午後は中国帰国の方で、現在日本語教室で働いておられる方からの話。
これまたすごくおもしろかった。
この方にはお姉さんがおられて、お姉さんは今日話をされた方の日本語教室の前任者なんです。で、わたしはお姉さんの方も知っていて、妹さんの方も知っている。ついでに、お母さんともちょこっとだけ会ったことがあります*1
何がおもしろかったかというと、おふたりの日本語教室のとりくみ方の違いなんですね。
お姉さんの方は、とにかく中国帰国の子を集めるために試行錯誤をされ、中国帰国の子らの「場」としての日本語教室をつくってこられた。ところが、妹さんの方は、その日本語教室を、中国帰国の子らの「場」としてだけではなく、日本人の子どもたちも入れる場として広げていかれます。
わずか2〜3年で、こういう変化があらわれる。まぁ、おふたりの性格の違いというのもあるでしょうけど、それ以上に「世代の違い」なんだろうなぁ。

*1:東加古川駅の近くでラーメン屋さんをしておられます。餃子が絶品です

絵を描いたのは誰?

今日は校外で研修会。午前はウトロに関する話とフィールドワークです。
話をしてくれたのは、いつもとは違って若い人。この方、なかなかの切れ者です。
一貫して言っておられたのは、「ウトロ問題の本質は「地上げ」という「事件」ではない」ということでした。
ともすれば、
日産車体が勝手にHに売った→Hは西日本殖産に転売→地上げ裁判
というふうにとらえられがちです。あるいは、せいぜいが「戦後補償」の問題としてとりあげられるでしょうか。ところが、今回話をしてくれた方は、その背景に「宇治市京都府」もからめて話をしてくれました。
こういうことです。
「バブルがはじけて資金繰りがしんどくなった日産車体
「金儲けをしたいHたち」
そして、「朝鮮人を追い出したい宇治市京都府
この三者がそれぞれの思惑を実現しようとしたところに、ウトロ地上げ裁判の本質があるということなんです。なぜこんな話が出てくるかというと、土地を売るにあたって京都府が許可を出した、と。その許可申請書には、ウトロの土地は「休用地」と書かれていたそうな。京都府は、ウトロに住民がいることを知っていて、ウトロの土地を「空き地扱い」として売却することを許可した。これ、とんでもないことですね。
まぁ、他にもいろいろ話をされましたが、かなりインパクトがありました。
つまり、ウトロ土地問題は、戦後補償という「過去から連なる問題」ではなく、「いま・ここ」の問題としてとらえないといけないということだと、わたしは思いました。

話のあとはフィールドワークです。途中、知りあいと会って「チューハイ持ってへん?」「そんなんあるかいな!」みたいな冗談を話しあったり*1、「今度宴会しよう」みたいな話をしたり。やっぱ、わたしはウトロが好きだなぁ…。

*1:ほんとうに冗談ですってば!