まぁこんなもの

今日は皆さんなんとなく時計が気になっておられます。選挙です。ほとんどの人がまだ行っていません。
てことで、6時半にお開き。一番遠い人は奈良です。はたして間にあうのか*1
わたしはバスで投票所の近くまで行って、そのまま投票です。相変わらずチェックする人はエー加減。また統計結果がおかしくなりますわ(笑)。
あとは家に帰って晩ご飯を食べて、そのまま爆睡です。

*1:投票終了3分前ぐらいに駆け込んだそうな

で、おたふく・もうひとつの祇園祭

お店に入ると、Kっくんがいます。久しぶりです。
再会を喜びあって、あとはグダグダと呑んで食べてしゃべって。
と、ここでちょっとおどろきの話が聞けました。
Kっくん、えらい疲れた表情だったので
「どないしたんですか?」
と聞くと、
「昨日、神輿かついだんや」
とのこと。神輿洗いだったんですね。
祇園祭山鉾巡行がメインじゃなくて、本来は「神幸祭還幸祭(神輿渡御)」がメインだったようです。
で、この神輿、「錦(にしき)」「三若(さんわか)」「四若(しわか)」の3基プラス「子ども神輿」の4つになります。ちなみに、子ども神輿は「四若」の神輿です。
「錦」をかつぐのは、錦市場近辺の人々。「三若」をかつぐのは、三条通商店街近辺の人々。そして、「四若」をかつぐのは、「おたふく」近辺の人々です。と言うと、「えっ?」っと思う人がいるかもしれません。
てことで、ちょっと探してみると、灘本さんのブログがひっかかってきました。確かに「祭り」には「キヨメ」がつきものですから、当然と言えば当然なんですが…。
さらにKっくんは、
「うちらのところだけじゃ人が足りひんから、他のムラからも手伝いに来てくれるんや」
と話します。まぁ、友だち関係ということもあるのかもしれませんが、でも、誰でもいいかというと、きっとそうではなくて、ムラの人じゃないといけないんでしょうね。
祇園祭と犬神人については、京都部落問題研究資料センターの「センター通信第10号(2008年1月発行)」に『日吉山王祇園祭礼図屏風』の図入りのがあるので関心のある人は読んでいただければと。
でも、こうした「歴史」の話ではなく、「いま」も祇園祭の最も大切なところをムラの人々が担っているということは、すごく興味深い話です。

で、フィールドワーク・刑場跡をたずねて

お昼にA久◯さんと合流。今日は九条山近辺の散策です。
京都の町中には2ヶ所刑場があって、ひとつは円町のあたり。もうひとつは九条山*1にあったらしいです。
てことで、前々から行きたいと思っていた九条山を、最近刑場マニアになりつつある阿◯Zさんに案内してもらおうという趣向です。
蹴上で合流したのですが、駅から外へ出ようとするとすごい雨。ふだんの行いの悪さが如実にあらわれます。まぁいいでしょう。
しばらく浄水場の横を歩いて、やがて山の中に入ります。といっても、横を走っているのは東海道、つまり三条通で、えらい車の量です。と、右手に石碑がありました。
今回は雨が降っているので近づくのはやめました。その代わりにこんなところを見つけちゃいましたので、紹介しておきましょう。
この九条山、他にもなかなか謎に満ちた感じがありまして、そのあたりについてはもう少しきちんと調べてみたいですね。
やがて、山を下っていくと、旧東海道との分岐点に行きます。
いちおう三条通東海道ということになっていますが、当然のことながらかつての東海道はあんなに広い道ではありません。旧東海道は、軽自動車一台がやっと通れるくらいの狭い道です。でも、稜線をうまく使って*2高低差がないようにつけられています。やるな…、昔の人。けっこう道ばたには灯籠なんかもあって、こちらもゆっくり歩くといろんなものが発見できそうです。
で、三条通に降りて、こちらはよく知られた供養塔をちょっと見ました*3
てな感じで歩いていたのですが、お腹が減ってきたので、おたふくへ移動です。
そうそう、御陵の駅に向かう途中、変な名前の中華料理屋さんがありました。なんでも、読みスジはマッカーサーだとか。なるほど…。

*1:現在の都ホテルとか浄水場のあたり

*2:いずみちゃんの指摘

*3:にしても、なぜ日蓮宗なんだろう…

玖伊屋の朝

今回はパン焼き職人*1の参加があったので、朝は焼きたてのパンをいただきました。これははっきり言っておいしかった!
あまりにもおいしいので、思わず冷蔵庫を開けてチューハイを探したのですが(笑)、今回はMりなさんの参加がなかったので、チューハイはありませんでした。にしても、シャワーを浴びて風呂場から出てきたIちゃんも、冷蔵庫を開けて探していたし、スタッフのMすみさんも探していたらしい。みんなモーニングチューハイ好きなんやなぁ…。
てことで、今回の玖伊屋は10時過ぎに閉店。

*1:アル中と本人は言っておられますが…