目が覚めると10時半くらい。なるほど(笑)。でも、まだ寝足りません。12時までふとんの中で粘ることにしました。
今日はほんとになにも予定がない1日です。だから、なにもしたくない。もちろん昨日の影響はありますが、それだけじゃなく、なにもしたくない。こういう日はきっと必要です。
「それにしても」って思います。
なんでトランスヘイトってあるのかなぁ。多くの人は「トランスジェンダーと会ったことがない」と思ってると思います。それは、さまざまな統計を見たらわかります。でも、トランスジェンダーはフツーに生活している。生活している限り、当然のことながらさまざまな人と会っています。例えば、わたしだって京都のまちなかを歩きもするし、電車にも乗る。バスにも乗る。業務スーパーに買い物にもいく。たくさんの人と「会って」ます。わたしが会ってるってことは、相手も「会って」いる。だから、「会ったことがない」のはおかしい。にもかかわらず「会ったことがない」のは、見てわからないからですよね。わたしでわからないのであれば、他のトランスジェンダーなんて、まずわかりません。そんな「わからない」人へ向けたヘイトってなんだろう。きっと「わかる」と措定して、その現実とはかけ離れた架空のトランスジェンダーへ向けてヘイトをしているのかな。
ちなみに、トランスジェンダーは可視化されます。これ、矛盾してるみたいだけど、可視化されます。とりわけ学校において。なぜなら、この社会が、学校が、トランスジェンダーを包摂する仕組みになってないからです。例えば埋没して学校生活を送ろうとしても「みんなに説明しなければ」ってなって、カミングアウトを強いられたりアウティングされたりする。だから可視化されます。そして「可視化される」こと、つまりカミングアウトやアウティングが前提となる存在だからこそ、カミングアウトやアウティングを強いられない、例えばまちなかや電車の中では不可視化される。だから「会ったことがない」となる。
とても簡単なことなんですけどね。
トランスヘイトって、斬りつけてるつもりなんだけど、見事に虚空を切っている。だから刃はあたらない。ただ、その「切る」という行為がトランスジェンダーを切るんですよね。
まぁなにを書いてるかわからなくなってきたし、ええか。怠惰な1日ですからね。