沖縄人として日本人を生きるー「異和共生」社会を目指して

今日は大正区のフィールドワークです。なので、少しだけゆっくりできます。
てことで、ゲンコをいじるなど。しかし、どんだけゲンコをやりつづけないといけないんだろ。ゲンコをやりつづけるってことは、つまりは書かなきゃならないわけです。てことは、どこかから依頼があるわけです。なんでわたしに依頼するんだ?まぁでも、依頼があるうちが華ってことかなと思いながら書いてます。
で、頃合いもよしということで、おにぎりを持ってスタートです。いや、大正区だから沖縄そばを食べたかったけど、ここは倹約です。大正駅からコミュニティセンターまでが遠い。が、がんばって歩きましょう。ここは倹約です(笑)。
で、コミュニティセンターに着いて、おにぎりパクついて、金城馨さんが来られるのを待ちます。少し遅れて来られて、フィールドワークがスタートです。
もちろんわたしは記録係です。なのでビデオカメラをまわします。おかげさまで、特等席で聞くことができます。
まずはご自分の名前から。現在、金城さんは「かなぐすく・きんじょう・かおる」と自らを名のっておられるとか。その説明が長い(笑)。当然です。名前をめぐる話は延々と語るしかない。
続いてジオラマを使ってそして大正区の成り立ちやウチナーがもともとおられた場所の説明です。

これが長い(笑)。それも当然です。自分たちの来歴や大正区内の移動の歴史は簡単には話せません。そしてようやく外へ。
まず向かったのは具志堅幸司さんの碑です。

ここで、再びウチナーの名前をめぐる話がはじまします。これが長い(笑)。ビデオカメラ、軽いけど、それでも腕がプルプルします。でも、ガマン。内容はおもしろい。
ちなみにわたしは何度か金城さんの話は聞いてるし、金城さんが送ってくださった著書も読んだし、ある程度のことは知ってます。が、やはりライブはいい。
「差別があるとき、とれる方法は3つ。ひとつは「差別はいけない」と闘うこと。でも、正しさと正しさがぶつかるとマジョリティの正しさが勝つ。だから容易ではない。そこでとるふたつめの方法が差別を受け入れること。だから、多くのウチナーが名前を日本語読みにしたり、さらには名前を日本人風に変えていった」。
と、突然事務局長がカットイン。
「あの、30分ごとに休憩と給水の時間をとってください」
一瞬なにが起こったかとポカンとされる金城さん。やがて
「わかりました」
と。
あわてて金城さんのところに行くわたし。
「すみません」
と謝りながら、名前をめぐる話を少ししたり。なにせ、わたしの友だちにはミドルネームを入れてる人が山のようにいますからね。
やがてフィールドワーク再開です。
お次は千島公園の横にあるデイゴの花の横で話。

「ふだんは「この花はなんでしょう」からはじまりますが、今日は時間の関係でやめておきます」
うーん、もったいない。おそらくそこから話がふくらむはずです。デイゴの花には一世の思いが詰まってるとのこと。きっといっぱいあるだろうになぁ。
そして振り向くと千島公園のグラウンドです。

ここはエイサー祭りの会場です。わたしもかつて来たことがあります。
ここで、「いつはじまるのか」と待つおばあと、「恥をさらすな」と怒るおじいの話。ここで先ほどの具志堅幸司の碑で話した伏線の回収がはじまります。
が、すぐに終わって、次に向かうのは昭和山の入口です。ここにはソテツがあります。

ここでみんなを座らせて、金城さんは語りはじめられます。
「ソテツと言えば、あとに続くのはなんですか?「地獄」です。「ソテツ」には「地獄」。「安保」には「粉砕」。「ソテツ地獄」「安保粉砕」同じことです」
笑いました。そして、なぜソテツ地獄があったのか。それは日本人の問題であると。沖縄を知ることは沖縄を知るためではなく日本を知るためである。これは最初から一貫するテーマですね。そして、我田引水かもしれないけど、わたしがガッコでやってる人権学習もそうです。
て、関西沖縄文庫へ。なんでも昨日から今日にかけて会場をつくってくださったんだとか。今日、ほんの少しだけ遅れられたのもそのせいですね。
ここで少し動画を見て、ここから人類館の話がはじまる。
「人類館を知ってる人?」
手を上げたのは3人くらいです。みんな、わたしの部落問題学習のプレゼンを見た人です(笑)。
ただ、金城さんは「人類館は事件になったのか?」と問われます。たしかに事件になってません。つまり、日本社会はそれを問題と捉えてこなかった。だから事件にしなければならない。
そしてもうひとつ。多文化共生の危うさです。多文化が共生しようとすると、どうしてもマイノリティに侵略されてしまう。例えば、言葉ひとつとってもヤマトンチュに理解させるためにはウチナーグチを使えなくなる。そうやって侵略される。だから、侵略されないためには壁が必要である。そして、互いの壁と壁のすき間で共生をすればいい。もしも侵略されそうになったら、壁の向こう側に逃げ込めばいい。
だからこその「異和共生」なんだそうです。なるほどなー。
しかし、考えを言葉にするのがうまい。いや、このうまいは小賢しいという意味ではなく、ほんとうにうまい。わかりやすい。そして意表をつかれます。ちなみに聞いてた教員のほとんどがヘッドバンギングしてました(笑)。
そんなこんなでフィールドワークと講演は終了。わたしは預かりものがあったので金城さんとサシになろうとしたけど、あとからあとから金城さんに感想を言いに行く人がいて、なかなか順番がまわってきません。一気に人気者になりました。
で、わたしの番がきたので届け物を届けて、ついでに
「このへんで飲めるところ知りませんか?」
と聞くと
「開いてるかなぁ」
とか言いながら、わざわざ連れて行ってくださったのが正起屋です。てか、前を見たら「○田」のマークがあります。わたしが来てるボロシャツは、まさに田嘉里酒造所のものです。
金城さん
「やすくなりますか?あ、そうですか。高くなりますか」
とか言っておられます。とりま、帰ろうとされる金城さんを「30分だけ」と言って、無理やり誘ってしばし懇談。
しかし、フィールドワーク中とか講演中の金城さんとは打って変わって柔らかい表情をされてます。この顔が見られただけでも御の字です。
30分でお店を出て、バスに乗って、大正駅へ。お次は「いちゃりば」です。お友だちのK山さんが仲間を集めてくださいました。そこに高校教員を連れて乱入です。
わたしな隣におられた小学校の教員と、延々と話。もちろん1軒目では足りないので、京橋まで移動して2軒目へ。
そんな感じで、ディープな夜が過ぎていきました。明日は平日なんですけどね…。