お呼ばれ

朝、今日も寝坊です。完全にゆっくりするのが定着してしまってます。こわいな。それにしても、何をする気も起きません。走りに行きたいと思ったけど、体調が悪いです。しかたないので、買い出しのあとはダラダラしましょうか。
と思っていましたが、資料集の組版をしないと自分の首が締まることを思い出して、少し仕事。そうそう、筋トレくらいはしておきましょう。
夕方、スタート。今日はN川せんせいのお家にお呼ばれです。
到着して出迎えてくれたのはこれ。

ご自分で釣られた80cmくらいの鯛で、その兜の酒蒸しです。うまいわ。他にもサワラの刺身の炙りとかゆべしとか。
そんなおいしい食べ物をいただきながら、ひたすら人権教育をめぐる話が続きます。やはりこの世界にいるんだなぁ。
てことで、気がついたら終電の時間でした。ヤバイな。

葬儀式では修正した

葬儀式は11時からです。いちおう10時集合だけど、起きたのは9時前です。とにかく身体が動きません。すんごいきついです。それでも、とにかく起き上がって朝ごはんを食べて、スタートです。
教会に着いたら、遺族代表あいさつを考えるために別室へ。元ネタは『ありのまま〜』にして、そこにいろいろ付け加えましょうか。
しかし、この作業はきついです。なにかを話すためには思い出さなきゃなりません。それも子どもの頃の事を思い出さなきゃなりません。まぁなんだかんだ言っていい子ども時代を過ごさせてもらったんだろうなということ、そしてそこからずいぶんと遠くまできたってことを思うたびに涙が出てきます。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
10時59分になったので、タイムアップ。
牧師さん、昨日とは聖書を変えてこられました。ちなみに、昨日は「フィリピの信徒への手紙 3章12-14節でした。てか、これは父親が好きだった箇所です。今日は「ローマの信徒への手紙5章1-5節」でした。たぶんこちらが母親が好きなところなんだろうけど、思わず「これかよ!」とは思いました。
そんなこんなで式も滞りなく終了。わたしのターンです。

今日は母・淳子のためにわざわざお越しいただいてありがとうございます。
最近の若い人はスピーチの時にスマホを見ながらしゃべるので、わたしもタブレットを見ながら話すことにします。
母・淳子は、戦前生まれとしては珍しく国立の教育大学で数学を研究していました。小さな頃、手回し計算機の話をしてくれたことを思い出します。根っからの理系で、ずっとNEWTONという雑誌を購読していました。数学を好み、音楽を好み、文学を好み、星を好み、山を好み、植物を好む、そんな天真爛漫な人でした。
わたしは一番目の子どもとしてとても大切に育てられました。家には中古の白黒テレビはありましたが、テレビの思い出はほとんどありません。実は、わたしが仮性近視ということで、テレビを見るなと言われていました。仮面ライダーを見たいというわたしのために、両親は一緒にトランプやダイヤモンドゲームやチェスを一緒にしてくれました。両親はとてもたくさんの時間をわたしに割いてくれたんだなぁと思います。 わたしはそんな両親の影響を強く受けながら育ちました。星が好きで、音楽が好きで、文学が好きなわたしは、紛れもなく母親の影響を受け、今は数学の教員をしています。
わたしが物心ついた頃から、家には父親のゼミ生がよくきていました。そこでは激しい議論をする学生たちに混じって、本気でその議論に参加している父親の姿がありました。でも、その激しい議論が終わると、母親の得意料理のミートローフをみんなで食べました。きっと、議論することもさることながら、みなさん、ミートローフを食べるのを楽しみにしておられたんじゃないかと思います。
母はとても不思議な才能を持っていました。家の庭にはたくさんの植物がありましたが、ほとんどが山歩きで摘んできたものでした。それらを不思議なほどに上手く育てていました。ある時「家でできたコゴミだから天ぷらにしてくれ」と持ってきたことがありました。どんなふうにしたら家でコゴミができるのか、いまだに不思議でなりません。
とにかく母はフリーダムな人で、束縛をとても嫌いました。例えば骨折をしても人工関節は絶対に拒否をしました。今から5年前、心臓の弁膜症で救急搬送されたことがありました。実はその時、気管挿管をするかどうかを決めなければならなりませんでした。その時も、弟と話し合って「しない」という決定をしました。医者はびっくりしていましたが、「もしも一命を取り留めた時、「この管は何?誰がこんなものを入れると決めたの。こんなのを入れたまま生きるのは嫌だ!」というに決まっている」と説明しました。
そういう人なので、きっと皆さんにもご迷惑をおかけしたことがあったかと思います。でも、皆さんのおかげで、母はフリーダムな人生を送ることができたんだと思います。本当にお世話になりました。
きっと今頃、父・昭夫と天国で再会をしているんだろうなと思います。 母親は、もしかしたら父親の窮地を助けたかもしれません。が、この社会はまだまだ窮地にある気がします。その窮地をなんとかするのが、残された私たちに与えられたことかもしれないと思います。
最後に、残された妹さん、そして弟家族や私たち家族をこれからもよろしくお願いいたします。

そして献花→最後のお別れです。職場から供花があったおかげで母親は花で埋まりました。ありがとうございます。この4年間飲めなかったワインも入れました。
そして出棺。わたしは喪主ということで、牧師さんとハイヤーに乗りました。中では牧師さんといろいろ話。
んー、やはりたいへんやったんやろなぁ。とにかくフリーダムだし、ガンコだしなぁ。まぁまわりは困ったかもしれないけど、本人も「いろいろたいへん」だったんだろうなぁ。そうやってたいへんなまま生きられたのも、まわりの人たちのおかげですね。
やがて京都斎場に到着。簡単な式をして、やがて母親はバーナー室へ。待ち時間の間に昼ごはん。おなかが減ったので、明太子釜玉うどんにしました。

うまいなぁ。おなかいっぱいです。
やがて骨になった母親と対面。お骨を拾って骨壷へ。これで「式」関連はすべて終わりました。あとは母親を家に連れて帰るだけです。
実家に帰って、父親と仲良く写真を並べて、山のような花を飾って、おしまい。
晩ごはんは弟家族とサイゼです。白ワインのマグナムボトルを頼んだけど、1本あけてしまいました。もしかしたら、母親がへつったのかもしれません。
さて、家に帰ってお風呂に入って寝ましょうか。

自分で完結させる・日教組教研3日目

起床は6時半。もう少しゆっくりしようかと思ったけど、さっさと朝ごはんを食べることにしました。今日は「健美定食」です。ネバネバが入ってます。

さば、うまい。が、おなかがあまり減ってないので残してしまいました。すんません。
部屋にもどったら、学校関係への連絡です。いろいろ迷惑をかけるなぁ。8時になったら荷造りです。しかし、おとついのワインが半分残ってます。どうする?
そんなこんなを袋に詰め込んで、会場へ。今日は総括討論です。
会場に着くと、いろんな人が「一緒に写真を撮ろう」と(笑)。なにかがおかしい。なんでも画面越しで見るのとリアルで見るのは違うらしいです。いや、そーゆーことではなくて…。
今日は「ジェンダー平等教育の実践をしてよかったこと」「今回の教研で得た気づき」「ジェンダー平等教育を伝え広げるために」の3つの柱で話しあいです。
ただ、その前に多賀さんから言葉の整理です。やはりジェンダーという言葉の使い方がバラバラってことです。「社会的文化的性別」としてのジェンダーと「性差」という意味でのジェンダーが混在している。まぁたぶん、混在しているのはわたしのせいなんだと思うのですが、逆に言うと、それを持ち込んだほうがいいと思ったんですよね。
てことで、大第1ターンは「気づき」です。
もともとわたしはジェンダーを「社会的文化的性別」としか認識できていませんでした。なので、例えばデートDVの教材もそういう切り口でつくっていました。ただ、そういうふうにすると、男と女の対立の構図をつくってしまう。でも、その対立の構図はなぜできるかというと、構造としてのジェンダーがあるからなんですよね。そういうふうにジェンダーを捉えると、デートDVの教材も違った扱い方ができるんじゃないかと。まぁそんな話。
第2ターンは「伝え広げるために」です。
まずはさっきの話を引き継いで、「構造で捉えると「敵」をつくらなくてすむ」ということです。その例としてアファーマティブアクションを通して考えたこと。つまり「政治的なことは個人的なこと」にしないということ。そうすることによって、共通の地盤でものごとを捉えることができるようになる。それが広げることにつながらないかってことです。
そして第3ターンは「よかったこと」です。
かつてゲイのAさんとの出会いを人権教育の分科会でレポートした時に言われたことを、まずは紹介。みなさん、口を開いてビックリされていました。そんなわたしがたどり着いたところが「両性」だったんですよね。そして、「両性」を通じていろんな出会いを与えられました。その出会いは、その先にあちこちで孤立しているセクマイ教員とのつながりをつくってくれました。stn21も、そんな中にあります。そしておそらく今回も新たな出会いや出会い直しがある。もちろん、こわがられたり敬遠されたりもあるでしょうが、それはしかたなし。
そんな話をして、わたしのターンはすべて終了。ちなみに、総括討論では誰かのレポートにかかわる話としてではなく、自分のこととして完結させた話であることを心がけました。
そうそう。オブザーバーのみなさんの話もよかったなぁ。丸2日ぶんの論議のあとの話ですからね。もっとも、ひとりだけ、ここで話をするために来た人がいてビックリしたけどね(笑)。
さてと。これで今年度の教研もおしまいです。また来年!来られるかなぁ…。
とりま、S渡さんとTまちゃんと3人で新千歳まで移動。フライトは17時台なので、特には急ぎませんが、まぁ早めに行っておきましょう。昼ごはんはフードコートです。

なにせボトル半分残ってるワインを飲みきらないと帰れません。しかし、ここでジンギスカンか。でも、おいしかった。
あとはお土産買って、セキュリティを通って、荷物の重さを計測して…。7.15kgだったけど、パスしてくれました。
予定をかなり過ぎて離陸したけど、予定より少し早く関空に到着。ここからはランです。発車直前のリムジンバスに乗れました。これで少し早く帰れるな。
帰ったら、一杯飲んで寝ましょう。明日から忙しい。

またまた甘噛み・日教組教研2日目

目覚ましをかけたのは6時半。起きたくないけど起きましょう。まずは朝ごはん。なんでもやよい軒に行くみたいです。
ロボットが持ってきてくれました。

しかし、洋定食は失敗でした。
さて、ここからは連絡しまくりです。なにせ今回はPCは持ってこずipadだけでやろうと思ってたので、なかなかハードです。それでも母親のPCからサルベージしたメールからアドレスを引っ張り出して、とにかく連絡メールを出しまくりました。10本ばっか送ったところでタイムアップ。会場に行きましょう。
で、分科会開始。
午前は「意識・慣習の見直し」です。どのレポートもおもしろい。おもしろいけど、なにかが引っかかります。それはジェンダーの捉え方です。
もしかしたら、みなさん、ジェンダーそのものを「悪いもの」あるいは「なくすべきもの」と捉えてないか?
例えば、みなさん、ジェンダーと結びついた色を問題にされたりします。ただ、例えば小さな子どもに自分の所属すべき性別カテゴリーを教える時、なんらかの性別カテゴリーと結びついた「装置」を使わざるを得ません。まぁつまりMCDってやつだってことです。そして、それそのものは、本来は「悪」ではない。それが「悪」になるのは不平等と結び付いた時です。てか、そもそもジェンダーがなくなったら、えらいことになります。もちろん、わたし個人としてはジェンダーがなくなってもまったく困りませんがね。
例えば「はじめてズボンを履いた女の子」の絵本を教材にした実践が話されました。なんでも迫害される女の子に対しておじいさんは
「あたりまえが壊れるのがみんなこわいんだ」
と言ったという話が出されたので、思わず
「それは「あたりまえ」ではなく「秩序」なんだと思います」
つまり
「女の子はスカートを履かなければならない」
ではなく
「スカートを履く子が女の子」
なんだと思います。そういう秩序があって、例外ができると、その秩序が乱れる。だから、迫害する。
もしかしたら、
みなさん、固定的で絶対的なセックスの上に社会的文化的なジェンダーが乗ってるって思ってないか?そうではなくて、ジェンダーは構造と捉えるべきなんじゃないのか?
そんな話を、ついしてしまいました。
てことで、TまちゃんとS渡さんと3人で近くのラーメン屋さんへ。案の定I藤さんたちも来ていました。そういや、19年前、I藤さんとラーメン屋に行った[1]このページの1月9日の記事なぁ。なつかしい。その後、「正論」にほめられたんだ(笑)。
さてと、何を食べよう。味噌ラーメンにしようかと思ったけど、つけ麺にしてみました。ちなみに、辛さはLv.3なんだとか。

辛くないな。そして味が濃い。でも、麺がおいしいし、全体的には満足ですね。
で、午後の分科会。テーマは「性の教育」です。「生命の安全教育」をどのように使うかってあたりの論議がされました。が、それとは違うレポートで、またまた細かいところが気になりました。
「トランスジェンダーが「いない」と考えるのではなく「いる」ことを前提にする」
って書いてありました。それそのものは、もちろん極めて正しいです。部落も在日も障害者も「いる」のを前提にしなきゃなりません。が、「トランスジェンダー生徒がいることを前提にする」とはどういうことかわかっておられるのか?って思ってしまったので、質問をしてみたした。
が、たぶん質問の意図がわかっておられない感じです。
「常にいるつもりで」
と返されるので
「いや、具体的にどういう学校づくりをするのかということです」
とかぶせてしまいました。たぶんこわかったやろなぁ。すんません。甘噛みしてしまいました。
なので、その後の討論の中で解題。
「トランスジェンダー生徒がいることが前提の学校というのは、性自認でものを考えるということです。書類上の性別でなく、本人が言う性別を信じるということです。逆に言うと、トランスの子に制服とか体育の授業とかトイレとか更衣室とかを聞くなら、シスジェンダーの生徒にもそれらを聞くということです」
言ってること、わかったかなぁ。
そんなこんなで分科会終了。と、担当のN嶋さんから「かぶせたらダメ」と、イエローカードをもらってしまいました。反省やな。
今日は両性の仲間の飲み会です。が、15人入れるところがない。Tまちゃんが半日電話をかけまくってくれて、ようやくお店を見つけてくれました。
ここでえっきーと久しぶりの再開。おじさんになったなぁ。まぁお互いさまか。M浦さんとかI島さんとか、ほんとに久しぶりです。まぁそれだけ北海道に来ていなかったということです。
ワイワイ飲んでいたらK同通信の記者さんが乱入。なんか、メッチャ飲むな。そうこうするうちに、共同研究者の3人も来られて、うれしいなぁ。古田さんの隣に座るのははじめてで緊張します。ここで労働運動の話とか法律の話とか、さまざまな話を聞かせてもらいました。
そうこうするうちに、みなさんどやどやと帰られて、残り5人くらいに。取り残された多賀さん
「みんな、ずるいなぁ」
とか言いながらつきあってくださって、ほんとにいい人です。
で、11時くらいにおひらき。
「もう少し飲もうか」
ど言ったけど、全員から却下されて、おとなしくホテルへ。大浴場でクールダウンして、補水をして、さて寝ましょう。明日は総括討論だ。

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1 このページの1月9日の記事

行くか、もどるか・日教組教研1日目

今日から毎年恒例の日教組教研です。場所は北の大地です。なので、今日は労働者の権利を行使しましょう。
とは言え、昼に着こうと思ったら、京都発はけっこう早い時間になります。とりま、京都駅からバスに乗ります。けっこう混んでますね。
そんなこんなで関空まで移動です。が、ここで突然連絡が。なんでもヘルパーさんが母親を起こしに行ったら意識がなかったんだとか。とりまそのまま救急搬送されたらしいです。
マジか。GID学会岡山大会の時と状況が似てますね。ただ、あの時は前日だったけど、今回は動きはじめてます。困った。ただ、弟がいろいろ動いてくれてます。
てことで、弟と相談。
「どうしよう。帰ろうか?」
「大切な用事なんやろ」
「まぁそれはそうや」
「そしたらこっちはまかせといて。責任をまっとうしてきて」
たいした弟です。というか、わたしたちふたりはそうやって育てられたんやな。なので、北の大地に行くことにしました。
やがて弟から連絡。
「意識はないけど、できることがないので、そのまま帰すことになった。あと2〜3日らしい」
えーと、それはもって2〜3日ってことか?帰るまでもってくれたらいいなぁ。と
「意識はないけど、酸素ボンベははずせた」
少しホッとして、jetstarに搭乗。
ここでトラブル発生。コーヒーがこぼれて海になってしまいました。ヤバイ。でも、なんとか対処してもらって、無事飛行機も飛びました。
飛行場からすみやかに札幌に向かいます。しかし荒天です。快速エアポートのダイヤも乱れまくりです。それでもなんとか札幌に着いて、そのまま会場に向かいます。リュックがコーヒーくさい(;_;)。
会場に着いたら、受付の方が
「いつきさんですね」
とチェックしてくださいました。てか、なんでやねん。
分科会はちょうどはじまったところです。それでもおべんとをいただいて、分科会に参加。
と、弟から連絡です。
「入浴介護をしに行ったら息がなかった」
その8分後の13時48分に再び連絡
「死亡が確認されました」
とのこと。そうか。亡くなりましたか。あと少しで90歳だったから、まぁしかたないです。父親が亡くなってから16年、両親ともに亡くなってしまいました。まぁでもそういう歳だってことです。
その後、ひたすらラインでやりとりしながら、分科会に参加。今日のテーマは「労働・家族」です。
今日引っかかったポイントは「性別にかかわらず能力で」というフレーズ。いや、能力をどのように測るかって、メッチャむずかしいし。そしてそれは能力主義につながるし、さらには新自由主義とも親和性が高い。基本的にはヤバイ方向につながりかねません。が、学校の教職員は、基本的に能力が高い。だから、そのヤバさに気がつきにくい。なので、ついついそのあたりに絡んでしまいました。
休憩の時に、常連の友だちに
「実はな、さっき母親が死んだんやわ」
と言うと、みなさん
「えっ!ここにおってええの?」
と心配してくださいました。まぁそりゃそうか。
後半の論議の中で、ふと気になったのは、共同研究者の寺町さんが話されたアファーマティブアクションに対する学生さんの反応でした。学生さんたち、アファーマティブアクションを逆差別と捉えがちなんだとか。まぁそれゃそう思うかもしれません。が、そこでそう思うのはなぜかってことです。
人権教育の中で「被差別者の立場に立って」みたいなフレーズを出すケースがあったりします。そういうのがめぐりめぐって、逆差別みたいなところに行くんじゃないかなぁ。つまり、アファーマティブアクションは社会的な文脈で考えなきゃならないんだけど、それを個人のこととしてとらえてしまう。そうなると、フェミニズムが喝破した
「個人的なことは政治的なこと」
の逆
「政治的なことは個人的なこと」
になってしまう。
なんかこのあたりから、今回の教研で話したい方向が定まってきた気がします。
そんなこんなで5時半まで濃いぃディスカッションをして、1日目終了。
一度ホテルにチェックインして、リュックを洗いましょう。まぁこれだけ部屋が乾燥してたら一晩で乾くでしょう。
そして飲み会です。今日はインクル分科会の人たちの飲み会に乱入することにしました。もちろんY和くんがいるわけで、またケンカになるかと思いきや、数学の授業の考え方ややってることをほめられてしまってビックリするなど。
10時過ぎにお開きになって、S渡さんと
「もう少し飲もうか」
ということになったけど、お店は閉店間際です。しかたないのでセイコーマートでワインとアテを仕入れて、部屋飲みです。が、0時あたりでほとんど反応できなくなって、こちらもおひらき。ただ、S渡さんが帰られたところで、なぜか少し復活して、大浴場に行きました。
湯船に浸かって、少し身体を伸ばしたら身体もほぐれました。よし、寝よう。

今日もなんとかできた

昨日は夜ふかししてしまったので、朝はグダグダです。でも、朝ごはんを食べたところで、今日のタスクを考えます。よし、通信をつくろう。まぁ2時間もあればできるでしょう。
と思ったのが甘かった。
みんな横書きで書いてくるので、すべて算用数字で書いてきます。ところが通信は縦書きなので、すべて漢数字にしなきゃなりません。これがめんどくさい。ブツブツ言いながらとにかく組んでいきます。と、箇条書きの原稿が…。これはヤバイです。とにかく文章に見えるように修正かけましょう。
で、組み終えたら、26ページ…。ダメじゃん。2ページ減らせるか?詰め詰めにしたけど、やはり無理でした。しかたない。28ページに伸ばそう。
てことで、配置を変えて、写真をペタペタ。最終ページは書籍の紹介ですね。で、なんとかできました。
でも、その時点ですでに4時です。2時間で終わらせるつもりが6時間かかりました。やれやれ。まぁでも、これができたのは大きいです。
で、スタート。向かうは中光園です。今日は組合の旗開きです。
到着したら、すぐに来賓あいさつ。これが長い。合計40分かかりました。向かいの人たちが疲れてました。
ここでおいしい料理をいただいたり、はたまた
「今後を託すぞ」
と言われたり。ビビるな。まぁやりますけどね。
で、7時過ぎに退散。
お次は玖伊屋です。てか、玖伊屋が先に入ってて、旗開きはあとから来たんだよな。
とになく会場に行って、野菜を切りはじめます。そうこうするうちにどやどやと人が来はじめて、いつしか満員です。ちなみに、TじさんとM田さんも来られました(笑)。
今日のわたしからの料理は、まずはタッカルビ。

しかし、わたしはおなかいっぱいなのでほとんど食べられません。
そしてもうひとつの料理はサムゲタン。

圧力鍋の圧力を抜くのが一番大変でした(笑)。
料理の合間にいろいろ話をしてたけど、少しずつ泊まりではない人が帰りはじめて、わたしも早々にベッドに入りました。しばらくベッドから参加しようと思ってたけど、やはり瞬間で爆睡してしまいました。
まぁそんなもんでしょう。

タスクを崩す

今日は出張のない出張日ではありますが、zoomの会議があります。やれやれ。なんか、zoomが好きな人がいるんですよね。ちなみに「走り」の授業はないので、今日はレストです。
さてと、何からはじめよう。とにかくおべんきょしたいけど、当面差し迫ったことがあります。まぁ、少しは考えなきゃならないけど、基本ネット上に入力するだけです。しかし、15回なにかをしなきゃならなくて、しかも教科書がないからすべて自分で考えなきゃならんって、まぁ当たり前な人にとっては当たり前なんだろうけど、高校の教員としては新鮮ですね。あらためて自分の専門性を問われるというか、ほんとにやりたいことを問われるというか。まぁでも盆明け仕事もやったし、少しずつ慣れてきたかな。
とにかく来年度は「格差」をまずはやりたい。人権を伝えるにしろ、その前に学校というか教育というか、そういうのが社会の中で行われていて、社会と切り離せないということを、まず押さえておきたいな。
そんなことを考えてると、要さんからこれを紹介していいかどうかのメールが来たりして。どうぞどうぞ。てか、申しわけない^^;。
そんなことをしてると、1時半です。そろそろ脳みそがとまってきました。と、40分になったところで事務局長がzoomにアクセスしてきました。20分も前になんでやねん。まぁ10分前に開こうかな。で、入室許可をしようと思ったら電話です。事務局長からでした。どんだけせっかちやねん。
「つながるかどうか心配で」
ってなぁ。つながりますよ。つながらないとしたら、ネットの問題なので、電話してきてもしかたない。なんか「メール届きましたか」という電話と同じですね。
まぁあとは2時間半ほどzoomの会議です。疲れた。
で、定時を30分ほどまわって退勤。
なんか、しゃべる人はしゃべるな。まぁ「話をする」のは「話しをする」ってことで、「ていねいに話をする」のは「たくさん話をする」ことなのかな。わたしは「話を聞く」タイプなので、全然違うけど。
で、呑み会へ。向かうはマルミヤ亭です。なんか、この間Sふぁんさんからラインがあって、急遽入った呑み会です。
ここでおいしい肉とお酒を楽しみながら、わいわい話。結局わたしの居場所はここなんだな。
しかし、二次会はきつい^^;

すなおにうれしい

今日は日教組近畿ブロックの「母と女性教職員の会」です。はじめて参加というか、レポーターになったのは14年前のことですか。気がつくと、今は主催者側になっているという不思議です。
主催者側なので、当然早くいかなきゃなりません。奈良に9時集合ということなので、起床は6時前。6時過ぎに家を出て、奈良に到着が8時半です。どんだけ時間がかかるねん。そこからテクテク歩いて会場へ。すると、近畿ブロックの女性部長さん達がおられました。ちょこっと打ち合わせをして、受付に行くと、レポーターのTじさんや新採さん改めM田さんも到着です。
まずは全体会。記念講演の講師はカンボジアで子ども支援のNPOであるサンタピアップ代表の古川さんです。なんか、ハチャメチャな人生を淡々と歩んでおられる感じです。すばらしい。ただ、「この子、今、男に溺れてます」みたいな話があって、それはキツイなと。ほんとうにそうであるならば、おそらく共依存関係になるような社会的背景があるんだろうなと。そういう話にならないのがキツイなと。まぁ単に好きな男性がいて、その人に夢中みたいな話であれば、それはそれでいいんですけどね。
で、打ち合わせのあと、分科会です。わたしは第2分科会「子どもと人権」の司会です。といっても、わたしの担当は後半です。前半はレポートが2本。まずは、豊中の保護者の方によるレポートです。何でも保護者発信で性教育をされたんだとか。すごいな。というか、学校としてはうれしいし助かるだろうな。そして、2本目がTじさんです。去年に引き続き、今年も京都からレポーターを出せたのが、すごくうれしいですね。ちなみに青年部・女性部合同学習会は、このレポートの事前発表だったのでした。しかし、Tじさんのレポート、わかりにくいな(笑)。おそらく、脳みそは高回転してるんだろうけど、それに内容がついていっていないかんじかな。
その後、休憩中に後半の論議のための柱の検討です。でも、すぐに決めました。
「みなさんにとっての小粒の実践を出しあいましょう」
です。おそらく、日常の小さな実践を出しあうことで、「あれも実践だったんだ」と思えるようになるんじゃないかなと。
グループ単位で話しあってもらって、それを出しあって、そして最終ディスカッション。まぁなんとかこなせたかな。最後のまとめは
「やはり、違和感を持ったときにそれをつぶやくことが大切ですね。そのためにはアンテナを高く上げたり、感度を高めるということが必要かなと思いました」
そして懇親会。ちなみに懇親会は各府県ごとの出し物があります。どうする?
と、Tじさんが
「まかせといて」
と。なんでもM田さんと一緒にネタをやるらしいです。なにやらふたりでネタ合わせをしています。
で、京都の番がやってきました。ベテランふたりは自己紹介だけ。若手ふたりでやったのは「ミルクボーイ」の掛けあいです。
「なんか、いつも赤い服着て、赤いリュック背負ってるらしいで」
「それ、いつきさんやん」
「でも、なんか、いつも数学やってるらしいで」
「それ、いつきさんちゃうやん。数学苦手って書いてるんやで」
みたいな。
こういうのをやってくれるの、うれしいですね。
懇親会のあと、友だちから
「いつきさん、ずっとニコニコしてたね」
って言われて、本当に自分がうれしかったことにあらためて気づかせてもらいました。
その後3人で奈良駅までフィールドワーク。大和同志会の松井庄五郎の石碑なんかを見て、駅の下にある居酒屋でもうひと呑み。さらにコンビニでお酒を買い込んで、電車の中でもうひと呑み。かなり酔っ払ってしまいました。
あー、月曜日がこわい。

まぁそれでもええんやろな

朝、出勤途中、なんとなくモヤモヤ。で、職場に着くと、人権関係のものがかってに動かされてて、腹が立ったので爆発。若い衆になぐさめられるなど(笑)。
まぁでも、潜在的に人権が削られてることへの怒りとか腹立ちとかがあるから、定期的に爆発します。これ、スポットで人権担当してる人にはわかりにくいかもです。逆に言うなら25年も連続してやってるのはわたしくらいなんで、なかなか共有できない。
他の仕事は「後継者」を育てるためのしくみをつくってます。具体的には「人」を配置する。でも、人権についてはそれをしない。どころか、他校ではみんな「兼務」です。みんな「人権は大切」というけど、奥底では大切に思ってないことが丸わかりです。本当に大切だったら、人とお金をつけるはずですからね。みんな「他の仕事を考えると」って言うんだけど、それは単に「優先順位が低い」ってことを言ってるだけどす。
そんなことを10年以上肌身で感じ続けてたら、爆発しないほうがおかしいと思います。
ちなみになぐさめてくれた内容は
「この学校にいなかったら、今の生徒指導のやり方にはならなかった」
です。具体的には人権を意識した生徒指導ってことです。それはすなおにうれしいですね。
まぁそんなこんなで仕事開始です。最初の授業はプリント学習なので、とりまプリントづくりかな。プリントづくりが終わったら、少し金田さんのペーパーを読みましょう。なるほど。そういうことか。何度も読んだけど、わかってなかったなぁ。てことで、プラマーを読み直したり。なるほど。わかってなかったなぁ。
授業の最初は新年のあいさつ。
「地震すごかったね。でも、その後報道されないね。バラエティばっかりだね」
と言いながら
「松本人志がフッと消えたね」
と言うと笑いが起きる教室です。
昼休みは6時間目の国際理解教育のための放送セット。今回は少し組み方を変えて、講師にボリューム調整をしてもらえるようにしてみました。そうそう。年末に
「XLRケーブルを長さごとに違う色のテープを貼っておいて」
って部員に頼んだんだけど、やってくれてました。おかげでわかりやすい。
「すばらしい!」
と絶賛しておきました。
ここで少し時間ができたので、第4章をいじりましょう。一昨日、言葉の意味をひとつ変えた関係で、その言葉にまつわる表現を変えていかなきゃなりません。まぁこれでできたかな。
放課後は、各セクションの部長さん参り。実は京都府国際センターがパンフレットをつくってますが、それを見て「自分のセクションに必要な知識だな」と思うところをチェックしてもらおうと。そんなややこしい、しかも完全に仕事ではない依頼を、みなさん、ふたつ返事で引き受けてくださいます。ありがたい。まぁこれも、このガッコの雰囲気なんでしょうね。今はいなくても、もしも日本語指導が必要な外国人の子が来た時になにをしなきゃならないか、なにができるかを考えてくれるってことです。こんなふうにしながら外国人教育を広げていくってことなのかな。
てことで、いつもよりひとつ遅い電車に乗って京都駅へ。ここで、I本さんとHんみさんと合流。目指すは「みなみ」です。そして謀議です。
なんで他人がやったケンカの後始末をしなきゃならんのかなぁ。しかも、未だに頑なです。その頑なさが、今の人々にどれほどのいらん労力とかを強いてるかってことはわかってほしいんだけどなぁ。
でも、わかったことがありました。なのでおふたりに
「結局、プライドですね」
とひとこと。おふたり、笑っておられました。
「人権」というとりくみへのプライドは持てばいいです。というか必要です。が、自分へのプライドはなくていい。まぁ今朝の爆発への自戒の念を込めてですけどね(笑)。
さてと、帰りましょうか。

ルービックキューブみたいに崩す→出張ちょぼやき会

冬休みも今日までです。焦ります。が、起きたら9時です。まぁでも9時まで寝られるのも今日までです。なので、よしとしましょうか。
朝ごはんを食べたらPCの前へ。実は、昨日大きな決断をしました。中身は、ひとつの言葉の意味を変えるという決断です。これによって、第2章と第4章の内容が少し変わります。が、おそらくその方がいいはずです。結果的に、Hがしセンセが言ってた内容に沿うということです。あと、第5章から第1章に2ブロック移動させます。これも予備審査のコメントに書いてあったことを、今ごろ実行しています。ただ、入れる場所がむずかしい。そんなことと並行しながら、第8章の点検です。これ、どうしたものかなぁ。言葉へのこだわりは、今となってはどうでもいいです。ただ、概念としてLamontは使いたい。瞬間、第8章にLamontを持ってくればいいじゃんと思ったけど、考えてみたら、すでに第5章で使いまくっています。しかも、第5章ではLamontは使っていません。あらためて、よく査読通ったな。でも、てことは、やはり第1章に持って行かざるを得ませんね。でも、そちらに持っていけば、すべての章で使えます。
しかし、こういうことをはじめると、一度組めた章が修正地獄に陥ります。でもまぁいいんです。おそらく収束していく方向です。いわば「背骨を矯正する」感じかな。
と、時計を見ると15時まわってます。いかんいかん、動きはじめなければ。
ということで、JR→近鉄と乗り継いで、到着したのは「今里」です。今里と言えば紫金城です。2階にあがって座ると、いきなり山本さんから
前に、あちらに座られた方ですよね」
と言われてビビルなど。なんで覚えておられるねんと思ったら
「その後、NHKで見ました」
と言われて
「すみません」
と言うと、
「なんで謝るんですか(笑)」
と言われて、いや、そういう人なんですよ。
ということで、あとは社納さんプロデュースのすばらしいコース料理です。うまいうまいと食べながら、お酒を呑みまくって、その後、今後のちょぼやき会のありかたについて、ちょっとマジメな時間です。が、みなさん、すぐに脱線されます。修正役はわたしです(笑)。
そんなこんなで、20時頃に終了。最後に記念写真。

これから数ヶ月に一度、鶴橋近辺で「ちょぼやき会」をやることになりそうです。新たな展開だな。
にしても、1月に入ってからのエントリのほとんどが「おべんきょ」「走り」「呑み」で、特にこの3連休のエントリは、すべて「おべんきょ」と「呑み」という…。