スランプ、ちょっとずつ脱出気味か?

続いてそのクラスで授業にはいりました。「こないだな、机蹴ったやんかぁ。あれな、あの日暑うてイライラしてたんもあったんやけどな、あの後、めっちゃ落ち込んだんやわ。もう、あんなんイヤやねん」とかいいながら授業をいていたんですが、同じように暑い今日なのに、なんとなくクラスが落ちついています。なんでだろう。授業が終わってからも、生徒たちとの雑談に時間がかけられます。ちまきをかじっている生徒がいたので、わたしのひとかじり。んまい!わたしが前に住んでいたあたりのちまきです。柔らかい状態から少し固くなりはじめたちまきのざらざらとした舌触りがいいですね。「もっと固くなったら素揚げするやんか」と、通の生徒は言います。
こんな感じだったら、スランプから脱出できるかなぁ。

それにしても騒がしい日々

朝、学校に行くと副校長とばったり会いました。「今度は、京都新聞や。大きく出てるで〜」めっちゃうれしそうやんか。
そういえば、今回の新聞報道一連については、情報を広げたのはコイツやがな。なにせ、月曜日に「洛南タイムスが取材に来るって言うてるから、不公平やし城南新報にも連絡したし」。夕方、「読売新聞も来たで」。えらいうれしそうな顔をしていました。ついでに言うと、火曜日には出張先に生徒からメールが来て「京都新聞が取材に来るらしいんですけど、いつがいいですか?」とのこと。洛南タイムスの記事を見て来たらしいんだけど、水曜日に学校に行ったら「あんじょうしたってや」とのこと。なんでも、教え子らしいです。
で、気になるのは教育委員会の反応。「なんかあったらどないしますの?」と聞くと「そんなもん、コンクールの取材に来て、内容を聞いて、それで記事にしてるんやからしゃーないやんか。そう言うたるわ」了解です。「あんたも、言いやすうなったやろ」その通りです(笑)。ほんまに隠すものがなくなりました(笑)。
で、事務室にあった新聞を見ると、でけぇ〜。
すでに情報はこことかこことかこことかここ(笑)とかに出ていますが、一応わたしもリンク先をば。あと、リンク切れに備えて、今回もこっそりコピーをしておきました。
校内をフラフラ歩いていると、あちこちで「先生、見たで〜」「全国行くんやなぁ、おめでとう」いろんな声が飛び交います。授業に行っても「そういえば、先生昔NHKに出た*1んやな」と、よー知っている生徒が言います。
あ、あれ、タイトルがほんとうは一部違うのよね。「悩む教諭」→「特に悩んでいない教員」です。

*1:これもコピーしてあります

緊急事態発生!

パートナーから、突然メール。「頭が痛い」。いや、単に偏頭痛持ちなんです。ところがしばらくして続報。「救急車呼んだ」。へ?!
そこから、急転直下、頭がフル回転です。救急車を呼んだ→早く帰らないと→下手したら入院→片道1時間以上かかる勤務でどうやって子どもたちとの生活をするか。
とりあえず、放課後予定していた補習はキャンセルです。教室に行って「すまん、パートナーが救急車で運ばれた。だから今日の補習は中止。来週やるし」。続いて、今日出席予定だった宴会に欠席連絡。その後、バタバタと用事をこなして、帰る準備。つっても、なかなか出られないんですけど。4時半頃ようやくなんとかなりつつあった時に「点滴打ってずいぶんマシになった。帰ってええよと医者が言った」とのメール。一安心です。
でも、かなり遠い病院まで搬送されたので迎えに行く必要があります。とりあえず、勤務時間が住んだら速効帰宅。迎えに行きました。
「マジで、入院と思ったわ」とわたし。「わたしもそう思た」とパートナー。ふと5年前の悪夢をふたりで同時に思い出しました。いろんなことがあったなぁ…。
で、お家に帰ってきて晩ご飯。サクッとつくった野菜炒めをおかずに、家族4人で「カンパーイ」。今日も4人がそろって晩ご飯が食べられること*1、本当に感謝です。

*1:実は、パートナーが倒れていなければわたしは飲みに行っていたから3人だった・笑

越えた一線

いままでわたしは学校ではほとんど「カミングアウト」ということをしてきませんでした。もちろん「ほとんど」なんで、した人もいるんですけどね。した相手っていうと、例えば管理職*1、信頼できる教員*2、なんとなく気のあう生徒*3あたりでしょうか。こういう人たちって、たぶん「トランスであるかどうか」ということよりも手前のところでのつきあいがあるんじゃないかと思うんです。なので、トランスであることを話しても、とくに何かが変わるわけじゃないんです。
この間のフジテレビの時に、特にカミングアウトをしていない理由として「「トランスジェンダーのいつき」じゃなくて、「一人の教員としてのいつき」のひとつの属性としてトランスジェンダーがある」という感じのことを言いましたが、たぶんそのことだと思うのです。
ただ、ここ1〜2年くらいカミングアウトをしても変わらない人というか、生徒たちが増えてきたなぁという気がします。なので、去年担当した生徒たちには、1年間かけてゆっくりとゆる〜いカミングアウトをしてきました。
ゆる〜いカミングアウトというのは、「わたしはトランスジェンダーです」という言葉を使わないカミングアウト。既存の言葉に頼らずに、自分の生きてきた軌跡や自分が考えていること、自分が見る風景を伝えていくことかなぁ。そんなことを通して「わたし」という人間を伝えることができればなぁと。その先に、もしかしたら「トランス」という言葉が出てくるのかもしれないです。
まぁ、ヒントは学校中のあちこちにちりばめてあります。『婦人公論』のコピーとか『セクシュアルマイノリティ』は保健室にあるし、『30人…』は図書室にあるし。22年勤務している学校ですから、卒業アルバムを見ればわたしの変化は一目瞭然。なにより、生徒たちの前に「物体(笑)」が存在しています。わかる生徒にはわかると思うのですが…。
で、今年。まだ時期は6月です。まだまだゆっくりと子どもたちとつきあう時期だなぁとは思っていたのですが、今日は火曜日に時間割変更で授業に行ってもらった振り替えが返ってきた授業があって、しかも暑くて気が乗らない日。そこにたまたまフジテレビのDVDがあるという*4、これまたなんだかなぁな状態です。そういや、あの番組には生徒たちも登場しているんですよね。
てことで、暑いさなかの5時間目。25分ほどビデオ鑑賞会にしようかと。生徒に見せるのははじめてです。ビデオはおろか、その他諸々の情報は、これまで一切クラスの中で自分からは見せていないんです。どんなことになるかなぁ。
で、前半は「2次関数の標準形変形の確認テスト」です。その後、DVDスタート。
まずは「性同一性障害」というタイトルを見た瞬間、生徒たちは大爆笑です。「なんや!そっち系やったんかぁ!」。そうかやっぱりわかっていなかったか。まぁええけど(笑)。思うつぼやんけ。ところが、Sさんの場面になると、一同シーンと水を打ったように静まりかえります。思わず、「なんでわたしの時は爆笑で、Sさんの時は静かになんねん!」とツッコミを入れました。すると「だって、知ってる人が出たら笑うやん」。ごもっとも。やがて、ウチの学校の校舎がうつります。「おー!うつったぁ!」続いて補習のシーン。「あ、あれ、◯◯ちゃんや!」「あれ、オレ!」と大騒ぎです。その後も、みんなで爆笑しながら*5、あっという間に25分の番組終了。
わたしからの〆の言葉。「まぁそういうことや。でも、番組見せたんは、君たちがはじめてで、まだこうやってクラスで見せたこと、一回もないねん」「ほな先生は、ウチらのことを信頼してくれてんの?」「まぁな」で、チャイム。
さて、片づけじゃ。

*1:校長・副校長・事務長です。まぁ自分の身を守るためですね。

*2:一緒にいろんな活動をしている人とか、なんとなく気のあう教員とか、理解してくれそうな教員とか。

*3:なんというか…、ウマがあう生徒っているんですよね

*4:この間管理職に見せるためにかばんに入れていたままでした。

*5:Sさんのシーンはみんな静かです。例えば、性別欄に◯をするのを迷ってボールペンが漂うシーンなんかは「◯できひんにゃ…」「女に◯したらええのに」とつぶやいていました。

またもや今日も…

今日も放送部にお客さん。取材です。今日はえらく眠いし、残っている生徒も少ないし、イマイチノリの悪い感じでしたが、それでもテンションの高い生徒もいたりして、1時間ほどかけて終了。う〜ん、個人的にはすみませんでした。マジで今日はテンションが低かったんです>記者さん
そうそう、月曜日の取材の分の記事が出たみたいで、これでいよいよ職場までが特定できるところまで晒されてしまったということになります(笑)。学校で見たのはある地域紙の記事ですが、まぁえらいことになってきたなぁ。
家に帰ってもう一社のwebを見ると記事がありました。まぁ、これ、なくなるのが時間の問題なので、こっそりいただいておくことにしました。

スランプから浮上せず

暑くなってきたのが悪いのか、生徒のうるささがどうしてもしんどいです。今日は思わず机を蹴ってしまいました。あとで生徒と話をしていると「わかるわ」と言ってくれる子もいたし、そんな状況を引き起こした子も休み時間に話をするとメッチャいい子だったりしてそれはそれでいいのですが、やっぱりあとで落ち込みます。はぁ…。
あとは、金曜日の人権学習のための3学年分の資料の印刷。ザラ紙を3〆*1ばっか印刷すると、それだけで2時間半ぐらいかかります。これまた疲れた。あたしゃ担任の頃、こんなことやってもらわなかったけどなぁ…。まぁしゃーないな。仕事やし。

*1:つまり3000枚

舞鶴で人権教育の研修会

午前中は、舞鶴引揚記念館の見学です。ふと肩から提げているかばんを見ると「愛国心拒否」などというバッチがついていましたが、まぁええかということで、そのまま入館。
なんというか…。「被害者」としての側面がとても大きい記念館でした。まぁ、軍属にしたって、当時の為政者による被害者という側面はあるのはあるのでしょうけど、「自虐史観(笑)」を持つわたしとしては、なんだか居心地が悪いですね。「引き揚げ」についてはたくさんの展示があるのですが、たとえば、「棄民」としての中国残留婦人・孤児のことについてはほとんど触れていないし、記念館のすぐ前で沈没した「浮島丸」については展示どころか記述も一切なしです。まぁ、平和を希求するためにつくられた記念館なので、それはそれでいいのですが…。なんだかなぁ…。
そうそう、浮島丸の遭難碑とはあまりに違うお金のかかり方でした。
午後は、在日にかかわる戦後史についての講演です。午前の見学で抜け落ちていたことが、ここで分厚くフォローされました。さらに、差別にかかわる歴史を「加差別・被差別の歴史」としてのみとらえるのではなく、「差別との闘いの歴史」という観点で話されたのが印象的でした。部落史についてもそうなんですけど、「こんな差別をされました」という話から学ぶこともたくさんあるわけですが、「そんな差別に対してこういう闘いがありました」ということがとても大切なんだと思うのです。そして、何より大切なのは、たとえば部落史ならば「部落外の人々」の、在日のことならば「日本人の人々」の闘いの歴史に触れることこそが、わたし(たち)にとって、もっとも学ぶことが多いのではないかなぁと思います。
残念ながら、こうした人々の姿は往々にして歴史の中に埋もれてしまっています。そうした歴史を丹念に掘り起こしていく作業がやはり大切なんでしょうね。と同時に、いま、わたしたちがやっているさまざまな実践を、記録として残していくことも、歴史への問いかけとして大切なのかもしれないですね。

えらいことになってきた…

朝、学校に行って放送コンテストで2位になったことを報告。教職員のみなさんから暖かい言葉をもらいました。やがて昼過ぎ、副校長*1がツツッとやってきて「放課後、放送部のことで地元の新聞が取材に来るし」とのことです。
実は、放送コンテストで全国に行くのは、まだ3回目なんです。でも、部門で優勝した時も取材なんて来なかったけどなぁ。よほどネタがないのか、学校のイメージアップなのか。まぁ、どっちでもいいです。
放課後、新聞記者が来ました。「えっと、このタイトル*2、なんて読むの?」生徒たちも「さぁ…」。「どんな内容なの?」「えっと…、なんと言ったらいいのか…」。まぁのんきな取材です。しゃーないので、一通り説明すると、新聞記者の雰囲気が変わりました。
新聞記者「実はね、僕ら、とりあえず全国に行くということで来たんです。内容、なにも知らないんです。へー、そんな内容だったんですか。ちょっと一回聞かせてもらえますか?」わたし「ほな、アンプとスピーカー準備しよか。実はわたしもはじめて聞くんですよ」。
で、聞いてみました。あかんわ。ナレーターの音量レベルはガタガタ。もうちょっと変化をつけないと、聞いててあきるで…。と思っていたのですが、記者のみなさん「いや〜、わかりやすくつくりましたね」てな感じで、えらいのめりこんでます。そこから、「なぜこのテーマでつくろうと思ったの*3」とか「つくっていて困ったこととかどんなことだったの?*4」とか「先生は、なぜこのテーマでいこうとおもったのですか?*5」とか、いっぱい質問を浴びてしまいました。
結局、「5分くらいで取材を終わろうとみんなで話していたんやけど、えらい時間がかかったなぁ」とのこと。1時間半でっせ。最後でみんなの写真をとって取材終了。
それにしても、これ、1位の学校よりたぶん扱い大きいで…。どないやねん。

*1:かつての「教頭」です。

*2:「teacher♂ or teacher♀

*3:わたしの差し金(笑)

*4:どうやら、わたしと連中の関係があまりにも普通なので、トランスへの偏見があることがぜんぜんわからなくて、なにが問題かわからないことが一番の困ったことらしい(笑)

*5:「ネタ」やし、勝てるやんか(笑)

で、放送コンテスト決勝

どうやら、朗読部門は予選落ち。ラジオドキュメント部門は決勝に残ったようです。ということは、結果の確認のために閉会式まで残らなくちゃなりません。えらいことになりました。
2時から始まった閉会式。講評だのなんだのが長々とあって、結果発表は4時頃。で、驚愕の結果。ラジオドキュメント部門が第2位でした。そうそうテーマ点をねらうと昨日の日記に書きましたが、タイトルは「Teacher♂? or Teacher♀?」。早い話が自爆ネタです(笑)。ずるいといえばずるいのかもしれませんが、それにしても、全国ですよ。どないやねん…。

なにが悲しゅうて…

朝、携帯のけたたましい音が鳴ります。「いま何時?」と聞くと「6時」という返事。んなアホな。起床の時間まであと1時間あります。とにかく2度寝あるのみです。ウトウトしていたら再度携帯の音。今度は7時の目覚ましのようです。起きるしかありません。しかし、いったいいつになったらゆっくりと寝られる日が来るんだろう…。
とりあえず、ふとんをたたんだり、コーヒーを淹れたりして朝の時間が過ぎていきました。
子どもたちは燃えています。なにせ、夏には100人規模の全国交流会があります。先輩たちから引き継いだこの交流会を、いかにいいものにしていくかという話しあいですから。でも、引率教員はしんどくてしかたがない。完全に脱力状態の教員が、あちこちで倒れていました。もちろん、わたしもその一員でしたけどね(笑)。
んなことで、昼過ぎに話しあい終了。記念撮影をして解散です。