まいったなぁ…

応援していた市議候補が落選です。もう一人、選挙区が違うんですけど、なんとなく心の中で応援していた人も落選していました。まぁ、某政党の読みの甘さといえばその通りなんだけど、なんだかなぁ…。

まぁ予想通りだけど…

なんでも、I原がA野に大差をつけて勝ったそうな。これでまた、ヤツの圧政のもと、苦しむ「仲間」の4年間がはじまったわけね。
投票率は44.9%だったとのこと。この低さもたいていですわ。でもこの人たち、きっと「今のままでいい」という消極的な意思表示なんでしょうね。もしも「変えなければ」と思うなら、投票に行くだろうから。
おそらく、圧倒的多数の人にとっては、自分自身に直接の「火の粉」がふりかかってきていないんでしょうね。でも、きっと真綿で首を絞めるような政治なんだけどなぁ。そのことに、たぶん慣れきっているんだろうなぁ。もしかしたら、そういうのが逆に心地いいのかもしれない。でも、そのことがわかった時には、すでに首は絞まりきっていると思うんですよ。
ま、これがあの街の有権者の選択だったということですね。

回復の過程

おとついの最初の_| ̄|◯は、その夕方バイク屋さんに行って無事回復。
ふたつめの_| ̄|◯は、なかなかやっかいです。でも、ようやく回復の糸口を見つけました。
ひとつは、その事象を個別の事象としてとらえるのではなく、大きな枠組みの中でとらえていくこと。もうひとつは、その事象を絶対的なものとしてとらえるのではなく、個別の事象としてとらえること。そのふたつのことを同時に行うことで、少しずつ「回復」をしてきています。「回復」をしはじめると、先ほどのふたつのことをよりしやすくなります。
このあたりのこと、もしかしたら「リソース」になるんじゃないかなぁと思います。もう少し落ち着いてきたら、「いろいろリソース」に書いてみようかなぁなどと…。
みっつめの_| ̄|◯は、このあたりのことが解決していけばぜんぜん問題のないことなので、OKかな。

さらに宝箱

以上は「秋号」だったのですが、「夏号」もあったので、パラパラ。特集「女性とスポーツ」です。この春、熊本で「2006世界女性スポーツ会議くまもと」が開催されて、それの特集号のようです。
すごい!
このひとことです。スポーツ界の潮流が、いまこのあたりにあるんだということをあらためて知りました。
この会議は「IWG(International Working Group on Women and Sports)がやっているようです。はじめて開催されたのが、1994年のイギリス・ブライトンでの大会。そこで決議されたのが「ブライトン宣言」です。その中の、「原理・原則」を引用します。

B. 原理・原則

1. 社会とスポーツにおける公平さと平等
a. 国家及び政府組織は、スポーツに関わる組織や団体が、国連憲章、世界人権宣言、そして女性に対するすべての差別を撤廃する国連条約の定める平等条項に従うようあらゆる努力を行なうべきである。

b. レジャーやレクリエーションから健康づくりや高度な競技スポーツに至るまで等しくスポーツに参加し、それに関わる機会は、全ての女性に与えられた権利であり、人種や肌の色、言語、宗教、信条、性的嗜好、年齢、婚姻の有無、身体障害、政治的信念や政治団体への所属、国籍や社会的素性にかかわるものではない。

c. 資源や権力及び責任は、性別によって差別されることなく公平に分配されるべきだが、その分配方法は、男女それぞれが得る利益の不均衡を是正するものでなければならない。

すげぇ…*1。てか、これがあたりまえのことであって、日本があまりにも当たり前ではないだけか…。

続いて、JOCの冊子から引用。

基調講演1「男女の固定的な役割分担を超えて」
講演では、「伝統的に周囲から求められている固定的な役割があり、それにしばられることは男女を問わず個人の能力を狭めることになる。ジェンダーの平等と女性のエンパワーメントを実現するために、固定的な役割分担を変える必要がある」と語り、その視点はスポーツ界にも必要であると指摘した。

原題は「Challenging the Order Gender」です。
まず冒頭に、「「男女の固定的な役割分担」とは簡単に言えば、男女の役割、責任、活動、貢献をめぐって社会が構成される、そのありかたです。まず認識すべき重要な点は、「男女の固定的な役割分担」は帰ることができるという事実です」というところからはじまります。原文と訳文を読み比べていると、「ん?」と思うところもないわけではないのですが*2、まぁ、「英語力の欠如」で全文が読み切れないというのが情けないです。
再びJOCの冊子から引用。

分科会4「スポーツにおける女性の倫理的問題」
カナダ女性スポーツ振興協会のロフストロム理事長が、同性愛者への理解が進んでいるカナダでもスポーツ界では以前偏見が強いと指摘。周囲との関係悪化を懸念して、同性愛者ということを隠すアスリートが多いためで、周囲が理解を深め、差別が改善される環境作りが重要と訴えた。

分科会でこういうのが論議されるわけで、ブライトン宣言が「お題目」ではなくて、それを実現していくためのプロセスをきちんと踏んでいるということなんでしょうね。他にも「第8分科会「HIV-AIDSに関するスポーツ界のとりくみ」」とか「第10分科会「セクシュアルハラスメントと暴力から解放されるスポーツ文化の創造」」とか、おそらく日本だけのクローゼットなところでやっていたら無視されているような内容の分科会が並んでいます。

IWGのサイトはこちら
プライトン宣言の全文はこちら
2006世界女性スポーツ会議くまもと報告書はこちらからダウンロード可能。ただし、基調講演の日本語訳が1ページダウンロードできません(涙)

*1:性的嗜好」となっているのは、もちろん「性的指向」の誤訳(東京オリンピックを目論んでいる某知事に遠慮して「あえて」か?)。原文は当然「sexual orientation」となっています。

*2:いや、高3の時の英語は赤点でした。そんなわたしでも、人権関係の流れで出てくる英単語はわかるわけで、その訳し方が「ん?」と思ってしまうということなんですよ。

そして、むずかしい箱

続いて、こんなページも…。

心ない人々から「人見は男ではないか。セックスチェックをしたらどうか」などと中傷もされた。

「セックスチェック」の問題はさておき…。むずかしいところですな。大切なのは、これに続く

しかし、人見選手は講演の中で女性競技界の広がりや進歩を訴えつづけていた。

というところなんでしょうね。

ゴミ箱

今日は、避難訓練。避難したあとの集合場所は、体育館です。まぁ、諸事情がありましてね。で、そのあと引き続いて防犯講演会だそうです。
わたしはというと、いつもの通り体育職員室*1でダラダラ。
と、そこで見つけたもの。JOCの出している『OLYMPIA』という雑誌です。パラパラとめくっていると…。こんなページを発見。

1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックに日本人として出場したマラソン金メダリスト、孫基禎選手も足袋で走った。

ん?そりゃぁ、当時朝鮮半島は日本の植民地化にあったから「日本人として」はある意味間違っていませんが、孫基禎さんは国際オリンピック委員会の記録の「日本選手記載」の変更を2002年に亡くなるまで求め続けていたわけで、これはあかんと思いますがねぇ。この記載、もしも孫基禎さんが生きておられたらどう思われるだろうか…。
やっぱ、抗議か…?

*1:「体育教官室」っていう人もいますが、わかっている人は「体育職員室」って言いますね。

こらあかんわ…

今日は朝はゆっくり。なので、こたつにはいってちょっと新聞なぞ読んでみました。
それにしても、母子加算を減額→廃止にかかわる記事がありました。いまさらなんですけど、どうなるかわかっているのかなぁ。記事を読んでいても、すごく厳しい母子家庭の状況が記されています。
まぁ、「健全な家庭」は両親がそろっていて子どもがふたりなんだろうから、母子家庭なんざぁ「あの人達」のout of gancyu*1というか、もっというと「施しの対象」でしかないんでしょうね。ま、これじゃぁ結婚状態が続くことを担保にしか子供を産めないし、そうなるとリスクを考えると、ますます子どもはつくれないですね。
もう一個。またまたやらかしてくれたらしいです。「産科の医師は出生数あたりでは減っているわけではない」「出生数の減少で医療ニーズがはっきり低減していることの反映」らしいです。
わたしも女性診療科に通っているけど(笑)、メチャクチャたいへんなんですよね。
これ、すごく単純な話です。「お産」なんていつあるかわからないので、産婦人科を設置している病院では24時間体制をとっておかないといけない。ところが、「お産」ができるのは産婦人科の医者とか助産師だけですよね。てことは、当直医は他の科と違い、限定されるわけです。すると、ある病院に勤務する「お産のできる人」が3人だと、当直の回数は単純に1週間に2回〜3回になります。出生率が減ったからと言って、これは変わらない。ところが、担当医が2人になると、一人減るだけで当直の回数は3回〜4回に増えます。つまり、出生率が減ったから仕事が減るというものじゃなくて、逆に「お産のできる人」が減ると、出生率とは無関係に仕事が増えるわけです。
この単純なことがわからない人が、厚生労働省の大臣なわけですよね。過重労働の現場ではミスが増える可能性が高くなるから、そうなるとリスクを考えると、ますます子どもがつくれないですね。
安心して子どもをつくれ、育てられる環境とはいったい何かということがぜんぜんわかっていない人が、「子どもを増やせ」と言う。で、責任を転嫁する。
かつて「精神論を述べるのは力のない教員」と思っていた時期があったけど*2、同じだな。

*1:死語…

*2:実は、今でも思っています(笑)