タイミング

この手の交流会で、やっぱり困るのはお風呂です。部屋についてはすでに問題(笑)は解決しているんですけどね。
実は、今回の交流会では、部屋割りについて、性別欄に「男じゃない*1」と書いてあったにもかかわらず、男部屋にされていました。「はぁ…」と思ったのですが、友だちの女性教員達が「あれ?部屋割りが違うやん」「うちの部屋に来たらええやん」と次々に言ってくれて、無事、女性部屋に入れました*2
ところが、お風呂はやっぱりこうはいきません。みなさんには「あ、台所のシンクに水をはって入るし」とか言っていたのですが、やっぱりしょせんは無理とあきらめていました。ところが、プログラムの隙間で見事に誰もお風呂に入っていない時間がありました。すぐさまお友だちの「取り立て屋さん(なつかしい…)」が「前で見張っていたげるし」言ってくださったので、ご厚意に甘えて久しぶりに大浴場にはいることが出来ました。うん、めっちゃ気持ちよかった。

*1:これが最近のわたしの性自認

*2:部屋割りをした人は知っている人なので、「まぁ、わたしらみたいな人間は階段の踊り場がいちばんふさわしいんですけどね(笑)」などと言ったのですが、どうも皮肉に聞こえたみたいで、えらい謝ってはりました。

中間総括から・2「日本人が参加することの意味」

もうひとつ提起されたこと。今回初めて「ルーツ別交流会」を行ないました。参加者のほとんどは、自分と同じルーツを持つもの同士の出会いを喜んでいたようです。それが最も大きくあらわれるのは「言葉」。渡日からせいぜい数年しかたっていない生徒たちにとって、母語で話しあい冗談を言いあう機会はとても貴重なものです。わずかな時間ではあっても、そうした時間が設けられたことの意味はとても大きいかなと思います。
しかし、その一方「ルーツ別交流会」は2種類のマイノリティをつくってしまいます。
ひとつは、圧倒的に少数のルーツを持つ子どもたちです。せっかく「仲間」と出会いに来たのにやはりいなかったということの絶望感を、出会う機会を得た他のルーツの参加者の姿が倍増させると思います。
もうひとつのマイノリティは「日本」というルーツを持つ生徒たちです。「自分たちはなにを語ればいいのか」というとまどいが、そこにあります。いや、おそらくは、なんの働きかけもなければ、そう思ってしまうのはしかたのないことだと思います。
そんな、「日本というルーツを持つ生徒」の交流会にも、実は貴重な意見があったようです。それはこんなものでした。「自分は友だちが中国人であることを知っているんだけど、その中国人の友だちは自分が知っていることを知らない。どうやったら友だちが自分に話をしてくれるだろうか」。
ここにこそ、ひとつの本質があるように思いました。

中間総括から・1「しんどさを語ること」

夜に教員の総括。印象に残ったのは「司会をしている実行委員の生徒たちが、なんとか明るく軽くしていこうとしているけど、自分たちの経験をそんなふうにしゃべれるのか?」という提起。そりゃそうです。なにせ、オーバーステイや血縁関係にないから在留資格を取り消されて*1入管に収容とかいう経験までもっているような子らです。そんなに明るく語れるわけがないです。というか、他の場所ならともかく、「この場所」ならばそんなこと*2に気を使うことなく、しんどいことは「しんどい」と、素直に表現をしてもかまわないんじゃないかということなんです。
「しんどいことを明るく語る」というのがわたしの芸風*3ですから、これって逆行すると言えば逆行するのですが、たぶん、ほんとうにしんどいことはたぶんしゃべっていないんだろうと思います*4。なので、いまほんとうにしんどいと思っていることは、やっぱり明るくはしゃべれない可能性があります。それを無理に明るくすることは、たぶん不可能なんですよね。てか、きっと無理をしているのが伝わってしまうだろうと思います。それって、逆に痛々しいです。
今回の提起をされた方は、たぶんその痛々しさを感じとられたんだろうと思います。
「仲間」に対して、しんどさを隠さないということ、そのしんどさをマイナスに受けとめるのではなく、プラスに転化していける関係性(あるいは、「場」)って、やっぱり大切なんじゃないかなぁと思いました。

*1:日本の在留資格は「血統」に依存しています。なので、日本人と血縁関係があれば(たとえば実子)在留資格が認められますが、「連れ子」の場合は血縁関係がないので、たとえ親子であっても在留資格が認められないことがほとんどです。しかし、「家族=血縁」というのは、戸籍制度に基づく価値観であって、かならずしもこのような価値観は一般的ではありません。でも、入管はこれらをすべてひとくくりに「偽装」として、在留資格を取り消して、強制収容・強制送還の対象にすることがほとんどです。

*2:「明るくしなくちゃいけない」みたいな。

*3:というか、京都解放研の作風

*4:自分のことなのに「思う」というのは、自分では意識していないからなんですよ。

全国在日外国人生徒交流会・第1日目

今年の交流会の開催地は神奈川です。でも、参加者はみんなプアです。関西では、できるだけ参加者の必要経費はなんとかして負担しようとしているのですが、交通費があまりにも多くて無理。ということで、この間盛りあがってきた交流会も今年はしぼみそうな雰囲気でした。でも、やっぱり生徒たちは「行きたい!」と言います。そこで最終的に考えた奥の手は、バスを仕立てるということでした。とにかく、できるだけ生徒の参加者を増やすために、引率教員は随行する車で行くというふうに設定をしました。で、わたしも車部隊。神奈川まで車か_| ̄|◯
ところが、集合場所まで行くと、生徒の欠席が若干名あったとのこと。ラッキー!てことで、バスに乗せてもらうことにしました。
神奈川の会場に着くと、ニンニクとかトマトとかのいりまじった、すごくいいにおいがしてきます。関東の参加者が、それぞれのルーツの料理をつくっています。もう、すごい熱気です。
最近は交流会は関西であったので、フルに働くことが多かったのですが、今年は関東に人たちが全部やってくれます。おかげさまで、ずいぶんと楽です。どっかでなにかの穴があった時、そこのサポートにまわる程度ですみます。あとは、他の引率と一緒にダラダラと話をしていました。