新たなステップへ

で、夜はおべんきょです。
今回は事前にペーパーを送ってあったので、サックリと指摘をもらってサックリと終わりました。
何度も同じことを指摘されているのですが、実は少しずつ自分の中で、その指摘の意味がわかりはじめています。なぜなら、文章を書きながら「ここは指摘されるな」って思えるようになってきたからです。んじゃ、指摘されないように書けばいいじゃんって話なんですけど、それができないのが「わかりはじめた段階」ってことです。
でも、とりあえず次のステップへ。
ここからがいよいよ本番、ほんとうに自分の脳みそとの闘いがはじまります。楽しみです。

台風が来てるけど

台風が来てるけど、やらなきゃならないものはやらなきゃならんわけで。土日は仕事関連はなーんにもしなかったから、今日こそやらなきゃどうしようもありません。
でも、昼にビール飲んだら眠くなって寝てしまいました(笑)。
夕方起き出して、とりあえずおフロに入って目を覚まします。と、筋書きが浮かんできました。こんなもんなんでしょうね。おふろから上がったら、とにかくパソコンに向かって書き書きです。
で、あとワンフレーズ残して力尽きました。ラフスケッチだけメモして晩ごはん。
ちょいとテレビを見て、続きを書き書きです。なんとか書き上げて、メールで送信。
さてと。今度は仕事関連の仕事です。って、なにがなんだかわからんな。なんしか、ここで仕事を進めておくと、あとがグッと楽になります。勝負どころってやつです。なので、眠気と闘いながら、なんとかかんとか区切りまでこぎつけました。
ま、ここまでやったからよしとしよう。もうすぐ1時。寝なくちゃね。明日からガチの日常が帰ってきます。

とりあえず書く

とにかくひとつ仕事が決着ついたので、次のタスクに移ります。
考える→探す→読む→考える→書く。
ひたすらこの繰り返しです。でも、これをしないことにはどうしようもない。山のいただきはまだまだ遠方にあります。たまには顔をあげて山のいただきを見たい気がするけど、それをやったら「雑念」が混じります。とにかく一歩一歩前へ進むこと。

今日もテーマ曲はドナドナ

遅々として進まぬまま、とりあえずおべんきょしにおべんきょ場所へ。未完成のペーパーを持っておべんきよ場所に行くのは、苦痛というか怖いというか。
センセ、ペーパーを読みながら
「ふんふん…」
ビビります。
「ここね。これで終わっちゃダメなのよ。ほにゃほにゃほにゃと引用したあと、ちゃんとひとこと自分の言葉を入れなくちゃ」
「これ、あなたのオリジナル?だったら、根拠を示さなくちゃ」
ズバズバと突っ込んでこられます。しかも、ことごとく「未完成」で放っておいたところです。まぁ、できたつもりのところをツッコまれるよりはマシかもしれませんが…。
最後はこちらから攻めの姿勢です。
「ここ、完全に未完成で、とくにここに入る一文をどうしても考えられなかったんです」
開き直りとも言います(笑)。
それでも最後は
「思ったよりも進んでるね」
とのお言葉。マジ、しんどかった。でも、充実してたな。

遅々として進まず

明日までに、とりあえずなんとかしなきゃならんのに、まったく進みません。その理由はふたつ。

ひとつは時間がない。あらかじめわかっていたはずなのに、やはり時間がない。というか、これまでとは時間の使い方がまったく違うようです。今までは3つくらいのことを同時に考えて、TTS*1的に時間を割り振りながら、傍目からは同時進行でことがこなせました。でも、どうやら「おべんきょ」はあまりにも大きな「Bジョブ」なんで、処理の時間のほとんどをとってしまいます。なので、それだけの時間をそこに投入しなきゃなりません。で、その時間がない。

もうひとつは、思考が迷走している。調べれば調べるほど、考えれば考えるほど、自分がいかに単純な発想でものごとを捉えていたかが突きつけられます。いや、単純というよりも大雑把かな。逆に言うなら、自分の捉え方の解像度があがったのかもしれません。細かいことが見えはじめて、おそろしくやっかいです。でも、それを含みこまなきゃものごとを描くことはできない。でも、それにとらわれてもものごとを描くことはできない。ジレンマです。細かい解像度で見つめて、そこに大きな切り口を見つける。そこまでいけてないから、迷走します。

で、そんなことを感じながら、今日も放送で走りまわってたわけです(笑)。
ちなみに、明日も走りまわるのかなぁ(;_;)。

*1:タイムシェアリングシステム・懐かしい(;_;)。

こんなの読む日が来るとはなぁ

昨日の夜、読みたい文章があったので、ゴソゴソ本棚を探っていたのですが…。いや、本棚って、前後二段になっていて、しかもその上に本は横においてあるもんですよね^^;;。なので、よほどファイトがわいたり必要に迫られない限り、うしろの本を探すことはないんです。でも、えてして後ろにおもしろいというか必要な本が入っているわけで。
てことで、ゴソゴソ探していたら、いろいろと出てくるわ出てくるわ。なかでも、昔、若気の至りで定期購読していたこんな雑誌なんかが出てきて
「うわ(;_;)!」
と赤面してしまうのですが…。
でも、特集を見ていると、今なら興味を持って読めそうなものが目白押しです。そんな中
「あったあった!」
と取り出した「レズビアン/ゲイ・スタディーズ」。うーん、少しだけパラパラとめくった痕跡はありますね。
てことで、朝、本日の一冊てことでリュックの中へ。
行きの電車の中でちょいと広げて…。おっと。首を下向けたらあかんのや。てことは…。表紙が堂々と前を向くのか(笑)。
かつてK口くんが
「電車の中で解放新聞を広げるときのほんの少しの躊躇(笑)」
って言ってたのを思い出しました(笑)。

そいつらの言うことはな!

さぁ、今日からは日常を過ごさなくちゃ。
とにかく、いつもの火曜日通り5時20分起きです。ほんとに骨粗鬆症の薬はめんどくさいです。ま、自業自得ですがね(笑)。
で、いつものように職場へ。
さてと。とにかく、夏のいろいろな事務仕事をやってしまいましょう。

と。なんか生徒がやってきて…。
「ウトロについて教えて」
と。ほう。で、相談にのりだしたのですが…。
生「いろいろ調べたで」
い「何で調べた?」
生「インターネット」
嫌な予感がしました。
い「キーワードは?」
生「ウトロ youtube
い「あ、それ、全部ウソ(笑)」
ここから1時間ほどかけてレクチャー開始です。まぁ、完全に「それ」だけじゃなくて、他のところもあたったみたいで、少しはホッとしましたが…。
にしても、ウトロのすぐ近くに住んでいて、ウトロの中に住んでいる友だちもいて、なおかつyoutubeの画像をソースにするわけですから、ほんとにこわいです。これ、もしもわたしがいなければ、あるいはその生徒を連れてきたわたしの教えた子がいなければ、さらにいうならその「教えた子」のクラスでわたしがウトロのことを話してなければ、今回質問に来た生徒は、もしかしたらyoutubeの画像だけをソースにしたかもしれない。これはあまりにもヤバすぎます。
最後に「こんなんも調べとき」って、いくつか資料を渡して、とりあえずレクチャー終了です。

その後も、なんかゴチャゴチャ仕事があって、ようやく落ち着いて本を読めたのが昼過ぎ。昼過ぎかぁ…。ヤバイなぁ。
30分ばっか気を失いました^^;;。

てことで、センセにギブアップのメール(;_;)。
あーあ…。

骨休め・大分遠征(0日目)

明日はなぜか別府でお座敷です。てことで、今日は大分に行ったらいつも行かせていただくお宅におじゃますることにしました。ここのお宅、もう10年を越すかなぁ。北海道で日教組教研があった時のたまたまの出会いがはじまりでした。こういう「たまたま」が長いつきあいになれるのが、組合のいいところのひとつかなと思います。

で、とりあえず新幹線に乗って、パソコンを開いて、レポート作成です。あしたはお座敷ではありますが、あしたはレポートの締切日でもあります。このレポートを出さなかったら、一年間が無駄になる(;_;)。でも、思いつかない時は思いつかないものです(;_;)。うーんうーんとうなりながら、なんとか書き終えたつもりになりました。ま、あとは一晩寝かせて完成です(^^)。

てなことをやっていると、大分に到着。駅で車に乗せてもらって、山の中へ。到着したのは日本一の炭酸泉の小さな町です。
とりあえず、あいさつもそこそこに温泉に連れて行ってもらいました。すごいです。あわあわです。身体に泡がまとわりついてシュワシュワしてます。
小一時間ほど温泉を楽しんで、お友だちのお宅にもどって宴会開始です。大分は、とにかく食べ物がおいしい。「山海の珍味」ってわけではないのですが、普通の食べ物が普通においしいんですよね。ビール飲んで、日本酒飲んで、ワイン飲んでとしているうちに、メッチャ眠たくなってきたので、そろそろお開きかな…。

教育とは

今日のおべんきょは「社会教育の理論」らしいです。とにかく、ひたすら上原専禄だらけです(笑)。
実は、というか当然のことながら、というか、わたし、上原専禄さん、知らないです。いや、きっと「知らんの…」ってあきれられるかもしれないけど、知らないものは知らないんです。なんか、すごい人みたいだなってのは、よくわかりました^^;;。

教育とは…。生活と科学をつなぐものである。
一見「あたりまえ」とも見える、単にこれだけのことなんだけど、なかなか奥が深いらしいです。
あるいは「神なき国の教育論」。ふむ。
「権利とはなにか?」「自立とはなにか?」「一人前になるとはどういうことか?」
ひとつひとつ、あたりまえのことを問うていく。答えにつまります。自分の心の中の言葉を探します。このおべんきょで最も鋭く問われたのは、実はここでした。頭の中の言葉ではなく、心の中の言葉を探す。自分の言葉で語る。自分の経験、自分の生活、そこからスタートする。
あ!
これです。「科学」からスタートしない。「生活」からスタートする。「生活」から「科学」を問う。「科学」で得た答えを自分に返す。それを生活に組み込み、さらに生活を深く問う。それをつなぐものが教育?
「社会教育」を考えることは、いつのまにか「教育」を考えることになっています。

結論は、よくわからないです。というか、言葉にはできない。でも、頭の中にいっぱいものを詰めて、思いっきりシャッフルされた気がしました。

あー
疑問…。
社会教育と運動は違う…。
それはその通りです。が、運動と闘いはまた違うはずです。
マイノリティにとって、学ぶことは生きるための力を獲得することです。そして、生きることは日常的のそこここにあるとても小さな闘いの連続でもあります。つまり、学ぶことで闘いの力を得るということに、結果的になるわけです。
その闘いを普遍化することは運動と言えるかもしれない。でも、その普遍化を拒否する。普遍化の少し手前、共有。共有の少し手前、共感。共感を再び個にもどす。そして、生活にもどす。学び考え、日常を生きる。その日常という名の闘いは、運動ではないのではないかと思うのです。
では、社会教育と闘いの関係は?
違いますよね。でも、そこは切り離せるのかなぁ…。