きょうはまとめo(^^)o

それでもおべんきょ場所に向かう途中に「お題返し」をなんとかこなして、おべんきょ部屋でプリントアウト…。出ない(T_T)。プリンタが動かない(T_T)。
と、センセ。
「それはあとにして、さっさとまとめをはじめよう」
「で、でも…」
「あしたメールで」
「はい」
ってことで、まとめ開始。ちなみに、まとめの中身は「一品持ち寄り」です(笑)。
「これが楽しみで半年おべんきょしてるんだ」
とは、センセ、まぁ軽い冗談でしょうが、ほんとに楽しいです。いろんなことを題材に話に華を咲かせます。
持ち寄られたものもおいしい!
チヂミとかキンパとか。もちろん、飲み物も豊富にあります。ちなみにわたしは○ビスね。そうそう、デザートはこんなの。

なぜかモアイが見つめあってます。
まぁ、そんなこんなで、楽しいひとときを過ごして、今日一日が終了!

バイアス

金曜日のおべんきょは、なんしかエスノメソドロジー!今日の文献は障害者施設長さんの語りの分析です。
文献を読んでいると、ついつい「その事柄」にからめとられてしまうんですよね。で、ついそこに「評価」を混じえてしまいます。もちろん、そういう読み方はあっていいとは思うのですが、たぶん「おべんきょ」的には違うんだと思うのです。
今日のテキストが、これまた「入り込みやすい」テキストなんですね。いきなり障害者施設の両義性みたいなところから入って「福祉的言説は本来はその両義性をこわす力がある」みたいな話が出てきます。筆者の立場は、今回のテーマについては明確なんですね。で、おそらくは、あえてその立場性をチラチラ出しながら、施設長さんのありようを「批判的に分析」していかれます。
当然、分析とはおそらくは批判的なものを内に抱えるものなんだとは思うのですが、その筆者の立場に読者である「わたし(たち)」が引きずられそうになってしまいます。
幸いにして、「おべんきょ」という場で他の人と議論をする中で、自分が引きずられていることに気づき、それを修正し、純粋に分析の手法とそこにあぶり出される分析結果に集中することができます。
にしても、実は、筆者自身が、施設長さんへの批判をしたその手法を持って「わたし(たち)」に語っている。そういう読み方もできるわけで、このあたりになってくると
エスノメソドロジー、怖ぇぇー」
という感じになってきます。だって、それはわたしにもあてはまるから。

そんなこんなで、今日のスリリングなおべんきょも終了。で、とりあえず、西に向かって移動開始。

とりあえずここまでか…

午後からいろいろあって、移動が続いて、最後に到着したのが「おべんきょ場所」。今日はやむを得ず少し遅刻。でも、一発目はいつものテンションで進んでいます。さすがに半年のおつきあいで、このテンションにもついていけます。すぐに「おべんきょモード」に入って、わたしも参加。
それにしても、朝は保育園で夜はおべんきょかぁ(笑)。

で、二発目。
こちらも半年のまとめです。こちらのセンセも独特のテンションとリズム感を持っておられるのですが、ようやくそれに慣れてきました。まぁ、まだおつきあいは続くはずなので、ここでの「慣れ」は大切です。
内容はまさに「まとめ」。でも、半年間、教わり、考え、発表し、という過程を経てきたからこそ、今日の「まとめ」が理解でき、すとんと落ちてくるんでしょうね。そうそう、
「ここが不足なんじゃないかな」
みたいなこともあって、そんなことを発言したら、センセも真剣にとりあげて考えてくださったりして。なんか、そのあたりは「実践者」としてのイーブンさがあったりして、つくづくおもしろいなと思います。と同時に、
「この考え方って、普段の仕事に使えるじゃん」
みたいなこともあって、なかなかよかったかなと。

そんなこんなで、マジで厳しかった火曜日もほぼ終了。来週は「まとめをゆるくまとめる日」みたいな^^;;。

さて、家に帰ってビールビールo(^^)o!

ねむい(T_T)

で、おべんきょ場所へ。
今日はおべんきょ仲間の「アンケート・インタビューの項目の検討」です。考えてみると、アンケートに答えたことはあるけど、つくったことはないわけで、とても勉強になります。
にしても眠い。
センセからは
「あんた、日本語の力あるねー」
とお褒めの言葉をいただいて、それはそれでうれしいわけですが、眠さには勝てません。が、センセを含めて三人のおべんきょ、勝たなきゃならんのがつらい。
さいわいセンセも脳ミソがかなり疲れていたみたいで、定時に終了。
助かった^^;;。寝ずにすんだ^^;;。
さあ、お家に帰って体制の立て直しをしなくちゃ…。

眠気が覚める

とにかく眠い。なのに、なぜか今日はイレギュラーな「おべんきょの日」。なんで明日の代わりに今日があるそうな。わけわからん(T_T)。
とにかく、この間、文字を読みつづけ、考え続けてきたので、かなり頭と目が疲れています。ガチで今日のおべんきょ時間は寝るかも^^;;。
と思ってはじまったのですが…。
寝ませんでした(笑)。
てか、おもしろい!
何がおもしろいかというと…。
今日のペーパーは「エスノメソドロジーを用いた授業分析」なんですが、読み進めながら、みんなで言っていたのが
「これ、エスノメソドロジー?」
なんですよね。
いや、トランスプリクトもあるし、なんか「ぽい」んだけど、語られていることは、かなり通りいっぺんの分析なんです。
「これならエスノ使わなくてもええやん」
がみんなの意見。
でも、ふと考えました。これ、4か月前のわたし(たち)であれば、たぶんこんなことは考えずに「エスノメソドロジー萌え〜」とか言ってたんでしょうね。というこのは、この4か月間で、少しは前へ進んだのかな。
そう思うと、なんとなくうれしいひとときでした。
おかげさまで、目がぱっちり(笑)。
いやぁ、楽しかった!

「うん」と「はい」

昼間はひたすら作業作業。でも、まぁ簡単に言えば講演を読み直す作業なので、おもしろいっちゃあおもしろいです。
「そっかぁ!」
みたいなことが多々あるわけで。でも、そうそうやりたい作業ではありません。
それでもなんとかひと通り終えて、完全に目と意識が飛びました。

で、おべんきょ場所に移動を開始しながら、今日のペーパーを飛ばし読みします。ほんまに泥縄というかなんというか、自分でもあきれます。

で、今日のおべんきょ開始です。
内容は、会話の受け答えの中に出てくる「はい」の果たす役割。
おもしろいです。というか、こんなペーパーを読むようになると、安易に会話ができなくなります。
「あ、今のあの人の「はい」は!」
みたいなことを考えながらやる会話は変です。あるいは、講演を聞きながら
「あ、今のうなずきは!」
みたいなこと考えていたら、簡単にうなずけなくなります。
でも、どうやらそういうものみたいです。誰に教わるともなく、それでも身につけていくものなのかな…。
で、ディスカッションとしていくつかのことがあげられたのですが、そのうちのひとつとして、「権力関係がなくても「うん」と「はい」は起こるのか」みたいな提案がなされたのですが…。
うーん。
もしかしたら、権力関係から解放された会話ってあるんだろうか。例えば、社会的にイーブンな関係の二人が会話をしている時、一方に関心のある内容でもう一方は知らないとするなら、そこに「会話における小さな権力関係がある」という捉え方ができるんじゃないかなと。もちろん、ここでいう「権力関係」は、通常使われているそれとは違う気もしますが…。
ただ、いまのは極端な話で、何が極端かというと、社会的にイーブンな関係って、果たしてあるのだろうかと。もしかしたら、すべての関係の中に権力関係は潜んでいるんじゃないだろうか…。
なんか、「はい」と「うん」から、いろんなことを考えさせられてしまいましたよ。

ショックなこといくつか

で、2連発の日です。
あまりにも仕事に没頭し過ぎて、きょうのおべんきょのペーパーを読むのを忘れていました。残された時間は電車の中の30分。ページは…。ざっと30ページほどでしょうか。やるしかないです。えげつない飛ばし読み!とりあえず読み切りました(笑)。いや、とにかく単語だけでも頭に入れておけば、議論の中で再構成しながら参加できるってもんです(笑)。
で、とりあえず購買部に行っておにぎりをちょうた…。ない(T_T)。10時前まで食べものなし決定です。

で、一発目。
のっけから大阪市内の高校の話。
たしかにショックです。でも、そう言えば職場でも話題が出てたな。こことは違うトーンだったけど。
放送部の顧問としては、まぁ、ありえない話です。いや、放送部だけではなくて社会科学研究部としても。あ、わたし、体育系のクラブ顧問でもあります。山岳部(笑)。山岳部でもありえない。
わたしは山岳部の第n顧問ではありますが、そんなわたしですら
「山岳部で一番優先すべき内容は何か」
と問われたら、もちろん
「安全」
と答えます。
おそらくわたしが「対人系スポーツ」のプレーヤーであることに興味がなくて「対自系スポーツ*1」のプレーヤーでありたいと思うのは、たぶんそういうことなんだろうなぁ。「「自然」の前で、人間はただただ立ちすくむしかない*2」わけで、そこにしごきは存在しないです。あるいは、自分の限界を超えようとするとき、自分の体や心に耳を澄ませて対話を重ねることが必要になります。それは自分の限界を問うことであり、自分を慈しむことでもあります。そこに他者からの体罰はありえないし意味がない。
わたしはそんな感じで育ってきたんだろうなぁ。
おべんきょのセンセは
「クラブってなんなのかを、一度本気で考えなきゃならないね」
って言ってました。その通りやなぁ。
で、ペーパーの話にいったわけですが…。
もしかしたら、このペーパーの作成に東ジュンさんもかかわったのかなぁとか、いろんなことを考えながら…。最終的に出てきた疑問は
「マクロって、メゾやミクロに対してなにができるのか。なにをすべきなのか」
ってことです。
そこのところの議論を棚上げにしたまま、いま
「マクロはミクロを指示(支配)するもの」
という声が大きく叫ばれているような気がします。

で、2発目。
こちらはうってかわって和やかというかなんというか。なかなかものを考え、感じ、楽しい時間が過ごせました。が、冒頭に
「んー、じゃ、レポート、29日までね」
と気軽に言われてしまったのには参りました。最大あと3つある可能性が大。マジでペースの割り振り考えないと、えらいことになるな(T_T)。

*1:対自然あるいは対自分

*2:どうしようもなくダメダメ先輩の言葉^^;;。

終わらない時間はない

他の日のおべんきょと月曜日のおべんきょの最大の違いは「ネタ」です。
他の日は、なんだかんだ言って、ある程度ネタをもらえるのですが、月曜日は完全に自分で探さなきゃなりません。いままではそれでもなんとかしてきたんですが、ここにきてとうとうごまかしも効かず、ガチでネタ探しをする必要が出てきました。
実は、年末年始にそのあたりをしようかと思っていたのですが、いろんなことがあって、まったくできず。勝負は今日一日!
てことで、いろんな文献ガシガシ読んで、頭の中に放り込んで、頭の中から出てきたことをペーパーに起こして、レジュメを切って、とりあえず準備はしたものの…。ダメです。90分もたせる自信がありません(T_T)。
おべんきょ場所に向かう電車の中で、つい先輩の呑み友だちに弱音をはいてしまいました。
「あー、もうきついなぁ。ドナドナの気分ですわ」
と、こんな返事が…。
「ドナドナ、、絵が見えてきます(笑)。いつきさん、まな板の上の鯉でいきましょ!」
あぁ、まな板の上の鯉!そうか、こういう時のことをそうあらわすんだ(T_T)。で、もっかい弱音。
「1時間半は長いなぁ。悠久の時やなぁ(T_T)」
するとこんな返事が…。
「大丈夫です。終わりは来ます(きっぱり!(笑))」
もうね。さすが先輩です。深いです。あまりにも深いぃです。
それから2時間後。たしかに終わりは来ましたよo(^^)o
ふぅ( ´ー`)

今日がほんとの最終日・メッチャ充実!

さて、今日から怒涛の四連休。ほんとになにもないはずなんだけど、いろんなことが入ってくる悪寒がします。
とにかく、まずは24日に向けて買い出し買い出し。
その後、立命館国際平和ミュージアムに向かいます。
今日は火曜日のおべんきょの番外編でこちらで実地経験て感じです。
火曜日のセンセは、ここのボランティアガイドもしておられるとのことで、期待が高まります。
いざはじまると、
「へー、ほー、なーるほど!」
の連続です。
なんというか、総花的な展示かと思いきや、よく見るといろんなことがわかります。というか、自分の中に思いがあれば、一枚のパネルや一つの展示の裏側からほんとうにたくさんのことを読みとることができるってことを感じました。
うん、家族も連れてきたいし、生徒も連れてきたいと思いました。

で、終わったのがお昼頃。
「仏大前の天一行こう」
と誘うと、乗ってきたおべんきょ仲間がひとり。
話をしていると、もとから気があいそうだったんですが、どうも他にも共通点があるような。
紙屋川まで来たところで
「一度いきたいと思ってたところがあるんですよね」
とのこと。そこ、わたしも行きたいと思ってたところですよ!
てことで、行きました。感動です!息が詰まるような緊張感の中、町中を探索します。あぁ、感動!
たった10分ほどでしょうか。でも、その町の空気をぞんぶんに吸うことができました。もう一度行きたい。行って、地元の人と話がしたい。そんな思いがふつふつと涌きあがる町でした。

その後は天一。んまい!仏大前店には根強いファンがいるとは聞いてましたが、なるほどと思わせる味でした。
ここで今日の振り返りなんかをして、北大路駅までブラブラ歩いて、四連休初日の半日は終了。

たぶん、そこにこだわりがあるんだな

今日のおべんきょはクレア・マリィさんの文章読みです。担当はわたし。まぁ、ツボといえばツボなんですが、とにかく難しい。いきおい、「こんなもんだろう」という、雑な解釈になってしまうのが悲しいです。
おそらく、緻密に論考を立てていくと、傍から見たら
「同じことやん」
と思うことでも、わずかな違いがあるために異なる言葉を使わざるを得ない。すると
「同じことのはずなのに、なんで違う言葉やねん(T_T)」
となる。でも、本人は
「違うから異なる言葉やねん。てか、なんで同じと思うねん!」
なわけです。もちろん、同じ緻密さを持つ人同士ならそうでないとわからないし、同じ言葉を使っていたら、逆に
「なんで同じやねん!」
となる。
まさに
「思いと記述の間にはずれがある。そのズレを埋めるために研究者は言葉を重ね、表現者は言葉を研ぐ」
なわけです。でも、実は研究者も言葉を研いでいますよね。それは、ひとつの言葉に単一の意味を載せるという方向での「研ぎ」なわけです。表現者のそれとは反対方向なのかもしれません。
そんなことを考えながら、「自己命名」とかなんとかをひたすら読みましたよ。もちろん「ネタ」の提供も忘れずに(笑)。