「授業の達人」?

なんか、他の学校の授業を見に行ってもいいというプリントがまわってきて、ひょいと見ると「授業の達人」とか書いてあります。なんじゃこりゃ?で、ググって見ると、こんな記事がひっかかってきました。
そういえば、こんなの聞いたことがあるなぁ…。
で、「達人」の方々の所属校を見ると…。
「あ、こりゃ授業を見に行ってもしょーがないな」と直感。なにせ、すばらしい学校ばかりです(笑)。
でも、授業を見に行くのもひとつの手かもしれません。授業の後の授業研で「あの〜、どうやったらみんな座っているんですか?」とか「どうやったら教科書を机の上に出してくれるんですか?」とか、わたしの勤務校ならではの悩みを「達人」たちに聞いてみるのもいいかも(笑)*1
って、こういうの、人間としてダメだな。>自分

*1:あ、もちろん圧倒的多数の子どもたちは一生懸命勉強してくれていますよ。一部です、ここに書いているのは。いや、ほんとうですよ^^;;

流れといえば…

この間は、国民投票法が、さしたる論議もなくあっという間に通ってしまいました。
そして今日、教育関連3法が衆議院特別委員会で通りました。
今の政府・与党が、教員に対する露骨な嫌悪感と不信感を持っていることがよくわかります。そして、それが世間の学校への不信や風あたりの強さをあおってもいます。
自分たちは「教育を再生する」と言っているんだけど、いままでさんざん「制度」をいじくってきた。でも、1学級の人数は、基本的には40人のまま*1。一番投入しなくちゃならないところには金を出さずに、人を働かすための制度しかいじくってこなかった。なんとも安あがりなことです。で、そうした制度のいじりをしてきた張本人たちが、その総括もなしに、また同じこと、というより、より強烈な「いじり」をまたしてもしている。そして、その「いじり」の原因を他者*2に押しつけて。
今回の制度改悪は、さらに世間の不信感を学校に押しつけることにしかならないと思う。そして、その不信感の原因もまた、学校に押しつけることになるだろうと思う。学校は、無限に起こる責任をすべて背負っていくという、きわめて悲しい場所になる。
今、生徒たちに「先生になりたい?」と聞くと、だれも「やりたい」とは言わない。なぜなら「しんどそうだから」。これからも、生徒たちは教員になりたいとは思わないだろうな。なぜなら、もっとしんどい職場になるから。
自分たちがやっている「再生」が、実は「破壊」なんだということを、井戸端会議をしている人たちはわかっているんだろうか。あるいは、その「再生」を支持している世間はわかっているんだろうか。
そうそう。今日も新聞やニュースのトップは、「立てこもり」とか「会津若松の…」とか、世間をにぎわすセンセーションな「事件」ばかりです。そして、たぶんしたり顔で「教育が」と解説をする「有識者」が出てくるんだろうな。そうやって、学校は無限の責任をすべて負わされます。

それでも、教員は仕事してるんだけどな…。

*1:弾力性は持たせているけど、「金はそれぞれで持て」ということ

*2:親と教員と、自分たちがつくってきた教育委員会

スローライフ

といっても、いわゆる「スローライフ」じゃなくて、どちらかというと「ゆっくり走ろう」な話なんですが。
わたしの通勤距離は片道30kmほどです。車だと、1時間10分。バイクだとすり抜けができるので小一時間(笑)。
ところで気がついたことがあります。それは、バイクのスピード。「今日は急ぐぞ!」と頑張っても小一時間。「今日はのんびり行こう」と思っても小一時間。実は、スピードと時間ってあまり関係がない感じがします。逆に、アクセルをほんの少しもどすだけで、自分に余裕ができるし、まわりもよく見える。当然、白黒の車とか真っ白なバイクもよく見えます(笑)。
結局そういうことなんだな、と、ちょっと気づいたということで…。

ローテンションが続いているけど…

4月頃から、ほんとうにローテンションが続いています。もちろん、日常の細かなことに喜びを感じたり、たまにあるイベントに燃えたりはするのですが、やっぱり基本的にはローテンションです。そんな毎日ですが…。

今日は、すごくいい天気。気温が高くて、ちょっと汗ばむぐらいです。でも、日陰にはいるとサラッとした空気で風が吹くとすごく心地よいです。
で、今日は昼休みの立ち番です。他の日のぶんを代わってもらった関係で、今日は小一時間やることになりました。ちょうどお弁当の時間ですから、お弁当を持っていって立ち番をしよう。てことは、机とイスを持ち出して…。
近くを通り過ぎる生徒たちが「気持ちよさそうやなぁ〜」と声をかけてくれます。「ビールがあったら最高やけどな(笑)」と返します。
最近は、制止を振り切って脱走する生徒もいなくなって、立ち番といっても、外部の車が来た時の門扉の開け閉めくらいしか仕事がありません。お弁当を食べ終わったら、読書の時間。あまりにも気持ちいいので、地べたにごろりと寝転がって本を読みます。風がそよそよと吹くと、眠気が襲ってきます。すごくいい気持ち。
そんなわたしを見て、おしゃべりに来てくれる生徒もいます。
ダラダラと話をしていると、ポツンと一言。「先生って、先生らしくないなぁ…」。

やがて、チャイムが鳴って、ホームルームに出席するために、その生徒は教室に行きました。
一人になって、ふと気づいたこと。

そうか、昔からそうだったんだよな。
昔から、「らしくないなぁ」が、わたしへの最大のほめ言葉でしたよ。
「らしくない」生き方をするためには、時として肩肘を張らなきゃならないこともあります。時として疲れることもあります。でも、いままでもそれをやってきたんですよね。
そんな自分を見失っていたな…。

まだまだ長い長いトンネルの中にいます。でも、出口の方向は、どうやらあっちの方らしい…。

直線番長、またか…

確かに、ドカは速いです。でも、わたしはやっぱりロッシを応援します。
アナウンスを聞いていたら、おもしろいことに気づきました。というのは、ストーナーに対するコメントは、ストーナーという表現とドカティという表現が半々。でも、ロッシはあくまでも「ロッシ」です。
考えてみると、ロッシって、パワーのあるホンダから、「コーナーリング性能はいいけどパワーがない」というヤマハのマシンにあえて乗り換えて、チャンピオンシップをとってきたんですよね。そういう意味では、自分に何らかのビハインドを与えながら、それをクリヤしていくという態度なんだろうな*1
ちなみに、わたしは「力と技、どっちをとるか」といわれると、躊躇なく「技」をとるタイプです。だから、仮面ライダーは1号が好き(笑)。

さて、いよいよヨーロッパラウンド。ロッシのパフォーマンスが見られるかな。

*1:そういえば、ミック・ドゥーハンも、最後の年はあえてピーキーなマシンを選択していたっけ

GW前半2日目・ダレこんだなぁ

今日は、4・29。20数年前だったら某教会とか某公園で人の話を聞いたり散歩をしたりしていたんだけど(笑)、なんかすっかり家にいるようになってしまいました。なんか、どんどん楽をするようになってきている気がします。でも、楽をするとあともどりができないんだな…。

評価は誰に向かうのか

ふたつ目は、「全国学力テスト」のこと。
あの、膨大な労力は、なんのためにあるんだろう。テストの結果をどう評価するんだろう。
わたしのちっぽけな日常のテストのことですが…。
わたしにとっては、日常にやる「確認テスト」と、いわゆる「定期考査」というやつ、ぜんぜん意味づけが違います。
「確認テスト」というヤツは、「最低限到達してほしいところにどれくらい到達していないか」という指標に使います。なので、そこで「到達していない」ということがわかったら、それはモチベーションとしては「わたし自身への評価」として返ってくるわけです。そして、それを「放課後補習」という形で生徒に返していく。
一方、定期考査というのは、まぁいってみれば生徒に挑戦状をたたきつけるようなものです。「さぁ、どれだけやってくるかな?」と試してみる。当然100点を取られたら悔しい。だからこそ、「生徒の評価」になるわけです。
もう少し言い換えるならば、「定期考査」は「到達度」を試すためのテストであるのに対して、「確認テスト」は「不足度」を試すためのテストという感じでしょうか。ちなみに、「入試」というヤツはわたしは自分でつくったことはないのですが、コイツは完全に「序列化」をするためのテストですから、また観点がまったく違います。
で、それぞれに、評価されるものも違うわけです。
ところで、「全国学力テスト」って、いったい、誰が、何を評価するためにやるテストなんでしょうか。実は、わたしにはよくわかりません。というより、わかっているんだけどね。「どこかのえらいさんが、生徒の正答率を通して、現場を評価する」ってことなんだろうな。
でもね、じつは「えらいさん」こそが自分を評価しなくちゃならないんだよ。でも、そのあたり、旗振り役はわからないだろうし、実施者は「わからないふり」をしているんだろうな。

自分の役回り

今日はふと考えた小さなことが3つ。とりあえず、それらを列挙してみます。
まずは、通勤途中にふと頭に浮かんだのが「自分の役回り」です。
これは、かつて「腐れ縁」さん*1から言われたことなんですけど、「アジテーター」と「オルガナイザー」てことです。いずみちゃん曰く「いつきさんはオルガナイザー」…。
たしかに…。というか、自分的には「アジテーターになるほどの頭のよさがない」てことのほうに納得をするんですけどね。いや、「頭のよさがない」というより、「情報収集能力がない」という方がいいでしょうか。そんなことをつらつらと考えると、昨年度、わたしにまわってきていた役回りが、わたしにとっては荷が重かったのかもしれないなぁ、と。もっと地道なところで、コツコツダラダラとやることの方が、身の丈にあっているのかなぁなどと…。

*1:ここでいいのかな?

選択するということ

朝、ふと考えました。
物事を選ぶということは、同時になにかをあきらめることですよね。そんなことはみんなわかっていることなんだと思います。
でも、「ベストの選択」を追及するがあまり、ついつい「あきらめる」という側面を忘れてしまいがち。だから、「80%のベター*1」をめざすことがちょうどいいあたりなんじゃないかなぁということ。すると、残りの20%*2が「あきらめの部分」ということは織り込み済みになるし、その20%*3も「自ら選択した」ということになる。

ま、それだけのことなんですけどね。

*1:60%でもいいけど

*2:あるいは40%

*3:40%