フィールドワークに飛び入り

朝、犬に起こされてしまいました。
なぜかS田さんちの空くん@犬に昨日からかなり気に入られてはいたのですが、今日、ますます気に入られてしまったようです。伸ばしている手のところに口にくわえたおもちゃを持ってくるって^^;;しばらく抵抗したのですが、とうとう負けちゃいました(;_;)。
てことで、しばらく犬と遊んで朝ごはん。その後S田さんと一緒に近くの温泉。K村さんとこもそうだけど、近くに温泉があるっていいよなぁ…。
で、帰ってきたところでSやかさんという方が合流。実は、午後にフィールドワークがあって、飛び入り参加をさせてもらうことになったのですが、そこから米子駅まで送れる人がいなくて、その要員として急遽召集された方なんです。もうしわけないというかなんというか。でも、ご本人は
「いつものこと」
って笑ってはりました(笑)
で、3人で昼ごはんを食べて、いよいよフィールドワーク開始です。もっとも、お二人は
「暑い」
とか言って、事務所でしゃべってはりましたけど(笑)

フィールドワークの方は…。
なんしか暑い。でも、そんな中これまた熱い説明をしてくださいます。
まぁ、かつてのムラの姿が残っているところは、それこそ未指定でなければないだろうし、未指定でもおそらくはずいぶんと変わっているはずです。そういう意味では、
「こんなふうに変わった。そこにはこんなことがあった」
という話を、いまの姿を見ながら話をするしかないです。それは東九条も同じかな。なので、話す側の力量もさることながら、聞く側の想像力も必要になるかと思います。
そうそう、今日案内してもらったムラでは、経済的には苦しいものの、学力は高いとか。そこには保護者の努力がすごく関連してるということでした。このことについては、S田さんも話してられました。
んー、なんというか、社会的立場の自覚が、もしかしたら学力と相関関係があるのかもしれないですねぇ。
てことで、1時間半ほどのフィールドワーク終了。案内してくださった方、潜り込ませてくださった方、ありがとうございました!

あとはSやかさんの車で米子駅へ。古ーいつきあいのEみりちゃんと再会したりしながら車中の人へ。なんかウトウトしながら気がつくとおうちに帰ってました。
晩ごはんを食べて、ピカルを見て(笑)、さぁ寝ましょう。あしたから仕事だ(;_;)

京都に残るハンセン病の跡

その後、宮前千雅子さんの案内で京都に残るハンセン病の跡をたどるフィールドワークです。なんと豪華なことに、マンツーマンですよ。
まず行ったのは「長仙院」です。
ここにはかつて京都にあった「物吉村」のお寺にあった仏像なんかが移されています。そのことを示す「北御門院長棟堂 清圓寺」という札があります。仏像は真っ黒です。宮前さんは
ハンセン病の人たちが一生懸命護摩を焚きながら祈っていたんでしょうね」
と言葉を添えられました。
次に行ったのは松原通。ここ、かつての五条通とか。そういえば、そのままずっと行くと清水坂に行きますからねぇ。
ここの川沿いあたりが、かつての物吉村です。いまでこそ宮川町なんかがあってにぎわっていますが、かつては「野辺」だったところです。この一角に、「清圓寺」があったことを祀る小さな祠があります。

中にはちゃんとおいなりさんもおられます。
この一帯、「弓矢町」とか「轆轤町」という地名です。まさに、「つるめそ」であり「木地師」です。
わたしは、いわゆる「皮多系」についてはちょっとは勉強しましたが、「非人系」の歴史についてはほとんど知りません。というよりも、おそらくは研究段階なんでしょうね。それだけに、非常に興味深く感じました。

フィールドワークと講演

朝、へろへろです。でも、今日は午後から出張だし。
職場に着いて、
「昨日の〆は結局天一でしたわ」
と報告すると、みなさんから失笑が漏れます。そりゃそうだ。
午前の業務をこなして、午後から出張。今日は、わたしの「第2のふるさと」のフィールドワークと地元の人*1の講演です。
会場に着くと、会場の人がえらい剣幕です。
「車、何台来るねん!」
「そんなん、わかりますかいな。10台くらいとちゃいますか?」
「おまえなぁ!」
まわりの人たち、メチャクチャ怖がっています。でも、この人、ものすごく優しい人です。ただ、とりあえずワンプッシュしてから笑顔になるタイプなので、そのワンプッシュ中ということです。案の定
「頼んだで」
のひとことあとはずっと笑顔。いい人です(笑)。

で、フィールドワーク開始。案内人の方から
「おまえ、最後尾な。案内できるやろ」
と言われました。いやいや、無理ですよ。
そうか、6年前まで15年間、ここに住んでいたんだなぁ。家の前まで行くと、ちょうどお向かいの人が外出から帰ってこられたところでした。
「久しぶり〜」
「ごぶさたしています」
「変わらへんなぁ。またこっち来たら寄ってや〜」
「ありがとうございます」
みたいな会話です。

その後、ムラの歴史と現状と課題についての講演。
自分史とムラの歴史が重なるあたりについては、やっぱりその人にしか話ができないわけで、すごくリアルな話になりますね。でも、逆に言うと、全体をある程度知っている人間にしかそのリアルさは伝わらないかもしれません。もちろん、内容的には十分はじめて聞く人でもわかる話なんですが、「その先」はそれなりのことがどうしても必要になるのかな。まぁ、それはムラの歴史に限らないことだとは思いますが…。

てな感じで、あっという間の半日でした。
さて、今日は帰ってのんびりするぞ…。

*1:支部長ね

隙間をつくる

てことで、無事大阪に到着。
向かうは大正区です。今日は関西沖縄文庫の金城馨さんの案内でフィールドワークです。
わたしは金城さんのフィールドワークは2回目なのですが、みなさんははじめて。なかなかみなさん興味津々で歩いておられます。わたしも前回のことを思い出しながら、
「あぁ〜、そうやったなぁ」
と歩きます。
途中、デーゴの花のことを話されたり、エイサー祭の話をされたり。すごく味わい深いフィールドワークでした。
その後、関西沖縄文庫に行って金城さんの講演。
前回聞いたのは6年ぐらい前になるでしょうか。その時よりも今回の方がよりわかりやすい気がしたのは、わたしがこの間少しではあるけど勉強したおかげなのか、はたまた金城さん自身もこなれてきたからなのか。
中でもすごくおもしろいと思ったのが「隙間をつくる」「隙間を広げる」という発想です。
AとBが
「A||B」
みたいな感じで壁をはさんで隣同士の状態だったら、Aであることから逃げる時Bに入るしかない。ところが、
「A|  |B」
みたいな感じで壁と壁の間に広い隙間があったら、Aであることがら逃げる時、隙間に入れる。すなわちBに入るという選択肢以外のものができる。
いま、金城さんにとっては、関西沖縄文庫もエイサー祭も、そのような「隙間」であるということなんですね。
これを聞いて、もう、いろんなことがストンと落ちてきました。なるほどなぁと。いままで自分が出会ってきた/やってきたさまざまなことを言葉化できた気がしました。
やっぱり異種格闘技戦はおもしろいなぁ…。

追体験の大切さ

朝、職場に到着した瞬間から、とにかく仕事をガシガシやります。じゃないとまわらない。なにせ、今日原稿をあげなければいろんなタイムスケジュールがぐちゃぐちゃになって、最悪えらいことになってしまいます。
いくつかミスを発見しながらも、今の時点でミスを発見できてよかったなぁと、ちょっと安心。
で、試験監督を終えたら、「採点の祭典」の開始です。とはいえ、数学の採点は「祭典」にはほど遠いものですけどね。てことで、1時間ほどで1クラス終了。お弁当を食べながら、次の仕事の段取りだけはしておくことにしましょう。
で、昼過ぎに同僚3人と一緒に行動開始。今日は京都府南部の高校の人権研修でウトロに行くことになっています。
例年は人権担当だけで行っていたのですが、最近新採の人たちが増えてくるにつれ、やっぱり校区の「被差別地域」を知らないといけないだろうということで、今年は近場&オープン参加ということにうしました。ふたを開けるとこれがピタリとはまったみたいで、約30人の参加がありました。てか、これくらいの人数ってフィールドワークの限界に近いですけどね。

で、フィールドワークの開始。今回の案内人は「ウトロを守る会」のS藤さんです。この方、おそらく誰よりも深くウトロに入り込んでいる人じゃないかなぁ。いや、そういう人はあと2人いますが、その中でもトップレベルでしょう。そのことを裏づけるような話が、説明の中にチョロチョロとあらわれます*1
今回のフィールドワークの「売り」は「飯場跡」です。なんでもちょっと前に,中に入れるように、町内会長さんがきれいにしたそうです。
で、飯場跡に入ったんですが、なんというか、すごいです。6畳・2畳の二間に家族が入れられたらしいのですが、実際に入ってみるとすごいです。はじめのうちはすきま風と雨漏りのする建物だったようですが、それをウトロの人たちはいろんな工夫をしながら少しずつ「住める」ようにしていかれたそうです。そうやって、その建物、1960年代まで使われていたというのですからびっくりします。
さあらに水道敷設の問題や、洪水の問題、そして立ち退き訴訟の問題など、ほんとうにていねいな話をしてくださいました。そのせいでっていうとなんですが、ひとまわりするのに10分ぐらいの土地なのに、1時間以上かけてまわることになりましたが(笑)。

フィールドワークのあとは、たまたま韓国から「農謡」の保存会の方がウトロの人たちを励ますために来られているということで、その公演をウトロの人たちと一緒に見ることができました。
もちろんわたしは放送担当。というか、町内会長さんから
「頼む」
と言われたわけで、それは断るわけにはいきません。
おかげさまで、懐かしい人たちといっぱい会うことができました。てか、また遊びに来なくちゃね。

*1:もちろんそのことを自慢するような話ではないです

コリアンタウン

今日は午後から鶴橋〜猪飼野のフィールドワークと講演です。案内と講師は金光敏さん。
集合は午後一番だったので、
「鶴橋で昼ご飯」
とか思っていたのですが、時間を見たらギリギリ。結局おにぎりふたつを電車の中で食べるという、まぁありがちなパターンになりました。

さて、フィールドワークはというと、まずは鶴橋のガード下をゴチャゴチャと歩いて、その後商店街をウロウロと歩いて、御幸森神社へ。
ここまでは、不気味なほどにダンマリだった光敏さん*1。ここから「立て板に水」という感じで、しゃべりまくりはじめられます。さすがは「口から生まれた」を自称されるだけのことはあります。

やがてKCC会館へ。ここで、いよいよ光敏さんの講演です。
今回はご自分の話というよりは、大阪と朝鮮人の関係、あるいは平野と朝鮮人との関係についての話だったのですが、これまた百済の時代から始まるすごい話になりました。もちろん元落語家志望ということで、「代書」の話なんかも出てきて、なかなかしみじみとした講演になりました。
それにしてもうまいなぁ…。

*1:とは言え、わたしとふたりで雑談はしていたのですが^^;

で、フィールドワーク・刑場跡をたずねて

お昼にA久◯さんと合流。今日は九条山近辺の散策です。
京都の町中には2ヶ所刑場があって、ひとつは円町のあたり。もうひとつは九条山*1にあったらしいです。
てことで、前々から行きたいと思っていた九条山を、最近刑場マニアになりつつある阿◯Zさんに案内してもらおうという趣向です。
蹴上で合流したのですが、駅から外へ出ようとするとすごい雨。ふだんの行いの悪さが如実にあらわれます。まぁいいでしょう。
しばらく浄水場の横を歩いて、やがて山の中に入ります。といっても、横を走っているのは東海道、つまり三条通で、えらい車の量です。と、右手に石碑がありました。
今回は雨が降っているので近づくのはやめました。その代わりにこんなところを見つけちゃいましたので、紹介しておきましょう。
この九条山、他にもなかなか謎に満ちた感じがありまして、そのあたりについてはもう少しきちんと調べてみたいですね。
やがて、山を下っていくと、旧東海道との分岐点に行きます。
いちおう三条通東海道ということになっていますが、当然のことながらかつての東海道はあんなに広い道ではありません。旧東海道は、軽自動車一台がやっと通れるくらいの狭い道です。でも、稜線をうまく使って*2高低差がないようにつけられています。やるな…、昔の人。けっこう道ばたには灯籠なんかもあって、こちらもゆっくり歩くといろんなものが発見できそうです。
で、三条通に降りて、こちらはよく知られた供養塔をちょっと見ました*3
てな感じで歩いていたのですが、お腹が減ってきたので、おたふくへ移動です。
そうそう、御陵の駅に向かう途中、変な名前の中華料理屋さんがありました。なんでも、読みスジはマッカーサーだとか。なるほど…。

*1:現在の都ホテルとか浄水場のあたり

*2:いずみちゃんの指摘

*3:にしても、なぜ日蓮宗なんだろう…

西成フィールドワーク

この日に約束した西成高校とうちの「若手教員の合同の研修会&宴会をしよう」が、今日実現しました。
とりあえず、午後からみんなで「聖地・西成高校」へ。みんなで
「ここが西成高校かぁ」
としばし感慨にひたります。でも、迎え撃ってくださったH下さん
「なんもないしなぁ」
とええ感じの脱力感です。結局、校内をひとまわりして校長室へ。現在の校長はこの時の講師の方です。この方も、ええ感じの脱力感で、しばし西成高校の歴史について話。
「昔はうちの学校には3つの派閥があって、あるところがひきまわしをしてなぁ」
「それって、◯国委員会ですか」
「そうや」
もう、他の教員にはさっぱりわからないだろう話ですね。
「校長の写真の下見たらわかるけど、任期のおわりが3月ちゃうねん」
「なんでですのん?」
「まぁもたへんかったんやな(笑)」
あまりにもすごいです!
その後、西成のフィールドワークへ。案内してくださったのは、釜ヶ崎支援機構の方です。
労働センターからスタートして、支援機構の建物やシェルターを次々にまわります。
わたしは大学生の頃、釜ヶ崎で夜まわりのボランティアなんかをしたことがあったのですが、なんか、明らかに高齢化しています。てか、自分も高齢化してるんですけどね(笑)。まぁ言ってみれば、同時に進行しているというか。
ひとまわりして感じたのが、釜ヶ崎の運動って、まさに「生き抜くための闘い」なんですね。それが、比喩なんかじゃなくて、掛け値なしにその通りなんです。もしも運動がなければたくさんの死者が出る。例えばシェルターの中にはカーテンがありません。カーテンに閉ざされてしまうと、その向こう側で例えば吐血をしていてもわからない。プライバシーよりも命が大切という世界。
一方、雇用をつくりだすことも大切な運動。「カマからの脱出」だけをめざすのではなく、「カマで生き抜ける」ということも大切。
なんというか、ひとつの価値観だけじゃなくて、さまざまな「現実的な解」を模索しながらの運動のように思えました。

にしても、三角公園のまわりで、さいころがいい音を立てていたのには笑いました。そのあたりは相変わらずなんですよね〜。

話し込むことがやっぱり大切なんだ

今日は、人権教育関係の現地研修会。京都市内の某ムラに行きました*1
まずは、ツラッティ千本を、職員の方に案内してもらいながら見学*2。古地図がすんごくおもしろい!今の場所と比較しながら見るのもおもしろいし、描き方から当時の「中」と「外」の意識がわかるのもおもしろい。あと、屏風絵ですね。中沢新一の『僕の叔父さん 網野善彦』だったかに書いてあった気がするけど、網野善彦は屏風絵を見る時は、端っこをたんねんに見ていったとか。たしかにそうやって見ると、周辺部分にさまざまな被差別民が描かれていて、ほんとうに興味が尽きません。
その後、雨の中をフィールドワーク。今回は「まちづくり」というテーマなので、そのあたりに留意しながら歩きます。すると、今まで気がつかなかった、小さな小さなことに気がつきます。
午後からは、まちづくりについての講演と、教育をめぐる課題についての講演。
まちづくりとひとくちで言っても、膨大な時間と労力がかかるんですね。でも、自分(達)が納得できるものをつくりだすためには、その時間と労力を惜しんだらダメ。ましてや、一軒の家を建てるわけじゃなくて、そのことを通して「まち」をつくろうとするわけで、そこにはそれを仕組む側のさまざまな「しかけ」があります。そんな苦労話を聞かせてもらいました。
後者については、部落出身であることを「いつ伝えるか」「いかに伝えるか」「誰が伝えるか」ということが論議になりました。すごいと思ったのは、そういう保護者の悩みをビデオで見せて下さったこと。まず、そういう話ができるところまで話し込み、それを撮影させてもらうところまで話し込み、それを講演で使わせてもらうところまで話し込まないと、きっと実現しません。そんな話込みを通して出てきた映像であるからこそ、ほんとうに考えさせられるんですね。
まちづくりにしても、人づくりにしても、まずは話し込むこと。そんなことを感じさせられた研修会でした。

*1:ちなみに、ここのお好みはかなり「残念」な味です^^;;

*2:って、場所を言っちゃったよ

姫路へフィールドワーク

今年は府立高校の人権教育がらみの役がまわってきて*1、10校ぐらいのグループの「仕切」をしなくちゃなりません。で、2月にはフィールドワークに行くのですが、今年ははじめから決めていました。
まだみなさんが行っていなくて、やっぱそこでしか雰囲気を味わえないとなると、西御着でしょう。
担当なので、資料をつくらなければなりません。前回行った時はなんの予備知識もなかったので、工場見学をしている時は
「いったい、これ、どの工程をしてるねん?」
と思ったし、歴史の話を聞いている時もちんぷんかんぷんでした。
なので、今回はここから歴史工程について資料を引っ張ってきました。そうそう、講演を聞く時にはある程度土地もわからないと行けませんから、周辺地図とかも必要ですね。まぁそんなこんなを使った簡単な冊子をつくっておきました*2
で、今日は1時間目の授業を終えて、集合場所へ急ぎます。1時間半ほど後には姫路にいました。
まずは今回もコーディネーターを引き受けてくださった柏葉さんと合流。ファミレスでごはんを食べて、西御着総合センターへ。
前回と同じく、いきなり皮革資料室で全開です。今回は、各学校の人権教育の担当者ばかりで、しかも社会科とか国語科の教員が多いので、みなさん興味津々です質問も活発に出るので、ますます柏葉さんは全開です(笑)。でも、引き出せば引き出すほど、さらに引き出しから出てくるってすごいよなぁ…。
続いて工場見学です。今回も前回と同じ3個所をまわります。わたしは一度見ているのであれですが、はじめてのみなさんは興味津々です。途中、天日で革を干している場所があるのですが、
「写真を撮ったらあかんで」
とのこと。今回は作業中の方がおられるので、そこへの配慮のようです。と言っても、工場の中では
「写真撮ってもええで」
と言っておられるので、きっといろいろ大人の事情があるのでしょう(笑)。
その後、柏葉さんの資料館で講演。
内容的には前回と同じ感じなんですが、やっぱり2度目だと前回わからなかったところがわかったりして、かなりうれしかったです。

ちなみに、今回一番うれしかったのは、柏葉さんが一貫してわたしのことを「いつき先生」と名前で呼んで下さったことかな。もしかしたらやっぱり気に入ってもらえていたのかもしれない。で、今回はなんと柏葉さんお手製の蹴鞠*3をいただいてしまいました。
「これ、誰かにあげるのははじめてやで〜」
とのこと。もう、家宝にいたしますm(_ _)m。その前に生徒に見せるけどね。

ということで、柏葉さん、ほんとうにお世話になりました*4。また遊びに行きます*5

*1:輪番ですわ

*2:興味のある方は連絡下さればpdfを送りますよ

*3:両側が鹿の革。真ん中は馬の革で縫うそうな

*4:って、柏葉さん、パソコンはおろかファックスも携帯も使わないらしいので、こんなとこ見てはりませんけどね(笑)

*5:これは直接言いました。「A久◯さんと一緒に来ますわ」とね(笑)