ばれてた…

バーベキューをしながらある生徒と話をしていると「サイトのつくりかた教えて」とか「FTPがわからへん」とか言いはじめました。「なんでわたしに聞いてくるのかなぁ」と思っていると「先生のホームページ知ってるで。ぜんぜん更新してへんやん」とのこと。そうですか。すんません。ネタがないんです。
まぁ、年度当初に「先生の性別は?」とかさんざん聞きまくっていたクラスで、「校内とかネット上とかいたるところにヒントは転がってるよ」と答えておいたので、サイトが見つかるのは時間の問題といえば時間の問題なんですけどね。まぁ、これ読んだら、てきとにツッコミを入れといて下さいな。>Yさん(笑)。

一年で一番楽な日

教員をやって一年目、「こんな楽な日があるんだぁ」と思った日、その日が今年もやってきました。遠足です。
いや、人によってはいやでいやでたまらない日みたいですけど、わたしにとっては「生徒と遊んでたらええやん」という感じですね。どうやら、遠足が嫌いな教員は、その他諸々の行事ごとも嫌いなようです。理由は「めんどくさい」らしいです。ちなみに、わたしは行事ごとが大好きです。授業の方が楽だなんて考えられない。ま、そんな性格だからこんなんとかこんなん*1とかやるのが苦痛なのではないのですが…*2
今日の行き先は、滋賀県中部、湖西にある巨人の国です。で、メインはバス車中*3バーベキューです。バーベキューといえば「火」。火は好きです(笑)。
各クラスが4つの班にわかれてバーベキューをするのですが、教員はどこかの班に寄生させてもらいます。わたしも副担任をしている(と同時に、教科を担当している)クラスの班に混ぜてもらって「焼きそば」「ウィンナー」「肉」なんかを堪能させてもらいました。ふだんだったらビールなしでは飲み込めないのですが、なぜかビールなしでもいけるというのが不思議でしたね。いっぱい食べさせていただきました。ごちそーさま!

*1:リンクをはろうと思ったら見つからなかった。「トランス全国交流会」のことです

*2:人によっては、行事ごとへの姿勢に学校文化の親和性との相関を見いだすらしいです。なるほど…。

*3:だって、往復の時間の合計の方が向こうにいる時間より長いんだもんね

そして、日常生活へ

家に帰ったら、晩ご飯。そして、録画してあったモンテカルロGPを観戦。えー、ポールポジション、新聞に出ていたのと違うやん!それはないで〜。かなり興味は失せたけど、それでもどん欲にポイントをとりに行くシューマッハの姿に去年とはまったく違う挑戦者の姿を見ました。去年は車がひどすぎたからなぁ。まだまだ熱いシーズンが続くかな。

日常業務へ

いつもの通り、朝6時に起床。お弁当づくり。はぁ…。
金曜日の午後から仕事をしていないから、いっぱいたまっています。とにかくちょっとでも早く学校に行って、提出ノートのチェックを確認しなくちゃ。がんばった生徒には「えらい!」のハンコ。ちょっとサボった生徒には「チェック!」のハンコとひとことメッセージ。子どもっぽいけど生徒たちはけっこう喜びます。まぁ、コミュニケーションの手段ということですか…。
あとは、代講だの人権学習の打ちあわせだのとしていると、あっという間に昼の時間。
午後からは雑務とか採点とか。採点をしている最中に、突如ものすごい眠気が襲ってきました。思わず答案の上にうつぶせ状態です。こんなんはじめてやなぁ…。なんでやろう…。って遊び過ぎか(笑)。
とにかく、右手と頭は採点を拒否しています。でも、やらないと終わらないのが採点です。なので、身体の意に反して採点を強行。おかげさまで、夕方には終わりました。
仕事が終わったら、久しぶりにグランドをランニング。

京都へ

朝、とにかくうるさいので目が覚めました。まぁ、ちょうどいいんですけどね。シャワーを浴びたりテレビを見たり荷物の片づけをしたりとダラダラとした朝を過ごしたあと、9時半頃にチェックアウト。外に出ると、黒い服を着たアンチャンがいっぱいいます。そうか、歌舞伎町の朝なんだなぁ。それにしても、みんな同じ顔に見えるのはなぜだろう…。
そのまま新宿駅から東京駅へ。サンドイッチとビール(笑)とチューハイ(爆)を買い込んで新幹線に乗車です。11時頃からサンドイッチを肴に飲み始めると、けっこういい感じです。窓の外を見ると、近江八幡のあたり。眠くなってきてちょうどいいです。って、もうすぐ京都やんか…。なんとか眠気を覚まして降りました。
家に着いてそうっと中にはいると、人の気配を感じたのか2階から「おとうしゃん?」と子どもの声。黙っていると確認しに来ました。「そうだよ」と答えると、いきなりほっぺたを伸ばされました。なにすんねん(笑)。もちろん、のばし返すのですが…。どうやら「お帰り」のあいさつのつもりだったみたいです。
家に帰ったら昼ご飯。あまりお腹は減っていなかったけど、おつきあいでちょこっと食べました。お腹がいっぱいになったところで昼寝。最高〜。
夕方、修学旅行から上の子どもが帰ってきて、ようやく全員そろいました。えらい機嫌が悪かったのは、最後に友だちとケンカをしたからだったようです。晩ご飯を食べる頃にはすっかりご機嫌になって、いっぱいみやげ話を聞かせてもらいました。
さて、あしたからは日常じゃ…。って、上の子どもは修学旅行に土日が入っていたため月・火と代休らしいorz。

せっかくの東京だから…

散歩終了後、ご苦労さんということで、東京駅でビールを一杯飲んで、アキバへ。ここで、お友だちとまず合流。アキバをふたりで萌えながら歩きました。おかげさまで、モノにかぶせて使うトゲトゲつきのシリコンとか、ぁゃιぃ変換コードとかをゲトできました。しかし、安いなぁ。
とそこに、別の人からメール。「おじちゃんは、すでに新宿にいるよ」。あわてて駅に向かいました。とはいえ、途中でRCAを9個ゲト。遅くなってゴメン。
新宿に着いて、とりあえず店探し。さすがに土曜日。どこもかしこもいっぱいです。と、そこにさらに別の人からメール。「着きました」。とりあえず合流して、あとは「どこでもいいよ」ということで、「おかあさんの飲み屋」に行くことにしました。
てことで、一人用事で来ることができなかったのですが、◯t◯*1有◯の会の人たちとの飲み会スタートです。で、内容ですが、トイレの中で餓死するかもしれない話なんかを交えながら、シモの話からメチャ難しい話まで延々と4時間ほど熱く語りあいました。みなさん忙しい中*2、本当にありがとうございました。
2次会は、中華料理の店。一人の方は、焼きぎょうざを「うまい!}と言いながら食べているウチに、いきなり落ちていました。わたしは羊の水ぎょうざを頼んだのですが、激ウマ。もっとも「おじちゃん」はシモの入った肉(笑)以外は食べられないそうで、全部わたしが食べちゃいました。すんません。と、いきなり落ちていた友だちが復活。「駅まで走ります」と言って、疾風のように走り去っていきました。
最後はおじちゃんとまたーり語りあって、わたしはホテルへ。今回は定宿がとれなかったのですが、同じぐらい安くてしかも広い。一晩中ホストのお兄ちゃんがしゃべっていてすごくうるさいんですけど、気に入りました。そうそう、部屋にはいるとレディスセットがありました。これからの定宿やな…。
部屋に入ってパンイチでふとんに入って爆睡でした。

*1:◯t◯という形、ちょっとエッチ(笑)

*2:一人は雨で仕事が流れてヒマになったらしいですが…。合掌…

東京で散歩

なんか、昼から東京でみんなで散歩をするとかいうので、行くことにしました。
朝、ウチの組合員の6%ほど(笑)が京都駅に大集合。一路東京をめざしました。最寄りの駅を降りて地上に出ると、けっこう散歩仲間がたくさんいます。散歩のスタート地点に行くと、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から参加者がいました。やがて、スタート前の行事が行われます。主催者のあいさつには、当然のようにヤジが飛びます。この、一枚岩ではないええかげんさが好きです。連帯のあいさつには元気がでます。
やがて、散歩の開始。と、そこにさらに現地で合流の人が一人参加。これで、ウチの組合員の7%が参加になりました(笑)。ますます意気があがります。
会場を出ると、マスクをしたお兄さんとか、帽子をかぶって耳にイヤホンをつけたおじさんとかがたくさんいます。みんな忙しそうにメモをとっています。新聞がないから競馬じゃないと思うのですが…。
散歩をしながら、みんなでしゃべらなくちゃならないのですが、東京は車の騒音がうるさくて、何をしゃべらなくちゃならないのかさっぱりわかりません。しかも、事前の打ち合わせとは違うのが出てきたり、アドリブで少し長くなったりします。長くなると覚えられません。ふと「◯貧」の旗が目の前でたなびいたのは、わたしだけじゃないと思います。
約2時間、雨の中を散歩して、無事終了。
しかし、◯キの一人もいずに、ロードコーンに制圧されての散歩は屈辱だなぁ…。

情けなくってもいいじゃない…

さっきの話の続きに、どういうわけか「愛国心」についての話が出てきました。ここでもまたまた大きなギャップ。もちろん、学生さんとわたし(たち)の間のジェネレーションギャップなのか、単なる個人同士の見解の相違なのかはわかりませんが…。
学生さんの見解
「自分のまわりにいる家族や友だちは、やっぱり大切」→「(平たく言うなら、)その人たちを守ることが愛国心」→「守るためには国を守る必要がある*1」→「国を守るためにはパワーが必要」→「だから軍隊も必要だし、徴兵制もやむを得ない」
う〜ん。スタートはあまり変わらないんだけど、ゴールがぜんぜん違うのはなぜ?
わたしの見解
「自分のまわりにいる家族や友だちは、やっぱり大切」→「それを愛国心というなら愛国心というのかもしれないけど、別にそんな名前をつけなくてもいいやんか」→「別に国家がなくなっても、家族や友だちとの関係が変わるとは思えないし、国家を守るために命を落とすなら、それは本末転倒」→「ところで、現在の国家間のパワーバランスを考えると、いきなりひとつの国が他の国をかつてのような植民地化をするということは考えられない」→「てことは、別に「勝たなきゃ」と思う必要はないやんか」→「負けてもええやん、情けなくてもええやん」
こんなわたしに「非国民」という言葉が投げつけられたとしたら、それはわたしにとってのほめ言葉です。

*1:「国家」が自分たちの関係性を守ってくれているという解釈かな

距離と時間と密度

今日は、大阪市最南端にある、とある大学に昼から行って来ました。「1時間で自分のことを述べよ」というお題をもらっていたのですが、やっぱり無理でした。どうしたらええんやろ…。真剣に悩みます。それでも、けっこうウケたので、まぁよしとしましょうか*1
その後、しばし校内の学食*2で歓談。そこでだんだんわかってきたことが「最近の学生さんたちの人間関係って、すごく相対的」ということなんです。いや、あちこちでこういうことは言われていると思うんですけど、やっぱり感じました。
先生たちから「いつきさんの話がわかるのは、80年代に京都にいたという共通体験があって、しかも同じ空気を吸っていたというバックグラウンドがあるからだよ」という説明があったんです。ところが、学生さんから「年代が一緒だからって、僕にはわからないです」という返しがありました。で、わたしのほうから「だって、あの頃はバイクなんてなかった。地下鉄もなかった。移動手段は、自転車か徒歩。だから、みんな大学の半径1km以内に住んでいた。だれかの家で呑んでいて、誰かを誘おうと思ったら、当時は携帯なんかないし*3、じゃんけんで負けたヤツが歩いて呼びに行ったもんです」と解説。さらに「テレビがある学生が、下宿屋の中に1〜2人。だから、テレビを見たければ、そこに行ってみるしかない。まぁ街頭テレビの感覚やなぁ」。このあたりで、またまた先生たちは大ウケ。どうやらみなさんその通りだったようで。「で、テレビを一緒に見ていたら、やっぱりいろいろ話をしながら見るじゃない」。
考えてみると、こういう生活は、学生同士だけじゃなくて、家族もそうでした。家の中にテレビは一台。親と子のチャンネル争いもあったし、やっぱりどちらかがどちらかに譲るわけです。で、しゃーないからそのテレビにつきあったりします。そういう中で、「あ、この人はこういうことに興味があるんだ」とか「あ、この人はこのことに対してこういうふうに考えるんだ」みたいなことがわかっていった。友だちや親との会話っていうのは、こういうことをベースにして行われていたんですよね。
別に、「昔はよかった」という懐古趣味に走るつもりはないのですが、でも、よかったと思います。おそらく、いまはそういう「状況」がつくる「偶然性」に頼れない時代になった。だからこそ、意図的に距離と時間と密度の相関を考えながら、関係性をつくっていく必要があるし、そういう「場」をデザインする楽しさがあるとも思います。

*1:でも、一番ウケていたのは学生さんじゃなくて、同年代の先生たちだったりします。なかでも、わたしの話を聞くのが4回目の人が一番ウケていたのはどうよ。その先生に言わせると「最近は、「あ、来くるぞ来るぞ来るぞ、やっぱり来た(笑)」という感じ」なんだそうで、それは古典落語かプロレスの世界とちゃうんかいな…

*2:ちなみに、この学食、3時以降は「ビールセット」があるという、たいへんすばらしい学食です。

*3:ちなみに、加入電話もなかった。たいてい大家さんの家から取り次いでもらうんだけど、これがまたイヤミを言われるんですよ

生徒と子ども

樹村さんのコメントに啓発されて、ふと考えたことがありました。
樹村さんのコメントには、某歴史教科書を立ち読みされた時の感想として「最近の中学生は、すっかり子ども扱いされてるんですねぇ」というふうに思われたとのこと。
まぁ、ウチの高校生も完全に「子ども」なんで、まぁそれまでといえばそれまでなんですけど…。いや、見た目はもちろんちゃいますよ。というか、3年生ともなると「オサーン」「オバハン」「ねえちゃん」がほとんどです。でも、中身が…。
というのはおいといて…。
関西の中学校の先生たちは、よく自分の学校の生徒たちのことを「ウチのガッコの子ぉらはなぁ」というふうに表現します。「子」ですわ。まぁ、子ども扱いです。ただし、このときの「子ども」は、たぶん「親」から見た「子ども」であって、「よそさんの子ども」とはちょっと違うかなぁと思います。ちなみに、「ウチのガッコの子ぉらはなぁ」のあとは、たいてい「ホンマあかんたればっかでどうしょもない子らやけど、エエトコあんねん」という感じで続きます。
なんでこんな感じになるのかというと、こういう表現をする教員って、生徒の生活実態まで丸ごと見据えた上で、今ある子どもの姿や、これからの進路のことを考えているんだと思うのです。
なんか書いていてオチがわからなくなったので、とりあえずおしまい。