で、とって返して

で、おべんきょ場所へ移動、行動分析のおべんきょです。
いままでは「行動の理論」についてやってきましたが、ここからは実践編になるみたいで、今日は「観察」についてでした。
最初に駐車場でぐずる子どもの映像を見せてもらったんですが、これはえぐいわ。にもかかわらず、おかぁちゃん、
「やれやれ^^;;」
って表情。慣れた感じです。なんでも、行動分析を知ってる人らしいです。なるほど、まさに「実践知」って感じですね。
で、今日のテーマは、その子をどう見るかってことです。
最初にすべきことは、ターゲットになる行動(回数を減らしたい行動)を決めるってことです。
で、どんな行動がターゲットになりうるかというと…。
自他に迷惑をかける・自他に危険を及ぼす・非行につながるなど、ま、困る行動ですね。それを「ひとつ」決める。そしてそれを、分析的に見られるように具体化する。
例えば、「暴れる」じゃなくて、「人を叩く」みたいに。かつ、観察可能であり、回数や時間がカウントでき、客観的であるように具体化する。
そうそう。大切なのは、「○○しない」だけじゃなくて、かわりとなる「適切な行動」を決めることのようです。
そんなことを教えてもらって、再び駐車場のグズりを見ると、あら不思議。いろんなことが気になりはじめます。つまり、おそらくはそれなりにではあるにしろ、「分析的に」見るようになっているんでしょうね。
で、今日は、とりあえず自由に観察して、ターゲットになる行動を考えるあたりで終了でした。

しかし、例えば授業中の私語に対して「生徒同士の私語」を減らして「授業への参加としての発言」を増やすなんてことはいつもやっていることなんですけど、ほんとにそのことを理論的にバックアップしてもらったというか、逆に自分が漠然とやってきたことをもう少し理論立ててできることにより、より効果的にできるようになるきっかけやなぁという気がしました。

予想通り

授業中のひとコマ
「今日は午後から病院やねん」
「えー、どっか悪いんか?」
「うん、精神神経科
「へー。で、話聞いてもらうんか?」
「いや、たぶん話、聞くがわやな(笑)」
「なにそれ(笑)」
で、病院に着いて診察室へ。
A「えーと、あの話、どうなりましたかねぇ」
B「あー、ちょっとしんどいかも。実は最近体調が悪くて」
A「そういえばそうでしたね」
B「仕事のストレスがね」
A「そりゃそうですよ。ずいぶん無理しておられますからね」
さて、わたしはABどちらでしょう(笑)?

1学期の一番長い日

今日の午後は3学年一斉の人権学習の日です。さてさてどうなるかなぁ…。

朝、職場まで歩いている途中、はじめて担任をする人から
「しゃべりたいことはいっぱいあるんですが、まとまってないんですよ。「どうしよう」と思って…」
って言われました。もしかしたら、この瑞々しい感覚は、教員生活の中で一回だけしか経験できないものかもしれません。
「まとまってなくていいですよ。なんというか…。きれいにまとまったものは表面がツルッとしていてひっかかりがないんです。たぶんまとまっていない話は表面にザラつきがあって、だからひっかかるんです。だから、まとまってない話でいいし、そっちのほうがいいんですよ」
そんな話をしながら職場へ。

さて、今日は授業以外の時間は、基本的にはなにもしません。というのは、
「ここ、どうしたらいいですか?」
という相談に乗ることが今日の仕事です。ま、この期に及んで、めったにおられませんがね。
職員室に行くと、若い教員がなにやらいろいろやってます。今年は「やること」は決めているけど、あくまでもそれはプランであり、別のことをしたければどうぞということを明確に打ち出しているので、それでいいんです。若い教員には「できるだけ自分の思いを伝えてね」って言ってあって、それを実践しようとしているんですよね。うれしいです。

で、午後。
わたしは2年生の「講演」にはりつかなきゃなりません。今年から保護者や地域にある学校の教員にも公開しているので、誰かが来るかもしれませんから。
講師は大湾昇さん
大湾さんの話はとてもわかりやすいんですね。今日の講演は70分ほどしかないんですが、その中でたくさんのエピソードを話されます。ひとつひとつの話が独立していて、しかもひとつひとつにきちんとまとめがある。なのに、全体を通してやっぱりまとめがある。オムニバス形式の講演って感じです。
なので、例えば、少し集中が切れたとして、あっと思っても、しばらくしたら別の単独の話がはじまるので、ちゃんともとにもどれるんですよね。ある意味、生徒にはピッタリかもしれません。
しかも、大湾さんのすごいところは講演のあとにあります。
基本的に講演の話は自分のことと、出会ってきた子どもたちのことなんですが、どんどん出会いがつながっていくんですね。
今日も講演のあと、何人かの子どもたちが「話をしたい」「話を聞いてほしい」ってやってきました。そんな子どもたちひとりひとりに、大湾さんは延々とつきあってくださいます。
ちなみにわたしがやってたのは、相談に来た子が待っている部屋で暇つぶしに遊ぶ相手ってわけで^^;;。
結局、みんなの話が終わったのは6時過ぎです。メッチャ疲れただろうけど
「子どもたちから元気をもらいました」
って、笑顔で帰っていかれました。

そうそう。
ある担任さん、放課後にわたしにスライドを見せてくれながら
「どの人とどの人がカップルかわかる?」
ってやったらしいです。そしたら、子どもから
カップルって、男同士とか女同士でもいいんだよね」
って返しがあったそうです。すごくうれしそうにその話をしてくれたのが印象的でした。
おもしろいな(^^)

わたしもいろんな人から元気をもらった一日でした。
でも、クタクタ^^;;。

まぁまぁな日かな…

午前中は…。「やらなきゃならんなぁ」と思いながら、ちょっと逃げてた仕事についに手を伸ばしました。で、「なかなかでけんやろ」と思っていたのが、意外とすんなりいったりして。
よかった^^;;。

午後は…。京都府中部に出張→会議。行きの電車の中でおべんとを食べます。なんか、ちょっとした旅行気分です。会議では「決めなきゃならんなぁ」と思いながら、イマイチ方向性がつかめなかった「研修」の内容を、とりあえず確定させました。今年度のテーマは、やっぱり温故知新ですねぇ。たぶん、そういう時期なんでしょう。

夕方は…。これまたやるのを忘れていた「梱包→発送」をやりました。もうそろそろ3週間やるのを忘れていて、ええかげんにせんとなと思っていたものです。ま、肩の荷がおりたかな。
で、家に帰ってスマホの保護シール貼り。某所あったようにお風呂で貼ったおかげでホコリは皆無。うれしいなo(^^)o

夜は…。発送に行ったついでに買った「ピルスナー・ウルケル」を楽しみました。もちろんヱビスはうまい!でも、チェコやベルギーやドイツのビールも当然おいしいわけで。
そうそう。ベルギービールは日本での扱いは「発泡酒」なんですよね。そりゃ混ぜものをいっぱいしてますから。でも、日本の発泡酒とはまったく発想が違いますよね。
あー。いろんな種類のビールを「んまー!」って言いながら楽しみたいな…。
ってことで、寝る前につい読んだのが「もやしもん」っていう発想の貧困さがわたしです^^;;。

寝る前は…。ちょうど「ラフロイグ10年」がなくなったので、「ラフロイグ・クォーターカスク」を買ってみたんですが。んー。「10年」のほうが好きかな。でも、少し水を入れると、たしかに香りがたちます。これはこれでいいのかも…。

ま、そんなこんなで、とりあえずいい一日だったのかもしれません。

なにを選び、どう伝えるのか

今日のネタは、日本における朱子学の系譜みたいな話でした。
ペーパーを一読して、まず感じたのは「ふーん」でした。つまり「系譜」ってのをそれだけで捉えると「ふーん、そーなん」な話なんです。でも、「系譜」っていうのは、実は「解釈の試行錯誤」とか「葛藤」とか、まぁ、学問の学問たる所以というか、その軌跡とでもいうものかな。とてもダイナミックで、まさに、それぞれの人が自分の存在をかけて打ち込む姿が浮かびあがるわけです。
ところが、今日の話で言うなら、そこに幕府(政治権力ですね)が絡み、中国の科挙とまではいかないまでも、「武士のたしなみ」みたいなものがうまれ、やがてそれが「正当な朱子学」みたいなものがうまれる。そして、それが印刷技術の発展により、それが一般民衆に広まっていく。一般民衆はそれを正当なものとして受け入れていく。そんな中で、「学問」としての瑞々しさとかドロドロさとか、そういうものが失われてしまい、やがては朱子学儒教をよりよく理解しようと苦心惨憺して書かれた渾身の本が「試験のための参考書」とか「朱子学のノウハウ本」に成り下がっていく。
ま、そんなあたりの話でした。

でも、これって、考えようによっては、今もまったく同じだったりしますよね。で、そのあたりが今日の論議のテーマでした。

まぁ簡単に言うならば「教科書を教える」のか「教科書で教えるのか」ということ。それから「(教科として)なにを教えるのか」という、選択の問題。そして、それをどう「評価する」のかということ。
そう言えば、小中では「主要5教科」とか「副教科」なんていいまわしがありますよね。高校ではそういう言い方はしませんけど。で、例えば、数学なんかは「主要5教科」に入っているんですけど、常々
「なんでだろう」
と思ってきました。
一般には「読み・書き・そろばん」ってところにその根拠を求めたりもするのですが、「そろばん」と「数学」はまったく異なるもので、どちらかというと数学は「ゲージツ」に近いんじゃないかと思っています。にもかかわらず、「主要5教科」…。
で、ふと思いついたのは「主要5教科の共通点は座学であること」ではないかと。で、座学の特徴は「大人数を同時に効率よく教えることが可能な教科」であるということ。ってことは…。「主要5教科に何を選ぶかという、選択の根拠はコストではないか」ってことなんです。ま、単なる思いつきなので、それが正しいかどうかは別なんですけど、「読み・書き・そろばん」なんていうのは「あとづけの理由」って可能性もあるよなって話なんです。

で、もうひとつは「観点別評価のわけわからなさ」みたいなあたりです。もうええやろと。わたしになにが評価できるねんと。「意欲」を測るものさしはなんだと。「関心」は?「態度」は?んなもん、測れないよと。てか、わたしに「測る資格」なんてないよと。
じゃ、わたしは何を測るのか。わたしにできるのは「与えた数学の問題に対する解答能力」のみであると。だからこそ「余計なものは取っ払って純粋に点数だけで」というふうに考えるのです。
で、これをベースにして、でも、クラスの状況なんかでそこに味つけをする。

ここで、体育のおべんきょ仲間とプチバトルしました(笑)。
「体育とスポーツは違う」。
「スポーツ」は「勝つ」ことに重きを置くけど、「体育」は「知・徳・体」を総合的に学ぶ「教科」であるということです。なるほど。で、「知」に重きを置くわけではなく、例えば、「徳」の側面からも「評価」するも。
そういう意味では、わたしの数学の評価のしかたは、たぶんに「スポーツ的」なんだと思います。
ちなみに、バトルの内容は「評価の中身(なかよくしたら評価が高いとか)」にかかわることで、そのあたりは「ムニャムニャやなぁ」と思っていまして。
「いや、ヘイトスピーチやってるヤツらには「なかよくしよう」って言いますけど、職場になかよしがいないわたしは評価低いですよね(笑)」
みたいな。
このあたり「効率のよい主要(笑)5教科」と「そうではない教科」との違い、あるいは小学校と高校の評価のありようの違いなど、いろんな違いがあるでしょうから、まぁ、評価は可能かもしれません。わかりませんが…。

そうそう。もうひとつ思ったことは…。
ひとつの学問というか領域がメディアによって「わかりやすさ」を獲得することの怖さですね。そこにどんな意図が働くのか。あるいは批判的な見方を身に着けていない人がそれを見た時、あるいはその学問が「わかりやすさ」を身につけた時、学問として死んでいくということ。これまた、巷に溢れかえっているよなぁと。
そんなことを考えた1時間半でした。

あれやってこれやって

昨日の夜は
「君たち、どんだけ遊ぶねん^^;;」
と思う間もなく寝落ちです。そりゃそうです。体調は絶不調でしたから。
で、今朝は…。遅刻は許されません^^;;。がんばって起きて、とりあえずコーヒーを淹れて、しばし片づけ。やがて朝ごはんの買い出し隊が帰ってきたのでおにぎりをひとついただいて…。
さて、スタートです。
放送コンテストの会場に着くと、すでにあちこちで発声をやってます。さすがに数百人の放送部員が一同に会するとうるさいのなんのって(笑)。
やがて「読み部門」スタート。でもわたしはお外でボーです。いや、寝不足でして(T_T)。
で、昼休みにいったんマダンセンターに帰って、後かたづけの最終チェック。掃除機もきれいにかかっていて、ほぼ終わっているのですが、やっぱ、ゴミ関係とかはみなさんわかりませんからね。そのあたりだけゴソゴソやって、再びコンテスト会場へ。
あとは淡々粛々です。
で、今年もすべて予選落ち(笑)。
まぁ、うちの放送部、コンテスト向けのなにかをしてませんからねぇ。でも、「あの世界」があることを知って、そこでなにかをつかんでくれたら意味はあるし、願わくば「あこがれ」や「悔しさ」を感じて「あの世界」に入ってくれたら、それはそれでうれしいし。

在日外国人生徒交流会・事前合宿だけど眠い(T_T)。

今日〜明日、全国在日外国人生徒交流会の事前合宿です。
はいいんですが、先週が玖伊屋で今週がこれ、来週が京都の交流会で再来週がウジ。その次の週は「おさんぽ」。6月の週末はすべて東九条です。ダメです^^;;。
は、おいといて…。

わたしは昼間は放送コンテストなので、夜のみの参加です。でも、実はメインは夜なんです。昼間は交流会の事務的な話が中心になりますが、夜は「自分のこと」の話し込みです。
なんというか…。
子どもたちの話を聞きながら、これほどまでに共通の経験をしているのかと思いました。
全然別の地域で、全然別の国籍で、それまで会ったこともない。そんな、なんの共通点もない子どもたちの話が、あまりにも似ている。
そんな子どもたちの話を聞きながら、日本社会の情けなさと、一方で、こういう交流会の存在の大切さをつくづく感じました。
が、眠い。あまりにも眠いです。まぁ、昨日の打ち合わせ、メッチャ遅かったしなぁ…。
メッチャ眠いのに、もう2時ですよ。いつまでしゃべんねん(T_T)。

今年も打ち合わせ

ここに書かせてもらうようになって、もう5年目です。ずいぶんたくさん書きました。てか、もともと4年のはずだったのに、
「もう一年」
って口走っちゃったんですよね。
で、そんな時、編集担当の人は、必ず直接会って話をされます。で、そんなイレギュラーな時だけでなく、なんにもなくても、毎年年度当初には、やはり直接会って話をされます。その姿勢というかていねいさというかには、ほんとに頭が下がります。ま、単に「京都で呑みたい」ってのもあるみたいですけどね(笑)。
で、今日は恒例の打ち合わせ。今日は考えるところがあって、上の子どもも連れて行くことにしました。ま、別に何か意図があるというよりも、「どんな化学反応が起きるかな」って思っているんですけどね。
で、打ち合わせ開始。
なんでしょうかねぇ。
特に何もないんです。延々と取り留めのない話をしたり、ま、たまには原稿の話をしたり。でも、ずっとわたしの文章を見つめ続けてこられたことがわかります。例えば、論文指導もきっと「見つめ続ける」作業なんだと思うのですが、それとはまったく違う眼差しなんですよね。たぶん、じっとガマンして、ひたすら待つ。で、待つっていうことは、「信じる」ことです。例えば、
「うーん、もう少し深めて欲しいなぁ」
と思ったとしても、単純に
「深てください」
と言っても、たぶん無理です。深い表現をするためには、書き手がそのものごとを深く捉えることができていなくては表現できない。で、それをするためには時間とタイミングが必要なります。その時が満ちた時、スプリングボードを踏んだみたいに、突然ポンと飛び上がる。なんだかそんな気がします。
待つということは、きっとそんなスプリングボードがあるということを信じることであり、そのスプリングボードを踏むであろうことを信じることであり、スプリングボードを踏んだ時に跳躍する力を持っていることを信じることである。
とてつもなくしんどい仕事だよなぁと思いました^^;;。
あ、子どもは…。
なにやら不思議な化学反応を起こしたみたいです。

日常を分析的にフィードバックする

今日のおべんきょは「シェイピング」と「チェイニング」です。
まずは「シェイピング」。
これは、やったことがない行動を身につけさせたり、忘れていた行動を回復させたりする方法です。「少しずつ行動を近づけ」ながら、「特定の行動のみ強化する」。ま、簡単に言うなら、いろんな行動をやらせて、最初は「遠い」けど「まぁ…近いか」みたいなのをとりあえずほめておいて、そのうち段々近いのだけをほめて、特定の身につけさせようとする行動へと誘導していくって感じですか。
で、「チェイニング」は、「ひとつの行動は細かい行動の連鎖で成り立っている」ってことです。逆に言えば、「ある行動ができない」ということはすべてができないのではなく、「あるステップのみ(複数かもしれないけど)」ができないだけであると考える。すると、その行動ができるようにすれば、全体ができるようになる。
で、チェイニングを身に着けさせるための方法として「順行チェイニング」「逆行チェイニング」「全課題提示型」がある。
「順行チェイニング」は、チェイニングの順を追うので、わかりやすいんだけど、結果が遠いので「見通しがたたない子」には厳しい。に対して、「逆行チェイニング」は結果の提示が伴うので、「見通しのたたない子」にも優しい。けど、プログラミングをしないといけない。
で、「全課題提示型」は、普通の授業の感じ。ただ、当然できない子がいるわけで、「プロンプト(口頭のヒント)」や「ガイダンス(身体的な手助け)」を使ってサポートしながら、少しずつサポートを少なくしていく。
で、「チェイニング」の一部ができないときは、「プロンプト→ガイダンス」の順に試していって、それでもダメなときは「シェイピング」で身につけさせる。

なーんてことをやったんですが…。
ほんと、普段の授業やスキーのインストラクションでやっていることそのままなんですよね。
ひとつの問題をいくつかのステップに分析して、それらのどこでつまづくかを予想して、適宜プロンプトを入れて、できない子については一緒に解いて。あとは宿題には解答をつけて、穴埋めにしてみたいな。全課題提示型と逆行チェイニングの混合型。
あるいは、答えは出せるけどどうやって出しているのかわからなかったり、途中のステップが書けない子がいたりもします。そんな子にとって、逆行チェイニングは有用でしょうね。
逆に言うならそういう手間をかけると、定着することが、行動分析の側面から言えるってことですね。
いや、ほんとにおべんきょになりましたよo(^^)o

足に来る(T_T)

毎週木曜日は午前4連続授業。これ、わたしがかなり時間割の組みに無理を言って、その結果のことなんで、感謝しているのですが…。
やはりきついですね。
2時間目まではいいんです。3時間目はちょっと「クラッ」とします。でも、3時間連続は普通にあるので、それもいいです。で、4時間目はあるクラスの本日2回目の授業になります。これがきつい。生徒たちはみんないい子なので、それでも一生懸命授業を聞いてくれますが(一部除く(笑))、こちらは足がプルプルです。
ちなみに生徒に
「足、プルプルやねん」
と言ったら、
「センセ、座ったらええよ」
って言ってくれたんですが、そうはいきません。
「あかんねん。落ち着きないし、座ってられへんねん」
と、ウケをとっておきました。
で、4時間目終わったら、なんか足の脂肪がすべて削ぎ落ちた気がした昼下がりでした。