午前は合宿の続き

朝起きたら、さっそく朝食の準備です。おみそ汁は前日に町長さん自らがつくっておいてくださいました(笑)。なので、わたしは卵まきでもつくろうか、と。にしても、卵18個分はけっこうたいへんでした。まぁ、いい経験だな。
午前は来年の交流会に向けての話しあい。ともすれば具体的なプログラムに入ろうとするんですが、それをなんとか引率の方で「理念的」な話に持って行かせようと。だって、来年のプログラムは来年の実行委員が決めればいいわけで、それよりも、今年の反省を踏まえて、来年の実行委員に「こういうふうにしたらもっといい交流会になるよ」という提言をするための話しあいですから。
最終的にでてきたのは「原点にもどる」。
ありがちだけど、大事なことだろうなぁ。

もつ鍋パーティー?

午後から、全国在日外国人生徒交流会の事後合宿。子どもたちが自分たち自身で夏の交流会の総括をしていくための合宿です。
場所は今回も甲良町。ほんとうにお世話になります。
とりあえず、午後に集まって、さっそく話しあい。いろいろ迷走しながらも、だんだんと交流会の内容を思いだしてきたみたいで、そこから班別討論でどんな話がでたかみたいなことを話しあいます。いや、よく覚えているよ、みんな。「若いから」というひとことじゃないんだと思います。やっぱり、それぞれの話が、すごく印象的だったんだと思います。
夕方までみっちりと話しあって、そのあとは打ちあげ。甲良町の皆さんの手によるもつ鍋です。これが実にうまい!少し濃いめのダシにモツの脂と香りがしみて、それが大量にぶち込んだキャベツ・ニラ・もやしにうつります。食べているのは基本的には野菜なので、いくらでもはいる感じです。さらに、ムラのおばちゃんがスジの炒ったのをつくってくださいました。これがまた…。
子どもたちは体育館でバレーボールをして盛りあがります。引率は引率で、各地の話をしたり、なんだかんだで盛りあがります。そうこうするうちに、夜も更けてきたので、おふとんへ。といっても、子どもたちが寝るわけがないです。「こわい話しよ!」とか言ってます。なんか、昔も今もあんまり変わらへんなぁ…。
ということで、とても幸せな打ちあげでした。

KNOPPIXイイ

生徒が「こわれた」と言って持ってきたパソコン。結局はハードディスクの第1パーテーションが飛んだと診断。
ところで、生徒が持ってきたパソコンは某◯ECの◯avie。これ、リカバリディスクがついてなくて、第3パーテーションに入っているんですよね。で、再インストールしたければ、起動時にF11を押して第3パーテーションを呼び出す。あるいは、あらかじめ元気な時にリカバリディスクを自分でつくっておいてそれを使わなくちゃなりません。
で、生徒はそんなことを知りませんからリカバリディスクなんてつくっていません。そこで、ATA⇔USBケーブルを使って第3パーテーションの内容を救い出そうとしたのですが、当然ダメです。さてどうするか…。
そうだ!こんな時こそKNOPPIXだ!
CD-ROMを放り込んでパソコンを起動。ほどなくKNOPPIXが立ち上がります。画面を見ると、ちゃんとHD3が表示されています。ダブルクリックするとマウントされて内容が表示されました。すげぇよ!てか、WINのハードディスクの管理方法がしょぼいのか。
さて、データをどうするか…。そうだ!sambaだ!
sambaを立ちあげたら、あっさりネットワークが認識されました。で、データ待避用のパソコンに転送。あとはこいつをDVDに焼くだけです…。なわけないか。
なにせインストールしなくちゃならないOSはwinXP。ブータブルDVDをつくって、それでもインストールできるかどうか疑問。だって、◯ECの要求している方法でつくったリカバリディスクじゃないですからね。さらに、たとえインストールできたとしても、アクティべーションできるかどうか。たとえアクティべーションできたとしても、デバイスドライバがあるかどうか。
まだまだ道は遠いなぁ…。

直行

朝、ふと目が覚めると、お腹の上に黒い画面のパソコンが。てことは、バッテリーが切れたか_| ̄|◯。それにしても、ほとんどラッコみたいな感じです。はぁ…。時計を見ると、3時半。あわてて電気を消してもう一眠り。
次の目が覚めたのは6時半。とりあえず、頭が重いので、お風呂に入って体を温めて、テレビを見ながらしばしボー。
朝ご飯を食べてチェックアウトです。そのまま新幹線に乗ります。道中、黒坂愛衣さんの3部作を読んでいたのですが、「あぁ!この本に出ていた人がいっぱいんだぁぁぁ!」ということに気づいて、「帰りの新幹線じゃなくて、行きの新幹線で読むべきだった」と、そうとう後悔しました。
てなことやっていると、京都へ。ここから家とは反対方向に進路をとります。目指すはウトロ。
なんでも、韓国のNPOの集まりがあって、それの交流会があるとか。わたしは例によって例の如く放送担当です。
ところが、これ、どの機材が必要なのかまったくわかりません。なので、無駄を覚悟の上で、CDだのMDだのカセットだのと大荷物を持っていきました。ついでに、どうせノレ*1があるだろうということで、エコーマシンもかついでいきました。
さて、夕方になって交流会の開始。いきなりタイピンマイクが活躍します。続いて、オモニ達の合唱。ここではカセットが活躍です。途中BGMのためにCDも使います。さらに、ハルモニ達のノレがはじまります。エコーマシンが大活躍。
てな感じで、気がついたら持ってきた機材はほぼフルに使っていました。こわいわ…。
交流会が終わったら、後かたづけ。機材を撤収して、収めるべきところに収めて、ようやく終了です。
帰りに手伝ってくれた友だちにラーメンをおごって*2お家へ。家にはいるとみんな寝ています。長い2日間でした…。

*1:うた

*2:う〜ん、かなりしょうゆ辛いラーメンでした。でも、体調が悪かったのかも…

プチフィールドワーク

高座の後は、「地元を案内しますよ」という主催者の方のご厚意にあまえてT地区とE地区のプチフィールドワーク。
なんというか…。
関西と関東の違いというのもあるかもしれませんが、都市部と農村部という違いもあるんでしょうね。まず、圧倒的にちがうのは、地区改善事業については、解放住宅がメインではないということでしょうか。解放住宅はほとんどありません。やっぱり、土地があるんですね。
だからといって、「広々」かというと、そういうわけでもありません。E地区はほんとうに入り組んだ道がムラの中をかけめぐっています。「他の地区はね」と隣の地区にも車で案内してもらったのですが、ぜんぜん町並みがちがいます。まさに「道がある。道が狭くなる。狭くなったそこに部落がある」というフレーズを思い出させる光景でした。
「なぜこんなに狭いままなんですか?」とたずねると、ひとつは、人口の流出があまりなかったことをあげられました。でも、これは近世から近代初頭の感じでしたね。では、近代から現代に関してはというと、やはり、「行政が放置をしてきた」ということだったみたいです。
あと、やはり地域の考え方かなぁ。ムラの人の中には地域改善事業にあまり協力的ではない人もいるわけで、そういうところでは、道を拡げようにもそこの土地を買い取れないので、拡げられないなんていうこともあったみたいです。
一方、人権をめぐる活動については、ほんとうに「開かれた」方向に進んでおられるみたいです。このあたりも、「力関係」なのかな。話を聞いていると、「いいバランス感覚をしておられるなぁ」とつくづく感じました。

寄り道

現在、わたしは毎日京都市を縦断しながら通勤をしています。たしかにたいへんっちゃぁたいへんなんですけど、考えようによっては、祖父地図でも寺町でも四条でも、どこでも「通勤途中」です。ですから、気がむいた時にはひょいと寄り道ができます。
もちろん、そういうところばかりじゃなくて、例えば人と会うのもとても簡単。
なので、昨日焼いたDVDを今日寄り道して持っていくことにしました。郵送料も必要ないしね。
で、寄り道するつもりが、会ってしゃべりはじめるとついつい興に乗るのもよくある話です。はじめは立ち話だったのが「まぁ座って」とか言われると話し込んでしまいます。
話の内容は、他愛もない話です*1。でも、なんとなくしゃべりにくいような話を話せる人がいるのって、精神衛生上いいのかもしれない。かなりすっきりして家に帰りました。
家に帰ってパートナーに具合を聞くと、少しずつ少しずつ快方に向かってはいるそうな。よかったよかった。

*1:京都の教育運動界の内部事情の話とか、人間関係の話とか…。他愛もないなぁ(笑)

昨日のツケは今日来る

今日は東九条マダン。いつもの通り、在日外国人生徒交流会として焼肉の出店を出します。
とりあえず、6時起床。朦朧とする頭を鎮めるべくコーヒーを飲んで一息。さて、準備です。準備リストを見ながら…。やば…!炭とキャベツを買い忘れてた!
とにかく8時に荷物を会場に搬入する必要があるので、火床に使うドラ缶とか特大の網とかを倉庫から引っ張り出して荷物を積みます。積みながら考えるのは、足りないものの買い出しの段取り。
途中、漬け込んだキムチをピックアップして会場へ。すでに、会場は大にぎわいです。
車の中から大量の荷物を出して、いざセット開始。
と、そこに知りあいの在日の教員が来たので「なにで来た?」と質問。「バイクですよ」「貸して」「いいですよ」で、交渉成立。とりあえず、立ちあげ直後の炭とキャベツだけ確保しに行きます。
あとは、ひたすら肉を焼くのみ。
ただ、今回は映画のロケに協力することになっていて、お店の前に並んでおられるのがお客さんなんだかエキストラの方なんだかわけがわからないというハプニングもありましたけど。
とにかく今回は、そんなハプニングもありぃの、生徒の参加者が少ないという緊急事態もありぃのと、たいへんなマダンでした。
そのせいで、あっというまに一日が終わって撤収の時間になってしまいました。

でも、振り返って考えてみると、東九条マダンって、ほんとうにマダンなんだよなぁ。
岡山の長島愛生園から金泰九さんが来られていました。「座るところある?」ってサポートをしている人から聞かれたので、「そのために持ってきましたがな!」とキャンプイスを出しました。すると、そこに徳島から来た人や大阪から来た人達が集まってきて、マダンができます。ウトロの町内会長さんも「来たで」とそこに来られます。やがて、泰九さんと会長さんの会話もはじまります。みんなが少しずつそうやって「つながり」を広げていくところがマダンだと思います。そんな「東九条マダン」の中にある、小さなマダンをつくることができてたというそのことで、ものすごい疲れも癒されます。
準備の時や肉を焼いている時は「もう、やらない」といつでも思うのですが、終わって振り返ると「またやるか…」と思ってしまうんですよね。

荷物を積んで家に帰って時計を見ると、打ちあげ開始の時間まで後わずか。ここから電車に乗って打ちあげに行くか、このままお風呂には行って寝るか。ほんの少し考えたのですが、後者を選択しました。歳かなぁ…。いやいや、あしたがありますねん(;_;)

キムチとタレづくり

今日は、在日外国人生徒交流会。
11月3日にある東九条マダンでつかうキムチのつけ込みとタレづくりの日です。
昨日パートナーに塩漬けしておいてもらった白菜5玉を車に積んで、出発です。現地に到着してしばし待つのですが、誰も来ません。もしかしたら、ひとりでやらなきゃならないか?不安が頭をよぎります。それでも、しばらくまっているとだんだんと人も集まってきます。よかったよかった。なにしろ、ニンニクを13房も皮むきしなくちゃなりませんから、ひとりでは絶対したくない作業なんですよね。
あとは、ヤンニンをつくったり、鍋に大量の材料をぶち込んでグツグツ煮ていったり。あたりはタレとキムチの臭いで一杯になります。
一方、昼ご飯もつくらなくちゃなりません。今日は簡単に、チヂミと水餃子と鶏の焼肉*1です。ごはんを食べながら、みんなで雑談→自己紹介→質問タイムと移行していきます。
人数が少ないのは残念だけど、逆に深い話ができてよかったかも。

それでも、家に帰ったらぐったりと疲れていました。
おもしろいけど疲れるんだよなぁ…。

*1:たれの試食

後かたづけ

朝、やっぱり6時に目が覚めてしまいます。
なにせキャンプ場はワンセグの電波くらいしか飛んでいませんから、やることがありません。しゃーないので、缶コーヒーを買ってきてしばし休憩。そうこうするうちに、みんなも起き出してきます。
さて、片づけも済んだからゴミを車に積み込んで出発だぁ。
とりあえず、帰って風呂入って寝よう。

OBOG会

今日は、放送部のOBOG会です。場所は、なぜか近くのキャンプ場。
学校が終わったら、とりあえずわたしは買い出し。肉と炭を買い込んで、キャンプ場へ。到着したら、先発隊がすでに準備を開始しています。
ほどなく炭もいこってきました。肉を焼きはじめます。わいわい食べている連中を見ながら、わたしはビールを一本。
しばらくすると、他の卒業生たちもボチボチ集合。今年はちょっと集まりが悪いけど、みんな忙しくなってきたからなぁ…。
10時を過ぎた頃になると、そろそろわたしはおねむ。ロッジの中に入って布団にもぐり込んだらそのまま爆睡…。