パスタ各種

強力粉をこねて、一晩寝かせるだけ。麺棒で伸して細切りにしてゆでます。今回は、生醤油をかけて上からかつお節と刻みネギをあしらうだけにしました。

  • チャプチェ

朝鮮料理って、基本的には色で決めるみたいです。「緑のもの」「赤いもの」「茶色いもの」「黄色いもの」というふうにしていくと、自動的に栄養のバランスがとれてくるということなんでしょうね。今回は、ピーマン・ニンジン・ごぼう・お肉・タマネギあたりでごまかしました。それぞれ細切りにして、ごま油で炒めて塩コショウで味つけ。最後にあわせるだけです。

  • ミートソースとかキノコのソースとかペペロンチーノとか

一応パスタナイトですから、このあたりも出しました。でも、たぶんどっかにレシピは転がっているはずなので、省略ね。

ミーティング

午後からは、京都駅近くでミーティング。はじめのうちは、そこそこまじめな感じで話をしていたのですが、だんだんと話が盛りあがりはじめて、最後は意気投合しまくりです。なんか最近、こういうの多いなぁ。
てことで、コーヒーだけの予定が、気がつくとふたりで白い液体を飲んでいました。あ、もちろんバリウムじゃないですよ(笑)。
このミーティングの結果、またそのうち報告する時が来るかな…。

で、復活!

昼頃、バイクを引き取りに行きました。お勘定の方は、予算を少々オーバーしたみたいなんですけど、「まぁええわ」と言ってくれて、予算ぽっきりでいってくれました。ホンマにええんかいな。「商売になってます?」と聞くと、「半分好きでやってるし」とのこと。まだこの店に来はじめて1年くらいなのにね。帰る間際に「ところで、このバイクがなくなると、ちょっと寂しいとか…」とカマをかけてみると「そうやな、確かにちょっと寂しいな」とのうれしいお言葉。
最近のバイクって、インジェクションシステムとか入っていて、やっぱり触っていておもしろくないらしいです。そこへ行くと、バッテリーがなくてもエンジンがかかる旧車は触っていておもしろいみたい。
エンジンまわりがまっさらになったバイクで家に帰ると、子どもが「ええ音してるやん」と迎えてくれました。君、わかるのね(笑)。

いよいよ復活か?

仕事の帰りにバイク屋に寄るようになって、早3週間。3週間前には「割れたよ」とか言われて、横にある流しを見ると割れたエンジンが置いてあったりしていました。ところが、今日見に行くと、エンジンが載っていました。まだ走れる状態ではないものの、エンジンはかかるところまできていました。バイク屋おやっさんが軽くキックをすると、今まで聞いたことがないような軽やかな音でエンジンが回り始めました。「あしたには渡せるな」とのことです。
まだまだ梅雨の季節ですが、でも、ようやくバイクに乗れます。うれしいなぁ…。

自分でつけるラベル・他人がつけるラベル

わたしがはじめて岡山病院に行ったのが2001年のことでした。実は行こうかどうしようか、ずいぶんと迷ったのですが、結局行きました。このときから、GIDとのおつきあいがはじまったことになります。
ところで、なぜ迷ったのか。これは「もしも「違う」と言われたらどうしよう」だったんです。わたしは「性同一性障害」というラベルを獲得することで、自分の「場所」を確保しようと思っていたんです。と同時に、その後も病院に行こうと思ったのは、やはり「ホルモン」「SRS」の可能性を模索したいということでした。で、2004年に関西医科大学に行くようになって、「ヤクゲト」するようになって、と。
そんなわけで、いちおう「性同一性障害」らしいのですが…(笑)。
最近思うのですが、「わたしはわたしをどう表現するか」ということって、とっても大切だと思うのです。その時その時の「わたし」の問題意識やアイデンティティのあり方が如実にあらわれます。もちろん、否定してしまいたい過去のわたしや、消し去ってしまいたい過去のわたしもまたあります。でも、そんな自分もまた、「わたし」なんだと思うことからスタートする必要があるかなと思います。
さて、いまのわたしにとっては「わたし」を表現する言葉はいったい何なんだろう。
トランスジェンダー?」OKです。「変態?」OKです。「女装?」あまりしてないけどね、でもOKです。「GID?」自分からはあまり言わないからなぁ。たしかに、そのラベルを獲得するために岡山まで行きました。その結果、中島さんと出会い、その後織田さんと出会い、あるいはGID研究会や交流会を通してたくさんの人々と出会いました。そこで出会った仲間たちのおかげで、いまのわたしがいることは、まぎれもない事実です。だから、「GID」というラベルを否定はしないです。でも、わたしにとっては「借りてきた」感があるんですよね。「GID」というラベルがわたしに貼られる時、一抹の違和感がどうしてもぬぐえないんです。もっとも「じゃぁ、GIDじゃないんだね」と言われたら、「う〜ん、違うというわけでもないかもしれない…」となってしまうのが、弱いところというか、ずるいところというか(笑)。おそらく「GID」って、自分で獲得した言葉じゃないんですよ。わたしのありように対して、他の人がつけたラベルなんだと思うんです。それを自分が「よし*1」とするかどうかということなのかな。
「わたしはわたし、それ以上でもそれ以下でもない」。ほんとうはそう言いたいんだけどなぁ…。

*1:というか「まぁええか」

で、結論

昨日の取材の件ですけど、あまりにも展開が早すぎます。もちろん、マスコミの側としては、この手のことは生鮮品でしょうから、早いのが当たり前かもしれないけど…。てことで、校長と相談をして「やめとこか」ということになりました。
まぁ妥当なところでしょう。

つかまないと放せない、放さなきゃつかめない

人権学習の講演なんかの生徒の感想文に「なんであの人はそんなに部落にこだわるねん」「なんであの人はそんなに朝鮮人であることにこだわるねん」というのがよく出てきます。たしかに「こだわり」の強い人が多いですね。でも、ある講演で「部落の人間だって、24時間部落であることを意識しながら生きているわけじゃない」といった人もいました。
あるいは「自分はそんなことにこだわらずに人とつきあう(だから差別はしていない)」という感想文もありますね。あと、教員の中にもいます、「自分は部落や在日にこだわらず、みんなを平等に扱っている」という人。でも一方、例えば全同教の「差別の現実から深く学ぶ」というスローガンは、「一人ひとりの生徒のかかえる差別の現実に、徹底的にこだわる」ということだと思います。
「こだわる「当事者」」と「こだわらない「当事者」」。そして「こだわらない「「非」当事者」」と「こだわる「「非」当事者」」。
おそらく、「だれが」「どんなシチュエーションで」「どんな人間関係で」…、そのことを話しているかということが大切なのかなぁと思います。

翻って、自分のこと。

1997年に「トランスジェンダー」という言葉を知って、ようやくバイアスのかからない自己表現の方法を獲得しました。ようやく、「(自己否定としての)女装」や「変態」という言葉から解放をされたわけです。でも、それから長い間「女装」や「変態」という言葉への忌避感が続きます。おそらくそれは、自らに内在する「女装フォビア」「変態フォビア」のあらわれなんだと思います。もう少しいうなら、「トランスジェンダー」という言葉を獲得することにより「女装、イチ抜けた〜」「変態、イチ抜けた〜」という感覚が確かにあったんだと思います。
そうそう、2000年のことですが、ある2泊3日の人権関係のセミナーに「スカートをはいて」「女性」として参加したことがありました。このときは、最終日ジーンズに履き替えながら「男にもどりたくない」と泣きましたっけ…。
ここ数年、人前で話をさせてもらう機会がありますが、おそらくはじめて話はじめた頃と今とではずいぶんと違いがあるんじゃないかと思います*1。とりわけ、「女装」「変態」という言葉をめぐるあつかいに変化があるんじゃないかと思います。
かつては、おそらく「女装という言葉はいけない」「変態という言葉はいけない」みたいな空気を、直接は表現しないまでも漂わせていたんじゃないかと思います。でも最近は、そんなことはないんじゃないかと思います。なにが変わったんだろう。
きっと、「言葉」を獲得することで自分を表現できるようになる。でも、その時同時に「フォビアにまみれた言葉」を捨てるということも同時にするのかもしれない。やがて、獲得した「言葉」すら捨てられるようになった時、かつて「フォビアにまみれていた言葉」を再び拾うことができるようになるんじゃないかなぁ。そんな気がします。

*1:てか、違いがなかったらあかんやろ(笑)

やっぱり終わっていなかった

職員室に行くと、副校長が「ちょっと時間あるか?」と聞いてきます。あってもなくても結局一緒ですけどね。で、話を聞くと、K新聞から取材の依頼があるとのこと。はぁ…。その後、校長室に行くと、今度は「テレビ局が取材したいといってるんやけど、どうしよ?」。「どうしよ」って、あんた…。「なんでも、今度はモザイクなしとか言ってるんやけどなぁ」。そこまでいったら、わたしの判断じゃないですがな。
姐さんのコメント通りの展開ですわ…。

アイデンティティは「単独」で存在しうるのか?

「自分はなにものであるか」ということに突きあたった時、どうやってそれを表現するんだろう。もちろん、まったく新しい概念で自分を規定することができる人もいることだと思います。でも、わたしにはそんな力量はない。なので、まずはじめに、既存の言葉を援用するところからスタートするわけです。
では、どんな形で「既存の言葉」を選び取っていくのか。
小学校の頃のことを思い出すと…。おそらくわたしは、まわりにいた人たちの姿や、マスコミで流れる情報と自分とを比較しながら、「あ、同じ」「あ、違う」と考えながら、ひとつひとつ自分をあらわしそうな言葉を選んでいったんじゃないかと思うのです。もちろん、ある言葉を選ぶこと=肯定じゃないです。否定的な言葉を選ばざるを得ないこともあります。また、比較しようにも「比較の対象としての具体的なモデル」がないこともあります。そうした時は、比較の対象は自分の持つ「常識*1」になります。
で、わたしにとっては、小学生の頃はじめて自己規定をした言葉が「変態」だったわけです。でも、さすがに小学生のわたしには、これは荷が重かった。そのあたりが、子どもの頃の自分の「悩み」だった、と。たしかに、あの頃は日常を楽しみながらも悩んでいたよなぁ。

*1:これもまた、世間とのかかわりでつくられてくるわけですが