なんとかなるのか?

今日は、すごく簡単に言うならば、「雑務ができない日」です。
これ、この1ヶ月半でわかりました。表向きはゆるゆるの時間割ですが、実際には雑務を許さないタイムスケジュールになっています。さらに放課後は「積み残し作業」をしなきゃなりません。
にもかかわらず、明日までに「大きな表」をつくらなきゃならない。2週間前に出された宿題です。
この「表」。何をどう分類して埋めていけばいいのか、埋めれば埋めるほどわからなくなります。
まずは項目立てをするのですが、その項目は「表を埋めるもの」から考えます。すると、ひとつ目はまぁ埋まる。ところが、ふたつ目のデータにとりかかると、それは別の項目立てをしたほうがいいこたに気づかせてくれる。で、新たな項目を立てるとひとつめがうまく埋まらなくなる。でも、強引に埋める。で、みっつ目のデータを処理しはじめると…。ワケわからん(笑)。
で、ほぼほぼ全体を見渡すと、手持ちのデータでは傾向が出ない(;_;)。
みたいな…。

こんなんで、明日までになんとかなるのか?

マジ、ヤバい(;_;)

午前はガッツリ授業です。とは言え、個人的には昨日の事後学習をしなきゃいかんと思ったので、そんなこんなを話して。
で、午後からは「考え」たり作業したり。
4時半ですでに抜け殻です(笑)。でも、今日は約束の日です。行かなくちゃ…。
と…。レジュメを…。切れない(;_;)。しかたない。タイトルは「メモ」にしておきましょう。

てことで、なーんもなしでセンセと話。なんしかこの間考えてきたことや、やりとりの中で思いついたことをひたすら話をしてメモをとります。センセは「ダラダラした雑談」と思っておられたようですが、実はわたしにとってはそれが「思考法」だったりします。まぁ、迷惑な話だとは思いますが…。
それでも、ほんの少し前にすすみました。
で、今後の日程を詰めて…。
やばいわ(;_;)。
「ほんの少し前」ではダメじゃん(;_;)。

エネルギーの処し方とか…

今日も「人生」を聞かせてもらいに行きました。
まぁ、わたしは精神科医やカウンセラーではなくて、一介の教員というか、「おべんきょ途中」な人ですから、人生を聞かせてくれるのは「話してくれることが可能な人」ばかりなんですね。でも、そういう人の話を聞くことが、実は大切なんじゃないかなぁというふうにも思うのです。まぁ言ってみると「問題解決型」の「ソリューションバンク」です(笑)。
なんか、話を聞いていて、内側にどんな形でエネルギーがたまるのか。そのたまるスピードと、そのエネルギーをどう処すのか、そんなあたりがすごく大切なんじゃないかなぁという気がしてきました。

にしても、ほんとにみなさん、しんどかったことも話してくださいます。それだけに、恐縮もするし、なんか、びびってしまいます。でも、感謝なんでしょうね。

原因追求型と問題解決型

今日から3回、保護者の話らしいです。
なるほど…。これはニーズが高そうだ(笑)。

とりあえず、まずは
「ある人のある出来事への対応が「A」であったとして、それがその人の絶対的な性格と考えるのか、はたまた「関係」の中で「A」であったのか」
という話です。
ふむ。性格であれば、これはどうしようもない。でも、「関係」の中でその振る舞いをするのであれば、それは「別の関係」の中で別の振る舞いもありうるわけです。
で、ともすれば、「あの人はあーゆー人だから」とか「あーゆー人だからあーゆー振る舞い」とか、「振る舞い」の原因を「その人」に求めがちになる。でも、そういう捉え方で果たしていいのかどうか。

ここで「原因追求型」と「問題解決型」って話が出てきます。
つまり、ある問題が起こった時に、それを原因までさかのぼって根本的に解決しようとするか、とりあえず「その問題」を解決するどころかスタートするか。
まぁ、わたしはあきらかに後者ですね。なにせ、3年前に「プラグマティック」という言葉に目覚めたくらいですから(笑)。
ここでセンセは「ソリューション・バンク」という考え方を紹介されました。簡単に言えば「うまく行った事例を蓄積する」って感じですね。これ、「問題解決型」ならではの考え方ですね。だって、異なる原因の処理のための方法は共有しにくいけど、問題への対処であれば共有しやすい。
で、そこにいる一人ひとりの経験の中の「ソリューション」を出しあって「バンク」をつくろうって感じで、今日のおべんきょ終了です。

ふーむ。うまく対処できた経験ねぇ…。
まぁ、いろいろあるし、すべて言葉化できるけど、で、すべて簡単なことなんだけど…。今日びはやらんからなぁ(笑)。

他者の人生に触れる

わたし個人の「おべんきょ」も、本腰入れないといけない段階になりつつある今日この頃です。とりあえず、いろんな人の話を聞かなくちゃ。
ふだんしゃべりまくってる(笑)わたしが、他の人の話を黙って聞くって想像できないかもしれないけど、お酒飲んでなければ聞けるんです(笑)。

で、今日はHくんの話を聞かせてもらってたんですけど…。
「話を聞かせてもらう」って、ある意味残酷なことなんだなって、あらためて感じました。
「当事者から搾取する行為」と言ってしまえば、とてもクリアなんですけど、そういうポリティカルな、ある意味定形的なひとことにはまりきらない「残酷さ」をHくんに強いているということを感じながら過ごす時間でした。
なんだろ…。
話を聞かせてくれる人って、基本的にはなんらかのしんどかった過去を持っているんですけど、でもその「しんどかった過去」に一定の評価をするところまではきていて、まぁ「冷温停止状態」までは持ってきているんですよね。でも、その「しんどかった過去」を聞かせてもらう、しかも「意図を持って」「掘り下げて」あるいは「しつこく」聞かせてもらうという行為は、「しんどかった過去」を「臨界状態」くらいまで持ってこさせてしまうことなんじゃないかなぁと思うんです。
でも、そのしんどい行為につきあってくれるわけです。なぜなんだろう。どうやって返せるんだろう。まぁ「形にする」なんていうのも、これまた定形的な言葉で、たぶんそんなものでは返せない。というか、返しようもないんでしょうね…。
まぁ、その日については「ごはんをおごる」くらいのことでごまかしてるんですけど^^;;。

なんてことを考えながら、Hくんの言葉に耳を傾ける半日を過ごしました。
Hくん、ありがとね!
って、読んでないよな(笑)。

先週から半年間、心理ギョーカイのおべんきょをすることになっています。
まぁ、カウンセリングマインドはわたしの仕事に必要なことはわかってたし、せめてまとめて話を聞くくらいのことはしたいと思っていたので、うれしいのはうれしいのですが…。
なーんか、このギョーカイの言葉って、ジェンダーにまみれているみたいです。
今日はいきなり「父性原理」と「母性原理」(笑)。前者は「切断」で、後者は「包摂」らしいです。個人的には
「お父さんが切断するものって」
なわけですが(笑)。
もちろんセンセは
「父母と書いてありますが、必ずしも父母というわけではありません」
とコメントはつけられるのですが、いや、それだったら名前変えたらいいじゃんと。あまりにもバイアスがかかりすぎます。で、さらに
「心理ギョーカイの用語って、家族をモデルにしていて」
とか言われるわけですが、それって、異性愛主義じゃないですかというツッコミを飲み込みながらの講義でした。

ま、それはとりあえずおいといて…。
学校は父性原理が優位で、カウンセリングは母性原理が優位。なるほど…。
かつての学校は子どもにパブリックさを求めていて、教員はプライベート的なものが許されていたが、今は子どものプライベートさを保障しようとしていて、逆に教員にパブリックさが求められている。なるほど…。
いろいろ「なるほど」は多いのですが…。

小学校や中学校の場合はよくわかりませんが、高校については「父性原理」と「母性原理」のバランスは、おそらくは「ランク(笑)」で違うのかなと。で、必ずしも「父性原理」優位とばかりは言えないのかなと。もしかしたら、カウンセリングと同様の部分があるんじゃないかと思ったりもしたのですが。
基本的にはランク(笑)が上のところは「母性原理」の必要性が表に出にくいし、「父性原理」も必要性が少ないことが多い。なので、両方が低くてかまわない。でも、ランク(笑)が下のところは「父性原理」を強めないともたないし、かつ「母性原理」も強めないともたない。
つまり、高校においては、片方が優位というわけではなく、両方を強めないといけない学校と両方を必要としない学校に分化しているんじゃないかと。であるからこそ、「しんどい学校」にはカウンセラーやソーシャルスクールウォーカーが必要になるわけですよね。
ま、そんなことを考えているうちに、おべんきょ時間は過ぎてしまいました。

さてと。
ガッコの宴会に行こうかな(笑)。

軸は定まったけど…

昨日、「お腹の高さで揃える」ことに決めたわけですが、まずはその理由を文字に落として意味づけをしなきゃなりません。アウトラインはできているものの、まだ言葉が足りない。
で、それをしようとするわけですが、時間が足りない(笑)。いろんなところから時間をかき集めると…。3時間だな(笑)。
できるのか?
でも、昨日の夜から脳みそはかなり活性化しています。思わず授業中に
「今の脳みそな、kure556を注したギアみたいやねん」
と説明したんですが、思わず、
「kure556かぁ、安モンやなぁ」
と反省したりもするわけです(笑)。
てことで、今日はビシバシ授業を進めて、「おべんきょモード」に突入です。
とりあえず、自分の中から言葉を探して、それをおいていきます。なんというか、大阪城の壁をつくってる感じです。間違ってもピラミッドじゃない(笑)。
続いてコピペタイム。ざっと見渡して、コピペコピペ。巷ではコピペがいろいろ言われてますが、コピペはコピペで、それなりにたいへんです^^;;。
と…。
脳みそがとまりました。たぶんゼンマイが終わったな…。間違ってもリチウムイオンバッテリーではありません(笑)。脳みそのゼンマイを巻くためには、すでに体力を使い果たしてます。もう、にっちもさっちも行きません。一行たりともコピペできない(笑)。
断念しました。

で、おべんきょタイムへ。
少し時間がたったからか、ほんの少しだけゼンマイがまけてました。約2時間、いろいろ話しあい。
「ま、いちおうこの線で行こっか。でも…。んー…。上からつまむものがほしいのよねー」
不可解な言葉を残して、本日のおべんきょ終了です。

つんだ(;_;)→お?

とりあえず、いま、目の前に「素材」がふたつあります。こいつらをどう料理するか。
似てるんです。でも、違うんです。
とりあえず、ふたつの素材の似てるところを見つけるべく、まっすぐ立てて並べてみたのですが…。
わ、わからん!違いしか見つからん!
片方にあってもう一方にない。両方にあるけどぜんぜん違う。たぶんあっただろうけど、「素材」にはあらわれてない。
まったく「似てるところ」がわかりません。
投げました(;_;)。

と、とあるところから声が…。
「校舎を徘徊。遠くを見て深呼吸」
あー…。
やってみたけど、花粉を吸うだけです。ゲフンゲフン、くしゃんっ(;_;)。
とりあえず休憩!

と、降りてきました。
立てちゃいけない。横にして並べてみる。足元をそろえるんじゃなくて、お腹の高さでそろえてみす。
あ…。もしかしたら…。見えた?
あしたきちんとやってみよう…。
でもなぁ…。あしたがおべんきょタイムなんですよね(;_;)。

今年もはじまった

3年目になる「おべんきょ」ですが、なんか久しぶりです。あ、2ヶ月あいてたんですね。
今年前半のテーマは「カウンセリング」です。同業者がもっともできてないテーマです。ちなみに、「できてない」であって「苦手とする」ではないところがキモでして。
同業者って、「できてる」つもりで「できてない」ということが多いんじゃないかなと。いや、みんな「課題解決」のためにがんばるわけです。で、「よかれ」と思っていろんなとりくみをするわけですが、たぶん、その「よかれ」があかんのやろなぁと思うのです。でも、そこにあまり気づかない。
てなことは思っていたのですが…。

今日の話を聞いて「なるほどなぁ」と。
カウンセリングとは「対人支援」。で、劇薬は好まない。どちらかというと、物足りないくらいで充分。
そもそも「臨床」とは「死を目前にした人の床に臨む」わけで、たぶん「なにもできない」。
その、「なにもできない」という謙虚さからスタートする。
例えば家庭訪問。アポをとるかとらないか。誰と話をするのか。どんな話をするのか。なんのために行くのか。そこをきめ細かく考える。

たぶん、ある側面では気づき実践をしてきました。でも、そこに理論がなかった。無意識ではなく、直感でもなく、慣れでもなく、意識化して行動を選択していることに自覚的になること。
たぶん、そのためのとてもいい機会になりそうです。

プレッシャー

今日はなぜか朝の8時から駅前で「おはよー」を100回くらい言いました。まぁ、そーゆー仕事なんです(笑)。
で、それをスタートに、夕方までノンストップ。合間の時間にメールチェックをしようとしてもネットがダウンしててなーんもできません。まぁ、それはそれでいいです。どうせ、その手の仕事をするヒマないし。
夕方になって、ようやくひといき。自分のイスに座れました。

で、少し早めに職場を出て「おべんきょ場所」へ。センセとしばらく話。
今年は勝負の年なので、一年間の流れや、これから2〜3ヶ月の動きを考えました。
で…。メッチャ、プレッシャーがかかってきました。
ずっと向こうにあると思っていた高い高い山。気がつくと麓まで歩いてきてたことに気がついて、「ほんとに登らなくちゃならないんだ」って、立ちすくむ感じです。
ま、登るしかないか。あの山の向こうには、まだまだいくつも、もっともっと高い山があるはず。