ラディカルはラディッシュからきているのか…

そろそろいま読んでいる章もおしまいです。いよいよ著者の考えが色濃く出てきます。
読書会では、直接本そのものについて考えたり解説を聞いたりするのもおもしろいのですが、そこに付随した「余計な」を聞くのがまたおもしろい。
今日は、ヘーゲルの時代のことにからめながら
「政治が乱れてくると、「こうあるべき」という人が出てくる」
というひとこと。
思わず、
「その人についていく人もまた出てきますよね」
とツッコミを入れてしまいました。
でも、だからこそラディカルにものごとを考え、行動しないといけないんだろうな…。

「問うこと」は人間存在であるらしい

きょうの話もめっちゃおもしろかった。
とにかく「人間は教育されなければならない唯一の被造物である」というテーゼのもとにすべてを考えていこうと。いや、このテーゼそのものを壊してもいいんだけど、あとがたいへんだよと。なぜなら、ぼうだいな作業をしなくまたゃならない。なので、簡単に言うなら「新築ではなく、リフォームで」らしいです。
わかりやすいわぁ(笑)。
ただ、リフォームといっても、そんなに牧歌的なものではなくて、「修理しながら走る潜水艦」みたいなものらしいです*1。なぜか?すでに生きているから。そこに「現実」があるから。
わかりやすいわぁ(笑)。
で、「問いとはなんぞや」と。
すんごく簡単に言うと、「答えより問いのほうが難しいやろ」と。たしかに難しいです。試験問題づくりは(;_;)。さらに「答えがない(かもしれない)問いもあるんとちゃうかな」と。かのデカルトも「コギト、エルゴ、スム」と言ってるやろと。これを言い換えると、「人間とは問う存在である」と。
じゃぁ、もしも「問い」が許されなかったらどうなるか。
ここで犬養毅が登場です。
「話せばわかる」
「問答無用」
なるほど!「問い」のない世界は「無限の自己肯定」の世界で、それは、逆ハンの切れないドリフトみたいなものなんや(笑)。
で、ストンと落ちた話は…。
「良識ある生活と思慮のない生活の区別は?」→「手続きの有無」
思慮や良識は知識の量ではなく手続きであると。
たしかにそうです。手続きとは、結論へ至るために、常に問い続けることですよね。
「なぜ○○をするのか?」
「したいから」
なんていう会話が、なんかそこここで聞かれがちなんですが、その、「問いと答の間」こそが手続きであり、それが「問い」であり、そこに「現実」がある。
ってことらしいです。

いやぁ、おもしろい!

*1:「ノイラートの船」らしい

なごむ…。

今日はおべんきょの日。ガッコがはねたら、速効おべんきょの場所へ向かいます。
で、読書会開始。

教員ひとりと学生8人という、すごく少人数の教室は、とても静かです。でも、沈黙が支配しているわけではありません。どちらかというと、思索があるから静かであるという感じ。そこには、強制も威圧も暴力もありません。ひたすら「本」と、その本の中にある「思想」と向かい合います。そして、互いの感想や意見や疑問に耳を傾け、教員の解説を心待ちにします。

この学びの場に来た瞬間、日常のなかですりきれそうになる心が、ふと和みます。

教育哲学は理論と実践の二項対立ではないらしい

話を聞いていて、なかなかおもしろかったんだけど、考えようによっては「臨床の現場*1」の人って、そう考えるのがあたりまえなんじゃないかなぁと。
例えば、引用文献のなかに
「学校のなかで逸脱行動が見られたとき、それは治療の対象とみなされることが多いように思われる」
みたいな文章が出てきて、思わず
「んー」
ってなりました。
そりゃ、そういう人もいるけど、例えば「非行は宝」という有名な言葉がありますが、まさに「逸脱行動」を「治療の対象」とみなさず、逆にその「行動」を通して、「教育とはなにか」「学校とはなにか」「教えるとはなにか」「教員とはなにか」「生徒とはなにか」ということを問い、それらをつくりかえていく営みは「常に既に*2」あるわけです。
で、たぶんこれって、「教育という臨床の現場」だけではなく、どこにでもある。そんななかで、例えば「SOC7」だって出てきたんじゃないかなということで、この話に行き着くわけです(笑)。

*1:学校についてもこうとらえている人はたくさんいる

*2:(笑)

楽しい!

今日は、ある意味、はじめての「講義」。先週は、まぁガイダンスって感じでしたから。
今日の講義は10人くらいの、まぁいってみれば読書会です。
読書会なんて、30年ぶりくらいですよ。
誰かが一段落を読んで、そこで疑問や感想を述べる。今のところは、それにたいして教員がコメントを入れてる感じだけど、相互に考えを述べあうようになったら楽しいだろうな。
でも、いまも充分に楽しい。自分の疑問に直接答えるわけではなく、著者の思想や時代背景の紹介を通して、自分で自分の問いへの答えを探す感じ。
うん、こんな授業、自分もしたいな。きっと、どんな子らが相手でもできるはず。いや、うちの子らだからこそ、これをしなくちゃならないんだろうな。

「問い」と「答え」の間にあるもの

夕方からおべんきょです。「問い」と「答え」の間にあるものが、教育・学習の本質らしくて、そのことでちょっとだけ意見交換。まぁ、答えがある意見交換じゃないから、別になにを話してもいいんでしょうね。レポートには「問いと答は相互に反復する」とか、ええかげんなことを書いておきました。やれやれ…。

いよいよはじまった

今日から電車通勤開始。
いままではバイク通勤でしたが、たしかに「早い・安い・寒い」と三拍子揃っていて、なかなかよかったのですが、やはり途中なにもできないのがつらいです。電車通勤は、バイク通勤の対極にあります。で、今回はそっちをとったと。
本は読めるし、原稿も書けるし、なにより事故る心配がありません。あと、駅まで自転車だったり歩いたり走ったりというのもいい。
にしても、5時半起きはつらいな…。

てことで、無事出勤。
今日は始業式&入学式。
まぁ…。
いつもの通りです。新入生は、いつも刺々しいものです。それはたぶん不安の裏返し。高校に馴染んでくるにしたがって、少しずつそのトゲもなくなるでしょう。

夜は夜で「おべんきょ」の第1回。
今日はオリエンテーションだとかで、一時間ほどでおしまい。こちらはついていけるのかどうか不安だったけど、なんとかなりそうですわ。ふぅ…。

いっぱい聞いたな

今日は某学校のオリエンテーションの日です。
門にはなにやらあるので、となりにある通用門から入校。いやぁ、真ん中を歩けるような人間ではないですからねぇ。で、セレモニー。あっという間に終わりました。
問題はここからです。なにやら分厚い冊子を渡されて、えらいペースで説明を受けます。まぁ、それでも普段わたしが話をする時のスピードの半分くらいだから、人のことは言えません。いや、わたしのは中身がないからいいけど、オリエンテーションは中身があるからなぁ…。
昼をはさんで、またまたオリエンテーション。その後、同じコースの人たちと合流。へぇ、人数少ないんだ。まぁどうせわたしが最高齢でしょうけどね。
んなかんじで、人の話をさんざん聞いて、頭の中がぐちゃぐちゃになったところで、本日のオリエンテーション終了。

にしても、履き慣れない靴を履いたから、足がめっちゃ痛い(;_;)

なんか実感が…

実はこの4月から、ちょっと某学校に行ってお勉強をしようかと。てことで、新エントリ「おべんきょ」をつくってみました。でも、普通に仕事をしながらの「おべんきょ」なので、たぶんこのエントリは、すぐに廃れてしまうと思います。それでもまぁ、いまは初々しい気分なので、ちょいと書いてみましょう。
てことで、今日は学内ネットワークの利用うんちゃらで休みをとって某学校に行きました。
「ふ〜ん」
と思いながら説明を聞いていたのですが、パソコンにログインしたら、わたしのフォルダがあったのにはびっくりしました。「ここ」に自分の「場所」ができたんやなぁということを、あらためて実感。妙な気分やなぁ…。