆんたくの会があります。なので、名護に移動です。でも、その途中で寄ってくださるところがあります。まずは「道の駅 嘉手納」です。

キャンプハンセンの滑走路を見ながら、オスプレイの話。なんでも飛行機の専門家のN山さん曰く「オスプレイは軽トラにプロペラつけて電子制御で浮かせてるだけ」とのことです。そら落ちるわ。それにしても、専門家の話は明確でわかりやすいです。すごいな。
続いて行ったのは、創価学会の沖縄研修道場です。ここに、メースBの発射台跡があるとのことです。
メースBが一躍有名になったのは、「沖縄と核」でしょうね。わたしもあれをみて衝撃を受けました。で、それの発射台跡があるって、すごい話です。たしかにガイドブックには載っていません
で、向かったのは小高い山の上。いきなりゲートが米軍っぽいです。あらかじめK城さんが電話をしておいて下さったので、詰め所でサクサクと話が進んで、問題の資料館に入ることができました。中は撮影禁止なので、写真はありません。が、確かにここがメースBの発射台だったんだなというのはわかります。

これを残そうとした創価学会は、確かに「平和」を考えているってよくわかります。ちなみにキリスト教も平和は考えるけど、お金がないからこういう土地は買えませんね。
で、ゲートでもうひとつ教えてもらったのは、コントロール・ルームの跡もあるとのことです。こちらはあまり知られていないみたいです。ちょうど発射台跡の下あたるところに、やはり扉があります。開けると、ムッとする空気がやってきます。こちらも撮影禁止なので、いちおう写真はありません。

「気」がわかるK城・N山ペアは、どこか「あてられた」感じです。でも、中に入ります。コンクリートの廊下にはいろんな計測器や張り紙が貼ってあったあとがあります。さらに、奥の方には機材があったあともあったりします。なんかもう…。どっと疲れる感じです。
ここに配備されていたメースBは中国を向いていたとのこと。これ、発射されていたら、沖縄はもちろん、日本はこの世界からなくなっていたやろうな。
ということで、名護に向かいました。途中、おもしろい看板を発見!

間違いないわ。

こないだよりも詳しかった

女性部長会議の2日目はフィールドワークです。今回は2コース設定しました。ひとつは東九条コース。案内をお願いしたのは村木美都子さん。もうひとつは天部コース。こちらは安田茂樹さんにお願いしました。
いろいろ諸々考えて、わたしは天部コースの現地担当者になることにしました。
てことで、宿舎からタクシーに分乗して集合場所へと向かいます。ちなみに、9時スタートなので、市民活動センターはまだあいてません。なので、とりあえず支部長さんの案内で街歩きです。
それにしても、そんなに広くない、それこそ、だいたい150m四方(正確には140m✕160m)しかない街なのに、そこにはすごく豊かな歴史が詰まっています。それがすごい。そしてそれを知っておられる支部長さんがまたすごい。もっとも「辻せんせいの受け売りです」って笑っておられましたが、それにしてもすごいです。てか、ベースは辻せんせいかもしれませんが、そこにご自分の記憶を重ねて話されるわけですから、それはオリジナルというものです。
で、街歩きのあとは、安田さんによる歴史の講演。実は去年聞いているのですが、それはそれです。で、講演スタート。あれ?あれあれ?なんか、スライドが増えてます。明らかに中身が増えてます。しかもエピソードもおもしろい。人数の少なさとかメンバーの濃さということもあるかもしれませんが、それだけじゃないですね。明らかにパワーアップしておられます。
と、隣に支部長さんが座られたので、ふたりでボソボソ話。
い「中身、増えてますね?」
木「うん」
い「この調子だと終わりますかねぇ?」
木「さぁ、終わらへんのとちゃいますかねぇ(笑)」
い「どうしはるつもりやろ…」
みたいな。
で、そうこうするうちに、
安「解放令が出ましてね、今日は時間切れで終了!」
マジか(笑)。
みなさん、メッチャ消化不良に身悶えしておられます。そりゃそうです。ここからが本番ですからね。てことで、またいつか続篇をしましょうということで、終了。

で、Uりんさんの運転で村木さんを迎えに行って、おたふくで軽く総括です。
その後、お家に帰って、恒例の鶏の丸焼きをつくって、お風呂に入って、ようやくひと息。外出してたパートナーも帰ってきて、4人で揃っての晩ごはん。
でも、ケーキの前にパートナーは疲れて寝ちゃいました。まぁ、ふとんまでつれて行ってあげましょう。
そうこうするうちに、わたしもおねむです。
そりゃ、疲れるわ…。