作文コンクール入賞発表会

「関西ネット」というのがやっている、「ちがうことこそすばらしい 子ども作文コンクール」というのがあります。今年で12回目。わたし、どういうわけか、こういうのにかかわってしまっています。しかも、この入賞発表会が、今年ははじめて京都で開催。夏にも大会をやったのに、なんでやねん…。
他府県の事情はともかく、京都はこういうのをやる実務派の人間がとても少ないです。で、わたしはというと、もともとはまったく実務派ではないのですが、諸事情により、いつの間にか実務派に分類をされてしまっています。なので、会場とり*1、後援とり*2、当日の司会*3なんかをしなくちゃなりません。もちろん、その他諸々の雑事はあるのですが、これはお友だちにお願いしてかなり負担をしてもらいました*4
でもまぁ、そこで読まれる子どもたちの作文や、それを読んでいる時の子どもたちの表情、あるいはそれを聞いている子どもたちの表情。それから、子どもたちを連れてこられている親御さんの表情。こういうのを見ると、「よかったなぁ」と思ってしまうんですよね。このあたりがわたしの「弱い」ところです(笑)。

ただ、なんか、自分の心の中に、感動をしながらも冷めたところがある。「ほんとうの」父親に捨てられ、でも、新しい父親と出会い、その父親にほんとうに支えてもらう。そのお父さんに「ありがとう」という高校生の作文。読みながらその子は泣いていました。心を揺さぶられながらも、でも、どこかで冷めたところがある。
それは、「自分」というものをどこか置き去りにしているような気がしてならないんですよね。いや、もちろんかかわっておられるみなさんはわたしのことは十分に理解をしてくださっています*5。司会なんでスーツを着たんですが、もちろんレディスのスーツです。ネックレスなんかもしちゃっています。ちょこっと口紅なんかも塗ってみました*6。なので、なんら自分を隠してはいないんです。でも、そういうのとはちがう、どこか「置き去り感」みたいなものが、どうしてもぬぐえないんですよね。
たぶん、それは「比較」をしてしまっているんだと思うのです。
もちろん、「自分」と。そして、トランスジェンダー生徒交流会に集う子どもたちの姿と。
比較には何の意味もありません。でもやってしまう。
でもまぁいいや。そういう自分をようやくまともに見つめられるようになってきたわけで…。

「式」が終わったら、たまたま近所で結婚式に出席していた外国人教育の仲間と出会いました。「後輩」を半ば強引に呑み会に連れて行き、その後わたしは中途で失礼。なんでも、今日は実家でごはんを食べる日だそうな。
まぁ、あたしゃまぁまぁうまくやっているほうなんでしょうね。

*1:まぁ、他の人に頼んだんですけど、「頼む」という作業はしなくちゃならないんですよね。でも、感謝感謝!

*2:教育委員会なんて、遠〜い彼方にあると思っていたんですけどね。てか、昔は「敵」だったのに、どうなってるんだ?

*3:昨日もやったっちゅーのに!

*4:含む、会議の出席

*5:たぶんね

*6:たぶんわからないような色だけどね_| ̄|◯

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