人間にとって文化とはなにか――ゴリラから見た人間社会

水曜日の授業は3・4のみです。なので、いろいろできる日です。でも、朝、なんとなくイヤな予感がしながら出勤。机のところに行くと、予感は的中してました。
「2時間目、会議、お願いします」
という紙と、午後の山極壽一講演会の実施要項が置かれてました。
てことは、空き時間は1時間目と放課後の1時間のみってことです。なにもできないな。てか、おべんと食べる時間もないんじゃないか?そういや、今日の昼休み中庭コンサートですよね。そもそも、今が短縮授業期間なのは、成績処理のためですよね。そんな日に午後全部がつぶれる行事を入れてどうすんねん。とにかく、ありとあらゆることがおかしい。
でも、しかたないです。
とりま、あちこちにメール送ったり、昨日のリアクションペーパーを入力したり、はたまた成績処理をしてみたり。始業前にできることをやり、1時間目にできることをやり、あとは会議と授業。しかし、授業の時間が一番楽だな。
幸いおべんとを食べる時間を若い衆がつくってくれたので、バババとかきこんで、中庭コンサートをチラリと見て、そのまま車に乗せてもらって校区のホールに移動。わたしの担当は駐輪場への誘導です。てか、辻々に教員が立ってます。これ、地域住民から苦情が出ないための交通整理です。
やがて最後尾の子どもがやってきて、用務終了。よほどこのまま職場に帰ろうかと思ったけど、ある生徒と
「センセイ、聞くのん?」
「どうしようかなと思ってる。聞いたほうがいいと思う?」
「うん」
という会話をしたので聞くことにしました。たぶん、明日の授業、講演の話からスタートするための伏線やな。
で、山極さんの講演。なんでも市民大学の講座も兼ねてるとかで、ホールは満席です。てか、あとからあとから入ってこられます。わたしの隣にあった空き席にも、講演中に「すみません」とお年寄りが入ってこられました。この人がうるさい。紙袋にものを入れたり出したり。てか、帽子がわたしのところにはみ出てるし。挙げ句、向こう隣の人に時間を聞くし。他にもあちこちでスマホの着信音が鳴るし。なんなんだ。
それはおいといて、山極さんの講演ですね。
ひとことで言うなら、カルチャー講座です。まぁ、そういう講演会だからそれでいいんです。
内容はサル・チンパンジー・ゴリラ・ヒトを比較することで、ヒトの特徴を明確化する。それが「共に食べる」ことと「共に保育をする」ことらしいです。そうなったのは必然がある。草原の中で生活するとそこは敵だらけです。必然的に「強いもの」が食べ物をとってきて弱いものにわけあたえることになる。だから「共に食べる」。さらに敵に子どもを殺されるから多産になる。そのためには早く離乳しなくちゃならない。離乳した子どもをほっとけないから「共に保育する」。したがって、生殖にかかわらない年代も長生きする必然が出てくる。こうやって「共に」がヒトの特徴だけと、現代は「共に」ではない方向へと向かっている。それは、ヒトのもうひとつの特徴である「長距離移動」とかかわってくる。ただそれが極端にまで進行している。
そんな世界でどうするかって話です。
まぁいろんなことをすっ飛ばすと、最後のスライドは「ここに来たか」でした。それは「コモンズ」と「シェア」。例えば移動が前提になると、所有するものが減る。そうするとシェアやコモンズが必要になる。さらに所有の価値がなくなっていき、価値は行為へと移行する。
まぁそれはそうですね。ただ、その「コモンズ」にかかわって、皆保険とか大学無償化とかが書いてあって、それはおもしろかったですね。それが「ここに来たか」です。
山極さんって、たしか、吉田寮のこととか立て看のこととか、いろいろアカンことをやったって印象ですが、こういう側面もあるんだなと思ったり、まぁでも大学人としては当たり前かと思ったり。

夜は4人のおべんきょ会。わたしからはまだペーパーは出せません。理由は2つで、ネタがないことと時間がないことです。ただ、他の人たちがいろいろ出してくれたことで、ネタはできてきました。あとは時間やな。
しかし、今週は忙しいな…。さすがに疲れてきた。

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