走りまわった

朝、診察&リハビリです。まずはレントゲン。

つながってますね。最初の写真をあらためて見ると、えらいことでした。

その後、手首をグリグリやって
「固いなぁ。でも前回よりはマシかな。リハビリがんばってください」
とのお言葉。
で、リハビリです。
作業療法士さん、あちこちの筋をうまくほぐして
「ふむ、曲がるようになったかな」
とひとりごとを言ったあとグイと曲げられます。うまいな。
リハビリのあとは移動開始。昨日「行く」と言った研究会の会場へ向かいます。途中ワープしたりして、なんとか間に合いました。新会長さんから
「昨日はどうも」
とあいさつされるなど。なんかもう、変な世界になりつつあります。
やがて、研究会開始。今年度の研究課題を見た瞬間カチンときました。
「「わが国」ェー」
しかたないな。今日はおとなしくしてようと思ったけど、発言するしかありません。なので、挙手。が、無視されました。しかたないな。直談判やな。
レポートがはじまるタイミングで事務局長のところに行くと、昨日のHさんがおられたので
「人権教育の世界でこんな言葉つかったらアカンやんか」
とひとこと言って、事務局長に向かって
「もう少し言葉に対してセンシティブにならんとアカンで」
とすごんでしまいました。
こういうの、ほんとはものすごく疲れます。やりたくない。でも、やらなきゃならないんです。だって、もしもあの場に外国人教員がいたら、どんな思いになるか。いや、あの場にいなくとも、府内に外国人教員はおられるし、その人を排除する言葉は許せません。
で、席に帰ってレポートを聞いていたのですが…。
みなさん、ていねいなとりくみをされています。が、なにかが違う。なんなんだろう。やはり病理モデルなのかな。「その子をなんとかする」なんです。もちろん、その側面が必要ではあります。が、そのことだけを考えるのか、「社会モデル」を念頭に置きながらパッチワークとしての「なんとかする」と考えるのかは、まったく違います。このあたり、まんまこないだの佐藤さんへのリプライです。そして、レポートから後者のテイストが伝わってこない。後者のテイストは何によって伝わってくるのかというと、まわりの子にかかわる語りの有無かなと。つまり「集団づくり」です。あるいは、「集団」とまでは言わなくとも、その子とつながりがある子の間にある相互変容みたいなものかな。そういうのが伺えない。結果、意地の悪い言い方をするなら
「せんせい、がんばらはったね」
になってしまう。それは人権のレポートではない。
とにかく「うーん」と思いながら研究会をあとにして、夜の仕事へ。
冒頭「わが国」の話からスタート(笑)。
いや、言葉にセンシティブになることって、決して言葉狩りではないということです。それは、今は「保護者」と言ってるのが、かつては「父兄」だったように、ある言葉が誰かを排除してるという問題提起の中で、教育界において使われる言葉は変えてきたということです。その延長に「国民」や「わが国」という言葉への問題提起がある。そういうことを「次の教員」に知ってほしいんです。
そのあとは、いつもの通り、のんびりと時間を過ごして、無事終了。
「こんなんでええの?」
と聞くと
「いいんとちゃいますか」
って言ってたから、まぁええのかな。
それにしても疲れました。帰ってビールだな。きっとうまいでしょう。

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