夏休み最終日

今日が夏休みの最終日でごめんなさい。すでに、学期がはじまっているところの方が、最近では多いんでしょうね。仕事に行く最中に、普通に登校している生徒にいっぱい会いました。そうそう、長期休業中って、渋滞が少ないんですよね。でも、この夏は8月終わりには渋滞していたから、やっぱり学期がはじまっているところが多いんだろうな。
で、2日連続の午前様で、朝からしんどいのなんのって。
で、夕方までいたのですが、ほとんどダウン寸前。
てことで、電気関係のパーツを買いにいくことを理由に、ちょっと早めに学校を脱出。
なにしろ、スポットライトのコンセントがコードむき出しとか、視聴覚教室のプロジェクター用のRCAプラグが踏まれてつぶれてなくなっているとか、無茶苦茶な状態ですから。さすがに、ホームセンターにはそのあたりのチョコチョコした部品は売っていないので、「寺町行って探してきま〜す!」ということにしました。
探していた部品も無事見つかり、お家へ。
久しぶりに家族と一緒にご飯を食べて、9時半頃にはテレビを見ながらウトウト。このままじゃ落ちると思ったので「ごめん、寝てきます」。布団に入ったら、速攻落ちたみたいです。

せっかくなので…

夜は、講師のみなさんと晩ご飯。「朝からなにも食べてない」とか「昼ご飯食べそびれた」とか言っておられます。さすがに若いなぁ。わたしはなにがあっても、とりあえずたいていの場合は昼ご飯は食べるなぁ。場合によっては…。やめとこ。
で、「底をさらえてくれるところ」とかでしばしoyajyな感じを満喫。でもここは回転が速いので、次の店に行ってさらに話。やたら電話がかかってくるビアンの友だち。「香ばしい電話やった。わたしがせっかく活動する時の名前を変えている*1のに、お母さん「わたしがつけた名前を使えないのか〜」って怒ってるの」。いい話やなぁ…。さらにYさんを呼び出して、もうひとくさり話。話が泥沼に入りそうになったところで「あしたも仕事やね」ということでお開き。
これで、2日連続で午前様じゃ。倒れそう(笑)。

*1:つっても、ひらがなにしているだけ

感想文を読んで

終わってから、書いてもらった感想を読んだのですが…。
たいていの人は「よかった」という感想なんですが、なかに「性が多様というならば、お好きになさればよろしいじゃないですか」なんていうのがありました。講師の方々、これを読んでひとしきり笑ったあと「この人、なにがあったんだろうなぁ」と、みんな逆に心配していました。この人「聞きたい人だけが聞くようにしてくれ」とも書いていたのですが、「君が一番聞かなくちゃならないんだけど、その前にやらなくちゃならないことがあるよなぁ」とも思いました。てか、同僚にも変なのがいるんだけどね(笑)。
他にも「ウチの学校に問題が起こっているならともかく、なにも起こっていないのにこんな研修をする必要はないのではないか」なんていう感想がありました。「なにも起こっていない」と思えるのは、きつい思いをしている生徒が隠しているからだということに気づいていないんですよね。「きつい思いをしている生徒がいるかもしれない」という想像力が働かない教員がいるというのが、見事に顕在化しましたね。それと、こういう研修って、「なにかあってから」では遅いからやっているということなんですけど、これもまたわからないんだなぁ。
ま、他の「重要(笑)」な課題の時には決して出てこない感想が出てくるのが、この手の「どーでもいい(笑)」課題の研修のおもしろいところかな。

午後のテーマは「性的少数者問題と学校教育」だ…

午後のテーマは、タイトル通りです。トランス・レズビアン・ゲイと3人も来てくれ、えらい豪華メンバーで話をされました。
まずは、前フリから。「「普通」の人が「変態のかわいそう」な人のことを聞く/なんとかしてあげるという発想では、この問題は解決しない」と、いきなり剛速球を投げてきました。すげぇ…。あたしゃ、まずは変化球から入るけど、すごい度胸です。でも、高校の教員なんて、これくらい言わなくちゃ効かないんですけどね。もっとも、これくらい言うと、逆にすねて聞かないという話もありますけど*1
で、前半は「知識」中心の話。ちょっと固かったけど、自分たちの話をまじえながら話してくれているうちに、だんだんと座も和んできて笑いもでてきました。いい感じです。
後半は、自分たちのライフヒストリーをカミングアウトを中心に話をしてくれました。また、セクシュアルマイノリティのおかれている状況にも簡単にふれながら、学校教育の課題についても話されました。3人とも若い人たちだったので、学校時代のことはかなりフレッシュな感触ですごくよかったです。
で、約2時間半の研修が終わったのですが、自分が話をするよりもよっぽど緊張をしました。

*1:自戒の念をこめて(笑)

職場の研修・2日目

午前は、教務部の研修。「どうすれば学力があがるか」という、「そんな方法があったら知りたい」というテーマです。
で、グループにわかれて、ブレインストーミング→発表ということになったのですが…。まぁそれぞれのグループごとにずいぶんと違いますね。わたしのグループの人たちは「まぁ、学力は低いけど自分の甲斐性でなんとかできるし、授業規律を維持するのはたいへんといえばたいへんだけどこれまた自分の甲斐性でなんとかしてきたなぁ」というのが多かったためか、「そんなんなんとかなるやん」という意見が大半でした。でも、そうじゃないグループもあるわけで、曰く「担当者会議*1が必要だ」とか「みんなで基準をつくってそこをまもらせるようにしないとしんどい」とか。うちのグループの人たち、そんな他のグループの発表を聞きながら「担当者会議なんて、担当者が楽になるだけのもので、時間のむだ」とか「職員室の雑談で充分できるやんか」とか「基準をつくるなんてストレスがたまるだけやん」とか、私語しっぱなし。
まぁ、研修中に私語をするような教員に習っているから生徒も授業中私語をするんだといわれたら、「ごもっとも」となるわけですがね(笑)。

*1:しんどいクラスの授業担当者が集まって状況を報告しあう会議

久しぶりの屋上

昼休みに同僚から、「今日、夕方屋上に集合するんやけど、来る?」と言われたので、つい「行きましょか?」と安請け合いしてしまいました。
てことで、京都駅の南側にある某ホテル*1の屋上で、夜風に吹かれながらビールを飲みました。もう、何年ぶりだろう。
なんだかんだと、しょうもない話で盛りあがりました。で、2次会は定番のカラオケ。もう、ほんとうにべたべたなんですけど、でも、こういう時間を同僚と共有することが、きっとどこかで役に立つんだろうなぁ…。

*1:別に隠すこともないか…

職場の研修・1日目

午前は進路研修。某教育産業の人を講師に招いて、大学受験の現状と、ウチの学校の改善点についての話を聞きました。
大学受験の状況って、激変しているんですね。特に、理系の易化が激しいとか。たぶん、人気がないんだろうなぁ。か、そもそも高校段階で理系選択をしていないので、選択の範囲外になっているのかなぁ。そこへもってきて、そもそもの大学受験人数の減少がある。なんかえらいことになっていますわ…。
後半の「改善点」の話。模擬試験(みたいなもの)からウチの学校の学力の変化を分析して、対応策を簡単に話をされたのですが…。まぁ分析はあたってますわな。実感として、学年進行に従って、学力が下がっているというのは、よくわかります。でも、その原因が某教育産業の人が言っているような、授業のノウハウにかかわるところとはずいぶんと違う気がします。なので、「成功例」として出された他校のとりくみ*1とか聞いていても、「ハァ?」という感じしか残りません。でも、学ぶところは学ばなくっちゃね。
午後は、国際教育*2をどう授業に活かすかという話。講師の方は、開発教育の方でかなり有名な人です。ただ、同じ府立高校の教員なので、話にくそうでした。あと、教員の側が「なんだかなぁ」な雰囲気で、これがまた話にくさを倍増させていたみたいです。でも、参加体験型をつかったりして、アイスブレーキングをうまくされたせいか、後半はいい反応があったんじゃないかなぁ。
内容的には、数学科としては、かなり厳しいものは感じましたが、根本的なところで「そう!そう!そう!」というものでした。ちなみに、この人を呼んだ分掌は、開発教育の持つ根元的な意味を知らなかったみたいで、イトしていたであろう内容とのギャップに、思わず笑ってしまいました。

*1:例えば、国公立大学に数十人合格するような学校における習熟度授業のありかたとか…。

*2:≠国際理解教育。詳細はhttp://blog.ituki-d.net/20060714#p1

若年層トランスに必要なことは?

いま、兵庫県の小・中の先生方の間で、GIDのことにすごく関心があるようです。まぁ、当然といえば当然ですけどね。一方、新聞の影響もあって若年層、特に小学生段階でも自分の性別に疑問を持つ子が顕在化をしているみたいです*1。そんななか、先日突然、兵庫県の西の方にある街に漫談をしに行くことになってしまいました。
まぁ、漫談はいつもの通りで、それなりに和やかな会になったんじゃないか、と。
で、終わった後、ある人が小学生@たぶんトランスのことで相談に来られました。
やっぱり、直接かかわる人はすごくしんどいみたいです。一方で「えっ!」という驚き。そして、整理しようのない自分自身の思い。さらに、それでもサポートしたいけどどうすればいいかわからないというとまどい。
そんな気持ちをぶつけてこられました。
う〜ん。で、返したこと。
いつも思うことなんですけど、どんな発達段階であっても「なにが我慢できて、何が我慢できないのか」ということを明確にすることが大切なんじゃないかなぁと思うのです。もちろん、それって変化をしていくものだと思うのです。その変化に柔軟に対応していくというか、否定しないこと。あと、できるだけ実現できるようにすること。
「否定」や「実現の阻止」をされると、必要以上に「やりたい気持ち」が盛りあがってしまうように思います。そうすると、冷静な判断ができなくなります。なので、「実現する」ということ、あるいは「試すことができること」って大切なんだと思うのです。そんな中で、自分のありようと向かいあえる状況をつくることなんじゃないかなぁ。
あと、他のことでも言えることだと思うのですが、ある事柄に対して派生的に出てきたことについては、一般的な対応で効果がないかどうかを検討することも必要かな、と。
具体的には、トランジションにかかわって、他の子どもたちからいじめにあうようなことがあるだろうと思うのです。その時に、「トランジション」というところに原因を求めながら対応をすべきか、トランスであるないにかかわらず一般的な「いじめ」の問題として考えることはできないかということです。これは、簡単に言うならば、スポットを「いじめる側」にあてるということです。
まぁそんなことを、2時間ほどいろいろ話しあってみました。
いずれにしろ、「どうしていいかわからない」状態から、「とりあえず話を聞いてくれる人がいた」という安心感が持てるところまでは来られたようです。
相談の一番大切な意味は、実はそこなのかな。つまり、若年層トランスをサポートする人自身が楽になること。

*1:あくまでも顕在化であって、それまでは潜在化していたんだと思います。自分の表現方法を、とりあえず獲得できるようになったという意味では、あの連載は、すごく意味があったと思います。

クーラーが来た日

なぜかウチの前の持ち主は新しもの好きというかなんというか、アレゲな人だったみたいで、家の中には変な細工とかいっぱいしてあります。そんな中でも最も変なものは「動力のクーラー」です。いや、いいんですけどね。でも、1台しかないし、他に動力を使うものがなくなってしまっている状態なので、ランニングコストがすごいっしょ。
しかも、居間についていたクーラーが入居直後に壊れてしまうというハプニングもあって、去年も今年もクーラーなしの生活になっていました。朝晩はそれでもマシなんですけど、昼間は暑い。てことで、昨日書いたとおり、導入決定です。
昼間に取りつけに来られました。ところが、趣味的な家の欠陥というかなんというか。寸法がほとんどつくりつけみたいになっているので、キチキチです。あーでもない、こーでもないと悩みながらとりつけてもらいました。さらに、動力のクーラーも撤去してもらって、都合3時間の工事。最後の方には、電気屋から「まだか?」という電話もかかってきたみたいで、えらい迷惑をかけてしまったなぁと。
それにしても、クーラーの威力は絶大です。涼しいっす。下の子どもも、食欲が復活です(笑)。でも、クーラーで食欲復活とは、ひ弱だよなぁ…。夏や暑いものだと思うんだけど。複雑な気分です。