ぐるぐるまわりながら

今日はおべんきょの日です。ちなみに今日のおべんきょはハンパなくプレッシャーです。ある意味、この一年半をかけて考えてきたことを、これからの一年半へ向けて方向づける、楔となる時間なんですよね。で、当然のことながらペーパーを出さなきゃならない。でも、ペーパーが書けない。ほんとにどうしようと3週間ぐらい悩んでいたのですが、先日「ダメダメ先輩」に、後輩として、ふとメールした内容にヒントがある気がして、なんとなくペーパーのもとになるものはでっちあげることができました。
でも、いまだ「何を書かなきゃならないか」がわからないまま、つらつらとペーパーを作成。
で、いよいよ勝負の時が来ました。
センセ、頭抱えてます(;_;)。
やっぱダメでした。そこからふたりで「あーでもない、こーでもない」って話をするのですが、どうにもこうにもうまく前へ進みません。いろいろ話あって、気がつくと元のところにもどってくる。で
「あれ?もどってきた」
ってなって、またまたふたりで話をしていると、気がつくとまたまた元のところへもどってくる。
4周くらいまわったところで今日のおべんきょ終了です。前に進んでないです。でも、足元は少し掘れました。さてさて、どうなるのやら…。

数字

今日のおべんきょは2011年に京都府が行った「「新京都府人権教育・啓発推進計画」に関する府民調査結果について」の分析というか紹介というか^^;;。
これ、「分析」って言うと「それほどでもない」ってなって「紹介」って言うと「そこまでではない」ってなるっていう、まぁやっかいなあたりなんですけど^^;;。
とりあえず、元データはここにあります。

で、分析結果も↑にあるので読めばだいたいわかりますが、こういう調査っておもしろいなぁと思うのです。というのは、数字は単なる数字なんですが、そこからいろいろな妄想が広げられるからです。
数字は相関関係を教えてくれるんですよね。因果結果じゃなくて相関関係です。
単純に因果関係じゃないからこそ、妄想をふくらませてくれます。これ、ポイントは「妄想」ってところです。ちゃんとした社会学者なら「分析」なんでしょうですけど、わたししがない数学教員ですから、ここは「妄想」と自覚することが大切かなと。ただ、そこから広がる妄想、なかでも裏側から読む妄想はおもしろいです。
例えば、部落問題以外については女性のほうが忌避意識は少ないんですけど、部落問題だけは女性のほうが忌避意識が高いというデータがあります。
これ、これだけを見ると「女性って部落問題については意識が低いんだぁ」ってなるわけで、で、ま、それはそういう数字なんですけど、ここからの意味づけを考えるとおもしろいんですよね。
そもそも、女性と男性でデータに差があり、しかもそれが設問によって変わるということは、まぁ「ジェンダー差やろなぁ」と思うわけです。「いや、女性脳は部落問題だけは差別的なんだ」っていう主張があったとしても、部落問題そのものが社会的な問題なんで、それに生物的に反応するという主張はかなり無理があるかなと思います。
となると、部落問題と他の問題との間で、女性ジェンダー的に反応しそうなものはなにかなと考えるわけです。すると、いろんなことが頭に浮かんでくる。わたしの場合は「リスク回避」かなと、ふと思ったりするわけです。
では、なぜリスク回避と女性がつながるかというと、なーんとなくだけど「イエ制度」かなぁとか。
これ、確固たるデータがあるわけでも理論的裏づけがあるわけでもないけど、「なーんとなく」そんな気がする。それがおもしろいんですよね。なんか、ドミノ倒しみたいに妄想が次の妄想を呼び覚ます。
でも、この直感、案外いいところを突くんじゃないかとも思っていたりして…。

言葉を書き並べる

今日のおべんきょ時間はグループ単位のミーティング。金曜日のおべんきょは、互いに研究・実践したい人権にかかわるテーマを出し合い、テーマが共通する人同士でグルーブをつくり、最後に発表するのが目標です。
で、今日のグループミーティングのお題はテーマを考えるための「基本用語」を出しあうのが課題です。で、わたしが選んだ課題は「同性愛」。メンバーはわたしとあとひとりだけです(笑)。
ちなみに、この相方さん、なかなかおもしろいというか、強者っぽいというか。最初のおべんきょの時の自己紹介で、いきなり「従来の人権学習はステレオタイプ的なマイノリティ像を利用する形で成り立っている」みたいな話をしながら、批判的に総括してはりました。頼もしいです(^^)。

さて、いざ、「同性愛」をテーマにしたふたりではありますが、実はあんまり知識がないってことが判明。
なので、とにかく思いつくタームをダラダラと垂れ流しです。で、垂れ流しながら、いろいろタームにまつわる話を出しあいます。
そうすると、いろいろ出てきますねぇ。もちろん、その話の中には、直接タームにはならないこともあるわけですが、でも、そんな話がタームの中身をふくらませたり、別のタームの発見のためのきっかけになったりします。
てことで、一時間ちょい、ガサガサ話をして、脳みそ使いながらも、とても活性化できたんじゃないかなぁ…。

追い詰められて

今日はセンセとふたりでおべんきょです。一週間ほど前にようやく準備の最初の一歩をふめたくらいの状態で、ここ2日くらいでなんとか形だけは整えたって感じです。はっきり言って、まったく展開が読めません。
しかも、そこへもってきて、眠い。おべんきょ場所に向かいながら、半分寝かかってます。友だちのつぶやきを見て、ようやく眠気から脱出できたかな…。
で、話題提供。35分で終了。ダメだ(;_;)。
と、センセ。
「うーん、このペーパー、あなたがやりたいことと近いところもあるけど、ぜんぜん違うね」
_| ̄|○
そこからペーパーの解読がはじまります。ペーパー読んでないのに、わたしの提示したほんの少しの情報と、ペーパーの一部を読んで
「読んでないからわからないけど、けっきょく○○をしようとしてるんでしょ?」
すげえなぁ…。読む側もすごいし、必要なところに必要な情報を「わかるように」書いている書く側もすごいです。いまのわたしにはできないですね。わたしの文章は「なんのことやらわからない」けど、全体読んで、最後に「はぁ…、そーきたの」ってヤツですからねぇ。

でも、ここからの時間がよかった。
ブレーンストーミングよろしく、いろんなことを出しあって、ゴチャゴチャしていた頭の中が少しずつ整理されてきました。たぶん、やりたいことがふたつあって、それをミックスして提示しようとしていたんですね。で、それをわけてはどうか?という提案。
あ、クリアになった!
センセも
性教育に行くのかと思ってたけど、ようやく人権教育に帰ってきたねー。おかえり!」
って言ってくださいました。
うん。とりあえず、その方向で行くことにしましょうか。先は長い^^;;。

エッセンスとしての言葉

で、数学のおべんきょです。
今日はいままで2回のおべんきょでやってきたことを多項式でやろうということのようです。つまり、ユークリッドの互除法多項式でやろうと。
こういうことをしようとすると、すべて「定義する」ところからはじめなくちゃならないんです。例えば、「約数とはなにか」とか「公約数とはなにか」とか「既約な多項式とはなにか(整数でいうと素数)」とか。で、「既約な多項式は係数が有理数の場合1次式か、あるいは実数解を持たない2次式の証明」みたいなのを通過して、ようやく「ある多項式は既役な多項式の積で一意的にあらわせる」ことの証明で、本日の内容終了でした。

でも、ひとつひとつの式や言葉にムダがないんですね。一見まわりくどく見えるけど、そのまわりくどさは厳密性を担保するために必要なものであったり、あるいはわたしの理解不足を補足するためにあえてつけていたりするわけです。
なので、おそらく本来はエッセンスとしての言葉を真に必要な順序で書き並べることによって、ひとつのものごとをあらわしていくんでしょうね。

まったく!数学ってやつはo(^^)o!
という感じです^^;;。

資料は裏から見る

今日は結婚差別にかかわる意識調査の話でした。
部落の人と部落外の人の結婚で被差別体験のある人のパーセンテージ、60代と30代とでどちらが高いかみたいな話でして。これ、30代なんですよね。わかりきった話ですけど、からくりは簡単で、昔は結婚差別を受ける以前に、そもそも通婚(部落の人と部落外の人の結婚)が少なくて、だから差別が少なかったと。
まぁこれ、からくりを知っている人にとっては当然の話なんですが、からくりを知らない人には、もしかしたら「昔のほうが差別はゆるかった」っていう結論に至る可能性もあるわけで。
もっとも、裏ばかり見てもこれまたいけないのかな。
例えば、「部落であることを相手に伝えた」「伝えなかった」と結婚時の被差別体験にはさほどの違いがなかったりします。ということは、「伝えないこと」のメリットがさほどないということになります。ま、伝えなかった理由の第二位が「伝える前に相手は知っていた」ってのがあって笑ってしまいました。
結婚差別にかかわる意識調査の話は前にも聞いたことがあるんですけど、あらためて聞くと、調査結果はいろんな角度から見なくちゃならないんだなぁという、これまたごく当たり前の結論に達したりするわけで(笑)。

あまりに注目

で、夜はおべんきょ。うれし恥ずかし数学タイムです。
今日のは「aで割ったあまりがr、bで割ったあまりがqである数nをひとつ求めよ」って話でした。
これ、ユークリッドの互除法から出てきた「aとbの最大公約数をdとすると、ax+by=dとなる整数x,yの組が存在する」から求めることができます。
ちなみにこれ、aとbが互いに素であれば存在しますが、そうでない時は存在しない場合もあります。で、存在する時の条件を求めたりしてました。
ここで直感的に求めることも可能なんですが
「あまりに注目してみましょう」
とのお言葉。なんでも「法演算」というのを使ってみるとか。これ、「aをnで割ったあまりとbをnで割ったあまりが等しい」ときに「aとbはnを法として合同である」→「a≡b(mod n)」ってやるそうです。簡単に言うと、「数」をあまりで分類する感じでしょうか。で、これを使うと、具体的にはあまりの差がaとbの最大公約数の倍数であることが条件になるようです。
ついでに「10で割ったあまりがr1で12で割ったあまりがr2である数nと10で割ったあまりがq1で12で割ったあまりがq2である数mがあるとき、nとmの差を求める」なんていうのもありました。これは十干十二支で考えた時の年の差をもとめるってお題でした。

でも、あまりって「あまり」っていうぐらいですから「いらないもの」「半端もの」って感じがしがちなんですが、実は「商」よりも「あまり」のほうが使い道があるんですね。
でも、「ま、そりゃそうだな」と、なんとなく納得もするわけで…^^;;。

わかるかなー

今日は日本の人権教育の歴史です。わたしも知ってるようで知らなかったこと。ま、知ろうとしていなかっただけですけどね。
そうか。わたしが義務教育時代に人権教育(同和教育)を受けた覚えがなかったのは、わたしの記憶力の問題だけじゃなくて、そもそも教科書の中に記述がなかった可能性があるんだ。そんなこともわかるわけで、なかなか有意義でした。
もっとも、そんなことを身をもってわかるのは、センセとわたしのふたりくらい。若いおべんきょ仲間にわかるはずもありません。
他にも「ウケどころ満載」のおべんきょタイムだったんですけど、笑っているのはわたしだけ。ま、そんなひとときでしま。まぁ、ほとんどマニアの世界だからしかたないか…^^;;。

「型」

今日は午前に出張です。てことは、午前はデスクワークがまったくできないということです。まいった(;_;)。
えーと。5時までの間に残された時間は…。4時間か。この4時間でどこまでデスクワークができるかですね。
と、ひとつ用事が入った(;_;)。残された時間は3時間。
あ、もうひとつ用事があった(;_;)。残された時間は2時間。
ダメだ(;_;)。

てことで、なにもかも中途半端なままおべんきょ場所へ。やり残したことがいくつかあったので、おべんきょ仲間部屋で作業作業。
で、一対一のおべんきょ開始です。
んー。もらうコメントはボロボロです。どうやら「型」が身についていないみたいです。
ま、そりゃそうです。「上段の構え」とかを身につける前に「冗談のカマえ」と「円月殺法」で切り抜けてきたわけで、そんな人間の書く文章は、「演武」の世界ではボロクソです。
でもま、とにかく今できることをひとつひとつこなして、「型」を習いながら身につける以外方法はないようです。そして、「型」を身につけることは決して悪いことではないとも思っています。
ま、そんなおべんきょの時間でした。
にしても、時間が…。どうやってつくろう(;_;)。