スクール・1日目

なんしか、今年はなんとか滑走日数を2ケタにのせたいという思いがあります。なので、とりあえず月1回は行こう、と。てことで、今日〜明日は2月の分です。
朝起きると、えらい冷えてます。幸いエンジンが一発でかかったので、ラッキーでした。で、山へ向かいます。街中は見事に凍結しています。でも、山道にはいると除雪がきちんとされているのか、逆に大丈夫。途中、子どものスキーのレンタルなんかをしながら、スクールに到着。
今日の生徒さんは、小学1年生と幼稚園の年長さんのきょうだい。かわいいというかなんというか…。ゴーグルをしていると人相がわからなくて、「こいつ」と思わないわけでもないのですが、ゴーグルをはずすと、ふにゃふにゃの顔をしています(笑)。
小学1年生の方は、さすがに力があるのでプルーク滑降はできるのですが、年長さんはプルークを維持することができません。これをどうするかですね。とりあえず、はじめはスキーのトップを持ってあげて一緒に滑ります。だんだんとそれをなくしながら、どんどん距離を伸ばしていきます。気がつくと、ずいぶんと滑れるようになっていました。
なので、午後からは相当な長距離にチャレンジ。と、「おしっこ」のひとこと。「じゃぁレストハウスに入ろうか」で休憩。一本滑っていよいよリフトを乗り継いで上へ。と、「寒い」とひとこと。そりゃそうです。あたりは-10℃の世界ですからねぇ。またまたレストハウスに入ってしばし手をあぶります。で、スタート。たいしたもんですわ。子どもたちは。
結局午前午後のレッスンで、小学1年生はプルークボーゲンができるようになり*1、年長さんはプルーク滑降+少し曲がれるというところまできちゃいました。
子どもを教えるのは、ある意味楽だ。
レッスンの後は30分ほどフリー。雪質は最高。コブを見ると、そうとう深いものの雪は柔らかそうです。で、コブにはいると、これがまたいい感じです。たった2本だけではあったけど、しっかりと楽しませてもらいましたm(_ _)m。
宿に帰ったら、ちょいと仕事のお手伝い。子どもも一緒に皿洗いをやっていました。まぁ、こういうところで働くのも勉強です。仕事の邪魔はしたけど、それを受けいれてくれるスクールの厨房スタッフに感謝です。
手伝いが終わったら、子どもと一緒に温泉に入って、布団を敷いて一休み。と、子どもは寝ていました。まだ8時半だよ(笑)。久しぶりのスキーで、そうとう疲れたみたいだな。

*1:指導した内容は「曲がってごらん」だけ。まぁ、一度だけ前を滑りましたが、それもフォームなんて見せていません。「こっちにおいで」ってやっただけです。

久々の2人旅

特殊任務の日は仕事が早く終わるので、さくっと家に帰って、子どもを連れて出発。
そうだ…。期日前投票をしなくちゃ…。「◯ん◯味のカレー」か「カレー味のう◯こ」か、はたまた…、どれにいれようかと迷ってしまうような選挙ですが、とりあえず入れなくちゃならないと考えていますので、行ってきました。
で、区役所から琵琶湖方面へ。さらに北上して、高速道路に乗ります。途中、いらん用事をしちゃいましたが、なんとか中部地方の大都市に到着。友だちと落ちあって呑み。久々に同じスクールでスタッフをしている人とのんびりと話ができました。ちなみに、行った店の店長は、もともと同じスクールでスタッフをしておられた方なので、料理を出すついでなんかにちょろっとスクールの会話ができたりして、これもまたいい感じです。何品か注文をしたのですが、出てくる料理の量がハンパじゃないです。かなりおすすめかも。緑町にある凡蔵という店ですので、お近くに行かれた時はどうぞ。ちなみに、「いつき」と言っていただいても店長さんはご存じないです(笑)。そうそう、子どもは「うまい!うまい!」と連発していましたが、途中で「もう食べられへん…」とギブアップしていました。
で、お友だちの家に泊めてもらいました。
さて、あしたは「雪と氷の世界」に突入だ。

で、新大阪へ

新大阪某所で、某集会があるのでおでかけ。いや、一度家に帰ろうと思っていたのですが、やっぱり時間的に無理でした。
新大阪からあるいて会場へ。途中、前に行って「うま!」と思ったお好み屋さんに寄って昼ご飯。やっぱ、ここおいしいわ。残念だったのは、今日は昼のビールを飲んではいけない集会だったので、お好みだけしか注文できなかったことです。そのかわり、安かったです(笑)。
集会の方は、2時間半ほどかかる予定がすぐ終わってしまい、時間があまりまくり。
ちょうどよかったので、某交流会の打ちあわせを現地の人たちとすることにしました。
現地の人たち、ほんとうに協力的です。地元の組織をあげて、某交流会のバックアップをして下さいます。感謝感謝!
打ち合わせの時に、「昼ご飯、お好み食べてきましてん」と言って写真を見せると、みなさん「お好み焼き食べたなってきたわ」と完全に釣られはじめています。てことで、打ち合わせの後、お好み焼き屋に移動してしばし呑み。
ここで、「なんでこないに協力してくれはるのかなぁ」という話になりました。
やっぱり、地元にもトランスの人がいるらしいです。個人的にはつきあいがあるけど、地元の組織の中にはからかいの対象にしかしない人もいます。そういう地元の組織のあり方を考えるとともに、地元のトランスの人ときちんとつながりたいという思いを持っておられるようです。そのために、「もっともっとたくさんのトランスの人と交流して、そこから学んで、自分たちを変えていきたいんだ」と熱く語っておられました。
いろんな思いがひとつに結集した姿として、今年の某交流会があるんだなぁと思いました。

日常からの参加

まぁ、「生きる」っていうことは「非日常」と「日常」の間を往復することなのかもしれないなぁとは思いながら、あまりにもギャップがありすぎて笑ってしまいます。
今日の午後まで某研究大会はやっているのですが、わたしは一足お先に職場へ。でも、きのうの夜にお友達から来たメールを参加者に送ってあるので、もしかしたら、午後だけ瞬間参加かな?
こんなメールでした。

先日、ウチのムラの人が来て、
「こないだ人権文化センター統廃合反対の集会で発言してくれてた、トランスジェンダーって何の事か教えてくれへんか?」
と言われ、参考資料を渡して、若干の説明をさせてもらいました。
その人に
「急にどないしたん?」
と聞くと、
「こないだの集会で、ウチらは単に残してくれしか言えんかった。でもあの子らは違ごた。何で無くしたくないか言うてくれた。ウチらは、困った時に相談するとことしか思ってなかったけど、あの子らがホンマの人権文化センターの大切さを、もう一回教えてくれた気がしたんや。せめてあの子らが、どんなけ苦しい思いしてるか知ったらな、このお礼が返せんやろ?日之出を好きや言うてくれる人に、ウチらも何か返せなウソになるやん」
という、とても温かい返事が来ました。そんなワケで、つい嬉しくて今日はメールしちゃいました。

やっててよかった。つながっていると、本当に心の底から思ったんです。だから、その気持ちを、すでに帰ってはいたんですけど伝えたかった。
で、伝えて下さったお友だちからのメール

「京都のいつきさんから「これ言うてくれ」とメールが来たので紹介しなければなりません」と言ったら笑いが起こりました。

あくまでもウケをとっていただき、たいへん感謝しております(笑)。

さぁ、ほんとうに研究集会は終わりました。これから日常だ。あたらしく実践を積み重ねていかなくっちゃ。

某全国集会・2日目

今日は昨日の討論の続き。
ところが、ひたすら「育児休業」の話に終始しています。
いや、大切なのはわかりますがね…。育児休業をとれない人もたくさんいるんですよ。たとえば、うちの組合みたいに「限界集落」にたっしているような組合の組合員は、すでに範囲外。あるいは、子どもをつくらないというポリシーの人。そして、レズビアン・ゲイなど、従来の家族形態にあてはまらない人々。そういう人が、かならず「ここ」にいるはずなのに、それを考慮せずにひたすら育児休業にのみ話が終始するのはどうよ。
と思ったので、つい発言。
やれやれ…。
その後、鹿児島の方が出されたレポートにコメント。
まずは、「いやだと思わない環境をどうつくるか」みたいなことを言われたので「イヤだと思った時に、安心して声をあげられる環境をつくることが大切なんじゃないかなぁ」みたいな。あと、メインになるテーマが「同性介護」にかかわる話だったので、「同性」ってなに?みたいな。まぁ、前日に、ぷれいす東京の池上さんが「マッチング*1」という概念を言われたので、2番煎じですしたが(;_;)。
で、午後からは、わたしもレポーター。せっかくなので、pdfファイルをあげておきます。またそのうち、きちんと「いろいろリソース」にアップしますね。
で、あまりにも場違いなレポートで、ほとんど反応なし。
やれやれ…。
でも、司会の方や助言の方が気をつかって下さって、なんとか少しだけ討論の時間をつくっていただきました。ありがとうございます。
てか、今回、ほんとうに司会の方々・助言の方々によくしてもらったなぁ。
なにせ、ほんとうはあしたまでいなくちゃならないのですが、仕事の関係で今回は今日で帰ることにしていました。すると、司会の方が「最後に、どうしても今日帰らなくちゃならない方から発言はありますか?」みたいな、ある意味見え見えの運営もして下さいました。いや、ほんとうにありがとうございました。

*1:性別・年齢・宗教などあらゆるニーズを本人に聞いて介護者をコーディネートする

で、某全国集会へ・1日目

午後からは、某全国組織の研究大会。
ほんとうは午前中に全体会があったんですが、ヘタレなホテル*1と、そこに圧力をかけた皆さんのおかげで中止になりました。まぁ、はじめから「お散歩」をするつもりだったわたしとしては、どう言えばいいのか…。
さて、田町に移動して、いよいよ今年の研究大会開始。
今年はどういうわけか、レポーターになってしまったのですが、まぁあしただから、今日は気楽なものです。とりあえず、会場に入っていろんな知りあいにごあいさつ。といっても、「今晩の予定は?」がいつものあいさつなんですけどね。
今日のレポートの目玉になった(らしい)のは、育休をとった男性教職員の話。まぁそれはそれで大切なのですが、わたしの関心事は本筋とはぜんぜん別の所にありました。なので、思わず質問。

みなさんは、「父親」として育休をとられ、いまも「父親」として子どもさんと接しておられますよね?ところで、わたし、いろんなところでちょこちょこ言われるのですが、「父親」ってなんだと思われますか?

あとのみなさんの反応は「いじわるやわ〜」でした。でも、本当に知りたかったんですよね。すると、やっぱり返ってくるのが「父親が何かはわからないけど、親として接しています」というこたえ。いっしょやんか…。*2
てなことで、1日目の公式行事が終了。

*1:というより、そもそもはじめから某全国組織だと知っていたら貸していなかっただろうな。なにせ、Tつみだし

*2:一人の方が「父性」「母性」という言葉を出したところで、会場全体がビビビと反応したのはおもしろかったっす^^;;

フィールドワーク

東の方にある大都会*1には、これまでも何度か行きましたが、前々から行きたいと思っていながら行けなかった、街の北東部に今回こそ行くことにしました。
昨晩そんな話をSさんと話をしていたら、「吉原だったらわたしでしょう」とM姐さんが案内をかってでて下さいました\(^o^)/
10時に三ノ輪に集合。

  • 新吉原へ

まずは、「浄閑寺(投げ込み寺)」へ。
このあたり、前に『別冊歴史読本 歴史の中の聖地・悪所・被差別民謎と真相*2』を読んで、「吉原に行くなら行かなきゃ」とは思っていたところでしたが、なにせ忘れっぽいわたしのことですから、M姐さんから「行くわよ」と言われるまで思い出せていませんでした。
トコトコと歩いて行かれる姐さんの後ろをついていくと、お寺の裏側へ。と、そこに慰霊塔があります。姐さんは深々とお参りをされています*3。今はまわりの木々の葉っぱが落ちている季節ですが、夏に来ると、なんともうっそうとした中にあるそうな。「ほら」と言われて横の穴をのぞくと、いっぱいの骨壺があります。「ぎっしりでしょう?」と言われ、なるほどと納得。ただ、姐さんのおっしゃるには、「吉原の遊女は平均寿命が22歳と言われるけど、あれはウソ。亡くなった人たちの平均寿命は22歳でも*4、そうじゃない人たちの統計はない。そもそも、「商品」なんだから、そんな粗末な扱いをするわけがない」とのこと。たしかに、合点がいきます。歴史って読み方なんだよなぁ…。
で、浄閑寺をおまいりしたあと、土手通りを通って吉原に向かいます。
まずは、見返り柳。そこを折れて大門へ。このあたり、見事に昔の道が残っているらしく、土手通りからは大門は見えません。そうそう、遊郭の入り口には必ず派出所があるとのこと。吉原交番も、昔からあったということです。
ここで大通りを行くかと思いきや、横道へ。吉原のソープランド許可地と昔の吉原は、ほんの1ブロックだけずれているとのことです。なので、その1ブロックにだけ、昔の吉原の建物がかろうじて残っているとのこと*5。見てみると、たしかにおしゃれな外観です。特に、建物の角が丸くなっていて、その角に窓があります。「この窓からおねえさんが「おいでおいで」をするのよね」と姐さんがおいでおいでのまねをされます(笑)。
そこからずぅっと仲ノ町通を通って奥の方へ。江戸町から京町へと抜けていきます。途中にある「吉原神社」で吉原の変遷が書いてある紙を見せてもらいながら、吉原の歴史と地理を確認。
その後、「吉原弁財天」へ。ここは、もともとは小さな池があったのですが、関東大震災の時に逃げ遅れた娼姑達がここに避難しようとして、490人の方々が溺死されたとのこと。ただ、ここでも姐さんが一言。「でもね、吉原からは出られなかったというのはウソ。大門だって出ようと思えば出られた」とのこと。
この吉原弁財天のあたりは、もう吉原の外です。ここから浅草へと「裏道」が続いています。
わたしたちは、ここからもどって、吉原公園へ。ここはもともと「大文字楼」の跡地だそうです。そうとう広い公園ですが、「これがひとつの「お店」の広さよ」と教えてもらい、かなりびっくりです。
ここから「お歯黒どぶ」跡の道へと降ります。だいたい段差が1.5mくらい。かなりの高さです。てことは、これが周囲との高低差なわけです。もともとはまわりは田圃ばかり。そこに盛り土をしてできた街ということです。さらに言うならば、もともとはまわりにはなにもなかったわけで、この街の中に「街」としてのすべての機能があったということです。すごかったんだろうなぁ…。

  • 山谷へ

続いて、山谷へ。
ちょっと道がわからないので、Sさんが吉原交番で聞いてくれました。ていねいに教えてくれたとか。
「日の出会商店街」をずぅっと行って、吉野通りへ。吉野通りの手前あたりから、なるほど、今風のドヤ街になってきます。つまり、2000円〜2200円位のホテル&「冷暖房完備・全室カラーテレビ」の文字&コインランドリーがポツポツという感じですか。そこを左に折れてしばらく歩きます。有名な喫茶店「バッハ」の前を通り、「いろは会商店街」を曲がります。前には日本基督教団日本堤伝道所があります。救援物資らしきものをおろしておられました。友達、あの中にいたかもなぁとか思いながら、しばらくそのあたりをブラブラ。「城北労働・福祉センター」を見つけたので、前の掲示を見てみると、「こりゃ公共の仕事がないわ」。前にはってある各種ビラをしばし読んで、再び吉野通りへ。
吉野通り沿いに、どう考えても2階建てなのに窓が縦に4つ並んでいる建物があります。あれはたぶん、いわゆる「蚕棚」なのかな?てなことを考えながら、南千住駅の方に向かいます。
それにしても、ずいぶんと静かな街です。まぁ、「寒いから」というのと「土曜日だから」というもあるのかもしれませんが、なんか、地域的にものすごく広いのもあるのかなぁ。釜が崎だと、すごく狭い地域に密集しているので、もっと密度が濃い感じがするのですが…。あるいは、すごい高齢化しているのも原因だろうか…。はたまた、仕事がないので山谷ですら生活ができない?

  • 小塚原刑場跡へ

山谷から泪橋交差点を越えて、常磐線の歩道橋を渡るとすぐに、「小塚原刑場跡」があります。ここは、回向院別院からさらにわかれて「延命寺」になっています。中には「首切り地蔵」があります。ここに有名な「腑分け」にかかわる掲示物があったのですが、杉田玄白なんかの名前は載っていても「えたの虎松のおじいさん」の名前は載っていないんですよね。ふぅむ…。

  • 回向院へ

ここからガードの下をくぐり抜けると、回向院へ。ここには解体新書のレリーフがあります。その説明文には「虎松のおじいさん」の名前はありませんでしたが、「腑分けに立ちあった」とあります。てことで、「杉田玄白達がやったのではなくて、いつもやられている「腑分け」という行事に立ちあった」というニュアンスは伝わるかな。
奥には、吉田松陰とかいろんな人たちのお墓がありました。でも、わたし、日本史に詳しくなくて、ぜんぜんわかんない(;_;)。
あ、「吉展地蔵」はわかりましたよ。「吉展ちゃん事件」が石川一雄さんへのえん罪の遠因になったというのを知ってたので。って、知識が偏っているなぁ…。

てことで、午前のフィールドワーク、終了。

*1:街の真ん中に大きな森があったりする

*2:だったと思う

*3:わたしは…。軽く、かな。形式的にはどうも宗教が邪魔するんですよ。でも、心の中ではおまいりをしています。

*4:でしたっけ…。

*5:それもどんどんなくなっていますが…

自主活動学級

「自主活動学級にも来い」と書いてあったので、近くの公民館でやっている集まりに参加。
まもなく高校入試がはじまるのでみんな一生懸命勉強をしていましたが、ここでは勉強だけではなく、人権についても学んでいこうというとりくみがされています。なので、後半は高座の続き。「質問は?」と聞くと「ない」とは言っているものの、いろんな話を出していくと、目を輝かせて聞いてくれているのが印象的でした。
なんでも、この自主活動学級、来年度からはほんとうに「自主的」にやらなきゃならなくなるらしいです。法律が切れて予算がなくなると、必要であるかどうかとは関係なく切られていくんだなぁということを、あらためて感じさせられます。もちろん、ここを担っている人たちは、予算とは関係なく続けるでしょう。でも、それってどうよという気がします。
6時頃に集まりが終了。その後、近くのムラを車でサクッと案内してもらいました。
なんというか…。
「返上地域」という言葉があるのですが、こうした地域、ほんとうに事業が入っていないです。細〜い道があちこちにあります。ほんとうに「昔ながらの」という感じ。あるいは、堤防のわきにポツンとあるムラもあります。かつては、線路の向こうに行くためには人一人がやっと通れる位のトンネルをくぐって行っていたそうな。いまもそのムラに入る道は、表側からは一本しかないみたいです。これまたう〜んです。

ふたたび雪と氷の世界へ

今日・明日と、某会議があるのですが、そちらのほうをゴメンして、雪と氷の世界に行くことにしました。
なんせ、先シーズンは鎖骨のケガで、ほぼ1シーズン棒に振ってしまい、滑走日数3日という過去最低記録をマークしたわけで、今シーズンは去年の分までとはいかないまでも、もう少し滑りたいな、と。
てことで、2時半起床。3時スタート。ひた走りに走って、雪と氷の世界に到着です。
到着すると、仕事が待っていました。
今日は上級班3人を担当です。
初級班とか中級班は、練習項目を積み重ねていくと、新しい技術を身につけながら、めきめき上達していきます。だから、生徒さんたちも「できた!」という達成感があります。でも、上級班はそうはいきません。今日の生徒さん、それぞれうまいのですが、それぞれ微妙なクセがあります。これをどう矯正していくか。矯正のための練習項目をいろいろ試す中で、それぞれの生徒さんが「あ!」という瞬間を、2日間のレッスンの中でたった一回でも感じてくれたら、おそらくそれでOKなんです。そのためには、ひとつの課題に対して、さまざまなアプローチの練習項目を考えます。
で、練習項目を考えるのはリフトの上。ところが、最近はシングルリフトなんてありません。となると、生徒さんと一緒にリフトに乗っています。当然おしゃべりもします。となると、いろんなことをしゃべりながら、一方で練習項目を考えるということが必要になります。
でもまぁ、こういうの、数学の授業と一緒なんですよね。スキーを教えることでそういうスキルを身につけてきたし、それをふだんの授業で仕事としてやっているからスキーの時も苦にならないし。まぁ、いい経験をしています。
てことで、今日もあちこち一緒に滑りながら、ところどころで基礎をします。「初心忘るるべからず」で、プルークボーゲンとかシュテムターンとかも、けっこういい練習課題になります。
ゲレンデはガラガラ。お天気は最高。雪質はちょっとハード目のバーン。最高です…。

やり残し完遂

パートナーにあげたパソコンがネットにつながらなくなりました。で、いろいろやってみたのですが、どうやらUSBに放り込んでいるワイアレスLANが認識されなくなっているみたいです。てか、機嫌がいいと認識されますが、ぜんぜんデムパを受けていません。てことで、めでたく交換(;_;)
ちょうど下の子どもが寺町近辺に行く用事があるので、送りがてら買いに行くことに。
ならばついでなので、2.5inchハードディスクのケースと3.5inch→5inchベイとりつけのアダプタも買いましょう。
で、買って帰ったのですが、ハードディスクケースの基盤が歪んでいます。しかも、アダプタも長さが足りません。なので、下の子どもを迎えに行きがてら、再度寺町へ。
お店に行ってケースが歪んでいる旨を伝えると、交換してくれようとしたのはいいのですが、在庫のほとんどが歪んでいるという(笑)。さすが780円クオリティです。
で、お家に帰ってハードディスクを収容。ワイアレスLANのインストール。さらに、新しく買ったパソコンにMO*1をとりつけて、ひとまず年末からのパソコンの引っ越しが完了です。
上の子どもは、きのうの誕生日にあげたplay yan用の動画をつくりまくっているみたいです。それにしても、youtubeから落としてきて、superCでエンコというのもなんだかなぁ…。
まぁ、平和な家族ということですか…。

*1:いまどきSCSI接続の230MBでっせ!