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先週から半年間、心理ギョーカイのおべんきょをすることになっています。
まぁ、カウンセリングマインドはわたしの仕事に必要なことはわかってたし、せめてまとめて話を聞くくらいのことはしたいと思っていたので、うれしいのはうれしいのですが…。
なーんか、このギョーカイの言葉って、ジェンダーにまみれているみたいです。
今日はいきなり「父性原理」と「母性原理」(笑)。前者は「切断」で、後者は「包摂」らしいです。個人的には
「お父さんが切断するものって」
なわけですが(笑)。
もちろんセンセは
「父母と書いてありますが、必ずしも父母というわけではありません」
とコメントはつけられるのですが、いや、それだったら名前変えたらいいじゃんと。あまりにもバイアスがかかりすぎます。で、さらに
「心理ギョーカイの用語って、家族をモデルにしていて」
とか言われるわけですが、それって、異性愛主義じゃないですかというツッコミを飲み込みながらの講義でした。

ま、それはとりあえずおいといて…。
学校は父性原理が優位で、カウンセリングは母性原理が優位。なるほど…。
かつての学校は子どもにパブリックさを求めていて、教員はプライベート的なものが許されていたが、今は子どものプライベートさを保障しようとしていて、逆に教員にパブリックさが求められている。なるほど…。
いろいろ「なるほど」は多いのですが…。

小学校や中学校の場合はよくわかりませんが、高校については「父性原理」と「母性原理」のバランスは、おそらくは「ランク(笑)」で違うのかなと。で、必ずしも「父性原理」優位とばかりは言えないのかなと。もしかしたら、カウンセリングと同様の部分があるんじゃないかと思ったりもしたのですが。
基本的にはランク(笑)が上のところは「母性原理」の必要性が表に出にくいし、「父性原理」も必要性が少ないことが多い。なので、両方が低くてかまわない。でも、ランク(笑)が下のところは「父性原理」を強めないともたないし、かつ「母性原理」も強めないともたない。
つまり、高校においては、片方が優位というわけではなく、両方を強めないといけない学校と両方を必要としない学校に分化しているんじゃないかと。であるからこそ、「しんどい学校」にはカウンセラーやソーシャルスクールウォーカーが必要になるわけですよね。
ま、そんなことを考えているうちに、おべんきょ時間は過ぎてしまいました。

さてと。
ガッコの宴会に行こうかな(笑)。

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