それでも第2夜はやってくる

子どもは「元祖でぶや」を見たがっていましたが、とりあえず「まぁこっちにしようや」ということで、家族全員で見ました。
冒頭、いきなり堀尾アナが「性同一性障害トランスジェンダーの方」という発言。にやりです。もちろん、ふたつを併置するということの是非とかいろいろありますが、それでも「トランスジェンダー」という言葉が一瞬でも出たのはちょっとうれしかったです。
大迫さんの計画的カムアウトは、なかなかのものですね。それにしても、チャートでプレゼンテーションされたのには笑ってしまいました。
秋川さん、なんとなくミシェル・ポルナレフを思い出してしまいました*1。でも、秋川さんも人柄が出ていると同時に、「えいっ!」と飛び越えるところを飛び越えているのが、なんとも印象的です。石橋をたたくばかりではいけないということですか…。
で、番組が進み、他の人が一通り発言したのに、わたしはなしです。子どもは「話を振ってもらえへんかったんか?それとも話す内容がなかったんか?」と厳しいところをついてきます。「両方」と正直に答えました。なにせ、収録の時、コメントが思いつかなくて、虎井さんの次に振られて「え、こっちにきましたか?」とボケてみせたくらいですから。
こりゃぁ、今回こそ「うなずきおばさん」かな。と思っていたら、終盤にいきなり全開モードになっていました。そうきたか…。
実は、今回依頼があった時に「「男・女・どっひー」をぜひとも話してほしい」とか「知っている人のケースも出してもらえたら」とか「「日常を淡々と」というあたりについて話してほしい」とか、いくつかサジェスションがありました。収録の時、なかなかわたしに順番が回ってこなかったのですが、確かに終盤、フロアディレクターの方が「いつきさんにふって」とかプラカードを出してこられて、そのあたりについてバババッて話をしました。残念ながら、「在職トランスの正否については、地域差もあるのではないか*2」という話はカットされましたが、それ以外のことについては、最後のところで固め打ちでした。
ま、それはそれでいいのですが…。

しかし、あした職場で「あんなこと言ってたけど、現実はどうなん?」って同僚とか生徒から言われたらどうしよう…。

*1:すんません。って、こんなとこ見てないか…。

*2:知りあいのめっちゃかわいいMTFが、「男性」であることを理由にネクタイを締めて勤務することを強要されていたんですよ。もう、まったく外見的に無理があるんですね。最終的にはその職場は辞められて、今は別の仕事をしておられますが…。生まれ育った地方都市では、在職トランスはなかなか厳しいんじゃないかなぁと思いました。

一晩あけて…

なんか、「はぁ…」という感じです。むずかしいんだなぁ、テレビって。
いままでは、テレビに出る時って、たいてい「取材を受けて」という立場でした。だから、それなりの時間をかけてもらっていましたし、日常生活がそこで描かれていた(はず)です。
ところが、今回はどちらかというとコメントする立場です。すると、2時間かけた収録から10分間*1を切り取らなくちゃなりません。しかも、コメントする立場で参加したのは4人。そこに広美さんご本人と司会者団3人、計8人がいる。となると、一人当たり1分。で、やっぱり主役は広美さんだから、となると、わたしに割り振られる時間は30秒〜40秒程度と考えればちょうどいいわけです。となると、2時間の中でいろいろ話をした中の、ほんの一部、言ってみれば「結論だけ」が放映されるわけです。
実は、前の放送に対して、広美さんはNHKに手紙を出ておられたのですが、その中に「生活感がない」ということを書かれていたんです。ショックといえばショックです。でも、そうなってしまうんでしょうね。
あの収録は水曜日の夜にありました。これ、みなさんのスケジュール調整をすると、そこしかなかったわけです。でも、たとえばわたしはそのために授業に穴をあけるわけにはいきません。なので、そうとうに無理をしています。これは、もちろんわたしだけじゃなくて、あそこに出演していた人たちはみなさんそうです。仕事や生活をやりくりして、なんとかあのスタジオに集まっている。また、そういうふうに日常や仕事をやりくりできるようになるために、やっぱそれなりに、日々淡々と当たり前に生活をし、当たり前に仕事をしています。でも、そういう仕事や日常は、やっぱりあのスタジオでは出てきません。結果、どうしても「言葉だけのやりとり」になってしまう。
どうやれば伝わるんだろうか。もっともっと、ひとつひとつの言葉をていねいに自分の中に落とし、そこからわきあがってくる言葉を選びながら話をしなくちゃならないんだろうなぁ。むずかしいです…。

*1:今回は、28分の放送時間のうち、最初の17分はオープニング+田中広美さんのビデオで、エンディングで1分と考えると、残りは10分です

ついでに蛇足

針間さんの靴、ちょっとおもしろかった。あと、「体育会系」は笑った。でも、考えてみると、トランス業界って、ちょっと体育系かも(笑)。
文野くんは若いなぁ。
それにしても、わたしの服、着方がだらしない…。はぁ…。

で、放映

やっぱり、田中広美さんのVTRは迫力があります。
収録のあと、みんなで一緒に呑んでいて、広美さんってトランスというだけじゃなく、いろいろと苦労もしているし、一方すごい能力のある人だなぁと思いました。そんな広美さんが、とりあえず「評価をされた」ということは、実は当たり前のことなんだと思います。
あと、今回の放映ではカットされていたけど、id:annojoさんが「トランスの人はよく働く」って言ってました。まぁ、「トランスはタダではできない」ので、必然的にお金が必要になります。すると、必然的によく働くということになってしまうわけで…。それがいいことかわるいことかはおいといて*1、「労働力」としてみるならば、企業にとってはプラスの要因に働くことが多いんじゃないかということなんです。
「本人の能力適性以外のことを合否の判断材料にしない」ということは、これまでの就職差別との闘いの中で築きあげてきた「価値観」です。その闘いの成果の上に、今の私たちがいるんだということを、あらためて感じさせられました。

*1:つまり、人間を単に労働力としてみるのか、それとも「人間」としてみるのかということです。

在日青年の話

今日は午後、在日外国人にかかわるセミナーがありました。まぁ、主催者なので行かなきゃなりませんわね。てか、パネラーのうちの1人はわたしが交渉したから、ますます行かなきゃなりません*1
で、こんな消極的な理由で参加したわけですけど、おもしろい話が聞けました。
正直言って、今の在日の青年(4世)くらいになると、いわゆる「被差別体験=個に向けられたファビア」というのはほとんどありません。あったとしても、その1世・2世・3世の経験とはぜんぜん違います。もちろん、「制度としての被差別経験」は山のようにしているはずですが、ある意味それって「スモッグ入りの空気」のような存在で、そうでない状況を経験しないとその存在にはなかなか気づけない。
そういう青年達にとって、それでも直面せざるをえないことは「自分ってなに?」ということです。あるいは、「人の価値とは何か」みたいなところとも言えるかと思います。
一方、在日をとりまく日本人の側にとって、在日とは、すでにもう「日本人」と同じととらえているんじゃないかと思うのです。ここでも、「制度としての差別」があることは知らないし、それが即、在日の人々の生活に直結しているということもよくわからない。なにより、「自分は差別していない」という、半ば確信のようなものがあるので*2、そうなってくると、「関心がない」わけです。
というところで、従来ならば成立していた「差別・被差別の関係」としての「在日・日本人」という関係が、どんどん築けなくなっているんだと思います。それでも、「在日」というのは存在し続けるわけで、まさにその存在は宙ぶらりんになっていってしまっているんじゃないかなぁと思います。
そんな中から、今回話をしてくれた2人は、「「在日」に従属する自分」から、「ありのままの自分」とその一つの要素としての「在日」へとはっきりと転換をしています。そんな二人の話を聞きながら、収録の時にソニンさんが繰り返し語っていたアイデンティティの持ちようを思い出していました。

ただ、一方で考えます。
本当にこれでいいんだろうか。本当に「戦争処理」は終わっているんだろうか。戦前〜戦後の「総括」はすんでいるんだろうか。単に風化しつつあるだけじゃないだろうか。「個のありよう」にすべてが回収されていくとしたら、それはあまりにもおそろしいという気がしてなりません。

*1:このあたりの「つきあい」とか「しがらみ」って、しんどいんだけど、でもこういうのを大切にすることが「つながり」を拡げていくことになるので、大切なですよね。

*2:差別・被差別の構造の上に乗っかって生活をしているという感覚は、なかなかわからないですね

あきらめないこと

ところで、漫談の前に主催者の人と話をしていました。基本的には今のご時世、話せば話すほど暗くなってきます。でも、話ながら気づきました。
「彼ら」は、何回も「改正」しようとしてきたんですよね。でも、断念してきた。これを、戦後65年以上ずっと繰り返してきたわけです。そして、「彼ら」はあきらめなかった。だから、「今」というタイミングでそれを実現しようとしているわけです。
振り返って「われわれ」は、それだけのしつこさがあっただろうか。ものごとがうまくいかないたびに、すぐ挫折してきました。だからこそ、どんどん押し込まれてきたわけです。
今必要なこと。それは「あきらめない」ことだなぁ、と。

N川市にて

今日は午前中、N川市で漫談です。
年が明けてからはじめて、ひさしぶりの漫談なんで、いつになく不安だなぁと思いながら会場へ。会場に行くと、半分くらいが年配の男性。前を見ると、「社会を明るくする運動〜」って書いてあります。そうか、11月くらいに打ちあわせ*1した時に、そんな話があったっけ。
当然のことながら、雰囲気は固いです。さっそく振ったネタにも反応はなし。あせります。でも、ここであせったら負けなんですよね。とにかく、ドッとわく必要はないので、にやりと口元がほころんでくれたらそれでいいです。ひたすらネタをフリながら、雰囲気をほぐすことにしました。そうやって、悪戦苦闘していると、こちらの努力を察知してくれる人がチラホラ出てきました。そんな人たちが、だんだんとニコッと笑ってくれるようになって、一安心。あとば、無事にオチまで持っていくことができました。
いや、ほんとにひさびさに緊張しました。
しかし、ホンマにだんだん漫談になってきたなぁと(笑)。
で、昼ご飯は打ちあわせ通り*2、近くのムラ巡りと、お好み焼き屋探訪。
まずはムラ巡り。いやぁ、もう、一目見た瞬間で「ムラ!」っちゅう感じです。その手前が、ちょっとハイソな住宅街。で、もともと藪があったその向こう。「道がある。道が狭くなったところに部落がある」です。ひょいと見ると高台の斜面に墓があります。「あれ、ムラの人の墓ですか?」と聞くと「ムラ墓です。わたしの先祖もあそこに眠っています」と案内して下さった方が言われました。あれは墓参り、たいへんですわ。
ムラ中にはお好み焼き屋さんはない*3ということで、ムラから出たすぐのところの店に行きました。のれんは出ていませんが、中から声がします。入ると、中では鍋の真っ最中。どうやら、貸し切りの宴会中です。で、店の人。
「ごめん、今日やってへんねん」と。帰ろうとしたその瞬間、「そやけどな。これもなんかの縁やし、入って入って」。ということで、無事ありつけました。
メニューを見たら、ふつうのお好み焼き屋さんですが、「カスありますか?」と聞くと「あるよ」とのこと。しかも、「広島焼きもできるで」とのこと。関西では、「広島焼き」を出す店は「広島焼き」という看板を出しています。でも、ベタ焼き*4をムラによっては「お好み焼き」としているところもあって、そういうところではもちろん看板は「お好み焼き」だし、単純に「お好み焼き」というと、ベタ焼きが出てきます。てことは、こりゃ、いよいよムラの人か、その関係者(笑)がやってるお好み焼き屋さんですね。
で、出てきたお好み焼きがまたすごい。カスもスジもてんこ盛り。魚介類の入った「スペシャル」にはエビ・イカ・ホタテ・豚がふんだんに入っています。ほとんどやけくそみたいな。
店の奥では、常連さん達の宴会。鍋に入れているものを見たら、テッチャンとか鶏の皮とか。マニアックやけどおいしそうです。
こちらのほうは、主催者の人2人とわたしの3人で人権関係ジェンダー関係で言いたい放題。いや、楽しいひとときでした。てか、お好み焼き屋で2時間も呑んだの久しぶりやし。
で、お好みのほうはもちろん食べきれるものじゃないので、パックに入れて持って帰らせてもらいました。ところがそのパックがまた重い。すごい店でした*5

*1:早い話が出町で呑んだ

*2:これはおぼえていました

*3:子ども向けのみ

*4:たいていは「広島焼き」とは言いません。たぶん、お店のおばちゃん、よその人でもわかるように「広島焼き」と言ったんだと思います。

*5:備忘のために…「つくし」という店でした