年に1度、わたし抜きではまわらないことがあるらしい(笑)

うちの職場の文化祭は、2・3年生が会場を変えて演劇をします。で、2年生は、小体育館で仮設の舞台を使った小演劇。これがいい雰囲気なんです。
ただ、仮設なので、暗幕張りなんかはすべて自分たちでやらなくちゃなりません。なかでも、舞台のまわりの幕は、空中に吊らなくちゃなりません。そのため、小体育館の端から端までロープを張ります。
これがやっかいです。なにしろ、暗幕が7〜8枚ぶら下がるわけで、普通に張るとだらーんと垂れてしまう。で、わたしの登場らしいです。
大学時代キャンプ場で松の木と松の木の間にロープを張って、そこに毛布を数十枚干していた経験が、こんな時に役に立ちます。まぁ、ねじり結びとトラックノットでちょいちょいとやればすむだけの話なんですが…。毎年やり方を誰かに伝えるんですが、みなさん1年経つと忘れるみたいで、結局わたしがやってしまっている、と。
こんなことが積み重なって、転勤できなくなっているんだよなぁ…。

驚きの…

今年、うちの職場は年間行事予定が大きく変わりました。なんと、始業式が今日!
と言っても、たいていの学校はもっと前から8月に始業式をするようになっているんですけどね。
もちろん、これは「授業時数確保」という流れの中で、全国的に見られている傾向を反映しているわけで。にしても、はたして授業時数を多くしたから学力があがるかというと、実証的な研究はおそらくはないんじゃないかなぁ。で、よく言われているのはフィンランドの授業時数は、現在の日本の授業時数より少ないとか。まぁ、内容が違うだろうし単純な比較はできないんだろうけど、なんだかなぁ…。
まぁ、例年と違って、妙に涼しいのがせめてもの救いですわ。

ちなみに、生徒たちは、中学校ですでに経験済みなので、平気だったりします^^;;

遠方より友来たる・夏休みのゴール

京都に帰って、友だちと待ち合わせ。
このAくん、大学時代にほんとうによく遊んだ何人かのうちのひとりです。
「さて、晩ご飯を食べに行こう」ということになったのですが、Aくんはお酒が飲めません。どこにしようかと思い
「萊萊に行こうか」
と言うと、
「相変わらずだなぁ!」
と、大笑いされてしまいました。
結局、ミュンヘンで晩ご飯。
やっぱり大学時代の友だちって、話しはじめたらとまらないですね。「今」と「昔」を交錯させながら、どこまでも話が進んでいきます。
実は、わたしは高校時代の友だちは大学に入学して切れてしまい*1、大学時代の友だちは教員になって切れてしまい*2、教員になってからも転勤した人とは切れてしまいと、友だち関係が長続きしないんですよね。きっとそれは、自分に「冷たいところ」があるからなんだろうなと思っていたのですが、案外そういうものでもないのかもしれないなぁという気が、ここしばらくしてきました。
実は、ちょっと早めに帰ろうと思っていたのですが、結局10時過ぎまでうだうだと話し続け、再会を約束してお別れしました。
てことで、11時過ぎに家に帰って夏休み終了。

ところで、家に帰ったら夏休みがまだ続いているヤツがいました。下の子どもでした。必死で漢字ドリルをやってましたよ(笑)。

*1:2人ばっか残っていますが…

*2:つながり直した人はいますが…

夏休み・最後の直線・ゴール前

今日は分科会の日。
で、会場に行くと、向こうに見たことのある人がいます。ん?ん?ん?あ、ロニーさんだぁ!と行くと、あっさり『ポーポキ、平和って、なに色?』を買わされてしまいました(笑)。
でも、それからあと、延々とロニーさんと話。
パレスチナで教わったワークショップなのよ」
などと言いながら、ポーポキ・ピース・プロジェクトの人たちと一緒にやっているワークショップに混ぜてもらったりしていると、あっという間に午前が終了。分科会には出なかったけど、こちらはこちらでそうとう有意義というか勉強になったというか、そういう時間を過ごさせてもらいました。
そうそう、分科会場におられたもうひとグループ、「とよなか国際交流協会移転問題」にとりくむ人たちも忘れちゃいけませんね。この問題、わたし流に解釈するなら「自分たちがつくりあげてきたホームを追い出されるのはイヤだ!」ということなんだと思っています。「ホーム」があるからこそ人が集まれるし、「ホーム」があるからこそ安心して活動ができる。「ホーム」を失うことは、「活動」ができなくなることにつながるんだと思います。この移転問題の本質は、おそらくは、「国流つぶし」なんだと思います。*1。昨日は「Kよぽん」が来ていたのですが、今日はいないのがちょっと残念。でも、いつも飲み会に参加させてもらっていて、みなさんに知ってもらっている関係でけっこううだうだといろんな話をすることができました。

昼ご飯は、A久澤さんとたこ焼き&お好み焼きです。二人で粉モンをつつきながら*2、人権運動の現場でのジェンダーについていろいろな話が飛び交いました。
最近感じることがあるのですが、トランスって、トランスならではの「話し相手」になりうるんじゃないかという気がしてくるんです。
なんというか、トランスの過程を通じて、あるいはトランスの結果の「場所」での経験を通じて、「男性/女性」に2分されない立ち位置から感じる「風景」って、実はとっても独特なものがあるのかもしれない。そして、その風景から出てくる「言葉」を必要とする人が、案外いるような気もします。
まぁ、同時にそのことは、その人にとってわたしは、しょせんは「トランス」であって「女性」ではないということでもあるのですがね(笑)。

午後は再びロニーさんと「やっぱ、stn、元気のでることやりたいよね」みたいなうだうだ話。
にしても、こういうところでロニーさんと会えるって、すごくおもしろいです。
てなことをやっているうちに、今年の大会も終了。兵庫の皆さん、お疲れ様でした!

*1:詳細は、リンク先のブログを見て下さい。

*2:途中、「一味」「七味」をどちらがたくさんかけられるかという勝負もしましたよ。ムキになるのはやめましょうね、お互いに(笑)。って、こんなとこ見てないか…。

ピンの集まり

大会初日の夜は全国交流会です。
交流会では各地の紹介をそれぞれの府県ごとにやるのですが、京都の参加者は濃いぃわ。O濱さんの語りからはじまって、Kん玲子さんT川さん…と続きます。考えてみると、全員が「ピン」で立っている人です。だからバラバラなんやな(笑)。
交流会のあとは、ホテルにチェックインして、2次会へ。ここもまた濃いぃところが集まりました。K井さんとかA久澤さんとかも確かに濃いぃのですが、それぞれの場所で長く実践をされている方もまた濃いぃです。
なので、「じゃぁ自己紹介を」と語りはじめると、ひとりひとりがすごく長いです。まぁわたしも全外教との出会いや交流会との出会いを延々としゃべりましたけどね(笑)。
最終的に、12時頃にお開き。ホテルに帰って気がつくと寝ていました。

夏休み・最後の直線・フル加速

朝、身体が動きません(;_;)。でも、起きなくちゃ今日のプログラムがあります。なんとか身体を無理矢理起こして、どうにかこうにか一日がスタートを切りました。
朝ご飯のあと、いきなり2時間半の班別討論。
ある班では、中学生が「学校でイジメを受けている」という話をすると、そこにいる高校生たちが一生懸命アドバイスをするという場面もありました。話し終わった中学生が「みんなに言ってすっきりした」と笑顔をとりもどしたのが印象的でした。
そんなこんなで、班別討論のあとの全体会。それぞれ班ごとにポスターをつくって討論の内容を発表します。そんな子どもたちの姿を見ながら「今年の夏も終わりだなぁ…」という思いがこみあげてきます。まだ大会が残っているんですけどね^^;;

昼ご飯のあと、バスに乗って全外教大会の全体会場に移動。しばし待機の後、大人の参加者たちに分科会の報告をします。
この報告、毎年全体会の「目玉」になっています。たしかに、2日間話しあった内容を、自分の経験を交えながら語る子どもたちの姿は、まぎれもなく「ホンモノ」なんですね。そして、そういう「ホンモノ」だけが持つ迫力があります。30分以上発表があるのですが、あっという間に終了。と同時に、今年の交流会も終了です。
疲れた…。でも、きっと来年も来るんだろうなぁ…。って、当たり前か…。

夏休み・最後の直線

今日から明日にかけて、兵庫県で全国在日外国人生徒交流会です。
なんとか予定していた電車に間にあって集合場所へ。到着すると、すでに全国からいろんなルーツを持つ子どもたちが集まっています。中には去年の交流会に参加してくれた生徒もたくさんいます。そんな子どもたちと「久しぶり〜」とかあいさつを交わしているうちに出発の時間です。みんなはバスに乗って六甲の山の中へ。
例年、交流会は、全体会のあと料理づくり*1に突入するのですが、今年は「山の家」で自炊ができないためにゲーム大会なんかをしながらプログラムに入っていきました。もちろん、司会をするのも内容を考えるのも実行委員の生徒たちです。わたしたち引率は、そんな子どもたちをのんびりと見ているのが仕事です。
そうそう、交流会って、もちろん生徒たちのものではあるのですが、引率の大人達にとっても「交流会」なのかもしれません。久しぶりに会う人もいればしょっちゅう会っている人もいるのですが、なによりの大きな共通点は「生徒をつれてきている」ということです。つまり、そういう引率は、やっぱり生徒とかかわっているわけで、べつに直接交流会や在日外国人教育にかかわらない話であっても、「あぁ!それそれそれ!」みたいな共通の基盤があるんですね。これがすごくいいんです。子どもたちがワイワイ遊んでいる最中、わたしたちもそんな生徒たちの姿を見ながら、ダラダラとよもやま話を楽しんでいました。
そうそう、この交流会には「卒業生」の存在も大きいかな。ある卒業生は引率補助として、ある卒業生は「やっている」という情報を聞きつけて「見に行きたい」という思いで来てくれます。高校の時はできたけど、大学にいったらできなくなったことなんていうこともたくさんあります。まして、社会に出たら、ますます限定されてしまう。そういう日常の中で忘れてしまったものやあきらめてしまったものを、「交流会」の場にくることで思い出すこともできるみたいです。そんな「ヤツら」ともゆっくりしゃべれました。
この交流会には「日本人」の子どもたちも少数ではあれ来ます。今年は、そんな子どもたちの話しあいの場に、担当者として参加をしました。
交流会の場では、在日外国人の子どもたちは「多数者」であり「主役」です。そういう場に来た時、ともすれば日本人の子どもたちは「話を聞く」にとどまるような参加形態になりがちです。でも、そうはなってほしくない。というのは、日常の場に帰った時に、在日の子どもたちは再び少数者にもどるし、それがまさに「日常」なんですよね。その時に、その在日の子どもを取り巻く多数者としての「日本人」がどういう社会をつくっていくのかということこそが、実は必要とされていることのはずなんです。
実際に日本人の参加者の話を聞くと、いろんな思いを持ってきてくれていました。中にはほんとうにしっかりとした「関係」をつくりながら、だからこそこの交流会に参加してきた生徒もいて、かなりホッとしました。
やがて、ルーツをミックスにした「班別討論」の時間。2時間半の設定ですが、みんなものすごい勢いでしゃべっています。
で、1日目のプログラムが終了したのが11時。問題はここからです。この元気な連中が、夜寝るとは思えません。それをなんとか寝かさなくちゃなりません。そのためには、教員が寝られない(笑)。しかも、単に「寝ろ」ですまないのが、この交流会の参加者のおもしろいところです。論理と情をからめながら、本人がそれなりに納得できる対話をしていかないと、話はまったく通用しません。もちろん、このあたりの「駆け引き」がおもしろくもあるのですが、眠くなってくるとそれもきつくなってきます。
結局今年に関しては、わたしが寝たのは2時半。最終は5時だったとか…。

*1:実はアイスブレーキング

とうとうこの日が…

今日は休みをとっているので朝はのんびり。
8時を過ぎたあたりで出撃準備。向かうは下の子どもが通っている小学校です。なんでも「男女平等教育」の研修会だそうです。てか、わたし、そのあたりは専門じゃないんだけどなぁ…。
にしても、子どもの学校で話をする日が来るとはなぁ…。なんとなく照れてしまうけど、まぁ、「同じ」教員同士のことですから、なんとかなるでしょう。
で、定番の漫談を一席。実は、この学校には昔から在日朝鮮人教育でつながっている人がいるので、底に流れる「テイスト」はわかってもらえるかな。話しはじめると、けっこう「ウケ」がいいです。てか、小学校って平均年齢が低そう。それだけに、反応が打てば響く感じです。暴走してしまいそうになる自分をなんとかおさえて無事終了。
そのまま大あわてで駅に向かいます。

午後からはヒマ

午後は本来は別の研修が入っていたのですが、それが明日になったもので、ポッカリと時間があきました。しばらくはクラブに顔を出したり雑務をしたりしていたのですが、せっかくの「あいた半日」がもったいないです。休暇を出して帰ることにしました。
帰りにユニクロジーンズを買ったり、デジカメを買ったり*1、ちょっと散財をしてしまいましたが、それもよしってことで。
あとはのんびりして、9時半就寝\(^o^)/

*1:なにせ、現在はオリンパスのカメリオC2zoomですから

校内研修

今日は、校内の人権教育研修会です。てことは、主催者なわけで。
昨日部長と「ちょっと早めに来ようか」などと話していたのですが、「じゃぁ、8時頃」って、ふだんと一緒の時間です。
てことで、ようやく日常の生活リズムにもどりはじめました。てか、6時起きがデフォルトって、なんだか歳のせいかなぁという気が(;_;)
今日の講師は大阪の中学校の先生。「公立学校ができること、すべきこと」というタイトルで、「ちからのある学校」になるためのシステムづくりみたいな話でした。
語り口が少々押しが強い感じなので「ちょっと苦手だなぁ」と思っていたのですが、内容そのものはすごくよくわかる話でした。
簡単に言うならば、いま(も昔も)「個人の力量を高める」ことを要求されているんですが、それでは現在の格差社会の中で低位におかれている子どもたちに対応しきれないという問題点からスタートされています。しかも、団塊の世代が退職することで、経験が少ない教員が大量に採用されています。ますます「個人の力量」が期待できない状況が進んでいます。
じゃぁどうするかというと、個人の力量に頼らないシステムをつくっていく必要があるということです。具体的には、たくさんの教員がひとりの生徒にかかわれるシステムをつくっていく。そうすることにより、ひとりひとりの教員の負担は減るし、子どもにとっても「逃げ場」ができる。
そういう問題の立て方からスタートして、具体的な「システム」を見ていったのですが、まぁ言ってみれば、「個人としては/教科としてはそれやってるよ」的なことがたくさんあります。でも、それを学校全体のシステムとしてやっているところがすごいですね。たしかに自分が個人でやっていることは「個人/教科のウリ」としてはおいしいのですが、それでは状況の根本的な解決にはならないし、時としては時間的/人的/思想的に校内でバッティングしてしまうこともあり、すごくやりにくい局面も出てきてしまいます。そういう意味では、「システムをつくる」ということは友好だなぁと思いました。
まぁ、中学と高校の違い*1というのはあるのですが、「やってみたいなぁ」と思わせる話でした。

*1:最大の違いは「人数」と「チームワークの有無」だと思っているのですが(笑)