オペレーターモード

ほんとうは、今日までスクールにいた方がよかったのですが、昨日帰ってきたのは、今日いきなり某会議が入っているからなんです。
例年、年明け最初の会議はほとんど新年会モードなんで、正直「なんだかなぁ」なんですが、今年はどうやら違うみたいです。というのは、11月の会議の積み残しが山のようにあって、決めなくちゃならないこと・やらなくちゃならないことが今回に先送りされていたみたいなんです。
内容は、主として今度の夏にある大会のことと5月のセミナーの話。詳細をそろそろつめると同時に、ビラの作成をしなくちゃなりません。特に、ビラは1月最後には配布がはじまるので、それまでに確定をさせなくちゃなりません。通常ならば、11月には詳細がつまっていて今回は確定版が各地に配布されるのですが、今年は今日論議をしてビラを作成→今日のうちに確定版を配布というスケジュールになります。しかも、今回からビラはA4判で作成…。てことは、スクラッチから作成かorz。
てことで、そのあたりの諸矛盾はすべてわたしがかぶるわけで…。
とにかくひたすらテキスト作成と写真の読み込み、版組に追いまくられる半日でした。気がつくと、あっという間に5時。肩凝った…。でも、できましたよ。2枚とも。

仲間と滑る、ひとりで滑る・スクール3日目

今日も天気は見事な晴れ。日焼けが気になります(笑)*1
今日も昨日に引き続き上級班の人たちと一緒なので、あちこち飛びまわります。はじめは硬い雰囲気だったのが、子どもが増えてきて、レッスン中に笑いもでてきました。いい雰囲気です。午前・午後目一杯スキー場中を飛びまわって、レッスン終了。
そのあとは、スタッフトレーニングの時間です。
おとついは4人だったスタッフトレーニングも昨日は2人。人数が減ってくると、やっぱりちょっと寂しいですね。さらに、今日はもうひとりの人も「一本であがるね」ということで、後半1時間ほどはわたしひとりです。すでに「スタッフトレーニング」じゃないですね。
2人で滑る時は、常に相手のことを考えながら滑ります。例えば、相手が先輩で指導をしてくれる人ならば、相手の滑りに集中をしてその滑りに忠実に滑ろうとします。また、相手が後輩でわたしが指導をする立場ならば、相手にとって必要な要素はなにかを考えながら滑ります。それは、ひとりずつ滑る時もトレーンであっても同じこと。さらに、バーンの選定をする時もやはり考えなくちゃなりません。まぁ、スタッフトレーニングあたりになると、そう気にしなくてもいいんですけどね。でも、それはそれで楽しいものなんですね。
それに対して、ひとりで滑る時は「どこを滑ろうかなぁ」「あ、あそこに行こう」「このバーンをどう滑ろうかなぁ」「あ、こう滑ろう」という感じで、自問自答しながら滑ります。ある意味、ほんとうに行き当たりばったり。でも、それもそれでいいんですよね。やっぱり内側から出てくる欲求に正直に答えていくということも大切なんですよ。
で、今日の最後はそんな感じ。ほんとうに滑りたいところを気のむくままに滑ってみました。でも、リフトがとまる時間もすぐに来ます。ちょっと後ろ髪の引かれる思いもしますが、まぁいいでしょう。まだまだシーズンもはじまったばかりです。

てことで、今回のスクールはおしまい。
5時頃にゲレンデを出発。ひたすら走り続けて、11時前にはお家に到着。さて、これからは日常が待っている。

*1:てか、笑い事じゃないです

足慣らしのお手伝い・スクール2日目

今日の午前も班分けの隙間に入っていて仕事がないかと思いきや、ひとり新しく来られたお客さんがおられます。「午前は足慣らしのためにスクールやめようかなぁ」などと言っておられるので「あ、わたし、誰も担当していませんから、足慣らしのおつきあいしますよ」と、なかば強引に(笑)スクールに勧誘。「じゃぁ入ろうか」と、まんまと勧誘成功です。
この方、けっこうスキーがうまいので、結局ひたすらトレーンの半日です。なんだか遊んでいるみたいで悪いなぁ…。
午後からは、その人をベースにした班を持つことになったので、結局わたしは上級班になることが決定。ラッキー(笑)!
いや、でも、教えるのはむずかしいです。教えるのは、初級とか中級のほうがはるかにおもしろいです。なにせ、上達がはっきりとわかるし、なんといっても「クセ」がないのできれいに上達してくださいます。上級班は、ほとんどが「矯正」なんで、2〜3日では成果があらわれません。でも、満足していただかないといけないので、「クセ」を見抜いて「矯正」のカリキュラムを立てて、それを「テーマ」として提示して、バリエーションを展開しないといけません。むずかしいです。
でも、一方で「うまくなりたい」一心でスキーの楽しみを置き去りにしておられるところもあるんですよね。スキーの楽しみを知っているのは地元の子どもたちなんですよね。ちょうどそんな2種類の混合班だったので、前半足慣らし&レッスン。後半は「お楽しみ」で満足していただけたみたいです。
あとはルーティーンの一日。

雪と氷の世界へ・スクール1日目

起床は2時半。3時スタート。目指すは「雪と氷の世界」です。
去年のこの時期は鎖骨にヒビが入っていて寝正月だったのですが、今年はそういうわけにもいきませんから、いつものスクールに正月のあいさつです。
ところでどうやら寒波*1が来ているみたいですね。家を出てすぐに雪が降り始め、滋賀県内もずっと雪。高速道路だけは雪はありませんが、19号線にはいると再び雪。久々にスノードライビングを堪能させていただきました(笑)。
スキー場に到着して、しばし休憩。その後、1時間ほど足慣らしです。
午後からレッスンがあるのかと思いきや、ちょうど班分けがうまくいっていて、ありません。校長がひとこと「まぁ滑ってこいや」。てことで、午後からもフリー。なんか申し訳ないです。
昨日まではすごい雪と風だったそうで、滑っている間は寒いは、帰ってきたら雪かきだはでたいへんだったそうですが、今日はうららかな陽射しがあります。しかも、雪は最高です。午後2時間、充分に足慣らしをさせていただきましたm(__)m。その後、スタッフトレーニング。7年ぶりにスキーをするというスタッフもいたのですが、ぜんぜんブランクを感じさせないのはさすがです。それにしても、平均年齢50歳弱のトレーンとは、まわりの誰も思っていないだろうな(笑)。
夜はペンションの手伝いをしばらくやって、その後、校長に誘われてスタッフは近所のラーメン屋で晩ご飯。食べすぎました。
で、温泉に入って(笑)就寝。

*1:「かんぱ」とうつと「カンパ」が出てくるのが困りもの。しかも、「募金」のカンパなのかカンパニョロのことなのか…

パソコンの組み立て

朝起きて、はやる気持ちを抑えて、まずはコーヒーです。そして、組み立て開始。
まずは、マザーボードにCPUをとりつけます。これ、かつてはピンがたくさんあってさすのに相当苦労していたはずなんですが、いまはポンと上に置いてフタをしたらOKという…。
続いて、マザーボードをケースに取りつけです。あ、ケースはま゛さんから格安で譲っていただきました。スーパーマルチドライブとフロッピーと温度計がついていたのですが、それだけでもそうとう高くなるのにありがとうございましたです*1
スペーサーをケースにつけて*2、ベゼルをマザーに軽くくっつけてエイッと位置をあわせてしまいます。プラスティックスペーサーをポチポチはめて、あとは紙ワッシャをかませてネジ止め。
続いて、CPUクーラーです。これが一番苦労したかなぁ。なにせ、「対角線にあるボタンを同時に押し込め」と書いてあるのですが、片方ずつしか力が入りません。何回かやり直しをしてしまいましたよ。
で、ここまで行けば、あとはたいしたことはありません。SCSIカード*3(笑)とかビデオキャプチャカードとかグラフィックボードをつけて、電源をつけて配線をしておしまいです。
さて、動くかな?動きました(笑)。
あとは、OSを入れて環境を整えれば終了。これがまた時間がかかるんですけどね。

*1:きのうバイクに積んでもって帰ったのですが、途中落ちそうになりましたよ。あぶなかったです

*2:あ、インチねじでした(笑)

*3:AdaptecのAHA2946です。PCIバスです。

買いつけ

その後、ま゛さんと待ちあわせ。目指すは祖父地図。
実は、うちのパソコン、前から冬場は暖気運転しないとまともに立ち上がらなかったんですが、さらに、仕事に耐えられるスペックでもなくなってきているんですよね。なので、清水の舞台から飛び降りる思いで、組むことにしました。で、その買いつけに、ま゛さんについてきていただいた、と。
石はcore2duoのE6740。OSはXP PROというところまでは決まっています。メモリとハードディスクは容量さえ折りあいがつけばそれでいい、と。わけがわからないのがマザーボードとグラフィックボードです。とくに、グラフィックボードにいたっては、わたしの頭の中はいまだにTridentとかET-4000とかS3とかいうあたりでとまっています。そうそう、VOODOOなんてのもあったよなぁ…。あぁ、あのころはバスの規格はATバス*1で、VLバスが出てきたのは衝撃的だったよなぁ…。
てな感じでしたが、ま゛さんのアドバイスのおかげで、なんとか無事購入終了。さて、あしたからが格闘の日々だな…。

*1:ISAですわな

作文コンクール入賞発表会

「関西ネット」というのがやっている、「ちがうことこそすばらしい 子ども作文コンクール」というのがあります。今年で12回目。わたし、どういうわけか、こういうのにかかわってしまっています。しかも、この入賞発表会が、今年ははじめて京都で開催。夏にも大会をやったのに、なんでやねん…。
他府県の事情はともかく、京都はこういうのをやる実務派の人間がとても少ないです。で、わたしはというと、もともとはまったく実務派ではないのですが、諸事情により、いつの間にか実務派に分類をされてしまっています。なので、会場とり*1、後援とり*2、当日の司会*3なんかをしなくちゃなりません。もちろん、その他諸々の雑事はあるのですが、これはお友だちにお願いしてかなり負担をしてもらいました*4
でもまぁ、そこで読まれる子どもたちの作文や、それを読んでいる時の子どもたちの表情、あるいはそれを聞いている子どもたちの表情。それから、子どもたちを連れてこられている親御さんの表情。こういうのを見ると、「よかったなぁ」と思ってしまうんですよね。このあたりがわたしの「弱い」ところです(笑)。

ただ、なんか、自分の心の中に、感動をしながらも冷めたところがある。「ほんとうの」父親に捨てられ、でも、新しい父親と出会い、その父親にほんとうに支えてもらう。そのお父さんに「ありがとう」という高校生の作文。読みながらその子は泣いていました。心を揺さぶられながらも、でも、どこかで冷めたところがある。
それは、「自分」というものをどこか置き去りにしているような気がしてならないんですよね。いや、もちろんかかわっておられるみなさんはわたしのことは十分に理解をしてくださっています*5。司会なんでスーツを着たんですが、もちろんレディスのスーツです。ネックレスなんかもしちゃっています。ちょこっと口紅なんかも塗ってみました*6。なので、なんら自分を隠してはいないんです。でも、そういうのとはちがう、どこか「置き去り感」みたいなものが、どうしてもぬぐえないんですよね。
たぶん、それは「比較」をしてしまっているんだと思うのです。
もちろん、「自分」と。そして、トランスジェンダー生徒交流会に集う子どもたちの姿と。
比較には何の意味もありません。でもやってしまう。
でもまぁいいや。そういう自分をようやくまともに見つめられるようになってきたわけで…。

「式」が終わったら、たまたま近所で結婚式に出席していた外国人教育の仲間と出会いました。「後輩」を半ば強引に呑み会に連れて行き、その後わたしは中途で失礼。なんでも、今日は実家でごはんを食べる日だそうな。
まぁ、あたしゃまぁまぁうまくやっているほうなんでしょうね。

*1:まぁ、他の人に頼んだんですけど、「頼む」という作業はしなくちゃならないんですよね。でも、感謝感謝!

*2:教育委員会なんて、遠〜い彼方にあると思っていたんですけどね。てか、昔は「敵」だったのに、どうなってるんだ?

*3:昨日もやったっちゅーのに!

*4:含む、会議の出席

*5:たぶんね

*6:たぶんわからないような色だけどね_| ̄|◯

海辺のムラ

車に乗せていただいて、まずは港へ。
「うちらのムラにはかつては港はなかったのよ。だから、漁もさせてもらえなかった。やってたのは、せいぜい素潜り」
あたりを見渡すと、農業ができるような土地もなさそうです。ここで漁師ができなかったらそうとうきついでしょうねぇ。で、対岸にある港をさして
「あれが同対事業でできた港。あれができてやっと漁ができるようになったのよ」
なるほどなぁ…。やがて、向こうの港とこっちの港をつなぐ橋を渡ります。
「これも同対事業でできた橋よ。反対もあったけど、結局あったらみんな使うからねぇ(笑)」
よくある話です。さんざん反対しておいて、できたらけっこう使って便利をしているという…。
やがて、公民館へ。中にはいると、昔の写真が貼ってあります。なるほど、たしかに向こうには港があって漁船が浮かんでいるけど、こっちの側は石ころだらけの河口部の岸です。そこには櫓舟みたいなのが一隻河原に浮かんでいるだけです。さらに昔の写真を見ると、このあたりは松林。そのなかにバラックみたいなのが何軒か建っています。こらたいへんやわ…。
公民館を出ると、すぐに保育園。その向こうは太平洋です。ある意味ぜいたくな立地です。もっとも台風の時は大変でしょうね。
その後、しばらくムラ中を散歩。もともとのムラの中心のあたりを歩きながら「ここが昔のメインストリート」などという話を聞くと、わたしがかつて住んでいたムラを思い出します。舗装のはりかえをした痕跡に、昔の道の狭さがうかがわれます。
あっという間に一回りを終えて、再び公民館へ。その後、隣町にあるムラにもつれていってもらいました。こちらの方も松林を抜けた先にあります。ムラとまわりの境界は細い川一本。でも、そこに厳然たる「境界」があるんでしょうね。松林の向こうにはらっきょう畑が広がっています。なんでも、ムラ人たちの主要産業のうちのひとつだとか。もっとも、最近ではムラ外の人もやっているらしいです。
隣町の方は案内して下さった方の地元ではないので、サクッと通過。その後、四万十川の河口を見せてもらったり「沈下橋」を見せてもらったり。
四万十川の河口っておもしろいんですね。あのきれいな川がそのまま海に続いているかと思いきや…。そうそう、台風の影響とかで波がすごく高かったです。考えてみると、太平洋の波をまともに見ることはほとんどないので、これもいい経験でした。
ちなみに、四万十川の近くにも小さなムラがあります。ここも瞬間案内していただきました。山の斜面の上の方に、突然改良住宅が数軒あります。斜面の下には公民館や保育園があります。かつてはここに屠場もあったとか。
そんなこんなで3時間ほどいろいろな場所を案内してもらって、今夜の交流会の場所へ。

今日が正念場・全同教2日目

今日は終日分科会です。昨日の3人+1人で今日の作戦を練りながら(笑)分科会場に移動です。あぁ、ますます同じ穴に見られてしまう(笑)。
分科会場にはいると前の方に3人で陣取ります。もう、あきらめました。
まずは、大阪のレポート。
とてもとても大きな都市型のムラでの話です。ということは、一見、施策が進んでいるように見えるけど、実は、都市における諸矛盾が集中していてとてもたいへんということです。歴史的にも長いとりくみの経過の中で「いま」があります。そして、それだけのとりくみをしているにもかかわらず、課題は解決していない。「じゃぁなんでやるねん」と思われそうですが…。たぶん、その「ムダに見える」とりくみをしていなければ、もっと厳しい状態が確実にあると思います。「なんにも変わってへん」のは、そのレベルで押しとどめているということなんですね。
ただ、大阪のとりくみって、ともすれば非常にシステマチックに見えてしまいます。なので、愛媛とは逆に「個々の教員の思いこみ」みたいなものが希薄に聞こえてしまいます。それはそれでいいとは思うんだけど、なんか物足りないです。う〜ん。
続いて、香川のレポート。
すみません。集中力が切れてしまっていましたm(_ _)m
で、ご当地石川のレポート。
中国帰国生徒へのとりくみです。なんかなつかしかった。いや、こんな書き方をしたらすごく失礼なんですが、ほんとうになつかしかったです。かつて自分がやってきたとりくみを、いまここで聞かされているみたい。だからこそ、暖かいエールを送ろうと思ったのですが…。全同教の「暖かさ」は、なかなか理解してもらえないんですよね。というか、かつてわたしもわからなかったし*1
ここで昼ご飯。
三重からきたお友だち2人と合流して、近所のラーメン屋さんへ。実は昨日も来たんですが、ぎょうざがすごくおいしそうで、でも、1人前12個は食べられへんと思っていたので、今日はリベンジです。お店に入ると奥の方で手を振っている人がいます。大分は宇佐のM野さんでした。なんで石川のラーメン屋で大分の人と会うねん…。
てことで、午後からはそのあたりの人が群れをつくって座っています。
レポートは新潟からのもの。
新潟の状況を聞くと、ほんとうにすごいたいへんです。例えば冠婚葬祭なんかではきっちり「排除」されてしまっている。でも、理由がわからないんです。「ムラだったんだ」というのは、「ここ、ムラですか?」という問いかけがないとわからないんですよね。
おそらく、「変だ」とは思うんだけど、それだけでは自分が何者であるかはわからない。
そんな中でのとりくみです。迷いながらもていねいにていねいに話しこんでいかれます。そうやって立っていったムラの子は、「なにかしんどことがあったらかけつけるから」というレポーターに「大丈夫。わたしには仲間がいるから」と返すんですよね。いい出会いをつくっておられるなぁと思いました。
よく「その子の一生を面倒見るつもりで」とか「ずっと寄り添って」とかいう話が出ます。まぁ、気持ちはわかるし「そういう覚悟で」というのはいいんだけど、無理ですよ。だって、毎年新しい子どもと出会っていくわけで、いったい何百人の子どもと「寄り添い続ける」ねん。どちらかというと、「君とは離れるけど、後から後から出てくる君の後輩たちと、ずっとやっていく」という感じの方が、わたしにはピッタリ来ます。で、その子が「ひとりには決してならないため仲間」をつくる機会と力をどうつけていくのかということが大切なんじゃないかなぁ、と。
そう思っているわたしにとって、新潟のレポートは、まさに「ツボに入った」という感じでしたね。
でも、まぁ、あちこちから「暖かいエール」が飛んできて、レポーターの方、泣いていました*2
で、総括討論の時間。
K口くんはミニ講演会をはじめるは、T川さんは怒りレベル5*3に到達するは。わたしもついつい自分がかかわっているいろいろな交流会のことについて語ってしまいました。ん〜、子どもを変えるのは子どもなんだみたいな感じかな。で、そういう「場」をつくることは、ハードパンチャーの教員じゃなくて、わたしみたいな「ジャブジャブ・クリンチクリンチ・離れ際にレバーに反則パンチ」みたいな教員でもできるわけで。
てなことで、最後に一悶着あったけど、分科会も終了。
今年の全同教大会も終わりました。

*1:悔し涙に枕に涙したこともあります

*2:たぶん、いろんな思いがこみあげてきたんでしょうけどね

*3:マックス10

天気明瞭なれど体調悪し・全同教1日目

今日の午前中は全体会。で、起きようと思ったのですが…。身体は起きたのですが、頭が起きない。しかも、のどのあたりでイガイガ虫がもぞもぞしています。まいったなぁ…。
とりあえず、フロントに風邪薬があったので、そいつを飲んで、全体会に参加することにしました。でも、おかげさまで頭がボーっとしています。やばい。
会場へのシャトルバスの中で、すでにメールが入りはじめます。鳥取のお友だちや宇和島のお友だちです。いろんな人たちと連絡を取りあいながら、どういう人が来ているのかの全貌がつかめてきました。まぁ、簡単に言うと、「いつもの人たちは、今年もやっぱり来ている」ということですね(笑)。
会場に着いて受付をすませて、さて、レポートを読みながらどの分科会に参加するかの検討です。ここでも、いろんな人とメールで連絡を取りあいながら情報を集めます。で、金沢市からちょっと離れたところではありますが、在日外国人の子どもへのかかわりとか部落の子どもへのかかわりを真正面から取りあげているレポートが集中している*1ところに参加することに決定。
全体会の方は…。
特別報告は、う〜ん、まぁ、途中で聞いていていしんどくなったので頭がシャットダウンしてしまいました。
で、分科会会場に移動。
会場に着くと、「いまからはじまる」という熱気がムンムンしています。やっぱり「ここ」に来ると、気持ちが引き締まります。
はじめは京都のレポート。なんだか時間が足りなさそうだったので、「ここをもう少し聞きたいんですけど」と質疑応答のフリをして助け船を出してみました。京都市の実態の分析や、ムラの若いお父ちゃん・お母ちゃんの持つ「子どもへの伝え方」の葛藤の話とか、けっこうおもしろかったです。
続いて愛媛のレポート。町ぐるみで差別を許さない教育をされているみたいで、その中の一部を切り取ったレポートだけを読んでも、全貌がよくわかりません。しかも、「反差別の…」「差別を許さない…」といったフレーズが1分に1回くらい出てくるんです。つまり、語り口の中に思い入れがたっぷりと入っていて、ますます内容がよくわかりません。途中から、なんか怒られてるみたいな感じがしてきました。なので、「あの〜、「当たり前」と思っておられる日々の活動の中にヒントがあると思うので、そのあたりをもう少し教えてください」と質問。なんか、毎回質問しています。また目立つな_| ̄|◯
ところで、この分科会、T川さんとかK口くんも参加しているんですね。わたしを含めて3人が代わる代わる質問とか意見を言いまくってしまっています。やばいです。あの二人と同じと思われたりしたら(笑)。
手な感じで、とりあえず1日目の分科会は終了。
帰りの電車の中では、もちろんT川さんやK口くんを含めて今日の反省会です。絶対にまわりの人からは「同じアナの〜」と思われているやろうなぁ…。

*1:わざと集中させたのかな?で、隔離をした、と(笑)