出勤

6時起床。しばしここがどこかわからなかったけど、ホテルの中であることを確認。ふと横を見ると、トースターが飛んでいました(笑)。
あわててLOOXはスリープさせて、シャワーを浴びて、ホテルを脱出です。で、新幹線に乗って、一路京都へ。そのまま職場に直行です。
それにしても、普段と同じ時間に起きて、普段と同じくらいの時間に出勤を開始して、職場に到着したのがふだんより2時間ほどしか遅くない*1。って、どういうことよ。

*1:もちろん休暇を取っていますよ

もちろん、その後は総括会議

用事があったり早く帰ったりしなくちゃならない人もいたけど、数人で「ちょっと行きましょうか」ということになって、前にも行ったお店で一杯。ここで、収録ではできなかったさまざまな話が爆裂。そうか。世論を味方につけるためには、「ベターな選択」を提示することもまた必要なのか…。
で、ホテルに帰ったのが2時。ここでようやくメールチェックをして、でもそのまま爆睡…。

なんでここにいるんだろう…

で、向かったのは、渋谷。といっても、今回は(笑)飲み会じゃありません。
会場に着くと、すでに他の方々はそろっておられます。晩ご飯のお弁当を食べながら、しばし雑談。そして、スタジオへ。
今回のテーマは「就職」。
う〜ん。自分としては、「不完全フルタイムトランスジェンダー」なんで、はたして「きちんとした性別」で働いている人たちと話があうんだろうかという不安もあります。で、実際に今回とりあげられた人たちの話を聞くと、すごい!自分がちっぽけな存在だなぁとつくづく思わされました。
ただ、今回は今回で自分なりにはヒットがありました。
ひとつは、ソニンさんから在日の話がかなり聞けたこと。民族学校出身で、ダブルスクールに通っていたこととか、そういう「在日」としての自分へのこだわり。あと、いまのアイデンティティの持ちようなんかもおもしろかったです。「自分は、朝鮮人でも日本人でもない「在日」という存在」「わたしは、在日として自分を好きになってくれた人はそれでそれで大切な人だし、わたしという人間を見て好きになってくれた人は、それでそれで大切*1」「在日っていうことを抜き出わたしを好きになってくれた人に、いちいち在日っていうことについての知識は要求しない」。いいとか悪いとかじゃなくて、おもしろかったです。
もうひとつは、いつのまにか石田さんとか堀尾さんが「トランスジェンダー」という言葉を使いはじめたこと。さて、こちらの方は、放映時にどうなっているかなぁ…。

それにしても、いつも思うのですが、「なんで平日のこんな時間に、わたしはこんなところにいるんだろう」という、この違和感。時々、ふと恐ろしくなります。なんか間違っているよ…。

*1:わたしからソニンさんに質問したんですよね。「ソニンさんは、「自分という存在を見てほしい」って言われるけど、その時の「自分」っていうのは、在日というラベルをなしにした「わたし」なのか、在日っていうラベルを含めた「わたし」なのか教えてほしい」って。このやりとりはたぶんカットされるので、メモメモ。

放り込まれたよ(涙)…

で、夕方新幹線に(笑)。
いや、車両に入った瞬間に「なんじゃ、こりゃぁ!」。ひたすら「黒い」です。なんともまぁ、oyajy(どうか「オヤジィ」と読んで下さい)な空間です。そりゃそうです。平日夕方の東京方面の新幹線なんて、そういう空間です。
問題は、「隣に座る人」(笑)。
わたしが席についてしばらくしたら、一人で移動しているらしい若いお姉ちゃんが座りました。まぁ、ホッとしましたね。おとなしく本を読んだり、ちょっと寝たり。
ところが、そのお姉ちゃん、名古屋で降りました。停車中、祈るような気持ちです。長い長い停車時間の最後に「すみません」と入ってきたのが、oyajyな人_| ̄|◯
あとは地獄です。新聞を読みはじめる。本を読みはじめる。それはいいです。その間、ずっと中間にある「肘掛け」を占領しています。しかも、わたしがそこから身体をよければよけるほど、より占領地を増やしていきます。
なんでそうやって、自分の領土を増やそうとするのかなぁ。と思いながら隣をみると、3人掛けの通路側の人、肘掛けから肘をはずしています。う〜む。
というの、まさにライブで書きました。はぁ…。

でも、語る…

授業って、ある意味すごく自由な時間です。というのは、教室という空間の中で子どもたちと過ごす50分は、常にハプニングの連続だから、「予定通り」ということはあり得ないからです。逆に言うならば、そのハプニングを自分でつくることもできるわけです。
で、今日は1月17日。
もちろん、12年前の「あの日」のことを語らなくちゃなりません。
早朝、ものすごい揺れというか、衝撃を感じたこと。そこからはじまった一日。そして、地震のあとの最初の日曜日、パートナーの母親の反対を押し切って*1西宮まで毛布運びにいったこと。そこで見た風景。そこで聞いた音。自分にしか語れないことはたくさんあります。
やがて、地震による被害が「かたより」を持っていたことが明らかになります。その理由。その一方、かつて9月1日にあった「出来事」との大きな違い。
そんなことを、思いつくままに30分ほど語りました。
1年に1回だけ。生徒たちにとっては、もしかしたら一生に一回になるかもしれない。だからこそ、ていねいに、自分の経験と知ったことと思いとを語る必要があると思うのです。

*1:あの頃、余震が続いていたので、下手するとケガをしたり場合によっては死んでしまう可能性もあったんですよね。

淡々と仕事

今日は夕方から用事で遠距離移動があります。なので、そこまでにできることをどんどんやっておかないと、あとでえらいことになります。なので、ひたすら仕事仕事。

ひたすら作業

教員の仕事なんて、どこからどこまでが仕事なのかわかりません。
てか、授業はもちろん仕事ですが、それ以外のことですね。例えば、生徒との雑談。これの蓄積が大切なんですよ。それ以外にも、仕事と趣味のマージナルな部分って、すごく多いです。
で、今日はそのマージナルな仕事がどっさりとあったので、どっさりとやりました。
おかげで疲れた…。

教員も人間だ!

なんしか、うるさい。てか、「五月蠅い」という言葉がピッタリ。そんな子どもたちがいます。たぶん、授業の声、一番後ろの生徒に届いていません。で、声を張りあげると、前のほうはわたしの声がうるさいからますます大きな声でしゃべります。これ、いたちごっこですから、わたしはしないことにしています。
ところで、そういう「場」の雰囲気を読む子だったら、わたしが声を小さくしたらそれにつれてしゃべる声をコントロールするのですが、そういう子ははじめから授業中に私語はしません(笑)。てことで、声を大きくしたり小さくしたり。もう、1時間の授業が終わると、精神的にクタクタです。
さすがに今日はキレました。でも、絶対に怒鳴りたくありません。だって、「力」で屈服させられた人間は、どこかで必ずそれが噴出しますから。それがわたしに対してだったらいいんだけど、他の生徒に対してや他の授業に対して噴出したらえらいことになります。で、ふだんとは違う言葉。「せめて静かにしてくれ」。久しぶりです「せめて」なんていう言葉を使ったのは。
マジで疲れた。というか、本当に疲れるのは、こういう状態でも、生徒たちのことが嫌いになれないということ。一人ひとりの子どもたちは、ほんとうにいい子らなんですよ。みんな大好き。それが「層」として存在した時、一変する。そのギャップが疲れるんです。
授業終了後、後ろのほうの子に「声、聞こえた?」と聞くと「だいたい聞こえたけど、小さい声の時はしんどいかな」という答え。ジレンマです。
ところで、授業時数を多くしたら、これ、どうなるんだろう…。学力向上につながるの?