部落問題と向き合う私たち

今日は1週間ぶりに出勤です。同じセクションの人たちには「ごぶさたしています」とごあいさつ。まぁ、セクションのうちの半分近くの人も、昨日が久しぶりの出勤のはずです。
とはいえ、今日は出張日。なので、午前は成績処理とかメールのやりとりとか。そうそう、教科書のスキャンもしなきゃなりません。明日から授業ですよ。しかし、なんでこの時期に授業があるかなぁ。
かつては試験はもっと遅くて、しかも成績処理の余裕をつくるために試験休みがありました。ところが「授業時数の確保のため試験休みはなし」ってなって、それに対して「成績処理の時間を確保せよ」と言ったら、試験期間が前にずれたという、本末転倒な話があったんですよね。まぁそれでも、うちの職場は成績処理の期間は40分授業になるので、おそらくはまだバランスがとれてるほうだとは思います。が、この時期にやった授業内容が3学期まで残るかというと、それははなはだ疑問です。なんか、現実と乖離してるんだよなぁ。
で、午後は出張。ところがここでトラブル発生。1時半スタートなのに2時スタートと、なぜか勘違いしてました。アカン、間にあわん。
午後の出張は、地域の人権教育担当者の会議です。が、同じ日に第2のふるさとで「人権の集い」があることが判明。ならば、わたしたちの研修ということで参加させてもらうことにしました。
今日の講師は石井千晶さん&眞澄さん。この映画に出ておられる人です。一度、滋賀の人権教育の大会でお会いしたんですが、話を聞いたことがなかったので聞きたいなと。
会場に着くと、まだあいさつの最中です。間にあった。
てことで、講演スタート。どんな感じかな…。
まずの印象は、メッチャ緊張しぃなんですね。なんか、ガチガチです。まぁでも、なんとなくわからないでもないです。だって、平日の昼間に来られる人って、仕事リタイアしてる人か、行政の人か、はたまたわたしたちのように仕事で来ることができる人です。リアクションも少ないから、まぁ、しゃべりにくいですわな。なので、うなづいてみたり、ゴソゴソしてみたり。もうひとつの印象は、なんか初々しい。いや、すでに15年講演をされてるのに、なんか「はじめて人前でしゃべります」感が満載です。でも、これがいい味を出してます。もちろん、話せることはいっぱいあって、それらのうちのどれを話すかってことなんだと思います。そのネタあわせをしておられない(笑)。たぶんわざとだと思います。それがなんかいい。
で、話を聞いてて考えたことは、「大人の非当事者って、相談相手がいないんだな」ってことでした。当事者って、運動体とかピアな人とかアライの人とか、いろいろな人とつながりがある。でも、非当事者ってそういう人を不要として生きてきたので[1]「生きてくることができたので」とも言えるけど、あまり言いたくない、いざとなるといない。しかも、年齢があがればあがるほど、いなくなる。これは、わたしとしては、大きな気づきでした。いまさらでしょうが。まぁでも、そこにわたしたち教員の役割があるのかもしれませんがね。
そんな気づきも与えられたけど、なによりいいのが、眞澄さんが主役なのがいい。よく「誰もが当事者」とか「非当事者こそが当事者」って言われます。が、実際には講演する人は、やはりほとんどが当事者です。わたしが知る範囲では「非当事者」で語ってる人は、研究者を除けばほんの数人おられるかって感じでしょうか。ただ、わたしは個人的にはそういう人の話を聞きたい。なぜなら、そこにこそ「変化」があるからです。で、眞澄さんの話は、まさにそこをドンピシャついておられる。
てことで、終わってから演台の方に行くと、千晶さんから「久しぶり」と声をかけてもらってしまって恐縮です。で、ここまで書いてきたことを話したら、千晶さんは
「やっぱりそうでしょ」
と。はい、そうです。また一緒に飲もうという話をして、わたしは会議。
まぁいつものようにつつがなく会議も終わって、帰りましょう。
今日は服を買わなきゃなりません。店員さんに相談できるところがいいんだけど、それでもそんなに高くなくていいの、ないかなぁ。

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1 「生きてくることができたので」とも言えるけど、あまり言いたくない