現在の部落問題を考える

今日は「冬季現地研修会」ということで、リバティおおさかへ。
ちょこっとガイダンスを受けた後、まずは特別展示。日本の差別について通史的に展示してあるのですが、なかなか興味深かったです。なかでも、娼妓の帳面を見たら、かなりえぐいですね。ほんとうにほとんど「元金」が減らないように調整をしている。ちょっとめまいがしました。
その後、総合展示。こちらのほうは「いつものとおり」と書きたいところですが、少しずつ少しずつ展示してある内容が増えているみたいで、「がんばってはるなぁ」という感じ。なかでも「T’s festival2000」のチラシがあったのは感涙ものでした。ひたすら「なつかしい!」ですね。
今にして思えば、順子姐さんとの出会いはこの時だった気がします。いずみちゃんとも出会い直したし。過去を懐かしむわけではないですが、「やっぱりこのあたりが自分の原点にあるなぁ」という気がしました。
てなことをしているうちに、あっという間に1時間がたちます。ここの展示物、多すぎ。でもおもしろい。

午後からは朝治さんの講演。タイトルが「現在の部落問題を考える」。
「感想を10字以内で述べよ」という問題が出たら、答は「すごくおもしろかった」です。
まずは、研究者にありがちな「部落問題を考える時に、キーになるのは◯◯」という語り方を避けられます。どちらかというと、「あれも大事だし、これも大事だし、この観点も抜くわけにいかないし…」という感じ。もちろん、それぞれについての深い洞察は持っておられるわけですが、どれかを抽出して語ることを避けられる感じかな。
だから、ダラダラとしたまわりくどい要点の絞られない語り口にならざるを得ないわけです。ただ、それだけだったら「わけわからん」となりそうなんですが、そこに朝治さん独特のキャラクターがあって、なんとも言えない持ち味を醸し出されているんですね*1
おそらく、根本にある感覚が、「部落の人間にとって、部落であることはとても大切な要素のうちのひとつであるけれども、でも要素のうちのひとつでしかない」ということなんですね。そこからスタートして、部落問題といかに向きあうのかということを考え、そのことを通して、他の差別問題と自分自身がどう向きあうのかというあたりまでを、おそらく考えておられるのかな。いや、朝治さん自身はそこまでは語っておられないんですが、話を聞きながら、わたしはそう感じさせられました。
なんか、ちょっとふんわりした感じでリバティをあとにしました。

*1:単なる酒好きという話もありますが…

ガザのテレビを見た

すごい状況。
岡真理さんから30分ほどレクチャーを受けただけだったので、半年前の状況ではあるけど、映像で見ることができたのは、わたしにとって必要だった。
「封鎖」という状況の中で、人々が絶望し、生きる希望をなくしていくということ。そこ中にも「生きる」ということに希望を持ち続ける人がいるということ。しかし、そんな「きれいごと」では住まない状況におかれている人が、今同じ地球上に存在しているということ。
認識を新たにしました。

血液検査の結果

今日血液検査の結果が出てきました。
まずは結果から。

測定日 E2(pg/ml) プレマリン(錠/日) ビールの本数 ビールの味
2006/8/10 67.3 4 1本弱
2007/2/8 1430.0 5 1本弱
2007/4/10 1386.0 4 1本弱
2007/6/14 587.2 3 1本
2007/8/16 104.1 2 1本
2008/2/14 681.1 2 1本
2008/4/10 418.0 1.5 1本+α
2008/6/4 65.0 1 1本では足りない
2009/1/27 69.0 1.5 1本

ちなみに、他の数値は以下の通りです。

フィブリノーゲン 169 180〜400
血中テストステロン 1.6 2.4〜10.4

数値的には「閉経後の女性」よりはそれなりの多い。ということは、性ホルモンは十分に足りている感じかな。かといって、かつてのように異常に多いこともない。なによりも、ビールの本数と味の感じがちょうどバランスがとれています。きわめてええ感じです。
てことで、1錠と2錠を毎日繰り返しながら、てきとうにバランスを考えているのがわたしにあっているのかな。
このあたり、次回受診日にIちゃんさんに報告だな。

やっと休日

今日はパートナーは朝からおでかけ。なんでも、神社でお払いか何かをしてもらうとか^^;;
で、わたしは子ども達といっしょにお留守番。
お昼ご飯は焼きそば。昨日買ってきた「大カス」を入れてみました。下の子どもは「おいしい」とひたすら食べます。上の子どもは「これ、ミノみたいやな」とちょっと分析的(笑)。
食後はお皿を片づけて、晩ご飯の準備。今日は、上の子どものリクエストでサムゲタンです。まぁ、この間の玖伊屋のことを言ったから「食べたい」というのは当然ですか。サムゲタンだけだとなんだから、ついでにチャプチェもつくりましょう。って、玖伊屋とまったく一緒ですよ。
てことで、のどかな一日はおわり。
さて、次の休日はいつかな(;_;)?

1位は誰だ?

高座の後は、芦原橋の方へブラブラ。
なんでも、今日は沖縄と大阪の高校生がハンセン病回復者と交流会をするそうな。で、そこに「行かない?」とK◯本さんから誘われていたので、ほいほいと行くことにしました。
にしても、「だれも知らないところだし…」とか思って、かなりビビっていたのですが、実際行ってみると、知っている人があちらこちらにおられます。「なぁんだ」というのが半分、「えらいこっちゃ」というのが半分。でも、やっぱりうれしかったです(笑)。
ボチボチ呑みながら、ボチボチ食べながら、いろんな発表を聞きながら、いろんな人としゃべりました。よかったよかった。
その後、くM◯さんの大切なお友だちのやっておられるお店へ移動。交流会で仲よくなったG寿◯さんも一緒に行くことになりました*1
宜◯Jさんって、沖縄自分史センターの編集をしておられる方です。ここ、なんでも、沖縄のハンセン病回復者の方々の聞き書き?の本を出されて、その後、「自分史センター」を継続してやっておられるとか。
でも、お店に移動してからはそんな話は、なし。ひたすらジェンダーにまつわるあれこれを、とめどなく話をします。
でも、おもしろい。話せば話すほど、もちろん「経験の差」は広がっていくんだけど、「距離」は近づいていく感じ。こういう経験って、ほんとうに今まで少なかったですね。
てことで、約2時間の呑みののち、4人の距離がぐぐっと近づいた気がしながら、別れを惜しみながら解散です。

てことで、この8日間の一緒に呑んだ回数ランキング(笑)
第1位 A久◯さん(4回)
第1位 K◯本さん(4回)
第3位 いずみちゃん(2回・2日連続)

*1:本来は高校生の引率だけど、「ゴメン」と抜けてこられた\(^o^)/

栄@鶴見橋(西成)

で、かなりほっつき歩いたのですが、お好み焼き屋さんがありません。
いや、正確には1軒あったのですが、あいていません。あたりにたこ焼き屋さんはけっこうあるんだけど…。
あるたこ焼き屋さんで「このあたりにお好み焼き屋さん、ありますか?」ときくと、「この辺は午後遅くからしかあいてへんよ」とのことでした。まいった…。すでに12時半。どうしよう。と、質屋さんの倉庫から出て来られたおばちゃんに、再度「このあたりにお好み焼き屋さん、ありますか?」と聞くと「そこにあるよ」とのこと。
なんてことない建て売りの集合住宅のうちの1軒に、とつぜんお好み焼き屋さんが出現。完全に建て売りの自宅の1階を改造しています。
中に入って、「カス、ありますか?」と聞くと「あるよ」とのお答え\(^o^)/。
で、さっそく注文。もちろん、泡の出るものも(笑)。
ここはやっぱり大阪です。もちろん混ぜ系。
小さめのキャベツとタネをしっかりと混ぜます。といっても、中に空気が入るように切るように混ぜるのがポイントみたいです。鉄板の上に広げられた生地。そして、上にところせましと置いてあるカス。
これです。

やがてひっくり返してじっくりと焼きます。
出てきたのがこれです。

こんがりとキレイに焼けています。
おばちゃんは、ソース・削り粉・青のり・マヨネーズ・一味を出してこられます。なるほど。
で、ソースと削り粉と青のりをかけて食べます。
お約束通り、表はサクサク、中はふんわり。おいしいです。
ただ、惜しむらくは、カスのできあがりが固い。
これは考えるに、混ぜ系の宿命ではないかと。はやり、中までしっかりと火を通すためには、どうしても片面を約時間が長くなります。となると、どうしても脂が出てしまう。まぁそのかわり、うまくやると、生地の中に脂が染み込むはずなんですが、やっぱりそれでも、カスを食べた時の「脂ジュワッ」が不足するかなぁ。それをさけるためには、つもとみたいな焼き方をするしかないのかもしれません。
てことで、恒例の…。

data

カス入りお好み 600円
ビール 生中400円
スタイル 混ぜ系
その他 カスの量は多いです。生地の味もいいですね。もちろん、他にもいろいろなお好みがあります。しかし、ここってムラ中なんかどうかわからないんですよね^^;;
独断的評価 ★★★☆☆(やっぱりカスの固さが(;_;))

そうそう、詳細なリンクにも追加しました。

しゃべるスピード

今日は2時間時間がいただけるので、ちょっとゆっくりと話ができました。
でも、問題は…。
やはり、人間がしゃべるスピードっていうのは、それぞれが決まっているんだと思います。
今日は手話通訳を必要とされている方がおられて、そのことを考えながらしゃべろうと思うんですが、気がつくといつものスピードになっています。「あ!」と思ってふたたびスピードを落とそうとするんですが、やっぱり気がつくといつものスピードになっています。
終わってからの感想を読ませていただいたのですが、おおむね「よかった」という感想の中で、ひとつだけ評価が極端に下がっているのが「しゃべるスピード」orz。
どないしたらいいのかなぁ…。

とにかくびっくり

今日は、大阪市南部の某所にて高座。
その前に、恒例のお散歩です。となりの芦原橋近辺はしょっちゅう行っている気がするし、反対隣の新今宮近辺は、大学時代によく行きました。ところが、その間の駅近辺を歩いたことがないんですね。なので、もう、すごく期待して行ったわけで…。
で、歩きはじめてびっくり!とにかく広い!エリアがあまりにも広すぎて、もう、なにがなんだかわかりません。いやぁ、まいった…。
って、なんのことだかわかりませんよね(笑)。

1週間で4回目

この1週間で一緒にお酒を飲んだ回数のランキングをつけると…
第1位 A久◯さん(4回)
第2位 K◯本さん(3回)
第3位 いずみちゃん(2回・ただし2日連続)
てところでしょうか。
で、今日はその4回目です。神奈川から来られたABさんを囲む会。主催者は第1位の方で、参加者は第2位の方とTけ田さん
会場に着くと、すでに宴たけなわ。てか、「自分撮り」の方法で盛りあがっていました。
まずは、『太郎』の話からネタを振ってみたのですが、そこから話はとめどなく発展していくのがこのメンバーのおもしろさです。おそらく、互いのバリアがすごく低いんです。みんながなんらかの「当事者」でありながら、その当事者性を絶対視せず、相手の言葉に耳を傾ける。その言葉を自分の中を通して、自分の立場性から再び発信する。そうやって、対話がつながっていきます。だから、話は展開していく。
たぶん、そういう感じなんだと思います。
ただひとつ、問題がありまして。
お酒の回りと、お腹のふくれと、時間がたつのがすごく早い(笑)。
気がつくとあっという間に11時過ぎ。今回も(は?)最終で帰りました。

読書感想文

3日の宴会(笑)の時にお借りした『太郎が恋をする頃までには』を、今日ようやく読み終えました。
今日も同じ場所で宴会があったので(笑)、「ちょうどいいから返そう」と持っていったら「早かったね」と言われてしまいました。
まぁ、もともと本を読むのは早いんです。そのかわり、「じっくり鑑賞」ではたぶんないです。そうそう、大学の頃、吉本隆明とか読みはじめた時、異様に読む速度が遅くて「あぁ、オレはダメになったorz」と落ち込んだことがありました。で、普通の小説を読んだらやっぱり今まで通りの速さだったので、「むずかしい本を読むとスピードが落ちるんだ」と理解したという…。まぁ、どうでもいいですが。
で、『太郎』をお借りした時に、「感想聞かせてね」と言われていたので、とりあえず感想を言うことを留意しながら読んでいました。
で、感想ね。
一言で言うならば、「共依存関係に裏打ちされたDVのストーリー*1」ですね。ネタバレになりそうなんだけど、基本的に主人公の「転機」は、「太郎」の激しい感情の爆発がきっかけになっているんですね。で、主人公はその「爆発」を「被差別の歴史ゆえ」と解釈し、そこに「哀しみ」や「やさしさ」を感じとるという。
で、こういう関係って、まぁ言ってみれば「アサーティブ」とは対極の関係にあるわけです。最後の「オチ」もかなり唐突かなぁ。AERAの記事を読んで「オチ」は知っていたし、記事を読んで「なるほど」と思っていたけど、やっぱりちょっとしっくりこなかったです。まぁ、これは作者の意図をわたしがきちんと理解できていないだけだとは思いますけどね。
で、一番読んでいてしんどかったのは、「当事者至上主義」みたいなものが感じられたということ。「間違っている」と思っても、「当事者」ゆえにそういう結論が出されたんだと解釈し、「当事者の決定」を「理解」し、それに従う。言うならば、共依存関係のおおもとがここにあるということになるでしょうか。
この関係、実は「さまざまな当事者」をめぐる運動や言説の中でよく見られることのように思います。
かつてわたしは、この主人公のように「太郎*2」との共依存関係に、疑問や違和感さらには嫌悪感すら持ちながらも、それを言う勇気もなく、どっぷりと浸かり込んでいました。いや、いまもそこにいないわけではない。でも、「これって共依存だよね」ということが言える「友だち」が、少なくとも何人かできたことで、そういう関係にいる自分のことを、ある程度客観視することができるようになった気がします。これは、わたしにとってすごく大きなことです。

翻って、わたしが、なにやら「当事者」というレッテルをはられる立場になったとたん、わたしもまた共依存の対象にされる可能性がすごくあるわけです。
共依存の対象という位置に自分をおくと、これが実に心地よい(笑)。だって、自分はある意味「持ち上げられる」存在になるし、自分の「発言」「行動」に、まわりの人は過剰なまでの意味を見いだしてくれながら、それが通っていきます。
しかし、その関係は、そこから一歩下がるとすごく異様な風景です。
では、どうすればその関係から自分を救い出すことができるのか。それは、逃げ続けること。そして、まわりのわたしへの言説から、わたし自身を常に少しだけずらし続けること。常に「実践」に足場を置きつづけること。そしてなにより、誰もがその人自身の人生の当事者であると心に刻みながら対話をし続けること。

他にもあるんですけどね。「オチ」の最後の結末が「それかい!」みたいな*3。そこへ至る経路の中に、やはり結婚・出産・家みたいなものがアプリオリなものとして底辺に流れている。まぁ、だからこそ、この本のテーマがなりたつんですけどね。でも、少なくとも「セクマイ」とは無縁な話だなぁ…。
っていうのは意地が悪すぎますか…。

*1:あぁ、これは前に樹村さんが「GO」について言っておられたなぁ…

*2:に代表される「当事者」たち

*3:結局最後は、「血」の問題かい!って感じ