東九条の歴史と現状

今日の午前はおべんきょです。とはいえ、進みません。こんなところでまごまごしてたらアカンのになぁと思うけど、そう思えば思うほど進まなくなります。かと言って「いいや」ってなると、また進みません。泥沼です。でも、いつものことです。それでも気になるところを見つけたので、それだけはメモしておきましょう。
昼ごはんは気合を入れます。

今日はプルダックタンメンです。甘旨辛いなぁ。
で、東九条へ。
今日は某人権教育研究会のフィールドワークです。フィールドワークの前の講演は前川修さん。かつて聞いた講演は衝撃的でした。いや、当時すでに「オールロマンス行政闘争」のことは知ってはいましたが、それをあらためて聞けたということがよかった。で、その前川さんが東九条について話されるのが今回です。
東九条についての講演は村木美都子さん朴実さん・宇野豊さんと聞いてきました。ちなみに、宇野さんのスライドはいろいろあってもらいました。でも、今日の話は、また少し違うんだろうな。
てことで、講演スタート。話は1912年あたりからはじまります。へー、須原通りは土手だったんだ。よく見ると、高瀬川の川筋も違いますね。そして家が少ない。でも、土手と土手の間に家がある。なるほどなぁ。そこからどんどん家屋が増えていきますが、これが川沿いなんですね。
戦後になると火事の話が出てきます。
えーと、1100m2に23世帯…。てことは、1世帯が48m2。これを3.3で割ると、15坪かぁ。すんごい狭小住宅です。しかも、時代的には平屋だろうから、これはすごいな…。ただ、結局改善されることはなかった。改善の方向に向かったのは1990年代です。
ところが今や、東九条をアートの街にして、人が呼べるようにするんだとか。なにか方向が違います。そうじゃない。
おそらく聞いている人にも伝わったんだろうけど、質疑応答でそういう意見がいっぱい出てきました。でも、それを質疑応答で言うのもなにか違う気がしまじた。東九条の住みやすさはそんなんじゃない。ここの魅力を他の人に伝えるには、どんな質問をすればいいのかな…。
「あの、東九条って、ほんとに多文化な街だと思います。この多文化ってのは、国際色豊かってことじゃないです。ここを歩いてると、障害のある人がたくさん歩いておられます。おそらく精神障害のある人もおられます。そういう人がたくさんおられるといゔことは、そういう人が暮らせる街だってことです。そこにはおそらくそういう人の生活を支えるさまざまなネットワークがあるんだと思うんです。どんなネットワークがありますか?」
するといっぱい出てきました。なるほどなぁ。
てことで、前川さんの講演は終了。あとは自主フィールドワークです。たまたま会った知り合いの教員を少し案内してみたり。
ちょうど頃合いもいい時間になったので、さらに自主フィールドワークを続けてみようと、ほっこりカフェに入ってみたり。

そしたら、フィリピンルーツの子らが山のようにいました。あぁ、ここは希望の家を引き継いでいるんやなぁ。さらにマンモス団地の元住人もおられたり。いや、この人、昨日のお店で会って
「またゆっくり話しましょう」
って声をかけられたし。
おもしろい街だし、おもしろいカフェだし。そして、なぜか顔を覚えられてるし(笑)。

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