つ・つ・疲れた

なんか、朝からとりたい連絡はとれないし…。必要ない連絡は入ってくるし…。
まぁさ、「はじめる」ことは簡単なんだけど、「続ける」ことはとてつもなくしんどいことなんです。それはわかってはいるんだけど、覚悟もできているんだけど。でもやっぱり時として疲れるわけで…。
まぁいいや。あしたの研究授業のネタを仕込んでおきますか。

ルーツとルート

今日の帰り、郵便物を届ける用事があったので、えらい規模のところに行ってきました。
まぁ、郵便物を届けるのが「ついで」なのか、郵便物を届ける「ついで」というか、そのあたりはよくわかりませんが…。
で、今年からそこで働くことになったこちゅかる子さんとしばし話。
こちゅかる子さんとわたし、全然違うところはもちろん多々あるんだけど、「キリスト教1世」の親を持った「2世」という共通点から出てくるさまざまなものの考え方の類似性もまた、多々あります。
おそらくは、「1世」って、まったくそういう素地のないところから、自らの意思でキリスト教になる。当然、まわりとの軋轢もたくさんあるだろうし、その中で「ゆずらない一線」というものもたくさんあるんだと思います。しかし、「2世」って、そういう「こだわり」の中にどっぷりと浸かりこんでいます。
例えば、わたしの家では長い間「盆・暮れ・正月」という概念はありませんでした。あるのは、「クリスマス」と「イースター」。まぁ、イースターといっても、教会で色セロファンで包まれた卵をもらうだけなんですけどね(笑)。ついでにいうと、クリスマスも別に何がどうということはないです。まぁプレゼントはもらいましたけど、その程度かなぁ。あ、教会の人たちがクリスマスイブの日にキャロリングできてくれました。まぁそんなものです。方や、盆…。なにもない。暮れ…。ほんとうになにもない。正月…。澄まし雑煮は食べたかな。お年玉はもらったな。そんな感じ。そうそう、年賀状も来なかったわけじゃないけど、それよりもたくさん来たのはクリスマスカード。それをあちこちに飾っていました。
もっとも、「あまりにも季節感がないのもどうよ」と思ったらしく、正月のおせち料理は後に出てきたような気もします。
それ以外に、親戚づきあいもあまりなかったですね。その典型的な例が、わたしは父方の祖母の葬式に出なかったという。
父 親「お前、仕事あるだろう
わたし「いや、別に休めるよ」
父 親「まぁ、来なくていいよ。母親は、あくまでもわたしの母親であってそれだけのことだから」
わたし「わかった」
「血縁」よりも、自らつくりあげた*1「人と人のつながり」を大切にしていたのかなぁと思います。そして、「死んだあと」のことを考えるのではなく「いま・ここ」でなにができるのかを大切にするのも、うちの価値観なのかなぁ。だから、法事とかには全然関心がない。
そうやって生活をしていると、近所の子どもたちやクラスの子どもたちの価値観との間にそうとうなズレができはじめます。
「なんでうちは違うのかな?」「でもこれでいいのかな?」
なんか、やっぱり揺れていたなぁ。
やがて大きくなると、親の存在っていうのがわかってきます。そこへの反発も当然出てきます。例えば、それは教会学校の教師としてのわたしの態度や、青年会活動へのわたしの態度として典型的にあらわれてきました。「批判的に教会にかかわる」という、のがその当時のわたし(たち)のスタンスでした。その中で、「教会」と「キリスト教」が分離をしていった。そこでおもしろかったのが、わたしの場合は「教会=キリスト教」から「わたし」が分離したのではなかったというところかな。結局、教会に行かないままに、「キリスト者」として生きることになし崩し的に(笑)なっていったんですよね。
ま、そのまま「現在に至る」という感じですか。
で、わたしが「わたし」であるということは、「キリスト者」「クリスチャン」という一言、あるいは、「クリスチャンホームに育った」という一言、すなわち「ルーツ」ではあらわしきれないわけです。どちらかというと、そこを出発点としながら、自分がどう「右往左往」してきたかという「ルート」にこそ意味がある。

まぁ、これはこちゅかる子さんが話して下さったことへのレスポンスになるのかな。そんなことをダラダラと話をしていたら、あっという間に8時を過ぎてしまいましたよ。

にしても、これって結局は「叙述的自己表現」なんだよなぁ…。

*1:あるいは与えられた?

他愛ない会話

朝起きると…。ダメです。どないしよう…。
なんしか、コーヒーを淹れる準備はしたもののダウン。パートナーに「頼むわ…」と力無くお願いをして、横になりました。飲み過ぎの翌日は、いつも反省します。
それでも、7時頃にはなんとか復活。なんとか出勤。
1時間目。「月曜日の朝はしんどいなぁ」とぼやきながら授業。
2時間目。会議に出席。どうなるかと思ったけど、無事終了。ホッとした。
3時間目。「月曜日の朝はしんどいなぁ」とぼやきながら授業。
てか、授業の方が楽やんか…。
と、金曜日の遠足の話をしてきた生徒が一人。
「先生な、一緒に写真とったやん。普通に女の子に見えたで」
「そらそや、女の子やもん」
「でも、「子」とちゃうやろ」
「ええねん、気分は「子」やねん」
「そやな、クラス写真も「女の人」に見えるしな」
4時間目。ビデオの編集。うまくいかない…。
5時間目。ビデオの編集。うまくいかない…。
6時間目。ビデオの編集。お?いけるかな?
放課後。ダルダルです。

それにしても、他愛ない会話が癒してくれますわ(笑)。

2次会

交流会が終わったら、世話人世話人で、子どもたちは子どもたちで2次会。
近くの中華料理屋の2階で、世話人と地元の人々でガンガン飲みます。なんか、「いつきさん、スカートはいて学校行ったらいいと思う!」と熱く語る教員がいたりして、「うん、うん」と言っていた気がしますが、よくおぼえていない(笑)。
9時過ぎに「そろそろお開き」ということで、わたしは帰ったんだけど、まだ行った人もいましたよ。元気やなぁ…。
帰りの電車では地べたで寝ていました。←除外診断(笑)

ピクニック

朝起きて外を見ると…。晴れ!
なんか気持ちがいいです。で、ここ数日悩んでいたことに終止符を打ちました。「今日はピクニックだ」
てことで、新大阪に向かいます。今日は、「トランスジェンダー生徒交流会」の「春の例会」です。
途中、お弁当にする材料を買い込んで、お弁当づくりから。
ナムル・ひじき・根菜の炊きあわせ・棒々鶏・鶏の照り焼き・小松菜のたいたん(卵とじ)・おにぎりをみんなでワイワイ言いながらつくります。できあがったところで、会場の向かい側にある「日之出公園」へ。ブルーシートを敷いてピクニックの開始です。
道行く人が「おぉ〜」みたいな感じで見ていきます。思わず「どうぞ!一緒に食べません?」と誘いかけてしまいます。
子どもたちはお弁当をつつきながら、「今後の交流会のあり方について」真剣に話をしはじめます。で、わたしは…。真剣に飲んだくれはじめます(笑)。まぁ、交流会なんてぇのは、そんな感じでちょうどいいんだと思います。
で、子どもたちの話しあいも一段落ついたところで、片づけ開始。
それにしても、日焼け対策しなかったのはまずいよなぁ…。